11.王太子のお茶会・剣聖
流血表現注意。
「…泣きべそをかいていた殿下が、今や王太子、ですか」
シュゼイン公爵は、カップを片手にぽつりとつぶやいた。
王太子になって最初の仕事は、四公爵それぞれとの茶会と決められている。
話し合いの末、最初に選ばれたのは、剣聖・シュゼイン公爵だった。
真っ直ぐで風にさらりと揺れる艶やかな黒髪。光を拒むような深い黒の目は切れ長。今日に至るまで、戦場に立ち続けてきたとは想像もできない真っ白な肌に、細身の刀剣のようなスタイル。
男のフリードから見ても、芸術的なまでの美丈夫。その上四十は超えているはずなのに、シワもシミもない若々しい姿。
(シュゼイン公爵家の先祖は、一体どんな徳を積んだんだろうか……)
さして美形でないフリードはぼんやりとそんなことを考えながら、軽やかに応じる。
「嫌かな?」
「…とんでもない。ご立派になられました」
ひとまずは好意的な反応が返ってきてホッとした。そしてその直後に紡がれた言葉に、心底驚く。
「…もし殿下が王位を継がれず、娘が気に入れば、婿にと願っておりました」
シュゼイン公爵の家族愛は有名だ。
隣国の王位をめぐる大恋愛の末に結ばれたシュゼイン公爵とその妻。何年経っても仲睦まじい二人は、しばしば歌劇や小説の題材になっている。
病弱な夫人は十年ほど前に幼い娘と夫を残し儚くなってしまったが、シュゼイン公爵は愛妻のたった一人の忘れ形見を溺愛しているのだ。
(そんな大事なご令嬢の婿に考えてくれたのか……随分買ってくれたものだ)
人畜無害と見なされていた可能性はあるが、信頼されているのは確かだ。
紅茶のおかわりが注がれるのを、じっと見つめる。
とつ、と、侍女が紅茶を注ぎ終えた。
「…ソラシオ一味にトドメを刺す気は、無いご様子」
その言葉と共に、ゆっくりと、液面の波紋が収まっていく。液面を見つめたまま応じる。
「……刺せるほどの証拠も寄越してこなかったろう?」
すると絶世の美丈夫は、不遜にも片肘をつき、足を組んで蠱惑的に囁いた。
「…暗部を使って捏造する、という手もあったのですよ?」
後ろ首に剣を突きつけられたような悪寒を感じた。
光を拒む昏い闇色の瞳が至近距離でフリードを映す。
「……許可できない。臣下が王の公平性を疑うような真似はできない。何か決定的にやらかすまでは、待て」
「…クリーンな政治、ですか」
「そうだ」
断言すると、シュゼイン公爵はすっと顔を離す。その表情は、予想に反して平然としていた。
「…結構。今までが腐り過ぎておりましたからな。まあ、アレらは公平性度外視で処分すべきだったと愚考しますが……従いましょう。我が主が私に下された、最初のご命令です」
「……ということは」
静かに席を立ち、フリードの足元で臣下の礼を行う。
「…我らが王太子殿下、未来の国王。我らシュゼイン公爵家は、フリード殿下に忠誠を誓います」
「!ありがとう、シュゼイン公爵」
弾む声音を抑えて彼の忠誠を受け入れると、シュゼイン公爵がぱちりとウィンクした。
「…殿下を息子にするのが叶わず、少し、残念ですな」
「ミネルヴァ嬢には、別のお似合いのお相手を探してやってくれ」
「…そうですな。誠実で心優しく聡明で、常にミネルヴァを守り支え、私と互角に戦う実力のある男を……」
「無茶を言うな」
「結婚させる気無いんすか?特に最後の条件」
ミルドランが思わず口を挟んだ。
やっぱり親バカだった。
喉の渇きを感じて紅茶を口に含むと、シュゼイン公爵は視線をそっと横にずらした。
「…殿下。……温室に移動しませんか」
「……ああ、そうだな」
紅茶を口の中で転がして味わったのち、立ち上がり、侍女たちに待機を命じる。ユランも、口惜しそうに自ら待機を申し出た。
「……足を引っ張るでしょうから」
「悪いな。お茶でも飲んで待っていてくれ」
供にミルドランだけ付け、お互いに無言で温室に移動する。
「侍女を巻き込まぬよう移動したことは褒めてやる」
