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二 : 立志 - (6) 変風

 永禄十三年四月二十日。将軍足利義昭による再三の上洛要請に応じない若狭の武田元明を討伐すべく、信長は約三万の兵を率いて京から出陣。ただ、元明は若狭一国を治めているものの没落の一途を辿っており、さらに若狭遠征に同盟相手である徳川家康が加わっていた事から、“別の思惑があるのでは?”と勘繰る者も居た。なお、信長が出陣してから三日後の二十三日には足利義昭の奏請(そうせい)により、元号が“永禄”から“元亀(げんき)”に改元となっている。

 元亀元年(一五七〇年)四月二十五日。織田・徳川連合軍は突如矛先を若狭の武田家から越前の朝倉家に変えた。同日には天筒山城を、翌二十六日には金ヶ崎城を攻略し、僅か二日で敦賀郡を掌握した。予期せぬ攻撃に慌てた朝倉方は木ノ芽峠に防衛線を敷き、一ノ谷への進軍を断固阻止する構えを見せた。

 信長の狙いは、当初から朝倉家だった。永禄十一年の上洛戦でも足利義昭を通じて朝倉家に協力を依頼したが、当主義景はこれを無視。その後も義昭の命で上洛を促したが、何れも拒否。上洛すれば信長の下に降る事になり、義景としては絶対に受け入れられなかった。その為、度重なる要請に応じようとしなかった朝倉家を『将軍の命に従わぬ不忠者』として成敗する大義名分を掲げ、越前に攻め込んだ次第である。

 意表を突いた事もあり織田方は優勢に戦を進めていたのだが――。

 四月二十六日、夜。奇妙丸は義母・濃姫に呼ばれた。ただ、呼びに来たのが濃姫付の女中ではなく伝兵衛だったのが少し気にはなかった。

 案内されたのは、父や濃姫が生活している奥ではなく大広間。奇妙丸が到着した時には既に濃姫は上座に座っており、他に留守居の家臣が二人同席している。いつも(ほが)らかな義母には珍しく、厳しい表情をしていた。

 何か、おかしい。張り詰めた空気の中で奇妙丸が濃姫の隣に着座したのをキッカケに、濃姫が口を開いた。

「この者は、浅井家に嫁いだお市様に仕える者です」

 濃姫が説明すると、控えていた女性は真っ青な顔のまま話し始めた。

「……新九郎様が、朝倉方につくと申され、兵を……」

 たどたどしく明かした内容に、居並ぶ面々の顔が強張る。

 浅井家と朝倉家は、浅からぬ関係にあった。

 長政の祖父・亮政は京極家の内紛により台頭したが、六角家の侵攻に押され劣勢に立たされていた。苦境にある亮政が頼ったのが、北の朝倉家だった。朝倉家が治める越前国は日本有数の米どころのみならず、豊富な海産資源、日本海側最大の荷揚げ量を誇る敦賀港など、石高以上に豊かな国だった。その豊かさを土台にした強さを持つ朝倉家に、亮政は活路を見出した。朝倉家の助力を得たお蔭で、浅井家は六角家の侵攻に耐える事が出来たのである。亮政が死去して凡愚な久政が家督を継ぐと六角家の攻勢に屈してしまうが、代替わりして長政が当主になると六角家に対抗すべく再び朝倉家に助力を乞うた。今の浅井家があるのは、(ひとえ)に朝倉家の支援があったからに他ならない。その為、浅井家が織田家と同盟を結ぶに当たり、信長に『朝倉家には手を出さない』旨の約束をした……とされる。信長も浅井家が朝倉家に対して一方(ひとかた)ならぬ恩義を感じている事は重々承知していた。だからこそ、今回の出兵では敢えて浅井家へ事前に知らせなかった。関知させなかったのは浅井家が“朝倉家を裏切った訳ではない”という信長なりの配慮だったのかも知れない。

 信長がもう一つ見誤ったのは、長政の父・久政の影響力だ。

 先述した通り、家臣達から半強制的に当主の座から追われて竹生島へ幽閉された久政だが、後に浅井家へ復帰している。隠居しており実権は長政が握っていたものの、久政を支持する者は家中の中で少なからず存在しており息子の長政へ発言権を持っていた。長政も自分より器量で劣る父をぞんざいに扱う訳にもいかず、意見に耳を傾ける事もあった。今回の件でも久政は長年に渡る朝倉家への恩義を説き、「今こそ窮地に立たされる朝倉家を救うべきだ」と声高に主張した。これが信長なら実の親だろうと隠居した者の意見と突っ()ねるだろうが、長政は非情に徹しきれなかった。

 家中も朝倉派と織田派で意見が真っ二つに割れ、長政は究極の選択を迫られた。悩みに悩み抜いた末に出した長政は、織田家と手を切って朝倉家に味方する事を選んだ。

「お市様から、何か言付(ことづ)かった事はありますか?」

 一同が衝撃のあまり言葉を失う中、濃姫は訊ねた。女性は一瞬言うべきか逡巡する仕草を見せたが、やがて重い口を開いた。

「……一点だけ。『離縁は致しません』と」

「……左様ですか」

 女性から伝えられ、濃姫は淡々と答えた。

 戦国時代において、大名間の婚姻は政略の色合いが濃かった。両家の結び付きを強めるだけでなく、嫁は人質の側面も持っていた。もしも嫁の実家が嫁ぎ先への敵対行為を行えば、離縁した上で実家へ送り返すか最悪の場合は見せしめの為に(はりつけ)に処する場合もあった。逆に、嫁ぎ先が嫁の実家を攻めた際には嫁の方から離縁を申し出て実家に帰る事も十分に有り得た。どちらにしても、『貴家(きか)とは仲良く出来ない』という強烈な意思表示に他ならなかった。

