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二 : 立志 - (17) 勝蔵

 元亀四年三月一日、奇妙丸の元に新たな家臣が挨拶に訪れた。

 対面の部屋に入った奇妙丸は、小柄な若者が平伏している姿が目に飛び込んできた。その脇には傅役の新左が座っている。

勝蔵(かつぞう)、若様にご挨拶なさい」

 新左に促され、“勝蔵”と呼ばれた若者が頭を上げた。

「……お初にお目にかかります。森“勝蔵(勝三とも)”長可(ながよし)にございます」

 切れ長な目、スッとした鼻立ち、年齢以上に大人びた雰囲気、そして……年齢に似合わず筋肉質でガッシリとした体つき。声変わりしてない声で型通りの挨拶を淡々と述べる長可は、明らかに仏頂面で不満たらたらというのが一目で分かった。その顔を見た奇妙丸は思わず苦笑いを浮かべる。

 あからさまな長可の顔に新左は咳払いをして注意を促したが、直そうともしない。仕方なく新左は声を掛ける。

「これ、若様の御前(ごぜん)ぞ。その顔は無礼ではないか」

 注意を受けても長可は表情を変えない。父・信長の前でこんな顔をしたら即刻斬り捨てられてもおかしくないのに、その嫡男である奇妙丸には歳が近いのもあり感情を隠そうともしない事に対して、奇妙丸は苦笑するしかない。

「勝蔵。何が不満なのだ?」

 奇妙丸から訊ねると、不承不承という(てい)で長可は答えた。

「……俺は森家の跡を()いだ身。一日も早く武功を挙げなければなりません。どうせ仕えるなら御屋形様の方が良かった」

「勝蔵!」

 あまりに不躾(ぶしつけ)な発言に、思わず新左も声を荒らげた。

 永禄元年生まれの長可は、今年十六歳。この歳で元服を済ませているのは珍しくないが、家督を継いで当主となっているのは異例である。これには深い事情があった。

 長可の父・可成(よしなり)は信長が織田家の家督を継いだ頃から支えている功臣で、天文二十四年(一五五五年)四月の清州城乗っ取りでは守護代の織田信友を討つ武功を挙げるなど、武辺者として家中に知られる人物だった。関兼定が作った十文字槍で数々の戦場で活躍し、“攻めの三左(さんざ)”の異名を誇っていた。武将としてでなく信長が上洛を果たした際には京の寺社や堺の会合衆等に宛てた多くの文書を発給するなど、奉行の一面も併せ持っていた。

 可成は愛妻家として知られ、正室・えいとの間に六男三女の子どもを(もう)けた。長可は次男で、六つ上に兄の可隆(よしたか)が居た。本来ならばこの可隆が家督を継ぐ筈だったが、そうはならなかった。元亀元年の越前侵攻で敦賀の手筒山城を攻めた際、初陣となった可隆は城に一番乗りを果たしたものの功を焦るあまり深入りしてしまい、討死。長男の死去に伴い、勝蔵が嫡男となった。

 その父・可成も、元亀元年九月に本願寺挙兵で信長率いる本隊が摂津で釘付けにされる隙を突いて琵琶湖西岸を南進してきた浅井・朝倉の連合軍を食い止めるべく、奮戦。三万の相手に一千の手勢で何度も押し返すなど健闘したが、衆寡敵(しゅうかてき)せず討死。可成の死を知った信長は(いた)く悲しみ、元亀二年の比叡山焼き討ちの際には可成の墓がある聖衆(しょうじゅう)来迎寺(らいこうじ)は例外的に焼き討ちから(まぬが)れる程に特別な思い入れがあった。

 可成の死去に伴い、当時十三歳だった勝蔵は元服した上で森家の家督を継いだ。元服に際して信長から一字を拝領したり可成の遺領を年若ながら全て受け継ぐなど、格別の配慮が()された。

 こうした特別な事情から、同年代の若者のように小姓から順当に出世街道を歩んでいく道のりとはいかなかった。

「俺は家臣や幼い弟妹(ていまい)達の為にも、早急に武功を挙げたいのです。これまで御屋形様から受けた御厚意に報いる為にも、槍働きで報いたいのです」

 貪欲(どんよく)さを隠そうともしない長可。態度こそ悪いが、早く一人前になりたいという強い気持ちは奇妙丸にもよく分かる。

 恐らく、父から私に仕えるよう言われたので仕方なく挨拶に出向いたのだろう。ある意味、裏表がない性格とも言えるか。

「確かに、どうせ汗を流すなら私より父上の方がいいな」

 奇妙丸が長可に同調する発言をすると側に控えていた新左が「若!」と声を上げた。下手に肯定して図に乗らせてはならないと考えたのだろうが、奇妙丸は「しかし」と続ける。

「父の元には有能で実績も申し分ない大身(たいしん)の家老が何人も居る。勝蔵のような若武者はもっと沢山居るに違いない。名を()げたいのは皆同じ。戦が始まる前からそうした者達と陣地争いをせねばならん。それに、競争相手が多いという事は、目覚ましい活躍をしない限りは家中で埋没してしまいかねない」

 そう奇妙丸が指摘すると、痛い所を衝かれたのか長可はグッと詰まる。織田家は家柄や出自を問わず能力があれば取り立てられる家風なので、十代・二十代の伸び盛りで優秀な若者が揃っている。例え父から格別の計らいがあったとしても、熾烈(しれつ)な競争を勝ち抜かなければならない。

「その点、私には仕える者がまだまだ少ない。それ故に私の下で活躍すれば、父の目にも留まりやすくなる。一見遠回りかも知れないが、結果的には他の者より早く出世する可能性があると思わないか?」

 穏やかに語る奇妙丸の言葉に、長可の表情も少しずつ変化が現れる。眉間に(しわ)が寄っていたのが思案顔になり、一理あるという結論に至り真面目な顔になる。感情の移り(よう)が実に分かりやすく、単純だなと思うと同時に憎めないなと奇妙丸は思った。

 もう一押しだ。奇妙丸はさらに畳み掛ける。

「私の家臣は傅役の新左を含めても両手に収まる程度しか居ない。ここに勇猛な武辺者の勝蔵が加わると、非常に心強い。どうか、力を貸してくれまいか?」

 自尊心を(くすぐ)る奇妙丸の言葉に、満更(まんざら)でもない表情を浮かべる長可。主筋だからと頭ごなしに命じるのではなく、同じ目線で協力を仰いだのだ。長可でなくても悪い気はしないだろう。

「……分かりました。不肖ながらこの勝蔵、奇妙丸様の為に力を尽くしたいと思います」

 殊勝(しゅしょう)な態度で頭を下げる長可。最初の不満たらたらだった姿とは大違いだ。

 とは言え、長可は奇妙丸の一つ下、これまでは自分より年上の家臣しか居なかった。次世代を担う人材が少しずつ集まってきていることを、奇妙丸は頼もしく感じていた。


 三月中旬、信長は伊勢長島を叩くべく出陣。この戦が初陣となる長可は奇妙丸勢に加わった。森勢は一揆勢に攻撃をかけ、功を挙げた森家重臣の各務(かがみ)元正(もとまさ)は信長から称賛された。この元正は元亀元年に主君・可成が討たれた後も京に迫る浅井・朝倉連合軍を要衝(ようしょう)・宇佐山城を守り抜いた功臣で、年若い長可を支えていた。長可も二十七もの首級を挙げるなど、自慢の槍を振るい大いに暴れ回った。

 これ以降、長可は奇妙丸麾下(きか)の家臣として支えていくこととなる。


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