三 : 萌芽 - (9) 義叔父、一向一揆の恐ろしさ
四月に信忠が従五位下の位を授かる慶事があった織田家だが、良い事ばかりではなかった。天正二年一月下旬からの外征で東美濃を手に入れた武田勝頼が、再び動き始めた。次に狙いを定めたのは、遠江にある高天神城だ。
高天神城は三河との国境に近い遠江南部にある城で、断崖に築かれた難攻不落の堅城だった。元亀三年に武田信玄が攻めた折にも落とす事が出来なかった程で、勝頼は先代信玄も攻略を断念した高天神城を手に入れる事で自らの武威を内外に示そうとした。
五月、勝頼率いる武田勢二万五千が高天神城を攻撃。損害を恐れない猛攻を仕掛け、二ノ丸を落とした。守る将兵は僅か一千と戦力差は大きく、守将である小笠原信興は直ちに浜松の徳川家康へ救援を要請した。しかし、二年前の侵攻で多くの将兵を失った徳川家はまだその傷が癒えておらず、単独で対処は難しいと判断した家康は同盟を結んでいる織田家へ助力を求めた。
この時、五月五日から行われていた賀茂祭に出席していた信長は、家康の援軍要請を受けて十六日に京を出発。二十八日に岐阜へ戻った。だが、信長が岐阜へ戻る間にも高天神城は西の丸が陥落し、兵糧が不足するなど将兵は窮地に立たされていた。すぐにでも出立したい信長だったものの、東美濃の武田勢や越前の一向一揆の動向にも気を配らねばならず、容易に動けなかった。
兵を整え、自らが離れても問題ないと判断した信長が岐阜を発ったのは、六月十四日。三日後の十七日には三河の吉田城へ入った。しかし……その翌日の十八日、残すは本丸だけとなった状況でも何とか持ち堪えていた高天神城の徳川勢だったが、守将の信興はこれ以上の抗戦は無理と判断。将兵の助命を条件に開城した。
十九日に高天神城陥落の報を受けた信長は、浜松から駆け付けた家康に自らの遅参を詫びた。その際、兵糧代として大の大人が二人掛かりでようやく持ち上げられるくらいの黄金が詰まった革袋を二袋贈った……とされる。結局、信長は来た道を引き返し、二十一日に岐阜へ戻った。
この攻防で、武田勝頼は先代信玄すら落とせなかった高天神城を陥落させ、自らの武威を国内外に示す成果を挙げた。一方で、懸命に持ち堪えていた将兵を事実上見殺しにした家康は、外様の家臣を中心に「自分達も武田に攻められたら同じ運命を辿るのではないか」と動揺が広がった。遠江の海側に位置する高天神城が武田家の手に渡った影響は大きく、徳川領内に楔を打ち込まれた形だ。
代替わりした後も信玄の薫陶を受けた将兵は依然健在であり、“武田家侮りがたし”という意識を織田・徳川両家に改めて植え付ける結果となった。
高天神城への救援は間に合わなかった信長だが、すぐに切り替えて次へと動き始めた。
徒労に終わり岐阜へ帰ってきてから僅か二日後、六月二十三日に出陣して尾張国津島へ移動。討伐対象は、伊勢長島の一向一揆。それと時を同じくして織田領内に招集をかけ、朝廷との折衝役を務める明智光秀や一向一揆が越前全土に広がり万一に備える羽柴秀吉など一部の例外を除いてほぼ全ての家臣に出陣するように命じた。その羽柴勢も秀吉の弟・秀長が兄の代理で派遣されており、総力戦の様相を呈していた。
過去二度に渡り苦杯を嘗めさせられた経験から、今回は総勢八万という圧倒的な戦力で万に一つも無くす作戦に出ようとしていた。この陣容から“絶対に決着をつける!”という信長の並々ならぬ決意が窺える。