 それから、嫁は両家を繋ぐ(かすがい)であると同時に、嫁ぎ先の情報を実家へ流す間諜(かんちょう)の役割も担っていた。嫁が輿入れする際は実家から大勢の御付(おつ)きの者を連れて来るが、間者(かんじゃ)が紛れ込んでいても不思議でなかった。今回も浅井家の異変を察知した市が織田家に知らせるべく、女性を送り出したのだ。

 お市が離縁しないと告げたのは『私は浅井家の人間として生きていく』と表明したのも同然だが、もしかすると浅井家の内情を秘かに織田家へ流す間諜になる可能性も僅かながらに考えられた。尤も、浅井家の人間として生きていく市が敵方を利する行いをするとは思えないが……。

「……ご苦労でした。貴女も急いで来てさぞ疲れたでしょう。お休みになりなさい」

 濃姫が労いの言葉を掛けると、女性は一礼してから下がっていった。

 部屋に残されたのは、濃姫と留守居役の二人、それに奇妙丸。女性の足音が聞こえなくなるのを待ち、濃姫が声を発した。

「聞きましたね」

 その問いに、留守居役の二人は無言で頷いた。さらに濃姫は続ける。

「今、浅井家が兵を挙げたとなれば、朝倉家と結託して挟み撃ちにする算段なのでしょう。当面はこちらへ兵を差し向ける事は無いでしょうが、警戒はせねばなりません。近江との国境(くにざかい)に急ぎ兵を置きなさい。……但し、こちらから相手を刺激しないように」

「承知致しました」

 毅然(きぜん)とした態度で濃姫が命じると、留守居役の二人は恭しく頭を垂れた。兵の差配をすべく留守居役の二人が辞していった後、奇妙丸は濃姫に話し掛けた。

「……義母上、一つお訊ねしてもよろしいですか?」

「えぇ。何でしょうか」

「どうして、私をこの場に同席させたのですか?」

 話を聞き終えて湧いてきた疑問を、率直にぶつける。

 奇妙丸は現在十四歳。織田家の嫡男であり、元服していてもおかしくない年齢だ。御家の未来を左右する場に居合わせていても何ら問題は無い。一方で……まだ成人していない自分が居てもいいものか? と思う部分もあった。元服しているかいないかで扱いが全然違うし、発言の重みも雲泥の差がある。濃姫は、何故子ども同然の私を呼んだのだろうか。

 すると、濃姫は体を奇妙丸の方に向けて、はっきりと告げた。

「愚問ですね。それは奇妙丸殿が次の当主になられるからです」

 さも当然といった風に断言した濃姫は、奇妙丸の両目をしっかりと捉えながら続ける。

「武家は、例えるなら大きな船。当主は船頭で、家臣は乗組員。船というのは、常に穏やかな海で追い風を受けて進む訳ではありません。(なぎ)であったり時化(しけ)であったり、潮が進みたい方角と違っていたり、向かい風だったり。でも、どんな状況でも進まねばなりません。さもなければ沈みます。沈めば一族郎党皆道連れ。そんな辛い思いをさせたくないから、皆必死に進もうとしているのです。難しい事、苦しい事、辛い事は出来るだけ早く、若い内から経験しておくべきと妾は考えます。経験しておけば、次に似たような事が起きた時に対処の仕方が分かったり、選択の幅が増えるからです。……まぁ、これは殿の受け売りですが」

 そう言うと、濃姫はペロッと舌を少しだけ出した。その仕草は、まるで悪戯(いたずら)を親に見つかった時の童みたいだ。よくよく考えてみれば、内陸の美濃で生まれ育った濃姫が船を例えに話すのは不自然ではある。

 ただ、すぐに表情を引き締めた濃姫は噛んで含めるように言った。

「……殿が不在の間は、例え元服前であろうと嫡男が代わりを務めねばなりません。殿がお戻りになられるまでは、必ず奇妙丸殿をお呼び致しますので、そのつもりでいて下さい」

 父の代わり。その言葉を耳にした瞬間、奇妙丸の心にズシリと重たいものが圧し掛かったような気がした。嫡男だから、跡継ぎだからと常々言われてきたし頭の片隅にはあったが、いざ現実に突き付けられるとこれ程までの重圧を感じるとは思ってもいなかった。……覚悟がまだまだ足りなかった、と今痛切に感じていた。

「……畏まりました」

 突如降り掛かった重責に()し潰されそうだが、反面で“やり遂げなければならない”と奮い立つ自分が居た。父が帰って来るまで何とか守り抜いてみせる、そんな熱い思いが心の内に点火するなんて、自分自身思ってもいなかった。しかし、これも嫡男としての宿命と捉え、前向きに受け止めようと奇妙丸はしていた。

 その決意が顔に表れていたのか、濃姫は頼もしそうな眼差しでうんうんと頷いていた。


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