二 : 立志 - (9) 松姫の文
年が明けて、元亀二年(一五七一年)。信長は岐阜で正月を迎えた。父が戻ってきた事で奇妙丸は城代の任を解かれたが、今は危地から脱しただけで敵対勢力を四方に抱える状況は何一つ変わっていなかった。
一月も十日を過ぎた頃、年賀の行事も粗方済んで日常が戻りつつあった。この日、奇妙丸は自室を整理していた。
何の予定も無い時や夜寝る前の空いた時間に書物を読む事が多くなった。沢彦和尚から『色々な書物を読んで、知識を身に付けておいて損はない』と言われ、読むように努めてきた。その為、部屋の隅には読み終えた書物が何冊も積まれていた。師である沢彦から借りたものもあれば、城の蔵書もある。父は若い頃の振る舞いから“本を読まない”印象を持たれているが、実際は真逆だ。元服前から自分の為になると思った勉学はしっかりと行っており、今でも暇があれば本を読む。最近は南蛮の事について書かれた本を特に好んで読んでいると聞く。
整頓していた奇妙丸は、文机に置いてあった文箱を手に取る。中に入っていたのは……松姫から届いた文だ。
永禄十年に婚約が決まってから四年、奇妙丸と松姫の文通はずっと続いていた。
奇妙丸は作業の手を止めて、松姫から届いた文を箱から出して読み返し始める。最初の頃はまだ幼さを感じさせる筆遣いだったが、近頃は大人顔負けの美しい書体となり、成長がはっきりと分かる。直近の手紙を開いてみると、仄かに香が香る。
松姫の認める文の内容は、主に家族や身の回りの事が多い。特に、四つ上の姉・菊姫は血が繋がっている上に一緒に暮らしているからか、その名が出てくる頻度は高かった。松姫が暮らす躑躅ヶ崎館は多種多様な花が植えられ、四季折々に咲く花で彩られているという。時折、その時に咲いている花を描いた絵が同封される事もあった。
同じ母から生まれた兄の仁科盛信の名も、松姫の文の中で時々出てくる。“五郎兄様”と呼んでいる盛信は弘治三年生まれで、奇しくも奇妙丸と同い年だ。永禄四年に仁科家へ養子に入り、その際に元服。仁科家の通字である“盛”の偏諱を受け継いだ。年に数回会う機会があると言い、「奇妙丸様もこれくらいの年頃かしら……」と思いを重ねる時があるのだとか。
それに対し、自分はどうなのか。最近は父の代わりを務めるようになってから、機密事項などの関係で書ける内容は制限される。『師である沢彦和尚から、こんな事を教わりました』とか『先日頂戴した馬に乗って、どこどこに行きました』とか、そんな感じである。松姫のように、同じ年頃の娘を見て「松姫様はこんな感じかな……?」と思った事は、一度も無い。……熱量の違いに、何となく申し訳ない気持ちになる。
婚約が決まった直後は漠然と捉えていたが、最近この縁談の重要性を認識するようになった。越前攻めで浅井家が敵に転じたのを発端に、織田家は各方面の敵と対峙しなければならなくなった。それでも、唯一の救いは東への手当てをしなくて済む事だ。尾張の東・三河は同盟を結ぶ徳川家で、浅井家のように敵対関係になる心配は無い。それと、美濃の東隣・信濃は武田家の領地だが、こちらも関係は悪くない。奇妙丸と松姫の縁談があるからではなく、信長が信玄に対してかなり心を砕いていた事が大きい。それを象徴するような逸話が『甲陽軍鑑』に記されている。
ある時、信長から信玄へ小袖が送られてきた。その梱包に漆塗りの箱が使われていたのだが、信玄はふと思い立って箱の角を小刀で削ってみた。すると、その箱は漆を何回も重ね塗りをした最高級品だったのだ。梱包一つにまで気を配る対応に、信玄は『武田家への思いは本物だ』と周囲の者達に話した――という内容である。疑い深い信玄の性格と、信玄を何が何でも敵に回したくない信長の必死さが、この一件で分かると思う。
だが、もしも正式に松姫と結ばれたとしても、奇妙丸は政略ありきの結婚にしたくないと考えていた。人と人が結ばれるのも何かの縁、だからこそ大切に愛を育んでいきたいと思っていた。父・信長と義母・濃姫も当初は政略結婚だったが、気が合ったので今でも仲睦まじい夫婦となっている。“美濃の蝮”斎藤道三が討たれて斎藤家との繋がりが切れてからも、濃姫を遠ざける事なく正室の座を変えないのも、気難しい父の愛情の裏返しとも言える。
(私も、頑張らないといけないな)
松姫の手紙を読み返していた奇妙丸は、改めて気持ちを引き締め直した。松姫は自分の事を意識していたり努力を重ねたりしているのに、私は欠けているとまではいかないが疎かにしている部分はあった。まずは意識するところから始めよう、と奇妙丸は心に決めた。
広げていた手紙を畳むと、大事そうに文箱へまた戻した。それから、書庫から借りっぱなしになっていた本を返すべく、本を抱える。
気持ちの整理は、まず部屋を片付けてから。奇妙丸は抱えた本と共に、書庫へ向けて歩き出した。