この戦で、信忠は尾張方面の市江口から攻める一軍の大将に任じられた。一門衆や尾張衆の一部で構成され、信忠が万を超える軍勢を率いて戦うのはこれが初めてで、緊張と不安でいっぱいだった。
「勘九郎様、此度はよろしくお願い致します」
本陣でガチガチに固まっている信忠に、ニコニコと柔らかな笑みを浮かべながら声を掛けてきた人物が居た。
「義叔父上、ご無沙汰しております」
「そんな畏まった呼び方は止めて欲しいな。もっと気軽に“新五郎”で構わないよ」
信忠が挨拶すると、その人物はヒラヒラと手を振った。
斎藤“新五郎”利治。天文十年(一五四一年)生まれの三十四歳。斎藤道三の末子で、母は小見の方で濃姫は血の繋がった姉に当たる。
弘治元年(一五五五年)十一月二十二日に長兄の義龍が兄の喜平次・孫四郎を謀殺したが、まだ幼かった利治は難を逃れた。翌年の弘治二年に勃発した長良川の戦いで父・道三が討たれると、姉の居る織田家を頼った。その後、元服した利治は信長付の近侍として各地を転戦。武功を重ねてきた。
濃姫の血縁者で織田家でも一門衆の扱いを受けているが、温厚篤実な人柄で偉ぶるところが無かったので家中からの評判はとても良かった。
今年の始めに河尻秀隆が副将に付けられたものの、今回の出兵では信長が指揮する早尾口に配置されたので実践経験豊富な利治が信忠の補佐を務めることになった。
「新五郎殿は一向一揆勢と戦った経験はありますか?」
「うむ。四年前の戦から、何度かあるな」
利治が言う“四年前”とは、元亀元年の野田・福島城攻めのことだ。敵方の野田・福島城の付城として築かれた楼の岸砦に入った利治は、この直後に挙兵した石山本願寺の門徒勢から攻撃を受けた。この時は共に守っていた稲葉一鉄などと共に死守した……と『信長公記』には記されている。
「一向一揆勢と戦う上で、気を付けるべき点はございますか?」
信忠が訊ねると、それまで柔和な微笑みから一転して険しい表情に変わる。
「……敵が兵を引くか殲滅するまで、決して気を緩めてはなりません」
固い声色で語る利治に、信忠は表情を引き締める。さらに言葉を継ぐ。
「武家同士の戦いでは旗色が悪くなれば損害が広がる前に兵を引きます。しかし、一揆勢は違います。形勢が悪くなっても、極論を言えば最後の一人になっても戦おうとします。ですから、戦が終わるまで油断はなりません。ただの百姓一揆と思わない方が賢明でしょう。甘く見たら必ず足元を掬われます。その執念ときたら……」
歴戦の猛者である利治が、話しながらブルッと体を震わせる。思い出すだけで怖さが蘇るとなれば、相当なものなのだろう。
「……どうして、そこまで戦えるのだろうか」
ポツリと漏らす信忠に、利治はサラリと答えた。
「実に簡単な事です。上人様が『戦え』と命じたからに他なりません」
たった、それだけ……。あまりの事に信忠は絶句した。
浄土真宗の法主・顕如上人は門徒から見れば、文字通り“雲の上の存在”である。その姿を、その声を、門徒の中で見聞きした者はほぼ居ない。大半は坊主を介して『上人様はこう仰られておられる』と伝えられる。つまり、捏造しようと思えば幾らでも出来るのだ。それにも関わらず、門徒達は疑う事なく素直に従う。何故、何故なのだ?
