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二 : 立志 - (12) 初陣

 元亀三年が始まって二ヶ月の間、信長と敵対する勢力は活発な動きを見せなかった。摂津の石山本願寺の顕如は自ら打って出ず、越前の朝倉義景は雪で足止めされ、三好三人衆は阿波へ逃れてから畿内へ再上陸する兆候は現れていない。元亀に改元されてから信長にとって一番平穏な時期だったのかも知れない。

 同年三月、信長は北近江に出陣すると、浅井長政の居城・小谷城の周りに付け城を築いた。これにより長政の動向は織田方に監視されるようになり、積極的に攻める事が難しくなった。

 そして、月日は流れて七月。奇妙丸は父に呼ばれ、奥にやって来た。

「初陣を近々(ちかぢか)行う」

 開口一番に父は宣言した。前置きを挟まず端的に用件を告げるのは慣れていたつもりの奇妙丸だったが、それでも内容が内容だけに驚きを隠せなかった。奇妙丸も今年で十六歳。初陣を済ませていても不思議でない歳ではある。

「まあ! それはおめでたいですね!」

 当然のように父の隣に座る濃姫が手放しに喜ぶ。ただ、当事者である筈の奇妙丸は冴えない顔をしていた。

「……父上、一つお訊ねしてもよろしいでしょうか?」

「ん、何だ?」

「私はまだ元服を済ませておりませんが、よろしいのでしょうか?」

 奇妙丸の質問に、父の表情が途端に曇る。

 元服も初陣も大体十四~十五歳前後で行うのが一般的だが、順番は元服を先に済ませる事が圧倒的に多い。これは元服を済ませた者は大人の仲間入りをしたと見做(みな)され、それを経てから大人同士が戦う初陣に臨むべき――という考え方が浸透していたからだと推察される。

 一方で、(まれ)ではあるが元服よりも先に初陣を経験した例はある。毛利家を支える“両川(りょうせん)”の一人・吉川元春は、天文九年に毛利家の居城・郡山城に尼子勢の大軍が押し寄せた際、当時十一歳だった元春(当時は少輔二郎(しょうゆうじろう))は父・元就の反対を押し切って戦に参加、毛利家の勝利に貢献している。但し、元春の場合は御家存亡の危機にあった事から、非常に稀な事例ではある。他にも織田家で赤母衣衆を務める前田利家も、天文二十一年八月十六日の萱津(かやつ)の戦いで元服前ながら初陣を果たし、首級一つを挙げている。この萱津の戦いも信長の手勢がまだ少ない時期に厳しい戦いに臨んだ事情があり、小姓である利家(当時犬千代)も戦力として数えられていた節がある。どちらの例も、余裕が無い状況で一人でも多く戦力が欲しい事情があり、特殊な例と言えるだろう。

「なかなか良い時機が無くてな。その点については申し訳ないと思っている」

 バツが悪そうな表情で、父はモゴモゴと弁明する。

 元亀に改元してから、父はずっと多忙を極めていた。敵対する勢力との戦いで各地を転々とし、御所や朝廷・幕府との折衝(せっしょう)、さらに領地の仕置と、体が幾つあっても足りない状況が(しばら)く続いていた。元服は一生に一度の晴れ舞台、機宜(きぎ)を見計らっていたのも無理はない。

 すると、思わぬ方向から助け船が出された。

「殿。初陣は元服を済ませてないとダメなのですか?」

 濃姫が素朴な疑問を投げ掛けると、父は一瞬面喰(めんくら)った表情を見せた後に小さな声で答えた。

「いや……必ず済ませておかないといけない訳ではないのだが……」

「ならばよろしいではありませんか。奇妙丸殿も日々武芸の鍛錬を欠かさず行っているのですよね? でしたら、どちらが先でも構わないのでは。そうでしょう?」

 突然話を振られてドキッとする奇妙丸。伝兵衛や新左を相手に稽古をする時もあれば、一人で鍛錬を行う時もある。それは一人前の武人になる為にやっている事で、(きた)るべきその時に向けて備えていると言い換えられる。濃姫はそれを鋭く指摘したのだ。

