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三 : 萌芽 - (22) 主命

 越前の一向一揆を鎮圧させた信長の元に、さらなる朗報が届く。長年敵対していた石山本願寺が、関係修復の意向を示したのだ。

 元は足利義昭が反信長包囲網に参加を求めた事から始まった戦いだが、同調する勢力は次々と姿を消していき、旗振り役だった義昭も京を追われてしまった。天正三年の現在、畿内周辺で信長と敵対しているのは本願寺だけである。その本願寺も、伊勢長島・越前と立て続けに失い、抵抗する力が落ちてきているのも事実だった。

 過去に帝を動かして信長の側から和睦を結んだ事はあるが、今回は本願寺の側から持ち掛けてきた。畿内で孤立する状況で、地力のある本願寺でも流石に分が悪いと判断したのだろう。

 この提案を、信長は喜んで受け入れた。畿内の近隣は落ち着いたものの、東の武田や北の上杉などまだまだ警戒しなければならない勢力は多く存在した。越前に戦上手の勝家を配置したのも、子飼いの若手武将を勝家の寄騎につけたのも、将来的に衝突するであろう上杉謙信を念頭に置いたものだった。今後の事を考えれば、敵は少ない方がいい。交渉の末、十月に両者の間で和睦が成立。これにより、畿内一円で織田家と敵対する勢力は居なくなった。

 良い事はこれで終わらない。天正三年十一月四日、信長は権大納言に任じられ、さらに三日後の十一月七日には右近衛大将(うこんえのだいしょう)右大将(うだいしょう))の兼任が決まった。

 征夷大将軍に任じられた足利義昭も権大納言だが、兼任したのは左近衛中将と信長より下だった。これにより、信長は義昭より任官で上に立った事になる。過去に権大納言・右大将を兼任した武家出身者は鎌倉幕府を開いた源頼朝・室町幕府三代将軍の足利義満の二人だけで、信長はこの両名に肩を並べたのである。朝廷や帝が、信長を最高権力者としてお墨付きを与えた形だ。

 朝廷の権威付けも加わり、信長は実質的な天下人としてさらなる高みに上っていくこととなる。


 信忠が指揮する岩村城攻めは、六月十三日に包囲を開始してから約半年が過ぎた。織田勢は間道も含めて徹底的に封鎖し、補給路を一つずつ潰していった。この地道な作業もあり、岩村城から上がる炊煙(すいえん)は徐々に減っていき、巡回する城方の兵も見る機会が減っていった。岩村城を守る武田方も織田方の襲来に備えて兵糧を多く運び入れていたが、半年近く経過すると飢えに苦しむようになった。

 一方、武田勝頼も手を(こまね)いていた訳ではない。設楽原の大敗以降、遠江方面で武田方の城を奪還していた徳川家康の動きを牽制すべく、八月に一万三千の兵を率いて徳川勢に包囲されている小山城へ救援に赴いた。小山城を救援した後には遠江の要衝である二俣城・高天神城に兵糧や物資を入れ、甲斐へと引き揚げていった。先日の戦で多くの将兵を失いながらも、武田家は依然健在である事を内外に示した。

 その勝頼は岩村城の窮状を知り救援へ向かう動きを見せた。それに対して信長は万一の事態に備えるべく十一月十四日に京を発ち岐阜へ向かった。

 十一月に入り、岩村城では頼みの綱である兵糧も底を尽いてしまい、餓死者が出始めた。このままでは落城は必至の状況を何とか打破すべく十一月十日に武田勢が岩村城の近くにある水晶山に布陣する織田勢へ夜討ちをかけた。だが、河尻秀隆や毛利秀頼などが応戦し、武田方に属していた遠山家の将を始めとする千百名の将兵が戦死した。岩村城に籠もる三分の一を超える戦力を失った事は、武田方にとってかなりの痛手だった。