温室中央付近で、そんな声と共に人影が現れた。
手には武器。ざっと二十人はいるだろうか。対するこちらは、フリードとミルドランとシュゼイン公爵の三人。
しかしフリードは慌てることなく、むしろ敵の動きの遅さにため息をついた。
「どちらさまかな?思い当たる節が多すぎて困るのだけど」
一応問いかけたが、返事など期待していない。案の定、一人がこちらの問いを無視して吐き捨てた。
「フリード殿下、貴方に生きていてもらっては困るのですよ。シュゼイン公爵、貴方もです」
「命知らずだな……」
ミルドランが呆れた様子でつぶやいた。
敵から目を逸らさないまま、何やら怨念じみた呟きを繰り返すシュゼイン公爵。
「…足音がうるさい、動きがとろい、構えが隙だらけ…。誰だ、こんなのでイケると思ったボンクラは…。将軍、いや騎士を舐めすぎだろう…育成の段階から出直してこい…」
「シュゼイン公爵……」
「どこ目線っすか」
よくよく聞くと、暗殺者の上司へのダメ出しだった。思わずツッコむ。
ため息混じりに、腰元で剣を抜く仕草をする。
「…移動したのは、そんな大層な理由ではない」
次の瞬間、シュゼイン公爵の手に、暗い青の刀身の剣が握られていた。
「え」
シュゼイン公爵が腕を軽く振ると、声を発した首は、ころりと床に転がった。
血で濡れるテラコッタタイル。
生首をぽん、と植え込みのそばに蹴ったシュゼイン公爵は、退屈そうな無表情。
「…お気に入りのテラスを、汚したくなくてな」
「っかかれ!!」
一斉に襲い掛かるが、もう遅い。
「殿下を」
「はっ!!」
そう言うが早いが、革靴で踏み切る。手前の敵を切り捨て、その身体を足場に、大きなソテツの木の上に跳び乗った。
「……っ!」
隠れていた射手が矢をつがえるも、シュゼイン公爵の方が速い。びぃん、と間抜けな音がして、矢と射手の首が転がった。
青い刀身が、血を吸って赤々と染まっていく。
「久しぶりに見たなあ、夜明けの霊剣」
「フリュー、あんまり現場出ないもんな」
シュゼイン公爵家の血筋に柄が、魂に刀身が封じられている秘宝。
扱うに相応しい血筋、人格でないと顕現しないが、有資格者なら、いつ、どこでも召喚できる。
殺傷能力が高すぎるので、普段の訓練ではまず使わないのだ。
「貴様だけでも!!」
霊剣と華麗な剣技に見惚れていると、敵の数人が斬りかかってきた。
間髪入れず、ミルドランが切り捨てる。
「ありがとう、ミド」
「おーよ」
気がつくと、既に制圧は終わっていた。
血まみれのタイル、死体の中心で、返り血ひとつないシュゼイン公爵が剣を消した。
「…お怪我は」
「無い、無事だ」
「…良うございました」
フリードも一応抜いていた剣を鞘に収める。
すると、そこかしこから面を被った軍服の者たちが音も無く現れた。
城に仕える近衛騎士は血のような赤、王族親衛隊は緑の制服だが、彼らがまとうのは灰色。
暗部の実働部隊・影だ。
「…片付けておけ」
影はその命に優雅な礼で応じると、死体を片づけ、生存者を捕縛し始める。ゆうに十人はいるのに、誰も物音一つ立てない。
(確かにこの影たちの最上位に立つ将軍からすれば、先ほどのアレは、児戯だな……)
何せ武人肌ではないフリードでも気がつくような杜撰さだった。
「…あとは、我が部下にお任せを」
「ああ」
邪魔にならないよう、さっさと三人でテラスに戻る。
「戻ったぞ」
「おかえりなさいませ、殿下、将軍」
ユランがホッとした顔をした。微笑みかけ、侍女に紅茶のおかわりを頼む。
「実は私も、このテラスが気に入っているんだ。汚れなくて良かった」
ふと思い出してそんなことを言ってみると、シュゼイン公爵はほんの僅かに微笑んだ。
「…私と初めてお会いになったテラスがお気に入りとは、嬉しい限りです」
「覚えていたんじゃないか!?」
「…記憶力には自信があります」
その後も和やかな雰囲気が続き、一番最初で一番長いお茶会は、無事に終了した。
お読みいただき、ありがとうございました。