19.王の書庫
少し短めです。
その日の深夜。
フリードが今日から移った王の私室で眠っていると、不意に、声をかけられた。
「…お休みのところ、失礼致します」
「シュゼイン公爵!?」
反射的に飛び起きて、剣に手をかける。果たして、彼は静かにそこに佇んでいた。
いくら将軍でも、緊急時以外に深夜の王の自室に無断侵入するのは重罪だ。その表情は、サングラスと逆光で見えない。
警戒しつつ声をかける。
「……大声を上げるべきか?」
「…御無礼をお許しください。最初にお声をかけさせていただくのは夜遅くと、決められておりますので」
「何を?」と聞く前に、シュゼイン公爵は続けた。
「…王の書庫のありかへ、ご案内します」
月光すら入らない、城の内部。
己の指先すら見えない真の暗闇の中で、フリードはシュゼイン公爵に抱えられながら呟いた。
「王が継承すべき秘密とその保管場所の話は、宰相から聞いていたが……王の私室に入り口があったのだな」
「…入ってすぐのところを真っ直ぐに行けば、城の外部に出られます。そちらはきちんと灯りがつきますので、万が一の時はご活用ください」
「逃げる時までシュゼイン公爵に抱っこでは、格好がつかないからね……」
今は感覚からして、螺旋階段を降りているようだ。
「……本当に暗いな」
思わず不安になってそう呟くと、顔の横から返事があった。
「…この空間は、光を奪う呪いがかかっております故」
「シュゼイン公爵はよく歩けるな。私は無理だ」
返事はないが、シュゼイン公爵が微かに笑った気配がした。
しばらく階段を降りて行くと、不意にシュゼイン公爵が止まった。
「…扉の仕掛けを解きます。こちらに座ってお待ちください」
「ああ」
フリードは椅子の上に座らされたようだ。何故こんなところに椅子?と首を傾げていると、少し離れたところからシュゼイン公爵の声がした。
「…仕掛けは、シュゼイン公爵家の当主かその嫡子しか解けません。こちらにお越しになるときは、必ず私をお連れください」
「そうしよう」
そこで「私か娘を」と言わないのが、娘を溺愛する彼らしい。
(しかし私とご令嬢で殴り合ったら、ご令嬢の方が強……いや、何も言うまい……)
気持ちの問題なのだろう。
五分ほど待っていると、シュゼイン公爵が戻ってきた気配がした。
「…仕上げです。少々お手を拝借」
「ああ」
再び抱き上げられ、右手を壁に押し当てられる。
何か紋様が刻まれている、と思った瞬間、かちん、とどこかで何かが噛み合う音がした。
小さく、地鳴りのような音が響く。
やがて音が止まると、フリードを抱えたシュゼイン公爵が歩き出した。
「…参りましょう」
扉を開けた音がして、再び階段を降り始める。今度の階段はかなり短く、フリードはそっと地面に下ろされた。
「…お待ちを」
かちゃかちゃと金属の音がした後、斜め上で光が爆ぜた。
「わっ、ここからは灯りがあるのか」
「……ええ。こちらが、王の書庫ーーー王族の秘密の保管部屋です」
光に目が慣れると、小さな机と椅子、それといくつかの本棚があるだけの部屋だとわかった。
中央の机の上、古めかしい本が鎮座している。
そっと手に取る。触り心地は思いの外古くない。シュゼイン公爵が手入れしているのだろうか。題名はなく、一ページ目にはこう書いてあった。
『いずれここを訪れる、愛しい子どもたちへ』
すぐに国父陛下の文字だと気が付き、手が震える。深呼吸を繰り返し、息を整えてからページをめくった。
(王家の暗号で書かれている、か。宰相から習ったな)
解読に没頭していると、背後でじっと待機していたシュゼイン公爵が、口を開いた。
「……陛下」
「うん?」
「…我がシュゼイン公爵家は、建国の頃から百九十八年間、王家に仕えて参りました。…私で何代目か、ご存知ですか?」
「十一代目だろう?」
紙面に目を落としたまま返事をすると、首を振った気配がした。
「…表向きは。実際は違います」
「そうなのか?」
家の事情で、実は中継ぎがいたり、名前が知られる前に亡くなった当主がいるケースは割とある。だからこそフリードは、軽い気持ちで問いかけた。
「本当は何代目なんだ?」
やや長い間があり……フリードはようやく答えを得た。
「…二代目です、陛下」
「…………え?」
継承本が手から滑り落ちた。ばさりと、古い紙の本が埃を撒き散らしながら机に落ちる。
(拾わないと。いや、先に公爵に)
そんな考えが渦巻くも、まるでその場に縫い止められてしまったように動けない。
シュゼイン公爵の厳かな声と、蝋燭が燃える音が小部屋に木霊する。
「…我が父は国父陛下に命を救われたのち、長きに渡りかの方の国に仕え続けてきました。私が成人するまでは、領地の部下を身代わりに立て、私が成人してからは私と交代で、代替わりを偽装してきました。…父は十年前に亡くなりましたが、子が生まれにくい我が一族で、なんとか孫の顔を見せてやれたのは僥倖でした」
覚悟を決めて振り返ると、シュゼイン公爵はサングラスを外していた。
血のように赤々と、輝く瞳。
考えてみれば、ずっとおかしかった。
いくら闇に慣れた暗部の影といえど、月光すら差し込まない真の暗闇の中で。
どうやって階段を降り。
どうやって仕掛けを解き。
どうやって扉を開けた?
蝋燭の火すら無しに。
「しゅ、シュゼイン公爵……貴殿は、一体何歳なんだ……!?」
震える声で問いかけると、二十代と言っても誰も疑わない、若々しい顔立ちで口を開く。
「…今年で九十八でございます、陛下」
お読みいただき、ありがとうございました。




