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四 : 根張 - (3) 加増、西国の雄

 信忠の周りの顔触れも、段々と変わりつつある。(かつ)て“奇妙丸”と呼ばれていた頃に小姓を務めていた若者は、元服して実家の一武将になったり信忠の直臣になっている者も少なくない。空いた枠には家中から将来有望な若者が入っており、元亀年間から入れ替わりが進んでいた……一人を除いて。

 その一人とは、伝兵衛である。

 奇妙丸と名乗っていた頃から継続して側近くで仕えてくれる者は、伝兵衛だけになってしまった。伝兵衛は百石の俸禄(ほうろく)を受けているが、知行地がある訳ではないので兵を徴募(ちょうぼ)する事が出来ない。そして、伝兵衛が人を多く召し抱えている風にも見受けられない。ずっと長屋住まいで、身の回りの世話をしてくれる下女を雇っているくらいだ。

 信忠としてみれば、平時戦時問わず伝兵衛が居る事に安心感を覚えるが、反面で心配にもなる。戦国乱世の荒波に呑まれ消滅した川上家の再興が全く進んでないのだ。御家を復活させる為には戦で目覚ましい功を挙げて、恩賞で知行地を貰い自らの手勢を作るのが一番の近道なのだが、伝兵衛は常に信忠の側近くに侍っているので手柄を挙げる機会に恵まれていない。結果、川上家再興の目途が立っていないのである。

 常に陰日向から支えてくれる伝兵衛に報いたい気持ちはある信忠だが、実現は程遠かった。

 悶々とした思いを抱えながら毎日を過ごす中、信忠ははたと気付いた。

 自分は織田家の家督を継いだ身なのだ。実験は父が握っているものの、尾張や東美濃の大半は自らの裁量が認められている。言うなれば、自分の権限で伝兵衛に知行地を与える事も出来るのだ。現在誰のものでもない空白地は無いが、織田家直轄領から捻出するのは十分に可能だ。これまでの貢献を(かんが)みれば、扶持米百石ではあまりにも少ない。これを機に三百石に加増しよう。三百石あれば家臣も雇えるだろうし、その分だけ手柄を立てる機会も増えるに違いない。

 善は急げと言う。詳しい事は追々詰めるとして、内示だけは先に済ませておこう。信忠は気持ちが先行していた。

 その日の夜。政務を終えた信忠は、他の者達に席を外してもらい伝兵衛と二人きりになった。

「伝兵衛、話がある」

 改まった態度で切り出した信忠に、伝兵衛も背筋を伸ばす。常日頃から接しているので言葉を交わす機会も多々あるが、こうして畏まって相対するのは本当に久しぶりだ。

 やや強張った表情を見せる伝兵衛に、信忠は明るい声で告げる。

「近々正式な沙汰を出すつもりだが、加増しようと考えている。禄高は三百石、扶持ではなく知行地で与える」

 思いも寄らない加増に伝兵衛もさぞ喜ぶだろう……そう思っていた信忠だが、当の本人は告げられた直後こそ目を大きく見開いたものの、すぐに平静を取り戻した。予想していた反応と違い「おや?」と思う信忠へ、伝兵衛の方から訊ねてきた。

「……それは何方(どなた)様に(はか)られたか、何方様から進言があったのでしょうか?」

「……? いや、私の独断だ」

 正直に答えた信忠に、伝兵衛はフゥと一つ息を吐いてからはっきりとした口調で言った。

「でしたら――大変ありがたい話ではありますが、(それがし)は辞退させて頂きます」

 この申し出に、信忠はただただ困惑した。武家に仕える者が加増を断るなんて話を聞いた事がない。収入が増える事を喜ばないなんて、考えられなかった。

「……もしや、禄が少なかったか?」

 真っ先に浮かんだのは、提示した禄が自分と釣り合わないと不満を抱いた事。確かに、これまでの貢献に比べて低いと思われても不思議でない。

 戦国の世では、自らの実力や実績に見合うだけの禄を貰ってないと感じたら、家臣の方から主君に三行半(みくだりはん)を突き付ける例は決して珍しくない。高禄で召し抱えてくれる武家を求めて幾つもの家を渡り歩く猛者も居た程だ。有能な者はどの武家も欲していたことから、実力さえ備わっていればそれなりの待遇で雇ってくれた。

