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三 : 萌芽 - (5) 茶の湯の指導

 翌日。岐阜城の茶室に、信忠と久秀の二人だけ。主人役は信忠、正客は久秀。

 信忠はまだ若年なのもあるが茶の湯の道具を集めていないので、茶坊主が用意してくれた物を使う。部屋の花を活けたり掛け軸を選んだりといった(しつら)えは信忠自身が(おこな)った。

 自分から頼んだ事とは言え、久秀を前に信忠は緊張していた。相手は現在の茶の湯の流行を生み出した武野紹鴎から直接教えを受け、一流の茶人として知られる数寄者。自らの一挙手一投足に視線が注がれると思うだけで、体が固くなる。

 宗久から茶の点て方や作法など基本的な事は手解(てほど)きを受けているが、今まで茶の湯の席では客役ばかりだった。堺に滞在していた頃に宗久を相手に練習したくらいで、他人の前で点前をするのはほぼ初めてである。

「……まさか、(それがし)に茶の湯を教えて欲しいと頼まれるとは、(つゆ)程にも思ってもおりませんでした」

 点前の事でいっぱいいっぱいになっている信忠へ、久秀の方から声を掛けてきた。その声は自然体そのものだ。

 信忠が覚悟を決めて頼み込むと、父も久秀も“虚を()かれた”という表情を見せた。久秀は主君へチラリと視線を送ると、父も黙って頷いた。それを了承と捉え、久秀も「某で良ければ」と引き受けてくれた。

「弾正殿は数寄者と伺っております。私と同じように教えを乞う者も多いことでしょう」

 訊ねる信忠に、久秀は「まさか」と苦笑いを浮かべる。

「教えを乞うどころか、一緒に茶を飲む事すら避けられております。ですので、某と親しい間柄の者か、上様くらいしか相手をしてくれません」

 どうして避けられているか久秀は言及しなかったが、信忠も何となく察しは付いた。その昔、久秀は三好長慶に仕えていた頃に嫡男である義興(よしおき)や長慶の実弟の十河(そごう)一存(かずまさ)が相次いで病死し、その死に“久秀が関与したのでは?”と疑いをかけられた。以降、噂だけが独り歩きし、『久秀は趣味の茶の湯を利用して毒を盛る』という勝手な想像が事実であるかの如く広まってしまった。茶の湯が狭い室内で少人数で行い、茶の中に毒を仕込もうと思えば幾らでも出来たことから、皆が余計に警戒したのだ。

「……親しい間柄の者とは、金吾(きんご)殿でしょうか?」

 信忠が問い掛けるが、久秀は静かに首を振った。

「あの者は茶の湯にとんと興味を示しませぬ。某が熱を上げて名器を蒐集(しゅうしゅう)したり趣向を凝らしたりしているのを、“年寄の道楽”としか思っておらぬでしょう。ただ――そういった点も含めて、某と全く異なるのは良い事でもあります」

 感慨深げに語る久秀。その表情に、信忠もグッと引き込まれた。

 松永“右衛門佐(うえもんのすけ)”久通、通称“松永金吾(官位である衛門の唐名)”。久秀の嫡男であり、松永家の当主である。天文十二年(一五四三年)の生まれで、現在三十二歳。松永家と言えば世間的に“梟雄”で知らせる久秀の印象が強いが、永禄六年(うるう)十二月に久通が家督を継いでおり、それ以来ずっと松永家を取り仕切っていた。特に、永禄九年六月に久秀が行方(ゆくえ)(くら)まして大黒柱不在の状況に置かれながらも筒井勢や三好三人衆勢と対峙し、翌年四月に戻って来るまで松永家を守り抜いている。当時大和国内で形勢は不利だった松永家を守るのは並大抵の事ではなく、久秀の影に隠れがちだが久通も相当な実力者だった。

 久秀は今年六十七歳。戦国時代の平均寿命を考えれば長寿の部類に入る。本人も壮健そうだが、いつお迎えが来ても不思議でない。だからこそ十一年前に家督を譲って代替わりを図ろうとしたのだが、今のところは順調みたいだ。

「親である某が言うのもアレですが、実によく出来た息子です。性格も(ひね)くれておらず、それでいて真っ直ぐな芯が通っております。家臣や領民からも愛され、あの者に任せておけば松永家は今後も安泰でしょう」