信忠の顔を見て何を思っているか察した利治が、こう付け加えた。
「門徒達の立場からすれば、上人様は現人神みたいなものですので。そんな御方の言葉ですから、霊験あらかたといった感じでしょうか」
利治の言葉を聞いて、信忠も少しだけ分かった気がした。自分が信じる宗教の頂点に立つ者の言葉は、神や仏が言ったも同然だ。その言葉を疑うのは、自ら信じるものを否定するに等しい。
「勘九郎様。戦で最も恐ろしい兵は何だと思われますか?」
「……?? 誰にも負けないくらい強い者ではないのか?」
信忠の答えに、利治は無言で首を振る。
「確かに、戦で生き残った者こそ勝者ですので、敵を圧倒する強さを誇る者は恐ろしいでしょう。されど、どれだけ屈強な者でも一対一で無双する事は出来ますが、二人三人と束になって懸かられれば勝てるとは限りません」
そう言われてみればそうだ、と納得する信忠。しかし、一方で強い以上に恐ろしい相手とは、一体何だろうか。
頭を捻って考え込む信忠に、利治はソッと教えてくれた。
「――死を恐れぬ者です」
それを聞いて、意外だなと思った信忠。さらに利治は続ける。
「死は恐ろしいもの。それは人の習性と申しますか、動物の本能と申しますか。どちらにせよ、死は生きている者ならば一番避けたいものです。どんなに屈強な者であっても自らの身に死が差し迫っていると知れば、心穏やかでいられません。足軽や雇われ兵が形勢悪しとなれば真っ先に逃げ出すのも、“死にたくない”という恐怖が“戦おう”という士気を上回るからです。しかし……自らの死を受け容れている者は、恐怖に囚われる事がありません。ですから、事切れるその間際まで、一人でも多く道連れにせんと戦い続けます。“死兵に手を出すな”は兵を率いる者にとって鉄則と言えるでしょう」
すると、利治は屈んで近くに落ちていた木の枝を手に取り、地面にサラサラと文字を書き始めた。
「進者往生極楽、退者無間地獄……」
「これは、一向一揆勢が掲げる旗によく記されている一文です」
地面に書かれた文字を信忠が呟くと、利治が解説してくれた。
「浄土真宗には『念仏を唱えれば極楽浄土に行ける』という教えがあるらしいです。それを誰かが解釈を変えて『敵に向かう者は極楽へ行ける、逆に逃げる者は地獄へ堕ちる』とし、それが門徒達の間で広まってしまいました。こうして、死を恐れぬ兵が大勢生み出されるに至りました」
武家の者は強い覚悟を持つことで死の恐怖を克服するが、浄土真宗の信者である門徒達は先述した一文が広く知られたことで死の恐怖を打ち消した。敵に向かって行って運悪く命を落としたとしても、極楽浄土へ行けるとなれば恐怖は薄まる。寧ろ、搾取されるばかりの百姓からすれば、現世こそ地獄みたいなものだが。
一対一の戦闘ならば、鍛錬や経験を積んでいる武家の方が優勢だ。しかし、個々の力が劣っていたとしても死を恐れない・傷つくことを厭わない非戦闘員の兵が一度に束で懸かったら……例えば、一人が身を挺して武器を封じている間に別の誰かが襲い掛かったとしたら。得物が使えないのは無防備と一緒で、成す術がない。
「……それは、なかなかに厄介ですね」
話を聞いていた信忠が感想を述べると、利治は「はい」と応じた。
「先にも申しましたが、一人一人は強くなくても死を恐れず向かって来るので、キリがありません。戦に慣れていても、一向一揆が相手となると気が滅入る者を絶ちません……」
将兵達も際限なく立ち向かってこられたら、戦う事に慣れていても流石に嫌気が差す。一度経験した者なら「またか……」と憂鬱な気分になろう。何れにせよ、士気が上がるとは言い難い。将兵の士気は戦の勝敗を左右する重要な要素の一つで、指揮する者からすれば高い状態を保つことが求められる。かと言って、「やる気を出せ」と命じても簡単に上がるものでもないので、頭の痛い問題ではある。
しかし、これからその厄介な敵と対峙しなければならない。さらに言えば、総勢八万と過去に類を見ない規模で挑む訳だから、三度の失敗を許すようならば織田家の沽券に係わる。
「……やるしかないのだ」
誰に言うともなく、信忠が言う。利治も無言で首肯した。
自分は一軍を任された大将なのだ。不安そうな顔をしていたら、ただでさえ上がらない士気に影響を及ぼすかも知れない。両頬を手でパンパンと叩いて気合を入れ、表情を引き締める。
やってやる。心の内で決意を固め、敵が居る伊勢長島の方角をじっと見つめる信忠だった。