 天正三年十一月十一日、信忠の元に一人の武者が訪ねてきた。

「殿。塚本小大膳(こたいぜん)殿がお目通りを願っております」

「うむ。会おう」

 取次の申し入れを二つ返事で受けた信忠。間を置かず、小大膳が現れた。

 塚本小大膳は尾張の国人の出身で、信長の馬廻を務めた後に信忠付の家臣となった人物だ。華々しい活躍こそ無いが、与えられた職務を全うするので信長からも信頼されていた。

「小大膳、いかがした?」

 信忠が訊ねると、小大膳は懐から一通の手紙を差し出してきた。

「……今朝方、私の陣に白旗を持った武田家の使者が参りました。そして、『この文を御大将、または上総介様へ』と」

 小大膳の言葉に、信忠は衝撃を受けた。一瞬、自分が読んでいいものかという気持ちになったが、この軍の総大将は自分なのだと思い直し、文を開く。その手は少し緊張で震えていた。

 中を(あらた)めると、流暢(りゅうちょう)な筆遣いでこう記されていた。

『約半年に渡り抵抗してきましたが、昨日の敗戦で精魂尽き果て申した。城を開城致すので、将兵の命は助けて頂きたい。此度の戦の責めは全て私が受ける。何卒(なにとぞ)、寛大な処分を。 秋山虎繁』

 名前の横には花押も記されている。信忠は虎繁について全く知らないので筆跡が虎繁本人のものか、真贋(しんがん)定かでない。

 読み終えた信忠は、神妙な面持ちで小大膳の方に顔を向ける。

「……使者はまだ残っているのか」

「はい。私の陣に留めております。怪しい動きをしないか見張りの者も置いてあります」

「使者の方には申し訳ないが、もう少し待ってもらおう。そのまま留めておいてくれ」

「承知致しました」

 そう言うと、小大膳は一礼して下がっていった。小大膳が去った後、信忠は近習を呼んだ。

「……与四郎と新五郎を呼んでくれ」

「畏まりました」

 信忠の命を受け、近習が去っていく。程なくして、河尻秀隆と斎藤利治が到着した。

 二人が揃うと、信忠は人払いをした上で小大膳が持参した文を渡す。文を読み終えた二人は、それぞれ目立った反応を見せなかった。文が戻ってきた信忠は、満を持して口を開いた。

「……率直に伺いたい。開城は真だと思うか? この文は信じるに足るものなのか?」

 この問いに対して、すぐに返答はない。やや間を空けて、利治が答えた。

「真贋は別にして、武田方が相当(こた)えている事に違いありません。籠城戦も半年を過ぎ、城内の食糧も底を尽いている頃でしょう。将兵の命を救う為ならと考えるなら、開城の判断も止む無しかと」

 利治の見立ては秀隆も同じらしく、何度も頷く。信忠も同じ考えだったので、副将二人の反応を受けてホッとした。

「では、小大膳へ開城について交渉を命じてもいいのだな?」

「……お待ち下さい」

 話を進めようとした信忠に、秀隆が待ったをかけた。自らの決定に何らかの不備があったかと一瞬不安になった信忠だが、秀隆はそれを意に介さず続ける。

「……異論はありませぬが、上様へこの旨をお伝えすべきかと」

「おぉ、それもそうですね。守将の虎繁は武田家でも重きを成す者、上様に身柄をどうするかお伺いを立てておくべきですな」

 秀隆の指摘に、利治も賛同する。信忠の一存で虎繁を含む全員の命を助けるというのは、流石に越権行為になる恐れがある。父・信長は家臣による独断専行を極度に嫌うので、逆鱗に触れない為にも秀隆の指摘は正しかった。

 これに対し、信忠は父へ伺いを立てる点を失念していたのを反省する。開城の意向を伝えられ、やや舞い上がった部分があったのかも知れない。

 少し落ち込む信忠へ、利治が優しく声を掛けた。

「まぁまぁ。初めての総大将を務められたのですから、失敗もありますよ。それを補う為に我等が居るのですから」

「……そうですね。すみませぬ」

 利治に励まされ、信忠は少しだけ気が楽になった。叔父上が居てくれて、本当に助かった。秀隆と二人きりなら立ち直れていたか分からない。将として有能なのは認めるが、人柄を含めたら秀隆よりも利治の方が優れているように信忠は感じた。