 しみじみと語る久秀。その口振りから、久通への信頼が窺い知れる。

 茶を点てた信忠が、静かに茶碗を久秀の前に差し出す。黙礼した久秀は茶碗を受け取り、口を付ける。

 静寂に包まれる室内。信忠は久秀からどんな感想が出るか、ハラハラしながら待つ。

 やがて、口元を(ぬぐ)った久秀は器を畳の上に置いてから、訊ねてきた。

「……勘九郎様は、何方(どなた)様から茶の作法を教わりましたかな?」

「今井宗久殿にございます」

「成る程。基本はしっかりと押さえられておられますな」

 久秀の言葉にホッとする信忠。しかし、それも束の間で、続け様に久秀は素っ気なく漏らした。

「されど――それだけです」

「それだけ……とは、一体どういう事ですか?」

 発言の真意を質す信忠。不手際は無かったと言いながらも物足りないという表情を浮かべる久秀は、はっきりと告げた。

「遊びが欠けております」

 端的に指摘され、信忠はグッと詰まる。久秀は茶を一口含んでから再び話し始める。

「教わったものを教わった通りに行う、これは正しい事です。古来より“学ぶ”は真似る事から始まったとも言われておりますから。されど、ただ模倣(もほう)するだけではつまらない。一緒に居る人を飽きさせない為にも“遊び”が必要なのです」

 久秀の言葉に、何も言い返せない信忠。宗久から教わった通りに行う事だけで頭が一杯になり、正直そこまで考える余裕は一切無かった。客の側は何回も経験を踏む中で肩肘張らずに振る舞えるようになったものの、誰かを相手に点前をするのが実質的に初めてだった信忠には(いささ)か荷が重かったか。

 落ち込む信忠に、久秀は励ますように声を掛けてきた。

「そう落胆なさらないで下さい。筋は悪くありません。あとは勘九郎様なりの工夫を足せば、グッと良くなります」

 久秀の励ましを受けても、信忠は凹んだままだ。すると、久秀は思いがけない提案を持ちかけてきた。

「では、こういうのは如何(いかが)でしょうか。……役を入れ替えて、某の点前を参考にされてみては?」


 一旦退席した信忠は再び茶室に戻った。亭主役の久秀が、釜の近くで軽く頭を下げている。

 使う道具や設えは信忠の時と全く同じ。そうした条件の下で、久秀はどういった違いを見せてくれるのだろうか。

「それでは、始めさせて頂きます」

 正客役の信忠が着座するのを確認した久秀が、声を掛けてきた。

「……本来ならば全て一緒な物を用いるべきなのでしょうが、釜だけは替えさせて頂きました。申し訳ありません」

 茶を練りながら軽く詫びる久秀。確かに、()の中にある茶釜が替わっている。

「私は構いませんよ。……その釜は、そんなに大切な物なのですか?」

「はい。この茶釜は“平蜘蛛釜(ひらぐもがま)”と言い、某の命同然の逸品(いっぴん)にございます」

 久秀は天下の名品を多数所有しているが、その中でも特別大切にしていたのが“古天明(こてんめい)平蜘蛛の茶釜”だった。永禄十一年に織田家へ臣従する証として天下の大名物として知られる“九十九髪茄子(つくもがみなす)”と脇差“吉光”を献上し、信長を喜ばせた。その後も信長は何度も久秀が所有している平蜘蛛釜を譲るよう求めたが、「これだけは勘弁して下さい」と断り続けていた。

何処(どこ)へ行くにしても、この釜だけは手許(てもと)に置いております。(まさ)しく一心同体、某の命そのものと言っても過言ではありません」

 この茶釜に対して久秀が並々ならぬ愛着を持っていることが、言葉の端々から伝わってくる。茶の湯の道に(うと)い信忠には、この茶釜の良さはイマイチ分からない。けれど、そこまで愛着を持った品があるというのは、少し(うらや)ましくも思った。

 平蜘蛛釜について簡潔に説明しながらも、手を止めない久秀。その表情も常に微笑みを浮かべながら、である。ほぼ素人に近い信忠でも理解出来るよう久秀が話してくれるお蔭で、退屈に感じることは無い。

 釜の中の湯が沸いてきたのを確かめた久秀は、柄杓で湯を掬い茶碗に注ぐ。それから茶筅を素早く振って中を掻き混ぜる。その手付きはかなり手慣れており、初心者同然の信忠とは明らかに速さも音も異なっていた。

「……どうぞ」

 茶筅を置いた久秀が、茶碗を差し出してくる。信忠は一礼してから茶碗を受け取り、口を付ける。……自分が点てた茶より苦味がまろやかに感じた。

 使っていた道具を片付けながら、久秀は穏やかな笑みを湛えながら話し掛けてきた。

「如何でしたか? 何か違いは見つかりましたかな?」

 問われた信忠だったが、立場が入れ替わっただけで幾つかの変化に気付いた。

 茶を点てる動作については、経験が浅く覚束(おぼつか)ない手つきの信忠と場数を踏んで滑らかな手つきの久秀とで雲泥(うんでい)の差はあるものの、これに関しては仕方がないので省略。あとは部屋の空気というか、心地良さというか。茶釜一つ替わっただけで雰囲気もガラリと変わる訳ではないので、久秀の技量と言ってもいいだろう。

