二 : 立志 - (7) もしもの時
同盟を結んでいた浅井家が離反して後方から襲う用意をしている――この報せを受けた信長は即座に撤退を決断。途中、敵か味方か区別がつかない近江国国人の朽木元網を松永久秀が説得した甲斐もあり、朽木経由で琵琶湖西岸沿いを突き進んだ信長は四月三十日に京へ戻った。この時、連れていた供は僅か十人程度だったという。織田勢は殿を任されていた部隊を中心に少なからず損害を出したものの、大半の者は無事に生還している。
信長は命からがら帰ってきたのを曖にも出さず、帰京翌日の五月一日に改修中の御所を視察するなど健在ぶりを顕示。五月九日に敗戦からの立て直しを図るべく京を発って岐阜へ向かったが――。
五月二十一日。部屋で書物を読んでいた奇妙丸は、場内が俄かに騒がしくなったのを感じた。何かあったのかと思っていると、奇妙丸の部屋へ歩いてくる足音が聞こえてきた。
「おぉ!! 新左ではないか!! 無事だったか!」
近付いてきた人物の正体が分かると、奇妙丸は思わず声を上げた。姿を現した新左は鎧を脱いでないので、帰城して直ぐに訪ねて来たのだろう。それはそれで嬉しいが、無事に帰って来てくれたのが何よりも喜ばしい事だった。
ただ、新左は堅い表情をしていて、人目を憚るように声を潜めながら言った。
「若。御屋形様がお呼びです」
「何、父上が……?」
新左の言葉に、奇妙丸の顔色が瞬時に変わる。その恰好から分かる通り、父も今し方戻ってきたばかりの筈だ。浅井家の離反で情勢が大きく変化した中、優先順位が低い自分がどうして亥の一番に呼ばれたのか……奇妙丸にはさっぱり分からなかった。
「分かった。直ぐに行く」
理由は掴めないが、時が惜しいのは年若な奇妙丸でも理解出来る。直ちに父が待つ場所へ向かう。
新左に連れられて向かった先は、大広間。先日、義母・濃姫に呼ばれた時と同じ部屋だ。
父・信長は鎧を脱いだ状態で、上座に一人片膝をついて座っていた。背は丸まり、虚ろな目で床を見つめるその姿は、普段の威厳に満ちた姿とはかけ離れていた。
「……奇妙か」
こちらに気付いた父が声を発した。その声も弱く、張りがない。しかし、丸まった背をスッと伸ばし、瞳に生気が戻った。
父が目配せすると、新左は部屋の外に出て扉を閉めた。これで、親子二人きりとなった。
「……」
奇妙丸は、遠慮して部屋に入ってすぐの所に腰を下ろした。すると、父は「近う」と言ってきたので少し近付く。ただ、まだ遠かったのか父は再度「近う」と言ったので部屋の真ん中まで移動する。それでも「もっと」と言ったので、思い切って父の手が届くくらいの距離までズイッと寄せる。本来の作法では御法度であるが、父は咎めるどころか満足している様子だ。
「聞いたぞ。俺が不在の間に代わりを務めたんだな」
父の言葉に、奇妙丸は体を強張らせる。非常事態とは言え、元服を済ませていない自分が勝手な事をしたと怒っているのか。それを糺す為に呼ばれたのかも……。
分を弁えない振る舞いをした事を謝ろうと奇妙丸が頭を下げかけた時、父が口を開いた。
「――よくやってくれた。感謝する」
全く予想していなかった台詞に、奇妙丸は反射的に顔を上げる。あの父の口から、そんな言葉が出てくるなんて信じられなかった。
「……勝手な事をしたと、怒らないのですか?」
「……? 怒るものか。それどころか、俺が至らないばかりに迷惑をかけて済まないと思っている」
奇妙丸が恐る恐る訊ねると、父は気まずそうに頭を掻いた。こんな顔をする父を目にするのは、初めてかも知れない。
稍あって、父は奇妙丸に向き直ってから話し始めた。
「今日呼んだのは、俺に何かあった時の為に伝えておかないといけない事があるからだ」
唐突に切り出された内容に、奇妙丸は大変驚いた。まるで、自分が死ぬ可能性があるのを見越して先手を打つみたいだ。