「では、上様へ遣いを送る段取りをしましょう。それと、近在の寺に虎繁からの文があるか調べさせましょう」

「そうだな。お願い致す」

 言うなり、利治は床机から腰を上げる。頼りになる叔父が一緒に居てくれて本当に良かったと、信忠は改めて思った。

 その後、信忠は小大膳に塙伝三郎を補佐につけ、武田方との交渉に当たらせた。何度か交渉を重ねた末に、十一月二十一日に将兵の助命を条件に城を明け渡す事で合意に達した。

 岩村城を包囲して半年。時間は掛かったが、ようやく成果を上げる事が出来た。自らに課せられた使命を果たし、安堵の思いが信忠には強かった。


 天正三年十一月二十一日。約定通り、武田方は岩村城を明け渡した。

 将兵の助命を受け容れた事に対して、守将の秋山虎繁が御礼を伝えるべく信忠の陣を訪れた。敵将と面会するに当たり、信忠も正装で出迎えた。

 本陣で甲冑に身を包んだ信忠が床机に座って待っていると、虎繁が家臣二人と妻のおつやの方を連れてこちらに向かってくるのが見えた。虎繁、この時四十九歳。長期間の籠城戦でやや(やつ)れた印象はあるが、毅然(きぜん)とした姿勢で臨んでいるように信忠は受け取った。伸びた(ひげ)は剃られ、髪や身形(みなり)もしっかり整えられていた。ただ、降将の立場にあるので大小は預けられていた。

 しっかりとした足取りで信忠の前に進み出た虎繁は、その大きな体を曲げて深々と平伏する。

「この度は織田の御曹司様の格別な取り計らいにより、将兵の助命を受け容れて頂き、真にありがとうございます」

 落ち着いた調子で口上を述べる虎繁。その所作は歴戦の猛者が漂わせる風格を感じさせる。

 その態度に負けまいと、背筋を正した信忠が応える。

「圧倒的大差にも関わらず粘り強く奮闘されたのは、正しく武人の(かがみ)。実に天晴(あっぱれ)でした」

「勿体無き御言葉……」

 信忠の賛辞に虎繁は再び頭を深々と下げる。

 直後――会見の場に突如武器を手にした兵が雪崩れ込んできたかと思うと、槍や刀の切っ先を虎繁やその家臣・おつやの方に向けて囲んだ!

「これは一体……!?」

 突然の乱入劇に困惑する信忠。そこへ、一人の家臣が前へ出てきた。

「……与四郎。これはどういうつもりだ?」

 進み出てきた秀隆へ向け、怒りを滲ませながら質す信忠。返答次第では父から付けられた副将だろうと斬り捨てるのも辞さない覚悟だ。

 それに対し、秀隆は常と変わらぬ鉄仮面のまま軽く頭を下げてから言った。

「申し訳ありません。上様の御指図により、虎繁とおつやの方を(とら)えるにはこれしか方法がありませんでした」

 秀隆の口から“上様”と出た事で、成り行きを見守っていた者達の顔色が変わる。信長の命令は絶対であり、何人(なんびと)たりとも従わなければならないという空気になりつつある。ただ一人を除いて。

「例え父の命であろうと、このような騙し討ちをしてもいい筈がなかろう!」

 声を荒らげて反発する信忠。公の場では実の父でも“上様”と呼んでいたが、頭に血が上っているからか呼称が“父”になっていた。

 父が二人を囚えたいのならば交渉の段階で守将の虎繁と妻のおつやの方の身柄を預かる旨を伝え、同意させれば良かったのだ。武田方は追い詰められた状況にあり、開城を持ちかけたのも相手の方からだった。責任ある者の犠牲と引き換えに他の将兵の命を助ける条件も結べた筈だ。それをやらずにこんな卑怯な手を使って身柄を押さえようというのは、明らかにおかしいと信忠は思う。

