二 : 立志 - (5) 加納の市
永禄十一年九月に織田信長が上洛を果たしてから、畿内の情勢は平穏が続いていた。永禄十二年の年初に信長が京を離れた隙を突いて三好三人衆が足利義昭の座所としていた本圀寺を襲撃する想定外の事態はあったが、その後は京を含めた畿内一円は落ち着いていた。応仁の乱以降ずっと権力争いが常態化していた情勢が劇的に改善したのは、何と言っても信長の影響が大きかった。
上洛した信長は圧倒的な大軍勢で畿内を席巻、三好三人衆を始めとする敵対勢力を一掃した。その後も先述した本圀寺襲撃に三好三人衆へ肩入れしている堺の会合衆の一部が噛んでいると分かると、堺に代官を配置し直轄領にして影響力を削いだ。また、本圀寺襲撃で“公方ともあろう御方がいつまでも仮住まいではよろしくない”と思った信長は、二条に義昭の御所となる城の築城に着手。一月に始まった作事は驚異的な早さで進められ、四月に完成した。早さだけでなく防御面を考慮して石垣が組まれ、細川藤賢邸にあった“藤戸石”が搬入されるなど、将軍の座所に相応しい様相だった。また、信長が上洛した直後には有力な家臣を京都奉行に任じ、治安維持や治政・幕府や朝廷との調整を担った。その後、家臣の村井貞勝を京都所司代に任じ、京の行政を一任している。
第十五代将軍の足利義昭は時の権力者である織田信長の威光もあり、過去数代に渡り続いた不安定な政情とは無縁に思えたが……徐々に、両者の間に隙間風が吹き始めた。
足利将軍家を頂点に、全国の諸大名を従える形を思い描く義昭。対して、“天下布武”を掲げ織田家による天下統一を目指す信長。足利将軍家の臣下に組み入れたい義昭と、将軍家の枠組みに捉われたくない信長。両者の方向性の違いから、少しずつ関係が冷え込んでいった。義昭は幕府の再興を図るべく、信長に無断で家臣に知行地を宛がったり各地の大名へ文を送ったりして、存在感を高めようと水面下で動いていた。
これに対し、信長は永禄十二年一月十四日に殿中御掟九か条を、その二日後に七か条を追加で突きつけた。この計十六か条は義昭の権限を制約するもので、『俺に黙って勝手な事をするな』と言ってるも同然だった。信長の後ろ盾なくして幕府を維持する事は不可能な状況であり、義昭は信長の要求を呑まざるを得なかった。翌永禄十三年(一五七〇年)一月二十三日にはさらに五か条が追加され、これも義昭は承諾した。今回追加されたものは義昭の将軍としての政事権限を厳しく制限する内容で、特に四つ目の条文に至っては『天下の儀、何様にも信長に仕置かるるの上は、誰々によらず、上意を得るに及ばず、分割次第に申し付くべき事』とあり、“信長は将軍の許しを得ずに好き勝手やっていい”と認めさせる内容だった。
義昭と信長の間に生まれた溝は日一日と深まっていくが、奇妙丸には与り知らぬ事だった。
永禄十三年二月のある日。奇妙丸は新左を連れて岐阜城下の加納に出た。数日前に降った雪が屋根の上や道の端に残る中、二人は市を見て回った
「この寒い中でも、なかなかの活気だな」
吐く息が白く曇りながらも、ウキウキとした口調で話し掛ける奇妙丸。
南蛮船が入港する一大商業都市の堺と比べれば霞むが、清州や京を凌ぐ勢いだ。軒を連ねる商家もそうだが、訪れる人の数も多い。あちこちで呼び掛ける声が飛び交い、とても賑わっていた。
「御屋形様が発布された“楽市楽座令”で、皆が自由に商売が出来るようになった影響が大きいのでしょう」
この時代、市が開かれる場所で商売を行う場合、土地の所有者に場所代を払わなければならなかった。また、店を出す時には必ず組合(座)に属さねばならず、属してない者は出店を許されなかった。信長は美濃国を巡る戦乱で疲弊した民に向け、永禄十年十月に村落へ帰住するよう促す制札と共に、加納に“楽市場”の制札を出した。この“楽市場”は所有者に支払う場所代を不要とし、誰でも自由に商いが出来るようにした。さらに翌永禄十一年九月にも加納に制札を出し、“楽市楽座”の文言を用いて自由な商売を奨励させた。
加えて、信長は領内の関所を撤廃し、道や橋を整備するなど人々の往来が円滑に行えるようにした事で、さらに人や物が集まるようにになった。当時は売値に輸送途中で生じる関銭や場所代、組合に支払う手間賃などが上乗せされ、割高な値段となっていた。それを信長は“楽市楽座”や関の撤廃で様々な手数料を減らし、物の価格が下がった事で民も恩恵を受けられ、売る側も買う側も喜ぶ仕組みを作り出したのである。ちなみに、“楽市楽座”は信長が始めた印象が強いが、天文十八年に近江国の六角定頼が居城観音寺城の城下町・石寺に楽市令を布いたのが初見とされる。
岐阜城は元々稲葉山城と呼ばれ、天文二年(一五三三年)に長井“新九郎”規秀(後の斎藤道三)が城主となり、六年後の天文八年(一五三九年)から本格的な城造りに着手。以降、稲葉山城は国主斎藤家の居城として、城下町の井ノ口・加納は発展していった。永禄十年八月に信長が斎藤家を滅ぼすと、それまでの居城だった小牧山城から転居。沢彦の薦めもあり“岐阜”と改めた。信長は尾張・美濃の二ヶ国を領する大名に相応しい城にすべく、岐阜城の改修に乗り出した。城下町の岐阜・加納もさらなる発展を目指し、“楽市楽座令”を布いて人や物を呼び込もうとした。