 感じた点を要約して伝えると、久秀は満足そうに頷いた。

「仰られた通りにございます。某は出来るだけ話をして、勘九郎様が楽しめるように努めておりました」

「……では、あの平蜘蛛の釜の話も、その一環だったのですか?」

「はい。茶の湯にあまり詳しくない勘九郎様に少しでも興味を抱いて頂ければと思い、敢えて話をしました。尤も、多少の自慢はありましたけれど」

 茶目っ気のある笑顔で、手の内を明かす久秀。釜を替えたという久秀の告白は話の導入としてとても自然で、そこから話が広がっていった。自慢と久秀は言っていたが、その解説も素人の信忠にも分かるよう簡潔にしていてくれたので、そうは聞こえなかった。他人の自慢話は得てして聞く者を退屈にしがちだが、そう感じさせないのは久秀の巧みな話術のお蔭だろう。

 それから表情を引き締め直した久秀が、続ける。

「亭主は客を退屈させないよう配慮し、客も亭主がやりやすいよう気を配る。両者の想いが合わさる事で、初めて至福の一時が生まれるのです。茶の湯は一人だと成立しません。亭主と客が居て、そこから始まりなのです」

 久秀の言葉に、信忠はハッとさせられた。自分が茶を点てている時は手順の事ばかり考えていて、久秀を持て成そうという気持ちまで至らなかった。久秀が言及した“一人では成立しない”ということは、信忠の心に深く刺さった。

 そう思った時、信忠はある事に気が付いた。

「……あの時に声を掛けて下さったのは、点前の事でいっぱいいっぱいになっていた私の緊張を(ほぐ)す為に?」

「えぇ。恐れながら、勘九郎様の顔がとても強張(こわば)っておられましたので」

 信忠が訊ねたら、恐縮したように久秀は認めた。

 ずっと何も話さなかった状況を破ったのは、久秀が昨日の対面を振り返った言葉だった。それを皮切りにして話が弾み、言葉を交わしていくにつれて信忠も緊張が(やわ)らぐのを実感した。今思い返してみれば、あれは久秀なりの気遣いだったのだ。

 言葉掛け一つで、ここまで空気が変わるのか。信忠は茶の湯の奥深さの一端に触れたような気がした。

「持て成し方は人それぞれ違います。話で雰囲気を醸成(じょうせい)する方も()れば、掛け軸や活けられた花で自らの意図を発する方も居られます。亭主も当然ですが、客の方も亭主の狙いが何なのか察する努力をしなければなりません。そして、何よりも大切なのは――」

 そこで一旦言葉を区切る久秀。信忠は次にどのような事が飛び出すか固唾を呑んで待つ。

 一拍の間を置いて、久秀は信忠に穏やかな笑みを浮かべながら言った。

「――楽しむ事です」

「楽しむ、事……」

 信忠が漏らした言葉に、久秀は力強く頷いた。

「左様です。楽しむ事こそ、上達の近道ですぞ」

 にこやかに話す久秀。一方で、信忠は別の人からも似たような事を言われたのを思い出した。

 あの時も、“恥ずかしい振る舞いは何が何でも避けなければならない”“自分は織田家の嫡男なのだから相応の振る舞いをしなければ”という思いが先走って、雁字搦(がんじがら)めになっていた。そんな信忠に助言を下さったのが、宗久だった。それ以来、あまり(かしこ)まらず自然体で臨もうと意識していたのだが……またしても、失敗を恐れるあまり必死になり過ぎていた。

 信忠は、前に置いた器を手に取ると、一気に中身を飲み干した。口の中に苦味が広がるが、我慢出来ない程ではない。

「……弾正殿。貴重な助言、ありがとうございます。今後も機会があれば、またご指導頂けますでしょうか?」

「勿論。こんな年寄でよろしければ、いつでもお受け致しますぞ」

 背筋を正した信忠が頭を下げると、久秀はニコニコと微笑みながら快諾してくれた。

 自分は間違っていた。臣従してきた久秀を試そうと思い上がった考えが、自分の頭の片隅にあったのだろう。久秀が好きな茶の湯を通して、その本性(ほんしょう)を推し量ろうとした。結果、突き付けられたのは己の未熟さだった。

 もっともっと、精進(しょうじん)しなければならない。茶の湯だけでなく、人間性も磨いていかないと。信忠は新たな気持ちで、前へ進んでいこうと心に誓った。


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