「え、えぇ……まぁ……」

 しどろもどろに答える奇妙丸に、「なら、いいではありませんか」と濃姫。

「元服を済ませていようがいまいが、大切なのは初陣に臨む心です。殿も奇妙丸殿も別に負い目を感じる必要はありません。違いますか?」

「いえ……」

「うむ……」

 濃姫から訊ねられ、奇妙丸も父も歯切れ悪く応える。縮こまる父子を前に濃姫は「まったく、男子(おのこ)は変なところで(こだわ)るのですから……」と溜め息交じりに漏らすと、二人はさらに体を小さくさせていた。


 元亀三年七月十九日。岐阜城で奇妙丸の具足初めが執り行われた。具足初めは“鎧着初(よろいきぞめ)”とも呼ばれ、元服同様に武家の子が大人の仲間入りを果たす儀式だった。具足初めを終えた奇妙丸はその流れで初陣に臨んだ。目指すは浅井家が治める北近江、織田家嫡男の一生に一度の晴れ舞台という事で総勢五万という大軍である。戦国大名の子どもが初陣を行う場合、先々勝てる武将となれるよう願掛(がんか)けも込めて必ず勝てる戦を選ぶ事が一般的だった。

 七月二十一日。横山に本陣を構えた織田勢。総大将として床几(しょうぎ)に腰掛けているのは、真新しい甲冑に身を包んでいる奇妙丸。緊張した面持ちで、無意識の内に(さい)を握る手の力も強くなる。

(これが……戦か)

 皆が、奇妙丸の命が出るのを息を潜めて待っている。奇妙丸が采を振った瞬間から、将兵達が一斉に動き始める。軍事行動が始まれば、敵味方を問わず死傷者が出て、被害を被る民が出る。たかが儀式一つの為に、決して少なくない人々に影響を及ぼすのだ。そう考えると、今握る采が重く感じる。

 だが、奇妙丸に拒否する選択肢は無い。もし取り止めれば、味方が敵から襲われる事となる。戦わなければ、やられるだけだ。強い者が総取りする社会は目指していないが、自分の考える未来を実現する為には戦って勝ち取るしか道はないのだ。織田方に属する者、家族、関わる者達の生活が、奇妙丸の采に()かっている。自分の一存で「()めた」なんて、口が裂けても言えない。

 側には、傅役を務める新左や近侍の伝兵衛が甲冑姿で控えている。気心の知れた二人に今の気持ちを吐露(とろ)しようかとも一瞬(よぎ)ったが、すぐに()めた。総大将である奇妙丸と家臣の新左・伝兵衛とでは、立場も視点も異なる。今の自分は仮にも織田方の総大将。その総大将が不安を打ち明ければ、それを見聞きした者の口から他の将兵達へあっという間に広まっていく。そうなれば「こんな大将の下についていて大丈夫か?」と不安が蔓延(まんえん)し、士気の低下に直結する。言動一つ、仕草一つが勝敗に繋がるのだ。そう思うと、自制しなければならないという結論に落ち着く。緊張でガチガチになっている奇妙丸が、ふと左胸に手を当てる。何か、感触があった。松姫から贈られた御守だ。出陣する時に力を借りたいと思い、忍ばせてきたのだ。御守を手に乗せていると、段々と気持ちが落ち着いてきた。

(……戦は益が少ないものだ。ならば、一回でも戦を少なくするようになりたい)

 咄嗟(とっさ)に、沢彦の言葉が頭に浮かんだ。『武家は何も生み出さない』と。(むし)ろ、民達に迷惑をかけている、とも。しかし、奇妙丸は考えた。自分は幸いにも武家の家督を継ぐ資格を持ち、戦で采を振るう立場の人間だ。戦の全責任を負う代わりに、決定権を握っている。総大将の自分が闇雲に軍を動かさなければ、民が戦に巻き込まれる事も貴重な人材や金銭を失う事も減らせる可能性があるのだ。今日はその第一歩だ。……そう考えると、急に気持ちが楽になった。

「若、そろそろ……」

 新左が声を掛けてきた。それを受けた奇妙丸はゆったりと床几から立ち上がる。

 戦う事は武士の本分だ。しかし、(いたずら)に戦を起こすような愚は絶対に犯さない。奇妙丸が自らに誓いを立て、今日はその第一歩に当たる。

 奇妙丸が手にした采を大きく振り上げる。その一挙手一投足に注目が集まる。皆の視線を浴びているのを感じながら、奇妙丸は息を大きく吸い込んだ。

「――掛かれ!!」

 勢いよく采を振り下ろすと同時に大声を発すると、法螺(ほら)()が高らかに鳴り響いた。この法螺を合図に各地で展開している軍勢が行動を開始する。織田家嫡男である奇妙丸の記念すべき初陣と知っている家臣達は晴れ舞台を飾るべく督戦(とくせん)させるに違いない。

