五 : 青葉 - (9) ほろ苦い経験
天正七年(一五七九年)、信忠二十三歳。
信忠の天正七年はほろ苦い出来事から幕を開ける。
正月明け、信忠の持ち場である賀茂砦を荒木勢が急襲。包囲開始から約一月が経過して正月の休戦期間を挟んでいたのもあり、警戒が少し緩んでいた。様々な事情もあり信忠勢は少なからず損害を出してしまった。油断していた訳ではないが実践も経験も豊富な副将の不在が響いていた。その為、昨年十一月に越中から戻ってきた斎藤利治も摂津戦線に参加している。
「致し方ありません。過ぎた事をいつまでも引きずっていても良くありません。次は同じ事をしないように致しましょう」
明らかに凹んでいる信忠へ利治が優しい言葉を掛ける。
「……上様は、何か仰られておられたか?」
落ち込んでいる信忠が訊ねたが、利治は「いいえ」と首を振る。
「こちらへ参る際に安土で上様とお会いしましたが、此度の件を責めたり咎めたりする言葉はありませんでした。上様からは『頼む』と、ただそれだけです」
利治の言葉に、信忠は内心ホッとした。岩村城攻め以外に目立った成果は挙げてないし、伊勢長島に今回と失態の方が多い。天下布武を目指す織田家の当主が戦で損害を出すばかりでは“跡目に相応しくない”と判断されてもおかしくない。父は使える者ならば家柄門閥を問わず登用するが、一度使えない烙印を押されれば地位や貢献度も関係なしに冷遇する。それが自らの血を引いていようが例外ではないだろう。
ただ、利治の話を聞く限りでは信忠を廃嫡しようと考えていないと分かり、安堵した。利治はこうした事で嘘を言わないから父の反応もその通りだと思う。
信忠の反応を見た利治が、優しい口調で語り掛けてきた。
「僭越ながら、若い今の内に多く失敗を重ねておいた方がよろしいですよ」
失敗を肯定するような利治の発言に、信忠は思わず顔を上げた。さらに利治は続ける。
「初陣から連戦連勝を続けていたら“自分は強いのだ”“自分は負けないのだ”と驕りの気持ちが必ず芽生えます。勝ち続ければ勢力は拡大していきますが、過信と驕りを抱いていればいつか大勝負の時に取り返しのつかない敗北を喫するものです。重要な時に躓く前に沢山失敗を経験し、負けない為にどうすべきかを学んで下さい」
それから、利治は顔を近付けるとソッと耳打ちした。
「……ここだけの話ですが、上様も尾張統一や美濃攻めの折は敗戦や失敗を数多く経験しておられました」
「えっ。そうなのですか?」
意外そうに驚いた信忠に、利治は静かに頷いた。
永禄十年に父の元に引き取られてから、信忠は失敗や恥ずかしい事を極度に恐れるようになった。織田家の嫡男として、家督を継いでからは当主として、織田家の看板に泥を塗るような真似は絶対に出来ないと常々意識してきた。その重圧が時に信忠を縛る鎖となり、自らを深く追い詰めたのだ。
しかし、利治の話を聞いて“自分も失敗していいのだ”と少しだけ気持ちが軽くなった。一度の失敗も許されないとずっと思ってきただけに、父の評価ばかり気にしていた。窮屈に感じる事はあっても“これは自らに課せられた宿命”と耐えるしか道はないと信じ込んでいた。それが、利治の言葉で解き放たれた気分である。
気持ちが一つ変わるだけで、信忠の見えている景色が違って映った。織田家当主として一歩成長出来た気がした。
織田家は播磨の三木城・摂津の有岡城・丹波の八上城の三つで大規模な兵糧攻めを行っていた。有岡城に関しては昨年十一月から開始したばかりだが、三木城と八上城は効果が表れ始めていた。
天正四年に波多野秀治の裏切りで一度は頓挫した光秀の丹波攻めだったが、翌年は丹波攻略の拠点となる亀山城の築城に着手して反転攻勢の下準備を進めた。天正六年三月九日には“丹波の赤鬼”の異名を持っていた赤井直正が死去すると、四月十日に光秀は滝川一益や丹羽長秀の加勢もあり波多野家の重臣・荒木氏綱の荒木城を落とした。その直後に播磨の別所長治が反旗を翻したが為に光秀達は播磨へ駆り出され、その間隙を突く形で秀治は反撃に転じた。今年に入ってから光秀の信頼が厚かった小畠永明が戦死するなど犠牲は出たが、丹波国内における反明智勢力は徐々に圧迫されており、波多野勢も版図を縮小していた。
一方の三木城。隣国・摂津の荒木村重の造反で形勢有利に傾くかと思われたが、摂津方面から補給路を確保出来たくらいで大きな変化は見られなかった。城内の兵糧にはまだ幾分の余裕はあるものの兵糧攻めが継続されればいずれ枯渇するのは目に見えており、別所勢は突破口を開くべく仕掛ける事にした。二月六日、別所勢約二千五百が秀吉の本陣がある平井山を急襲したが、失敗。別所重宗は城へ逃れたが、当主長治の弟・治定が討死するなど少なからず死傷者を出した。この敗戦を受け、別所勢は打って出る事を慎むようになった。
荒木村重が反旗を翻して一時はどうなるかと思われた丹波・播磨の両戦線も、月日が経ち落ち着いた事で腰を据えて対処出来る環境が整いつつあった。この方面は明智・羽柴に任せ、織田勢の大半は有岡城攻めに注力していく事となる。