こちらの感情が顔に出ていたのか、父は後ろに置いてあった陣羽織を手に取ると奇妙丸に見せる。見せられた陣羽織は、胸の辺りに何かが掠めたような痕がついていた。
「京から岐阜に帰る途中、鉄砲で撃たれた。幸い、掠り傷で済んだが、もう少しズレていたら俺の命は無かった」
淡々とした口調で明かされた事実に、奇妙丸は衝撃で息を呑んだ。
思いがけない展開で敗走を強いられた信長は、この状況を挽回すべく一度岐阜へ戻って態勢を整えようと考えた。しかし、京から岐阜へ向かう南近江は敵に転じた浅井家の影響もあり通れない。そこで信長は近江南部の山岳地帯を抜けて伊勢方面へ向かう千草越えで迂回して岐阜へ向かおうとしたのだが……五月十九日、見通しの利かない箇所を通過している最中、狙撃されたのだ! 狙撃したのは杉谷善住坊、腕利きの鉄砲の放ち手だが素性は定かではない。凡そ十三間(約二十四メートル)の距離から二発撃たれたが、どちらも体を掠めた程度で大事に至らなかった。
父が居住まいを正す。奇妙丸も父の話を一語一句も聞き漏らすまいと集中する。
「まず一点」
そこで言葉を区切る父。次に出てくる言葉は何か。全身を耳のようにして待つ奇妙丸。
「……これから暫くは岐阜へ帰るのが難しくなる。その間の留守を、託したい」
即ち、正式に城代を任されたという事だ。ただ、実質的な決定は義母・濃姫や留守居の家臣が行うので、形の上ではあるが。それでも、浅井家に侵攻の兆しがあったり織田方の動向に変化があったりした場合には必ず同席して決定に至る経緯を見届けられる。時には意見を求められる事も想定され、座学や書見で学ぶよりも遥かに実りある経験が得られる筈だ。
「それと、もう一点。もし万が一にも俺が討たれ、この城に敵が迫るような事があれば――」
父が口にした内容に、身を硬くする奇妙丸。『不吉な事を言わないで欲しい』なんて甘い考えは一切無い。最悪の事態を想定して話をしてくれた方が“どう動くべきか”を具体的に想像が出来る。
次に出てくる台詞は何か。奇妙丸が固唾を呑んで父の言葉が発せられるのを待つ。
一拍の間が、とても長く感じられた。父は真剣な眼差しのまま、告げた。
「――岐阜を捨て、清州へ落ち延びよ。そこにも敵の手が迫るようなら、さらに東へ逃げろ。そして、いよいよ進退窮まるような事態が訪れた時には、徳川殿を頼れ。あの方は世間に“律義者”で通っている。無碍に扱う事はあるまい」
父の言葉に、奇妙丸はキョトンとした顔になった。思っていた台詞と全く違って、その落差の大きさに思考が追い付かなかった。
「……どうした、そんな顔をして」
息子が目を点にして固まっているのを見た父が声を掛けると、奇妙丸は率直に自分の気持ちを明かした。
「いえ……私はてっきり『武家に生まれた者として、見苦しい真似はするな』と戒められるものとばかり思ってましたので……」
「俺が『生き恥を晒すな』とでも言うと思ったか? 安直に死へ逃げるなど馬鹿げている。命を永らえておけばこそ挽回する機会が巡って来るというのに」
父はフンと鼻を鳴らすと、吐き捨てるように言った。
「もう一度言っておく。人間、死ねばそれまでだが、生きていれば挽回する事が出来る。恥を嫌って死に逃げるなど軟弱者のする事ぞ。真の強者は恥や汚名に耐え、生きる事を今際の際まで諦めず粘る人である。……腹を切るなどいつでも出来る。醜くても構わん。最後まで生き残った者こそ勝者なのだ。この事、よく心に留めておけ」
「……はい」
今の話、特に『安直に死へ逃げるなど、馬鹿げている』という言葉は、奇妙丸の胸に深く刺さった。
