一 : 黎明 - (15) 京・南蛮寺、一期一会、来訪者
堺を発った奇妙丸一行は夜に京へ到着し、妙覚寺に入った。翌日、供の者達を妙覚寺に残し、奇妙丸は新左を連れて南蛮寺へ向かった。
永禄三年、ガスパル・ヴィエラは時の将軍・足利義輝と謁見し、京でのキリスト教布教の許しを得た。イエズス会は四条坊門姥柳町にあった寺を改築、この教会を都での布教拠点として活用した。この目新しい教会のことを人々は“南蛮寺”と呼んだ。義輝弑逆の混乱等で退避する事もあったが、現在は信長の庇護もあり正常に機能していた。長らく続いた荒廃から復興途上にある京でも、入信希望者は後を絶えず訪れていた。
南蛮寺を訪ねた奇妙丸は受付で名前を告げると、予め伝えられていたのか寺の奥へと案内された。
「こちらでお待ち下さい」
畳の上に絨毯が敷かれ、脚が高い机と椅子が置かれた部屋に通された。南蛮渡来の椅子に座るのは初めての二人は恐る恐る腰を下ろしたものの、落ち着かない様子でソワソワとしている。それでも暫くすると慣れてきたのか、部屋の中にある南蛮の物と思われる調度品を興味深そうに眺めるだけの余裕が奇妙丸には出てきた。
遠くから聞こえてくる讃美歌に耳を傾けながら待っていると、不意に襖が開けられた。
「お待たせしました」
現れた人物に、新左はアッと驚かされた。よくよく考えてみれば“ここに居るのも不思議ではない”が、今度は“どうしてこの人に会いに来たのか”と別の疑問が湧く。
一方の奇妙丸は、にこやかな笑みを浮かべながら椅子から立ち挨拶をする。
「此度は時間を作って頂き、真にありがとうございます」
「いえ……」
言葉少なに返す相手の顔には、当惑の色が滲んでいる。多分、会いたい旨は伝えられたのだが詳しい用件については聞いていないのだろう。
二人の向かいに立っているのは……ルイス・フロイスの護衛を務める、伝兵衛。
軽い挨拶を交わした三人は、椅子に座る。ニコニコとしている奇妙丸とは対照的に、伝兵衛は相手の出方を窺っている様子だ。
「して、本日はどのような用向きで参られたのでしょうか? 某にまつわる事につきましては先日全てお話しましたが……」
探っていても埒が明かないと観念した伝兵衛の方から切り出してきた。すると、奇妙丸は笑みを崩さず端的に告げた。
「伝兵衛殿。貴殿を家臣として是非とも迎え入れたい」
奇妙丸の口から発せられた内容に、伝兵衛も新左も目の色を変えた。慌てて新左が「若」と袖を引いて止めようとするが、奇妙丸は真っ直ぐ前を見つめるばかりだ。
予想だにしなかった提案に暫し息を呑んだ伝兵衛だったが、冷静さを取り戻すにつれて表情が険しくなっていく。
「……それは、某の経緯に同情しての申し出ですか?」
落ち着いた声ではあるが明らかに怒気を含んでおり、返答次第で伝兵衛が席を蹴る事も十分に有り得る。今最も勢いのある織田家の嫡男とは言え、まだ齢十三と大人とは言い難い奇妙丸が「家来にならないか」と誘えば、愚弄しているのかと受け止められても何ら不思議でない。
新左も流石に拙いと思ったが、奇妙丸がどのような意図でそのように言ったのか読めず困惑していた。下手に口を挟んでは火に油を注ぐ事になりかねず、話の成り行きを見守るしかなかった。
部屋の中に不穏な空気が流れるも、奇妙丸は動じる事なくはっきりと言った。
「それは違います。伝兵衛殿の経験と才を私が必要だと考えたからです」
向かいに座る伝兵衛の瞳を直視しながら、奇妙丸は堂々と答えた。さらに、言葉を継ぐ。
「将来、私は織田家の跡を継ぐことでしょう。まだ未熟の身ではありますが、伝兵衛殿の話を伺ってから民が“人として生きていけるようになりたい”と強く思うようになりました。その実現の為には、辛い経験をされた伝兵衛殿の力が必要不可欠なのです」