「上洛を果たして凡そ二年。美濃と京は南近江を通して一つに結ばれました。京は一大消費地、尾張や美濃の物を円滑に供給する事で利益が生まれます。また、京の工芸品や堺に陸揚げされた南蛮渡来の品々が岐阜・清州に届けば、新たな商機が見込まれます。相乗効果も期待され、織田家にさらなる富をもたらすかも知れません」
京は帝が御座す国の都、堺は京に近く海外からの船が入港する一大商業都市、奈良は古刹が数多くある土地。大和を含めた畿内は国の中心地であり最大の文化都市圏であった。先述した地域は各地方から人が集まる関係上、どうしても生産より消費が上回ってしまう。そこで、他の地域より高値で取引されている食料品を美濃や尾張から速やか且つ大量に運べば……輸送に掛かる経費を差し引いても十分に儲ける事は可能だ。反対に、京や堺など流行の最先端の品を美濃や尾張に持ち込めば、こちらも利益を上げる事が見込める。民が潤えば国力は上がり、巡り巡って織田家の繁栄に結び付く訳だ。
「しかし、南近江はまだ六角の残党も居ると聞いている。それは大丈夫なのか?」
永禄十一年の上洛戦で六角勢を鎧袖一触で斥けたが、六角承禎・義治父子は近江南部の甲賀郡に落ち延びて未だ健在だった。甲賀郡は山深い地域で伊賀と並び忍びを多数輩出しており、容易に手を出せなかった。現在まで六角の残党の動きが活発になったとは聞いていないが、一抹の不安はあった。
「その点につきましては心配に及びません」
奇妙丸の懸念にも、新左は気にも留めない様子で答えた。
「ご指摘の通り、六角承禎・義治父子は存命です。されど、先頃の上洛戦で完膚無きまでに叩きましたので、我等を脅かす程の勢力ではありません。それに、北近江の浅井“新九郎”(長政)様が睨みを利かせておられますので、まず安泰かと」
元は北近江の守護だった京極家に仕える国人の家柄だった浅井家は、現当主長政の祖父・浅井亮政の代に勃興。京極家の実験を握り、形式的には下剋上を成し遂げるまでに成長した。しかし、南近江を治める六角家との対立や京極家の反攻などもあり版図の拡大が思うようにいかないまま、天文十一年一月に亮政が死去。その跡を嫡男の久政が継いだが、武勇の点では先代と比べ遥かに劣っていた。その為、久政の代になると六角家の侵食を許し、最終的には六角家の配下になってしまった。久政の嫡男・猿夜叉丸が元服する際には六角家当主の義賢(現在の承禎)から偏諱を受けて“賢政”と名乗らされ、さらに六角家重臣の平井定武の娘を正室に迎え入れるなど、屈辱的な扱いを受ける事になる。
こうした状況に不満を募らせた浅井家の家臣達は、永禄二年に当主・久政を琵琶湖の竹生島に幽閉。事実上追放された久政は強制的に隠居させられ、後釜には嫡男の賢政を据えた。賢政はまず始めに正室と離縁した上で実家へ送り返し、さらに名を“長政”に改めるなど六角家との訣別を前面に打ち出した。さらに、六角家の国人に調略を仕掛け、内部からの切り崩しも図った。代替わりした浅井家の一連の動きに業を煮やした承禎は、永禄三年八月に約二万五千の兵を率いて浅井攻めを決断。長政も約一万一千の兵でこれを迎え撃ち、両軍は野良田の地で激突した。当初こそ数で優る六角勢が押していたが、この戦いに負けられない浅井勢の執念が六角勢を上回り、合戦は浅井方が勝利した。当時十五歳ながら二倍以上の六角勢を破った長政は家臣達の信頼を得て、その地位を盤石のものとした。その後、六角家は内部の騒動もあって弱体化の一途を辿り、それと反比例するように浅井家は影響力を増していくこととなる。
北近江で版図を拡大させていく浅井家に着目した信長は、将来的な上洛を見据えて交誼を結ぼうと考えた。当時“絶世の美女”の呼び声高い信長の妹・市を長政の後妻に娶せたのだ。この婚姻を機に織田・浅井の両家は同盟を結ぶに至った。長政と市は美男美女の夫婦として周辺諸国にも知られるようになり、夫婦仲も良好だった。長政は永禄十一年の上洛戦でも自家から援軍を派遣するなど、同盟関係も決して悪くなかった。
浅井家と緊密な連携が取れている事で、織田家だけでなく民達も南近江を自由に往来出来るのだ。
「左様か……ならば心配ないな」
新左の説明を受け、納得した奇妙丸は安心したような表情を浮かべた。
「何れは、この岐阜を京や堺みたいな大きな街になるといいな」
「はい、若」
尾張・美濃と京・畿内が結ばれた事で、岐阜城下はさらに栄えるようになった。実際に商売を始めようと新たな店を構えたり、便利さや豊かさを求めて家を建てる者が郊外に増えていると奇妙丸は聞いている。このままの勢いで街が大きくなれば、この国で指折りの大都市になるのも夢ではない。そうした光景を想像するだけで、胸が膨らむ思いがする奇妙丸だった。




