17.王太子のお茶会・後悔するひと
「本当ですな」
宰相は紅茶を一口飲み、苦笑してみせた。
「あの愚物の制御に疲れたのです。なに、後任は優秀、王太子殿下もご立派。となれば、私一人辞めたところでなんの支障もありますまい」
そう言ってころころと笑ったが、フリードは静かに問う。
「試すつもりなのか。私と、ユランを」
彼が宰相職を辞せば、次の宰相は宰相補佐のユランだ。
そうして、ユランが王家に、宰相……否、ガラク侯爵が侯爵家に分かれれば。
王家が愚行をした時、ガラク侯爵家は王家を切りやすくなる。
静寂がテラスを支配する。
ややあって、宰相がゆっくり、口を開いた。
「………見る目が無いのですよ。私も、父も」
そう呟くと、穏やかな笑顔をフリードに向けた。
「殿下。ちょっとした昔話をしてもよろしいでしょうか?なに、間抜けな男の、二つの後悔の話です」
フリードたちが生まれるより前の話。
幼馴染の三人がいた。
王子と、側近候補の令息、そして、王子の婚約者。
王子を溺愛する王が、腹違いの姉と令嬢の父親に頼み込み、王子に子を仕えさせたのだ。三人はお世辞にも仲が良いようには見えなかったが、当時の政情的に、大人が彼らに構う余裕はなかった。
だからこそ大人たちは、共に過ごせばいずれ情が湧くだろうと、楽観視した。……するしかなかった。
結論から言うと、その見込みは甘過ぎたとしか言いようがない。
「王子と幼馴染の二人は、成長すればするほど意見が合わなくなっていき、共に過ごせば過ごすほど、不仲になっていきました。王子と未来の臣下の距離は、開いていくばかり」
しかしその頃には、幼馴染二人が己の役目を理解し、取り繕うようになっていたので、周囲は誰も気がつけなかった。ただ、王子だけは二人に敬して遠ざけられていることに気がついたらしい。それが余計に仲を拗れさせた。
「幼馴染二人は、王子が自分たちの態度に不満があるのを知っていましたが、それは、二人の方も同じようなもの。自分たちが間違っているとも思わなかったので、特に改善はしませんでした」
不機嫌ながらも何も言わない王子に、二人は上手く割り切って、臣下と付き合っていく術を覚えてくれたものと、思っていた。
……それが、大きな間違いだとも知らずに。
「王子は幼馴染二人への不満を溜め込み続け……ある日、爆発させました」
そして婚約者の令嬢は殺され、王子は愚王と成り果てた。
「これが、一つ目の後悔」
宰相は一度紅茶で喉を潤し、話を続けた。
「さて、悲劇から数年後。男は王と王妃の間に生まれた第二王子の教育係を務めるようになりました。ある日のことです」
『宰相』
男がいつも通り執務をしていると、王子の剣の指導をしていたはずの将軍が突然執務室に乗り込んできて、剣を突きつけて問い詰めた。
『これが貴様のやり方か?それとも貴様の目がどうしようもなく節穴なのか?』
事情を聞いて慌てて第二王子の部屋に向かい、彼は絶句した。
第二王子の小さな体は鞭の跡や打撲痕でいっぱいだった。……王妃は、王や側妃、第三王子への憎悪を、王によく似た己の子にぶつけていたのだ。
『ちちうえにいっても、うそをつくなって。おうひさまのじゃまをするなって。おれ、なんにもできなくて』
泣きじゃくりながら自分の力不足を謝罪する幼い護衛自身にも、第二王子と似たような傷痕がいくつもあった。幼いなりに、必死に友を守ろうとしたのだ。
だというのに、彼は。
なんの罪もない小さな子ども二人すら、守ってやれなかった。
「……これが二つ目の後悔。物語の終わりです」
ぱたん、と本を閉じるように手を合わせる。さすがにもう、誰の話か分かった。
これは、宰相の昔話。
彼の、後悔の話。
フリードは紅茶を一口飲み、水面の自分をじっと見つめる。
「……ミドたちのことは、もっと早く気がついてほしかったが……。……嫌いな相手にそっくりな人間を、本当にその相手と切り離して見られるかなんて、怪しいものだ。まして、私とアレは父子なんだ」
宰相は首を横に振った。
「殿下のお言葉をお借りすると……そうやって割り切れずに暴走してしまっているのが、タルヴァ公爵ですな」
いつも通り、長い袖で口を隠して、ころころと笑う。
返事に困っていると、袖の下で、小さく、本当に小さく、声が聞こえた。
「……ぐずぐずとこんなところまで引きずってしまって、本当に申し訳ない」
すると、フリードの後ろで居心地悪そうにしていたミルドランが、発言の許可を求めた。
「……なんか関係ありそうだから口挟みますけど。貴族なんざ、因縁引きずってなんぼっしょ。王妃の一件はともかくとして、気にしすぎじゃないっすかね」
「復讐対象を完全に見誤っているのが問題なのですよ、ミルドラン卿」
アレへの恨みをフリード殿下で晴らそうとするからいただけない、と苦笑する。
「……話が逸れましたな。何を申し上げたいのかと言うと、ユランまでこの物語の主人公と同じでは、侯爵家どころか国まで危うい」
そう言うと、眉尻を下げて微笑む。
「疲れたのは本当です。……本心を申し上げれば、幼少期からお育て申し上げた我らが殿下に期待しています。信じてもおります。しかし我らは貴族で、殿下は王族なのです」
立ち上がり、ゆったりとした美しい所作で、臣下の礼をする。
「どうか鉱国を、より良き未来にお導きくださいませ。これが、ガラク侯爵家の総意です」
「……承った」
その返事に満足気に頷くと、立ち上がり、ユランの目を正面から見据えた。
「あえてこの場で言おう。ユラン。殿下にお支えする価値があると思えなくなったら、すぐに行動しなさい。お互いのために」
強く目を瞑り、低い声で言う。
「……私は、失敗した」
「父上。ご忠告、感謝いたします。ですが」
ユランは穏やかに微笑むと、フリードに深々と礼をした。
「私はこの命尽きるまで、フリード殿下のおそばに。……たとえ、何があろうと」
「……お前は」
目を見開き、何かを言いかけた宰相は、しかし、その続きを紡ぐことはせず。
再び、フリードに頭を下げた。
「殿下、ユランを……よろしくお願いします。絶対友達になりたくないタイプの嫌な奴でも、私と妻にとっては、可愛い息子です」
「貴殿らの忠義に応えられるよう、全力を尽くすと誓おう」
二人の会話を聞いたユランが、眉間に皺を寄せた。
「……父上、今の発言について後ほどお話があります。主に中盤あたりで」
「心当たりがないな。どれのことだ?」
顔を上げると、先ほどまでの様子が嘘のようにしれっと応じる宰相。ミルドランが呆れた顔をした。
「お前、実の父親にまで『絶対友達になりたくないタイプ』とか言われてんの?いい加減直せよ?性格」
「うるさい」
「まあ、ユランは嫌な奴だよね」
「フリュー!?」
宰相はそれは楽しそうに、ころころ笑っていた。
供をしましょう、どこまでも。
たとえ、地獄の入り口をくぐることになったとしても。
お読みいただき、ありがとうございました。