「いえ、そういう訳ではありません」

 しかし、伝兵衛は禄高に不満はないと言う。信忠はホッとすると同時に、ならば何故加増を蹴るのか理解に苦しんだ。

 一生懸命考えに考えたが、信忠は答えが見つからなかった。自分で分からない以上、本人に聞くしかあるまい。

「……ならば、どうして加増を受けないのだ?」

「逆に訊ねますが、どうして某に加増したいとお思いになられたのでしょうか?」

 問い返されるとは思いもしなかった信忠は一瞬言葉に詰まったが、すぐに気持ちを立て直して答える。

「それは……伝兵衛は私に仕えてから、ずっと陰日向に支えてくれた。その働きに報いたいという思いを、常々抱いてきた」

「浪人だった某を『是非に』と声を掛けて下され、勘九郎様は快く迎え入れて下さいました。今の処遇に何の不満もありません。これ以上望んだら、過分(かぶん)というものです」

 信忠が率直な気持ちを明かすと、伝兵衛は間を置かず返した。はっきりと答える伝兵衛の姿に、虚勢や我慢している感じは一切見られない。

「し、しかし、伝兵衛には川上家再興の目標があるではないか。私はそれを果たして欲しいと思っている」

「お気持ちは大変ありがたいです。されど、某は仕え始めてから御家に多大な貢献をしていない、半人前の分際。己の事は二の次にございます。()ずは皆が認めてくれるような働きをしてから、追々検討したいと存じます」

 負けじと信忠も言葉を重ねるも、伝兵衛は控え目な口調で否定する。本人にその気がない以上、無理強いするのはよろしくない。

 自分の思いに反して乗り気でない伝兵衛に、信忠は言葉を失いやや落ち込む。すると、伝兵衛の方から声を掛けてきた。

「……先程も申し上げましたが、某に加増したいお気持ちは本当にありがたいです。しかし、フロイス殿の護衛をしていた某は織田家内の繋がりもありませんし、過去も含めて皆を納得させられるような武功を挙げた訳でもありません。そんな某を勘九郎様の一存で大幅な加増をなされたら、他の者達はどう思われるでしょうか。織田家に幾代も仕える譜代の方々にとっては面白くないでしょう。……家中に亀裂が入るのを、某は望んでおりません。上様やご家老などの方から薦められたら受けるつもりでした。そうでない以上、他の者も認めざるを得ない程に活躍するまでは、お断りする所存」

 淡々と語る伝兵衛からは、揺るぎない決意が滲み出ている。伝兵衛は信忠が考えている以上に、自らの扱いに気を配っているのだ。主君からの信頼が厚いのは重々承知しているから、高禄を欲すれば受け容れてくれると分かった筈だ。しかし、実績も無いのに寵愛(ちょうあい)を受ける一点だけで出世する外様の人間を、譜代の臣はどう捉えるか。ほぼ全ての人間が、面白くないと思うだろう。不満を抱く人間が増えれば閥となり、排除しようとする動きに繋がる。家中に(ひび)が入るのは決して良い事ではない。自分の事を優先するならば他者がどう思おうとも、御家が傾こうとも、無視すればいいだけの話だ。ただ、伝兵衛はそうしなかった。自らの所為(せい)軋轢(あつれき)が生まれるくらいなら、自らにとって喜ばしい加増を辞退する道を選んだ。これは並大抵の気持ちでは出来ない行動で、信忠はただただ頭が下がる思いだった。

