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一 : 黎明 - (4) 左薬指の傷

 新左と対面した翌日から武術の稽古が始まったが、新左は(あらかじ)め宣言した通りに容赦が無かった。奇妙丸も生駒屋敷に滞在していた武芸者を相手に稽古を積んできたつもりだったが、全然歯が立たない。新左(いわ)く『自己流で鍛錬を積んできた為か、変な癖が付いている』らしく、まずは基本の型を徹底的に体へ覚えさせる練習を繰り返した。

 稽古は厳しかったが、新左の教え方は丁寧で適度に休憩を挟んでくれたので、奇妙丸も何とか音を上げずに続けられた。

「新左、一つ聞いてもいいか?」

「はい、何なりと」

 ある日、稽古の休憩中に奇妙丸が訊ねると、新左は気さくに応じてくれた。

「その……左手の薬指が欠けているが、如何(いかが)した?」

 出会ってから数日が経ち、新左との関わりが増えていく中で、左手の薬指の先端が欠けていることに奇妙丸は気付いた。それでも稽古の時は新左は奇妙丸を軽くあしらうのだから、凄いと思っていたのだが。本当は聞いていいか迷ったが、思い切って訊ねてみたのだ。

 人によっては話したくない事かも知れないが、新左は「あぁ、これですか」と特に嫌がる素振りを見せなかったので、奇妙丸は内心ホッとした。

「これは、七年前の戦で首を()く際に相手の抵抗で嚙み千切られた時の傷です」

「噛み――」

 平然と答えてくれた新左の言葉に、奇妙丸は思わず息を呑んだ。

 戦では名のある将を討った証として首を刈るのだが、容易な事ではない。相手も死にたくない・殺されたくないのだから、形振り構わず死に物狂いで抵抗してくる。首級(しゅきゅう)欲しさに視野が(せば)まり、逆に他の敵に返り討ちにされるという本末転倒な話も決して珍しい話ではない。

「……新左に傷を負わせるとは、さぞ名のある相手だったのだろうな」

「はい。何せ、相手は今川“治部大輔(じぶたいふ)”でしたので」

 サラリと言ってのけた新左だが、その名を聞いて奇妙丸は衝撃を受けた。

 今川“治部大輔”義元は駿河・遠江・三河の三ヶ国を治める太守(たいしゅ)で、“海道一の弓取り”の異名を持つ(れっき)とした戦国大名だ。その義元を討ち取ったとなれば、一躍大身に引き立てられても不思議ではないのだが……。

「……確か、新左は馬廻(うままわり)だったな」

「はい。先日、新たに設けられました黒母衣衆十人の一人に選ばれました」

 奇妙丸から問われた新左は、嬉しそうに顔を(ほころ)ばせながら答えてくれた。

 この年、織田家では信長直属の使番(つかいばん)である“黒母衣衆”“赤母衣衆”の役職が新たに設けられた。この役職は馬廻衆の中でも特に智勇を兼ね備えた者だけが選ばれ、家中の者達からは羨望(せんぼう)の眼差しを向けられた。

 それは確かに凄い事だと思うが、奇妙丸とすれば黒母衣衆に選ばれる事よりも今川義元を討ち取る事の方がとても喜ばしいのでは? と疑問に思った。それこそ「私はとんでもない事を成し遂げたぞ!!」と自慢してもいいのだろうに、新左にはそうした誇った感じが一切見られない。

「……新左は、今川“治部大輔”の首を獲って、嬉しくないのか?」

 奇妙丸が率直な質問を投げかけると、新左は少しだけ困ったような表情をして答えた。

「うーん……嬉しくない訳ではないのですが。少々長くなりますが、よろしいでしょうか?」

「構わぬ。是非聞かせてほしい」

 そこまで言われてしまった以上は後に引けなくなった新左は、フゥと一つ息を吐いてから話し始めた。

「あれは忘れもしません。七年前の五月十二日、今川“治部大輔”率いる本隊が田楽狭間にて休止している事を知った御屋形様は、あるだけの手勢を率いて当地へ急行。途中、大きな嵐に遭いましたが、激しい雨風で我等の姿や音をかき消してくれたのもあり、敵に見つかる事なく田楽狭間に到着しました。それから、御屋形様の号令を皮切りに、今川勢へ一斉に雪崩れ込みました」

 新左の語りを一語一句聞き漏らすまいと真剣な面持ちで耳を傾ける奇妙丸。新左の方も表情を引き締め、話を続ける。

「今川方は我等の動きを全く掴んでいなかった様子で、兵達に酒が振る舞われ武装を解くなど明らかに警戒が緩んでおりました。私共馬廻の者達も最初は御屋形様の警護をしていましたが、乱戦が続く内に『自分の身は自分で守れるからお前達も行け!』とお命じになられ、各々が武器を手に敵中へ突撃していきました。治部大輔は何処ぞ!? と探していたところ、乱戦にありながら汚れ一つ付着していない、(きら)びやかな鎧を着た武者とそれを守るように囲む一団を見つけました」

「それが……治部大輔だったのか?」

 奇妙丸の問いに、新左は「はい」と答えた。

「総大将を見つけた! と皆が一斉に(むら)がりました。護衛は十人程度でしたが物の数ではなく、瞬く間に倒してから、朋輩(ほうばい)の服部小平太が治部大輔に一番槍をつけました。しかし、治部大輔の反撃で膝を斬られ、そこへ私が斬り込み……御首(みしるし)を頂戴した次第です」

 そこまで語った新左は、再び息を一つ吐いた。

「……ここまでお話した通り、小平太が一番槍をつけて治部大輔を弱らせた後に、私が(とど)めを刺したに過ぎません。言うなれば、たまたま居合わせた私が幸運だっただけで、私でなければ仕留められなかった訳ではありません。確かに嬉しい事は嬉しいですが、人様に自慢する程の事ではないのです」

 桶狭間の戦に勝利した後、それまで“新介”と名乗っていた通称を“新左衛門”に改めた。大きな手柄を挙げた事から改名したと周囲は見ていたが、新左は一人葛藤を抱いていたのだ。

「そんな事は無い! 現に、新左は強いではないか!」

「……ありがとうございます。そのお気持ちだけでも充分です」

 必死になって奇妙丸が否定すると、新左はニコリと微笑んだ。

「その点、黒母衣衆へ抜擢された事は、数居る馬廻衆の中でも私が相応しいと御屋形様がお認めになったからなれたのです。他の誰でも務まる役と私にしか務まらない役、どちらが喜ばしいかは比べるまでもありません」

「……左様なものかなぁ」

 新左の言いたい事は分からなくもないが、それでも奇妙丸は大将首を取った(ほま)れの方がずっと嬉しいと思った。武家の者ならば戦で大きな手柄を立てて出世するものだと考えていただけに、新左の気持ちを理解するには今(しばら)く時間が掛かることだろう。

「さて、若。私の話はこれでお(しま)い。剣の稽古を再開致しましょう」

「うっ……分かった」

 嫌々ながらも素直に応じる奇妙丸。まだ足元にも及ばないが、いつか新左と互角の勝負が出来るようになりたい。その一心で厳しい稽古に臨もうと決意を新たにする奇妙丸であった。


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