三 : 萌芽 - (11) 傷心
岐阜へ凱旋した信長は、今回の戦の論考褒賞を行った。武功があった者へ褒美を授けたり称賛の言葉を掛け、これまでの働きが評価された滝川一益には伊勢長島を含めた北伊勢五郡を与えられた。
戦後処理が粛々と進められ、家中には明るい雰囲気に包まれる中……信忠の気持ちは晴れなかった。
その原因は、やはり先日の戦の事だ。
自分が父の命令に従わなかったばかりに、一族の者が何人も討たれてしまった。父から叱責されたが、許された訳ではない。終わった事だから割り切るべきなのだろうが、自分のせいで失われずに済んだ命を失わせた責任は感じていた。
(……新五郎殿から『気を緩めないように』と言われていたのに。何をやっているんだ)
悔いたからと言って、死んだ者が蘇りはしない。だが、“あの時素直に応じていれば”と考えずにいられなかった。
クヨクヨしていても良くないと頭では分かっているが、なかなか吹っ切る事が出来ない。長年頭を悩ませてきた伊勢長島の一向一揆を一掃した事で家中は喜びに沸いていたが、信忠にはそんな気分にはとてもなれなかった。
一人だけ辛気臭い顔をしている者が混じっていては、他の者達の浮き浮きした気分に水を差しかねないので、信忠は人気のない場所へ移る。信忠の心中を慮って傅役の新左や近侍の伝兵衛も声を掛けず、遠くから見守るだけだ。
沈んだ気持ちのまま、馬場まで歩いてきた信忠。松姫から贈られた“三日月栗”に乗って一走りすれば心も晴れるかも知れないが、生憎ながら今の信忠はそんな気にならない。人が居ない場所へ行きたいと思っていたら、ここに足が向いただけだ。
「ハァ……」
一人になりたいと馬場に来たけれど、目線はずっと下を向いたまま。つい溜め息が無意識の内に出てしまう。
そんな時だった。
シュッ、シュッ、と何かを振る音が聞こえる。それから、ブオンと風を切る音も。
何事かと気になった信忠は音の鳴る方へ向かってみたら――その音の正体を目の当たりにして、驚いた。
そこに居たのは、森長可。上半身は裸で、長い十文字槍を手に黙々と鍛錬に励んでいたのだ。
「おや、勘九郎様。こちらに御出でているとは露とも気付きませんでした。お許し下さい」
信忠の姿に気付いた長可が慌てて平伏しようとするが、「構わぬ」と止めさせる。
「手を止めさせて悪かったな。……少し見ていてもいいか?」
「はぁ。オレは別に構いませぬが……そんなに面白いモンでもないですよ?」
信忠の申し出に、やや困惑しながらも応じる長可。当初こそ信忠に見られる事に多少のぎこちなさはあったが、体を動かしていく内に視線が気にならなくなったのか、動作に滑らかさが出てきた。
あまり上背がある方ではない長可だが、長い柄の十文字槍をまるで体の一部のように操る。架空の敵を目掛けて、突き、叩き、薙ぎ、回す。一連の動作は演舞を観ているような錯覚を覚えるくらい、信忠の目から見て磨き上げられたものだった。
「……ふぅ」
稽古が一段落した長可が、槍を下ろす。その上半身には、玉のような汗が沢山滲[にじ]んでいた。
「……凄いな。まるで相手が居るように見えた」
長可の見事な槍捌きに、信忠は拍手を送った。それに対して長可はどう応えればいいか分からず、照れた様子で頭を掻く。
信忠も稽古で槍を握った経験はあるものの、長可のように軽やかな動きは出来なかった。腕っ節が強いだけではなく、踏み込みや足捌きの下半身や体捌きに欠かせない上半身など、体全体で鍛えているからこそ成せる業なのだ。
「勝蔵の槍、持たせてくれないか?」
「はっ。どうぞ」
何気なく訊ねた信忠に、長可は恐縮したように持っていた槍を捧げる。
長可の持っていた十文字槍を手に取ると、ズシッとした重みを感じる。これだけの重量の物をいとも容易く振り回せるのは、やはり凄いなと思う。『人間無骨』と銘が彫られた槍をしげしげと見つめる信忠。
この槍は美濃国の関の刀工・二代目和泉守兼定(通称“之定”)が作った逸品で、その鋭さから“人間の骨など無いに等しい”とされた事から名付けられた。初陣の時もこの『人間無骨』の十文字槍を握り、二十七の首級を挙げたとされる。
文字通り、この槍で武功を切り取ってきた。その重みを感じた信忠は、丁重に槍を長可へ返す。
「聞いたぞ。先日の戦でも活躍したそうだな」
長可は先日行われた伊勢長島の一向一揆討伐では信忠が指揮する部隊に属し、長島城から打って出てきた一揆勢を斥けるなど武功を挙げていた。その見事な働きぶりに信長からお褒めの言葉を受けていた、が……。
