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五 : 青葉 - (22) 待望の瞬間

 昨年の後半から八上城・有岡城と織田方へ頑強に抵抗を続けてきた城が次々と攻略されたが、摂津方面でまた一つ事態が大きく動く出来事があった。天正八年三月一日、石山本願寺の顕如へ朝廷から和睦を促す勅使(ちょくし)が送られたのだ。

 天正四年五月七日に行われた天王寺の戦い以降、本願寺方との武力衝突は起きていない。この戦に勝利した織田方は本願寺をグルリと囲むように砦を築いて陸路を封鎖し、兵糧攻めにしたからだ。それでも大坂湾の制海権を本願寺と協力関係にある毛利家が握っており、海から兵糧弾薬を搬入する術が確保されていた事ので持久戦にも耐えられた。しかし……天正六年十一月六日の木津川口の海戦で頼みの綱である毛利水軍が大敗し制海権を織田方に奪われると、補給する手立ても失われてしまった。同じ摂津の荒木村重が反旗を翻し本願寺も連携を模索したが、織田方の分厚い兵力の前に阻まれてそれも叶わない。そうこうしている間に荒木も別所も滅んでしまい、畿内で完全に孤立してしまった。

 刻一刻と悪化していく戦況に、本願寺方の旗頭である顕如は天正六年十二月頃から朝廷へ和睦の仲介を内々に依頼。信長の方もこれ以上戦が長引く事を望んでおらず、妥協点を探っていた。両者の思惑が一致し、条件をすり合わせた上で勅使が送られた次第である。

 同年(うるう)三月七日、織田方と本願寺方との間で講和が成立。“将兵の助命”“大坂からの立ち退()き”“尼崎・花隈の両城の開城”“加賀国の江沼・能美(のみ)郡を本願寺へ返還する”などの約束が取り交わされた。講和という形ではあるが本願寺方の降伏に等しい内容であった。四月九日、顕如は取り決め通りに大坂の地を明け渡して紀伊国鷺森(さぎのもり)御坊(ごぼう)へ移った。これで石山合戦は終結……とはいかなかった。

 かねてから徹底抗戦を唱えていた顕如の子・教如(きょうにょ)は大坂明け渡しに応じず、これに同調する兵達と共に石山御坊に居座ったのだ。さらに、講和条件の一つである花隈城では閏三月二日に包囲する池田輝政(てるまさ)(信長の乳兄弟である池田恒興(つねおき)の次男)の手勢へ荒木勢が攻め懸かるなど交戦状態が継続しており、加賀でも一向一揆勢力との戦闘が続いていた。取り決めが履行されない事から織田方も加賀二郡の返還を取り止めるなど、大坂・加賀での戦を続行した。但し、本願寺法主である顕如の身柄を(おびや)かす事は一切しなかった。顕如の身に傷を付けるような事があれば全国の門徒が蜂起しかねず、全面戦争に陥ってしまう。散々に苦しめられた信長でもそこまでの愚行は犯さなかった。

 大坂を巡る攻防は、今暫く続くのであった。


 天正八年四月、織田家に慶事があった。それも信忠に、だ。

 その日、岐阜城の奥で信忠はその時を今か今かと待っていた。座っていたがソワソワと体を動かしたり、そうかと思うと立ち上がってウロウロと歩いたり、いつもの信忠とは明らかに様子が違っていた。

「若、少しは落ち着かれませ」

「う、うむ……」

 新左に(たしな)められるが、信忠はどこか上の空の様子。落ち着いたかと思えば、不安そうに新左へ声を掛ける。

「……のう、新左。お主の時はどうだった?」

「私ですか? 私は……若と同じように右往左往していたような……」

 やや気まずそうに答える新左。「ならば私と同じではないか!」と抗議の声を上げたくなる信忠だが、その申し訳なさそうな顔を見てその気持ちは引っ込んだ。

「……待つ身とは辛いものだな」

「はい……ご尤もです」

 互いに顔を見合わせて笑う主従。直後、鈴付きの側女(そくじょ)が廊下に現れた。

「申し上げます。御方様、元気な男子をお産みになられました!」

「――真か!!」

 その報せに、飛び上がらんばかりに喜ぶ信忠。待ち望んでいた吉報に新左も「おめでとうございます」と(こうべ)を垂れる。

 摂津方面の出征から帰ってきた信忠に、鈴から懐妊が伝えられた。距離が縮まり閨を共にする機会も幾度かあったが、幸運にも子どもを授かったみたいだ。これが信忠にとって初めての子、出来れば男子がいいな……と思っていたが、まさか本当に男子とは。

 本当ならば元気な子を産んでくれた鈴に感謝の言葉を掛けてやりたかったが、出産の場に男性が入るのは厳禁という仕来(しきた)りがあったので自重した。尤も、父・信長はそんな事などお構いなしに出産直後の母の元に駆け寄ったとか。根拠のない慣習を気にしない父らしいと言えばそうか。

 程なくして、産婆(さんば)さんが生まれたばかりの赤子を抱いて現れた。居ても立っても居られず信忠は亥の一番に駆け寄る。

「ささ、殿。抱いて下され」

 産婆さんに促され、赤子を受け取る信忠。落としてしまったら一大事と恐る恐るだったが、抱いてみると見た目以上に重たく感じられた。……これが、命の重さか。

 産着(うぶぎ)を着た赤子は、すやすやと眠っている。肌はまだ赤みを帯びており、手指はとても小さい。信忠にとって初めての子に愛おしさが込み上げてくるが……片や、父が顔を見て「奇妙だ」と評したのも分かる気がする。

(……この子の為にも、より一層精進しなければならぬな)

 親の自覚が芽生えた信忠は、織田家当主としてもっと頑張らないといけないと気持ちを新たにした。

 鈴が生んだ男子は、勉学の師である沢彦和尚と相談の上で“三法師(さんぽうし)”と名付けた。嫡男には父親の幼名を付ける例も多かったが、自らの幼名である“奇妙丸”は流石に(はばか)られた。以降、三法師は鈴と共に岐阜城で育てられることとなる。


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