 そこまで固い決意を伝兵衛が持っているとは知らず、軽く考えていた信忠は自らの判断に恥じ入る思いだった。それと共に、自らの決定一つで御家が傾く危険がある事実を改めて突き付けられた。当主の自覚をもっと持たなければ、と胸に刻んだ。

「……そうか。分かった」

 それから信忠は小声で「済まぬ」と伝兵衛に詫びた。自らの力不足で伝兵衛へ満足のいく加増をしてやれない事が申し訳なく、軽率な振る舞いを未然に防いでくれた事に対する感謝も込められていた。伝兵衛は何も言わず、微笑みながら首を振った。その表情は「気にしておりません」と言っているようで、信忠は伝兵衛へ心の中でもう一度頭を下げた。

 いつか時機が来れば、必ず報いてやるからな。信忠は心に固く誓った。


 天王寺の戦いに勝利した織田方は、石山本願寺を包囲するように幾つもの付け城や砦を築いて、陸上からの補給路を徹底的に封鎖した。一方の本願寺方は先日の敗戦で織田方に戦を仕掛けるのは得策でないと判断し、自ら打って出る事はせず籠城する構えをとった。しかし、本願寺は重要拠点である加賀から人や兵糧を含めた物資が搬入出来ない為、やや苦しい立場に置かれていた。

 そんな状況に救いの手を差し伸べた勢力があった。西国の雄・毛利家である。

 顕如から支援の要請を受けた毛利輝元は、毛利家が保有する水軍を使って海から本願寺へ兵站任務を請け負う事にした。毛利家には元就の三男・隆景が養子に入った小早川家が強力な水軍を有しており、さらに瀬戸内海を地盤とする海賊・村上水軍も毛利家に臣従しており、海の戦に絶対の自信を持っていた。

 七月、兵糧を積んだ毛利水軍は毛利領の港から各自出航。海上で合流すると船団を組んで瀬戸内海を東に進んだ。その数、八百(そう)。七月十三日には大坂湾に到達した。一方、織田方も志摩(しま)を本拠とする九鬼(くき)嘉隆(よしたか)率いる九鬼水軍を主力とする織田水軍が大阪湾を海上封鎖しており、毛利水軍が姿を現すと本願寺への搬入を阻止すべく立ちはだかった。その数、(およ)そ三百艘。

 大坂湾を舞台とした海戦は、一方的な展開だった。

 毛利水軍の主力・村上水軍は瀬戸内海を中心に海賊行為を含めて日常的に戦闘をしており、この時代における水軍では頭一つ抜け出た存在だった。優れた操舵(そうだ)技術に加えて“焙烙玉(ほうろくだま)”と呼ばれる協力な武器を持っていた。焙烙玉は球体の陶器の中に火薬を詰め、導火線に火を点じた上で手()しくは取り付けた縄を使って敵船に投じる武器で、爆発による破片で敵を負傷させたり無数の火の粉で敵の船を炎上させるものだった。南蛮では大砲が製造されているが、そうした技術は(みん)を含めた東アジア地域では追いついておらず、鉄砲や焙烙玉のような小型の武器が主流となっていた。村上水軍が用いる焙烙玉は明にある類似した武器から取り入れ、木造船しかない日本の海戦で特に威力を発揮した。源平の時代から、海外の技術が先に伝わる西国は船を使った戦で一日(いちじつ)(ちょう)があった。九鬼水軍も決して弱くはなかったが、二倍以上の大船団に未知の武器である焙烙玉の前に抵抗らしい抵抗は出来なかった。

 十三日から十四日の早朝にかけて続いた海戦で、織田方は八人居る将の内七人が戦死、織田方の船は大半が焼失または沈没と、壊滅的な打撃を受けた。圧倒的勝利を収めた毛利勢は、悠々と石山本願寺へ兵糧物資を運び入れた。これにより、制海権は毛利方が握る事となり、毛利家の後方支援を受けた石山本願寺は息を吹き返していくこととなる。

 天下布武を目指す信長にとって、頭を悩ませる種がまた一つ増えてしまった。


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