「いえ。上様から受けた恩と比べれば、まだまだです。もっともっと手柄を立てて、少しでも返していかないと」
初対面の場でも“出世したい”と貪欲さを隠そうともしなかった長可だが、武功を挙げてきた現状でも満足している様子はなかった。並の者なら自慢したくなるくらいの手柄でも、長可は当然の結果と捉えていた。控え目とも取れる態度には、理由がある。
長可の父・可成が討死した後、旧領の美濃兼山五万石はそのまま遺児である長可に引き継がれた。当時十三歳で何の実績もなくおまけに資質も分からない長可に遺領をそのまま引き継がせるのは如何なものかと指摘する意見も出たらしいが、信長が押し切った経緯がある。例え譜代の家柄でも故人の実績が輝かしいものでも、跡を継ぐ者が若年だった場合には減封したり遺領を一時預かりにしたりするなど厳しい対応をしてきた信長にしては、かなり異例の処置だった。
こうした格別の計らいを受けてきた事もあり、主君・信長への思いは人一倍強かった。
「それより……勘九郎様のお顔が優れないようですが、どこか具合が悪いのですか?」
心配そうに訊ねてきた長可。まだ接する機会が少ない長可にも気を遣わせるとは、自分の心境が顔に出ていたのだろうか。
「いや、痛めている訳ではない。……済まない」
「……もしかして、先日の戦の事で悩まれておられるのですか?」
長可に言い当てられたが、どう返せばいいか分からず黙り込む信忠。長島城開城に際して一揆勢の反撃で一門衆を少なからず死なせてしまった事は、あの戦に加わっていた者なら誰でも知っていた。ただ、それに信忠の判断が多少関わっていたかも知れないという点は、一部の限られた者にしか伝わっていない。
いつまでも引きずるのは良くないと思うが、スッパリと割り切れる程に単純な性格をしていない。
暗い表情をしている信忠に、長可はガリガリと頭を掻いてから口を開いた。
「あー……オレは学がないから上手くは言えませんが、全部が全部勘九郎様のせいじゃないと思いますよ?」
思いがけない長可の言葉に、信忠の目が点になる。さらに長可は続ける。
「一揆勢が死に物狂いで攻め懸かってくるとは、あの時点で予想出来た人間なんか居ないでしょう。油断していたのは勘九郎様だけじゃないです。だから、全ての責任を被る必要なんかありません」
「しかし……」
そこで言葉を呑み込む信忠。父の命令に応じなかった事は信忠父子と利治の三人しか知らない事実であり、それを長可に明かすのは流石に躊躇われた。
信忠が口籠ったのも気にせず、長可は言葉を重ねる。
「戦となれば、仮に勝ったとしても怪我人は必ず出ますし、死人も出ます。ですが、それに対して大将を非難する声が上がりますか? 勝ちが見込めない中で無謀な戦を仕掛けて大敗したならいざ知らず、今回の戦で上様や勘九郎様の采を責める者をオレは知りません。なので、そんなに気にする必要は無いように思います」
キッパリと言い切る長可。「それから……」と言葉を継ぐ。
「……そんな暗い顔をしていたら、『何かあったのか?』と勘繰る輩が出てこないとも限りません。やってしまった事は反省して、次に同じ事をしないよう努めればよろしいかと」
これは、長可なりに信忠を励ましているのだ。飾らない言葉が、傷心の信忠にスッと沁み込んでいく。
(……そうだな。勝蔵の申す通りだ)
自分がずっと引きずっていたら、家臣達にも影響が及ぶ。それは望んでいる事ではない。気持ちを切り替えて、前へ進まなければならない。同じ場所に留まっていられる程に暇ではないのだ。
「……分かった。ありがとう」
「いえ! オレはそんな大した事は言ってませんので!」
信忠から感謝の言葉を伝えられ、恐縮する長可。その反応があまりにおかしく、思わず笑みが零れる。
「今度、一緒に茶を飲まないか? もっとお主と話がしてみたい」
「はっ。オレで良ければ、是非」
唐突に誘われた長可は畏まった感じで答える。しかし、信忠はその受け答えにやや不満そうな表情を浮かべる。
「それは違うぞ。誰でも良いのではなく、お主だから誘ったのだ。そう卑下するな」
「――!! はい!」
信忠の言いたい意味を理解した長可は、改めてはっきりと返事をした。今度の答えに信忠は納得し、一つ頷いた。
それから「邪魔をしたな」と一言残して信忠は来た道を引き返した。長可の言葉に救われた事への礼をしたいという思いから茶に誘ったが、一個人として膝を突き合わせて話がしたいと思ったのが大きかった。
さて、長可を誘った以上は、みっともない真似は出来ないな。茶の稽古をもっと励まないと、と信忠は気持ちを新たにしていた。