 少しすると、遠くから喊声(かんせい)や陣太鼓の音が聞こえてきた。味方の軍勢が、各々攻めている。自分は安全な所に身を置きながら、少し先では暮らしを(おびや)かされる民が居る。その事を肝に銘じながら、奇妙丸はじっと前を見据えた。

 この日、織田勢は小谷城下を放火したり、浅井家家臣の阿閉(あつじ)貞征(さだゆき)の籠もる山本山城を攻めたりして、浅井領内で示威(じい)活動を行った。奇妙丸の初陣を飾るに相応しい結果が出て、総大将を務めた本人もホッとしていた。


 今回の北近江出陣は奇妙丸の初陣も一つの目的だったが、浅井家をこの機に乗じて叩く狙いも含まれていた。浅井家と連携している近江の一向一揆勢を攻撃したり、琵琶湖に面する湊を焼き払ったりしていた。初陣を終えた奇妙丸も父・信長に同行している。

 小谷城を包囲した織田勢は、本陣を構えて持久戦の態勢をとった。ただ包囲するだけでなく、小谷城から半里(約二キロメートル)の距離にある虎御前(とらごぜ)山に砦を築くなど、着々と手を打っていた。

 奇妙丸は父の後ろに控えるように座っていたが、父の意図が掴めなかった。

 現在、織田家は各方面に敵を抱えているが、反織田勢力同士で連携する動きは見られなかった。石山本願寺とは元亀元年十二月の和睦以降、直接的な戦闘は無し。伊勢長島の一向一揆も一時期と比べてかなり大人しくなっている。三好三人衆も存在感が薄い。一番活発に動いているのは大和国の松永久秀と河内の三好義継が連携して攻勢に出ているが、これも喫緊で対処しなければならない訳ではない。北近江にベッタリ張り付いても何ら問題は無かったが、逆に言えば北近江の浅井家を最優先で対処する必要性も無かった。

 父が居る本陣には、各地の武将から報告がどんどん入ってくる。それに対して父は許可を与えたり指示を出したり、即座に返している。

 そんな中、急いだ様子で遣いの武者が駆け込んできた。

「申し上げます。北方より朝倉の軍勢が現れました。その数、(およ)そ一万五千」

 遣いからの報告を受けた父は「来たか」と漏らした。その表情は、笑っていた。

 織田勢が北近江へ侵攻したのを受け、浅井長政は越前の朝倉義景へ援軍を要請。義景に宛てた書状には『長島の一向一揆が尾張と美濃を寸断している。信長を討つ絶好の機会だ』と虚報を交えて出陣を促している。それを真に受けた義景は一万五千の兵を率いて北近江へ出陣、大嶽(おおづく)山に陣を構えた。

「相分かった。朝倉の動きから目を離すな」

「はっ!!」

 報告を終えた遣いは勢いよく下がっていった。奇妙丸は、朝倉勢が到来した報せを聞いた父の表情から、ある推察が浮かんだ。

「……父上。もしや、浅井を餌にして朝倉を(おび)き寄せたのですか?」

 奇妙丸が訊ねると、父は口角を上げて答えた。

「今の浅井は朝倉の後ろ盾があるから持ち堪えているに過ぎない。浅井が危機に(ひん)すれば、朝倉も出向かざるを得ない。朝倉を先に倒してしまえば、浅井も遠からず同じ道を辿る」

 自信あり気に答える父の姿に、奇妙丸は感服した。

 浅井家は自領を織田家に侵食され、形勢悪しと判断した国人が離反する悪循環に(おちい)っている。領地が減れば収入も減り、動員出来る兵数も少なくなる。浅井家が今も残っているのは有力家臣が従っているのと朝倉家の支援があると信じているからだ。望みがあれば、それを糧に苦しい状況でも何とか乗り切ろうという気持ちになる。朝倉家の存在が浅井家の心の支えとなっていた。