 尾張に居た頃や岐阜で斎藤家と激しい(せめ)ぎ合いをしていた頃ならいざ知らず、今の織田家は日ノ本でも指折りの勢力だ。こんな騙し討ちみたいな事をしていたら、今後同じような場面で「織田は油断ならん」と開城を躊躇(ためら)う恐れがある。長い目で見れば悪影響しかないのだ。

 信忠は立ち上がると、秀隆の配下と思われる兵の方へ顔を向ける。

「……武器を下ろせ」

 この軍の総大将である信忠の命に、兵達の表情に動揺の色が見え隠れする。思わぬ発言に秀隆の眉も微かに動く。

「ならぬ。これは上様の命だ。直ちに捕縛せよ」

「今の大将は私だ! 逆らうなら成敗するぞ!」

 秀隆が命じれば、それを打ち消すように信忠が(かぶ)せる。相反する命令に兵も困惑しており、どちらに従えばいいか分からず双方の顔色を窺うばかりだ。

 仲間割れに近い状況に、誰も仲裁に入れない。もう一人の副将である利治も、この場に居ない信長かこの場に居る信忠か、どちらに従うべきか判断がついていなかった。

 そんな混沌(こんとん)とした状態を収めたのは、意外な人物だった。

「――もうよろしいではないですか、御曹司様」

 落ち着いた口調で(なだ)めたのは、刃を向けられている張本人――虎繁だ。

 全員の視線を一身に浴びながら、虎繁は何でもない風に続ける。

「御曹司様の御気持ちは大変ありがたかったです。敵将にも礼を尽くして下さり、感謝しかありません。私達の首で将兵の命が救われるのでしたら、喜んで差し出しましょう。それに……」

 そこで言葉を区切った虎繁は、空を見上げてポツリと漏らした。

「……御屋形様にまた会えると思えば、艱難辛苦(かんなんしんく)も乗り越えられる」

 遠い目で語る虎繁の姿に、信忠は何も言えなかった。武人として死ぬ覚悟が出来ている虎繁を、敵味方関係なく信忠は尊敬の念が湧いた。

 虎繁が口にした“御屋形様”は、恐らく現当主である勝頼ではなく先代の信玄のことだろう。信玄に取り立てられた事で、虎繁は一廉(ひとかど)の武将として世に知られるようになったのだ。その恩は深く、主従の絆は固いと推察出来る。

 本人が受け入れている以上、抗うのは無意味だった。大人しく縄に縛られた虎繁達は、河尻の兵に連れられて陣を後にする。

 嵐が去ったような静けさを取り戻した陣で、重苦しい空気を意に介さずあの男が口を開いた。

「……勘九郎様。虎繁達を岐阜まで護送するようにと、上様から言付かっております」

「……そうか。分かった」

 秀隆の言葉に、頷く信忠。それが父の指示なら、従わざるを得ない。先程とは一転して、素直に受け入れた信忠だった。


 岐阜へと送られた秋山虎繁と妻・おつやの方、家臣の大嶋杢之助(もくのすけ)座光寺(ざこうじ)為清(ためきよ)は、十一月二十六日に長良川で磔にされた。中でも虎繁とおつやの方は、より苦しみと(はずかし)めを与える逆さ磔にされた。武家の罪人を処刑する際は切腹か打ち首が殆どだが、より屈辱的なやり方にしたのは信長が二人へ強い恨みを抱いていたからに他ならない。特に、同じ一族ながら御坊丸を逃すのに失敗しただけでなく、あろうことか敵の家臣と結ばれたおつやの方だけは、許せなかった。

 そして、岩村城に残った武田の将兵達も、織田勢に討たれるか討たれる前に自害した。ここでも約束を反故にした形だ。その役目を担ったのは、過去に信行謀殺の際にも実行役を務めた河尻秀隆だった。汚れ役を嫡男にさせない辺り、信長にも肉親の情があったのかも知れない。

 後日、東美濃奪還の論功行賞が行われ、多大な貢献があったとして河尻秀隆に岩村城五万石が与えられた。以降、秀隆は対武田の最前線で睨みを利かせることとなる。


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