死ねば恥を晒さずに済むが、その時点から永久に恥を取り返す事が出来なくなる。恥で人心が離れるとも聞くが、余計酷い負け方をしなければ後ろ指を指される事は無い。武家に仕えていた者が武運拙く滅んで農民になったとしても、それを恥だと言う者がどれだけ居るだろうか。仮に家を滅ぼされても血筋の者が生き残っていれば御家再興の旗印になれる。大切なのは、恥を忍んでいる間も捲土重来を期す気持ちを抱き続ける事だ。
「俺を見ろ。幼い頃から常識を疑い、中身の無い事を嫌い、合理性や機能性を追求した結果、『信長は大うつけだ』と周辺諸国に悪名が知れ渡った。だが、今やどうだ。皆が『うつけだ』と見下していた連中は俺の軍門に降り、それどころか公方様を担いで京に上り、幕府にも朝廷にも一目置かれる存在になった。これだけは言える。恥など気にしておったら、今の俺は無かった。……だから、失敗を怖がるな。恥を掻く事を恐れるな。失敗したら次は同じ過ちを犯さないようにすればいい。周囲から何と言われようが、奴等は自分の中の物差しで好き勝手な事を押し付けているに過ぎない。“自分”という芯をしっかり持ち続けろ」
確かに、『俺を見ろ』という言葉は説得力がある。家臣の離反が相次ぎながらも家督争いを勝ち抜き、幾度も失敗を重ねながらも挫けずに挑み続けた末に美濃を手に入れ、現在では尾張から畿内一円に至る版図を治めるまでに成長した。“うつけ”と嘲っていた者達には、今日の信長の姿を想像もつかないだろう。
奇妙丸の目から見て、今日の父はいつになく饒舌に映った。普段はあまり多くを語らないのに、今日は自分の言葉でありのままを伝えようとしている。
「……何か聞きたい事はないか?」
父から訊ねられた奇妙丸は、パッと思いついた質問を思い切ってぶつけてみることにした。
「これからの戦、勝ち目はあるのでしょうか?」
あまりに子どもじみた質問だと、自分でも分かっている。けれど、問わずにいられなかった。順調に階段を上るように影響力を拡大させていた織田家だったが、この二月の間に盟友だった浅井家の離反をキッカケに急転してしまった。先行きが全く見通せない状況で、奇妙丸自身も無意識の内に不安を抱いていたのだろう。
稚拙な質問で斥けられてもおかしくないのに、父は大真面目な表情で考え込んで、やがて絞り出すように答えた。
「……分からん」
言うなり、父は頭の後方をガリガリと乱暴に搔く。その顔は苦渋に満ちている。
さらに、父は続ける。
「正直な話、浅井が敵に回ったのはかなり痛い。美濃と京を結ぶ南近江を押さえられ、往来するのも難渋する始末。この状況は一刻も早く取り除きたい。京または畿内で一朝事あった時に間に合わないという事態は、何としても避けなければならぬ」
京と美濃を結ぶ南近江は織田家にとって生命線だ。阿波の三好三人衆や大和の筒井順慶など、畿内には不安材料がまだ残されている。不測の事態が起きた場合に駆け付けられないとなれば、畿内における影響力の低下に直結する。また、今は臣従している国人達も頼みの信長がすぐに来れないとなると、敵方に転じる恐れが出てくる。その為、京に通ずる道を確保する観点から、浅井家への対処が最優先課題となる。
「畿内、特に京は是が非でも守らねばならぬ。京を握っているからこそ我等は優位に立てているのだ。もしも奪われるような事があれば、一気に状況は引っ繰り返る。三好家の轍を踏む訳にはいかない」
三好家は阿波守護である細川家の守護代の家柄だったが、長慶の代になると阿波から畿内に進出すると着実に勢力を拡大。信長と同じく堺の経済力に着目した長慶は、堺から莫大な運上金を元手に軍事力を増強。主家細川家のみならず弱体化した足利将軍家をも凌ぎ、時の権力者として君臨するまでになった。最盛期には阿波だけでなく畿内・丹波・大和・讃岐・播磨・淡路にまで及ぶ一大版図を築いている。