「……別に、某でなくても構わないのでは? 某と同等かもっと酷い思いをしている人は他にも居ますぞ」
伝兵衛が問うと、奇妙丸は静かに首を振った。
「辛い体験をされた方は多く居られますが、武士としての強さがあり尚且つ相手の気持ちを思いやる優しさを兼ね備え、恩人に忠義を尽くす芯の強さを秘めている御仁は伝兵衛殿を措いて他に居ません」
滔々と弁を振るう奇妙丸に、伝兵衛の表情から険が少しだけ取れた。奇妙丸の想いが伝兵衛の心を揺らしているのがはっきりと分かる。
奇妙丸はさらに続ける。
「これはある人の話の受け売りですが、茶の湯の世界で“一期一会”という言葉があります。今この時に会っている人とは二度と会えないかも知れない、だからこそ亭主も客もそうした心構えで臨むべき……といった意味です。人の出逢いもまた同じで、自分の人生を大きく変える人物との巡り合わせが必ずあるとも仰っていました。私にとってその人が、伝兵衛殿――私はそう思います」
熱意の籠もった奇妙丸の語り口に、伝兵衛も思わず天を仰いだ。本当に必要である事は伝わった筈だが、それでも伝兵衛は口を噤んだまま答えようとしない。
さらに畳み掛けるべきか。奇妙丸が声を発しようとした、その時だった。
「よろしいではありませんか、伝兵衛」
割って入るように掛けられた言葉に、三人が一斉にそちらを向く。
そこに立っていたのは……伝兵衛の恩人・フロイス。
「フロイス様……!!」
「いえ、そのままそのまま」
思いがけない人物の登場に伝兵衛は立とうとしたが、フロイスは留める。
「盗み聞きするつもりはありませんでしたが、耳に入りましたので声を掛けました。お許し下さい」
まず始めに自らの非礼を謝すると、フロイスは伝兵衛の方を向いて話し出した。
「伝兵衛。貴方は本当に今まで私の為に尽くしてくれました。初めて会った時の事に大変な恩義を感じているのかも知れませんが、そろそろ自分のやりたいと思う道に進んではどうでしょうか。私に貴方の生き方を縛る権利はありませんし、私のせいで貴方の人生が犠牲になるのも望んでいません」
伝兵衛の元に歩み寄ったフロイスは、その手をソッと両手で包んだ。
「貴方が警護してくれたお蔭で、私は何の不安も無く布教に専念する事が出来ました。本当に、ありがとう。貴方の人生に幸多からんことを祈っています」
優しく包んだ伝兵衛の手が、微かに震えている。俯く伝兵衛の顔から、一粒の涙が落ちた。
「……あり、がと……ござ、い……す」
涙で言葉が途切れ途切れになる伝兵衛。二人が手を取り合う様を、奇妙丸と新左は静かに見守るだけだった。
京を発った奇妙丸一行は四月後半に岐阜へ帰って来た。父・信長は京で政務に忙殺されていたので不在だったが、義母・濃姫は無事に帰ってきた事を心から安心し、土産の反物に子どものように喜んだ。その反応を見た奇妙丸は、改めて帰ってきたのだなと実感した。
それから、甲斐の松姫へ宛てて長らくの無沙汰を詫びると共に堺へ行っていた事を報告する手紙を書いたり、沢彦和尚へ帰国の挨拶をしたりと、色々とやらなければいけない事に追われた。
帰国から五日程経ち、挨拶しておくべき人達への報告も粗方終わって奇妙丸も一息つけるようになった。松姫への手紙も書き終え、堺で買った櫛と一緒に甲斐へ送り出した。岐阜を発ってからずっと気を張り詰めていた反動か長旅の疲れが出てきたか、部屋の中で寝転びたくなる衝動に駆られる。『誰も見ていないからいいのでは』と思う自分と『織田家の嫡男として自堕落な姿を見せられない』と律する自分が内面で激しくせめぎ合う。
やがて、『ちょっとだけなら……』という気持ちが上回り、足を前に投げ出して手を後ろにつけて少しずつ体を傾けていく。