 一方の朝倉家も、浅井家を見捨てられない事情があった。北近江の浅井家は織田家の防波堤であり、これが落とされれば矛先は自分達に向けられる。独力で天下屈指の勢力となった織田家と相対するのは困難で、朝倉家としては是が非でも避けたい。他にも、長政の祖父・亮政の代から浅井家を支援してきた事もあり、窮地に陥っている状況で助けを求められれば手を差し伸べなければならない考えが強かった。もし仮に見捨てれば「朝倉家は情が無い」と家中の離反を招く恐れがある。出費が嵩み負担も決して小さくない北近江遠征は内心辞めたい義景も、様々な事情から浅井家の要請に応じざるを得なかったのだ。浅井家も朝倉家が及び腰であるのを承知しているからこそ、嘘をついてでも引っ張り出そうとしたのである。

「この近江の地で、朝倉と雌雄を決する戦を行う。朝倉を破れば、その次は浅井だ。見ておれ奇妙、戦とはこうやってやるものだ」

 自信に満ち(あふ)れた顔つきで、父は奇妙丸に宣言した。その背中を、奇妙丸は今までで一番頼もしく感じた。


 朝倉勢の来援にも信長は全く動じなかった。それどころか、虎御前山で行われている作事を敵が迫っている状況でも続行させたり、朝倉勢の近くまで部隊を接近させたりと、浅井・朝倉勢を挑発する行動を見せた。しかし、浅井勢も朝倉勢も応じる事は無く、それぞれ小谷城・大嶽山から出ようとしなかった。この地で雌雄を決する気でいた信長の思惑は外れたが、それでも北近江の地に留まり続けた。

 両軍が睨み合っている間に、月が替わっり八月。何の進展もなく、七日が過ぎた。本陣で父の後ろに座る奇妙丸も、父の狙いが何なのか見定められずにいた。

 元亀三年八月八日、困惑顔をした小姓が本陣に入ってきた。

「申し上げます。我が陣に朝倉家家臣の前波(まえば)義継が駆け込んで参りまして、殿にお目通りを願っておりますが……如何(いかが)致しましょうか?」

 取次の小姓が恐る恐るお伺いを立てると、父は即座に「通せ」と応えた。

 少しして、小姓に伴われる形で前波義継が姿を現した。

「この度、織田家にお仕えしたく参上した次第にございます。何卒(なにとぞ)、お許しを……」

 伏して乞う義継に、父は満足そうに「許す」と述べた。

 さらに、翌九日には富田(とだ)長繁(ながしげ)毛屋(けや)猪介(いのすけ)・戸田与次郎と共に織田家へ投降。譜代の家臣が連日相次いで敵方に降った事は、朝倉家内部に衝撃をもって受け止められた。

 九日夜、奇妙丸は父に訊ねた。

「父上、昨日からの動きはこちらから切り崩したのですか?」

 奇妙丸の問いに、父は満更でもないという表情を見せる。

「戦とは合戦ばかりではない。相手に揺さぶりをかけ、こちらへ引き込めれば敵の数は減り味方は増える。幸い、我が家中には猿や五郎左(ごろうざ)のように、そちらを得手(えて)としている者も居るからな」

 猿こと木下“藤吉郎”秀吉や丹羽“五郎左”長秀は美濃攻めの頃から調略で結果を残してきた。特に、藤吉郎は僅か二十一名で稲葉山城を乗っ取った竹中“半兵衛”重治(しげはる)や斎藤家を支える重臣・西美濃三人衆(稲葉良通(よしみち)・氏家卜全・安藤守就(もりなり))を織田方に引き込む事に成功させ、美濃攻略に多大な貢献を果たしている。

 柴田勝家や佐久間信盛のような武辺者が評価されがちな戦国の世で、敵方に離反を促す寝業(ねわざ)を良しとしない風潮も無い訳ではなかったが、信長は武功と同じように正当な評価をしていた。

「奇妙。腕っ節の強い奴も大事だが、“ここ”を使う奴も大切にしろ」

 そう言いながら父は指で頭をコツコツと叩く。奇妙丸は神妙な面持ちで頭を下げた。

 複数の家臣が離反した後も睨み合いは約一カ月続いたものの、信長は浅井方への押さえの兵を残して九月十六日に横山へ引き揚げた。奇妙丸は初陣から約二月に渡り父に同行したが、書物や座学よりもずっと実りのある時間だった。

 浅井・朝倉と決着をつける事は叶わなかった織田方だったが、敵対する両家の求心力を低下させられたのは収穫だった。しかし、ここまで無風状態だった元亀三年はここから大荒れの展開になっていく事を、この時の奇妙丸はまだ知らなかった……。


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