しかし、長慶を支えていた優秀な弟達が次々と亡くなり、それに追い打ちをかけるように跡継ぎの三好義興が二十二歳の若さで早世。相次ぐ一族の死に心を痛めた長慶は心身に病を患い、思慮に欠けるようになる。そうした中、唯一存命だった弟が“謀叛を企んでいる”とする讒言を真に受けた長慶は、その弟を殺してしまった。自らの軽率な行いをとても後悔した長慶の病状はさらに悪化、約二月後に死去した。享年四十三。
長慶の死後、弟の子で養嗣子となった義継が家督を継いだが、当時まだ十六歳と若年だった事もあり三好家を長年支えてきた三好三人衆が後見人となり、同じく重臣の松永久秀が補佐していく体制が取られた。しかし、三好三人衆と松永久秀の間で勢力争いが勃発すると、徐々に三好家も衰退の一途を辿っていく。当初こそ三好三人衆に加担した義継だったが、三人衆の専横に嫌気が差して松永久秀の側に転じるなど、三好家内部は混沌としていった。畿内及び京での影響力がほぼ消滅した時期と重なるように、信長が義昭を擁して上洛の動きを見せる。義継は久秀と共に信長と連携、河内北半国を安堵された。一時は隆盛を極めた三好家だったが、傑物の長慶を失うと坂道を転げ落ちるように凋落してしまい、今では見る影もなかった。
今の織田家は、当時の三好家と類似している点が多い。地方の大名が上洛、当主は傑物、跡継ぎはまだ若い等々。決定的に異なるのは、当主を支える弟が居るか居ないか、くらいか。似通うからこそ、ここが切所であると信長は自覚していた。
ここで、奇妙丸は以前沢彦和尚から聞いた話をふと思い出した。
「……京を手放せないのは、帝が居わすからですか?」
「そうだ。加えて、今は公方も居る」
奇妙丸が訊ねると、父は間を置かず答えた。
帝の勅や綸旨は絶対であり、従わない場合は朝敵として討伐の対象になる。つまり、帝から“命令に従わないから倒しても構わない”とお墨付きを頂いた事に等しい。将軍も武力を失ったものの武士の頂点に立つ者として全国の大名達への影響力を保持していた。現将軍の足利義昭も自前の兵は持ってないが、大名間の争いを仲裁するなど発言権は有していた。帝と将軍の居る京を押さえている限りは、敵対勢力を“帝と将軍を脅かす不届き者”として討つ大義名分を得る事が出来る。尤も、京を追われれば逆に“帝や公方の意向を無視し、専横を極めた不忠者”の烙印を押され、逆襲されるのだが。
「家中には『畿内と美濃を分断された状況で、兵力を二分させるのは好ましくない。ここは一旦畿内から引き揚げ、また時期を見て取り返せばいい』とほざく奴がおる。阿呆か。上洛戦というのは相応の大義名分と充分な準備が必要なのだ。田舎の領土を攻め取るのとは訳が違うのを何故分からないのか」
二人きりという事もあり、苛立たしく毒づく父。
都から離れれば、それが戦略的撤退だったとしても人々は“都落ちだ”と捉える。落ち目という印象を植え付けられるのは致命的な痛手だ。落ち目と知れば臣従していた国人達に動揺を与え、敵対勢力からは“今こそ徹底的に叩く好機”と勢いづく。良い事など一つも無いのだ。
「……奇妙。その話、誰から聞いた?」
「沢彦和尚から教わりました。『京を押さえれば、分かりやすい大義名分が手に出来る』と」
奇妙丸の返答を聞いて、父は「ククク……」と笑う。
「そうか、和尚か。……他に何か言ってなかったか」
「確か、帝や公家達のことを『権力だけが頼りの世界を生きる者』と評しておりました」
「やはり、な。あの和尚らしい直截な物言いよ」
奇妙丸の言葉に、父は笑みを零した。大分、生気が甦ってきたように思う。
それから父は息を一つ吐くと、「奇妙よ」と声を掛ける。
「俺は、やるぞ。負けたままで終われるか。この苦しい状況、何としても勝ってやる」
力強い言葉で宣言する父。その姿は一大勢力を築いた織田家当主ではなく、一人の父親として息子に語り掛けているようだった。
そして、奇妙丸もそんな父を目の当たりにして、不安より安心する気持ちが大きかった。