「失礼致します」
急に声が掛かり、奇妙丸は反射的に崩しかけていた姿勢を正す。小姓が襖を開けて顔を見せると、奇妙丸は平静を装いながら応えた。
「……いかがした」
「京より『奇妙丸様にお目通り願いたい』と乞う者が参りましたが……見たところ、二十代の浪人といった感じですが」
小姓の言葉に、奇妙丸は飛び上がらんばかりに喜びそうになった。ただ、家臣の前でそういう姿を見せるのは良くないと既の所で自重し、コホンと咳払いをしてから答えた。
「すぐにお通しせよ。くれぐれも粗相のないようにな」
「……はっ。承知致しました」
今一つ合点がいかないという顔のまま小姓は下がっていった。それと入れ違いになる形で新左が現れる。
「若。たった今、報せが……」
「あぁ、聞いた。思っていたより早く着いたな」
こちらへ来るに当たり支度を整える必要があるからと、奇妙丸達と同行する事は適わなかった。それも致し方なしと思っていたが、まさかこんなに早く到着するなんて。逆に言えば、一日も早くこちらへ来たいという気持ちの表れでもある。
いつ来ても大丈夫なように、奇妙丸は襟を正す。それでも待ちきれずにソワソワしていると、廊下を歩いてくる二人の足音が近付いてきた。
「失礼致します。お連れしました」
小姓の声に、奇妙丸は「うむ」と頷く。藍色の小袖に肩衣、水色の袴の男が小姓に促され、奇妙丸の前に座り頭を垂れる。
「よう参られた。待っておったぞ」
「はっ、勿体無き御言葉……」
奇妙丸の言葉に、さらに深く頭を下げる男。
「久しぶりの対面なのですから、顔をお上げ下され」
新左がさり気なく促すと、「では……」と男はゆっくりと頭を上げる。
面を上げたのは――フロイスの護衛を務めていた、伝兵衛。
「見違えりましたな」
「フロイス様から餞別にと素敵な服を頂戴致しました。……真に、ありがたい事です」
身に纏う服を大事そうに撫でる伝兵衛。奇妙丸に仕える意思を伝えられても快く送り出してくれたフロイスへの敬慕の気持ちが仕草から滲み出ている。
すると、伝兵衛は居住まいを正すと畏まったように畳に手をついて言った。
「不肖この伝兵衛、奇妙丸様にお仕えすべく罷り越した次第。身命を賭してお支えする所存にございます」
「うむ。これから頼むぞ、伝兵衛」
そう言うと、奇妙丸は伝兵衛の元に歩み寄るとその両手を自らの両手で包み込んだ。その姿に、畏れ多いとばかりに深く頭を垂れる伝兵衛。
暫く主従が手と手を取り合っていると、それを見つめていた新左が声を掛けてきた。
「ところで伝兵衛殿、そもそもどのような氏名を持たれていたのですか?」
「はい。氏は川上、名は……実を申しますと、まだ元服を済ませておりません」
少し恥じらうように明かしてくれた伝兵衛。元は肥前国の川上郷に土着する国人だったが、竜造寺家の台頭により武運拙く御家は滅んでしまったという。
元服を済ませていないと知った奇妙丸は、大変驚いた。
「それはいけない。其方は大切な家臣だ。新左、何とかならないか」
「では、僭越ながら私が烏帽子親となって、元服を済ませては如何でしょうか?」
「それはいい!」
新左の提案に膝を打つ奇妙丸。それから伝兵衛の方を向いて声を掛けた。
「伝兵衛。代々続いた川上の名を途絶えさせるのは勿体無い。其方の手で再興してみてはどうか?」
「……はっ。奇妙丸様のご厚意、真にありがたく……」
さらに深く頭を下げる伝兵衛。その瞳から溢れた涙で、畳を濡らした。
後日、簡素な形ではあるが伝兵衛の元服の儀が執り行われた。烏帽子親を務めた新左から偏諱を賜り、名を“良成”と改めた。以降、川上“伝兵衛”良成は奇妙丸付の近侍として仕えることとなる。