金ヶ崎の戦いで思わぬ敗走を強いられた織田方だったが、大半の将兵は無事に帰還したのもあり依然健在だった。信長は南近江の各所に家臣を配置し、不測の事態に備えた。琵琶湖東岸から美濃の国境付近までは浅井家の支配地で、それを挟んで東西に分断される形だ。そうした状況の中、甲賀郡に逃れていた六角承禎・義治父子が仇敵である浅井家と手を結び復権を狙おうとしていた。
元亀元年六月、柴田勝家が守る長光寺城が六角勢に包囲された。勝家は籠城を選択したが、六角勢によって水の手を絶たれてしまい、絶体絶命の窮地に立たされた。追い詰められた勝家は、十五日に城内で残された水が入った三つの甕を将兵達の前に並べ、「このまま渇え死ぬくらいなら、城を打って出て華々しく散ろうではないか」と提案。将兵が賛同すると、勝家は三つの甕を全て叩き割り、退路を断った。翌十六日、柴田勢は城から出て敵中に突撃すると、決死の猛攻に六角勢はタジタジになり退却していった。この逸話から勝家は“瓶割り柴田”“鬼柴田”の異名で敵から恐れられるようになる。
反転攻勢に出た六角勢だったが、長光寺城を落とせなかっただけでなく野洲河原の戦いでも敗れた事もあり、旧領回復の目途は一向に立たなかった。没落後も六角家に付き従っていた国人達も度重なる敗戦に見切りをつけ、織田家に降る者が後を絶たなかった。
織田家の味方から敵に転じた浅井家も、美濃との国境付近にある長比・苅安尾の両城を修築して守りを固めると同時に、美濃へ侵攻して垂井・赤坂周辺を放火する示威行為を行った。対する織田方も、木下“藤吉郎”秀吉の与力に付けていた竹中“半兵衛”重治が長比城を任されていた樋口直房を調略。直房が後見人を務めていた堀秀村も誘い、長比・苅安尾の両城を織田方のものとした。これを受け、信長は六月十九日に岐阜を出陣、同日中に長比城へ入った。一先ずは京と美濃を結ぶ道を確保したことになる。
六月二十一日、虎御前山に布陣した信長は家臣達に命じて浅井長政の居城である小谷城の城下を焼き払った。二十四日、織田方は小谷城の南にある浅井方の重要拠点である横山城を包囲。同じ頃、織田方に徳川家康が、浅井方に朝倉景健が援軍として到着。両軍は姉川を挟んで睨み合いとなった。
そして――六月二十八日、徳川勢が対岸の朝倉勢に攻撃を仕掛けたことを皮切りに、戦端が開かれた。当初は数で劣る浅井勢が倍以上の織田勢を相手に猛攻を仕掛け、織田方は十三段の構えの内の十一段まで崩されて一時は信長の本陣手前まで迫られた。一方で徳川勢と朝倉勢は一進一退の攻防が続いていたが、徳川勢の別動隊を率いた榊原康政の手勢が朝倉勢の横腹を突いた事で形勢は一気に徳川勢に傾き、立て直しは困難と悟った朝倉勢は兵を退いた。朝倉勢の退却に加え、徳川勢の援軍に付けられていた稲葉一鉄が苦戦を強いられていた本軍に加勢、さらに横山城の押さえに付けていた部隊の一部も駆け付け、浅井勢もこれ以上の抗戦は難しいと判断、長政も兵を退かざるを得なかった。この姉川の戦いに勝利した織田勢は横山城を奪取、京と美濃を結ぶ経路を完全に取り返す事も成功した。
浅井方は、失った横山城が楔となり南近江へ侵攻する事が難しくなった。信長はこの重要な城を木下藤吉郎に任せ、浅井家の動きを監視・牽制させる役割を与えた。
姉川の合戦に勝利した一報を聞いた奇妙丸は、ふと先日二人きりで話した時の父が見せた顔を思い浮かべた。
(……本当に勝ったんだ)
約束した訳ではないが、あの時口にした事を本当に有言実行した。それは奇妙丸にとって、率直に嬉しかった。
同時に、本当の父が分からなくなった。威厳に満ちた父、温かみのある父、魂が抜け落ちたような父、気まずさから退散していく父、真剣な表情で仕事をする父……数え切れないくらいに様々な顔を見せる。どれが本当の父の姿なのか、奇妙丸は知りたくもあり、知りたくもなかった。




