五 : 青葉 - (27) フロイスと屏風と黒人と
天正九年二月も十日を過ぎた頃から、京には馬揃えに参加する織田家の人々とその関係者が集まり始めた。吉田兼見の『兼見卿記』に“洛中は大変な混雑だ”とする記載がある。それもその筈で、参加しないのは中国戦線で手を離せない羽柴家くらいで、それ以外の一門・連枝・家臣達は揃って参加していた。新たに赴任したばかりの池田恒興や長岡藤孝は欠席ながらも代理で子息を参加させていたし、上杉家との攻防が続く北陸方面の面々も雪で停戦に近い状態にあることから安心して上洛出来る環境が整っていた。
信忠も当然ながら馬揃えに参加すべく、二月十九日に上洛。その中には新左や伝兵衛も含まれていた。父・信長も既に上洛しており、本能寺に滞在していた。
二月二十三日。信忠は父から「面白いことがある」と誘われ、本能寺を訪れた。天下人・織田信長に一目会いたいと来訪者が絶えなかったが、父の目当ての人物はその中に含まれてないので素っ気ない応対に終始していた。
目の色が変わったのは、蘭丸の一言だった。
「上様。ヴァリニャーノ様がお越しです」
脇息に凭れて退屈そうに大きな欠伸をしていた父は、瞬時に切り替わった。眠たそうだった重い瞼は上がり、目を爛々と輝かせる。信忠自身、ここまで父がワクワクする姿を見た事がなかった。
「すぐに通せ」
居住まいを正しながら応じる父。間を置かず、黒い修道服に身を包んだ髭の濃い南蛮人の男性を先頭に、何人かの南蛮人が部屋に入ってくる。
(――あっ!!)
思わず声を上げそうになった信忠。南蛮人の中に、旧知の人物が居たからだ。
ルイス・フロイス。かれこれ、十二年振りの再会だ。フロイスは信忠と目が合うと軽く会釈をした。それに合わせて信忠も同じように頭を下げる。
信長の前に座った先頭の男性が、軽く礼をしてから異国の言葉で話し始めた。その話を受け、フロイスが通訳する。
「ヴァリニャーノ司祭は『上様にお目通り出来て、とても感謝している』と申しております」
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ。天文八年生まれで四十三歳。イエズス会の布教状況を監察する巡察師で、簡単に言えば布教の為に来日した宣教師達で最も偉い人である。
天正七年七月二十五日に肥前国口ノ津港に到着したヴァリニャーノは、当時の布教責任者だったフランシスコ・カブラルの方針に疑問を抱いた。カブラルは前任者のコスメ・デ・トーレスが日本の文化や言語・慣習に順応しようとしたのとは反対に、カブラルは日本の文化や言語は自分達より下で“合わせる必要がない”という考え方の持ち主だった。その為、日本人教徒と南蛮人宣教師の間に溝が生じており、ザビエルやトーレスの時と比べて信者数の増加は鈍っていた。ヴァリニャーノは自らの足でキリシタン大名や信者と会い、カブラルの考えは誤りであると結論付けた。キリスト教を日本で広めるには現地の人の司祭が必要だと捉えたヴァリニャーノは、天正八年に九州と安土にそれぞれ養成学校を設立。まだ建ったばかりで成果は上がってないが、カブラルの一線を引いた方針から日本へ適応していく以前の方針に戻したのもあり、信者数は再び増え始めていた。
「久し振りだな、ヴァリニャーノ。待っておったぞ」
信長がヴァリニャーノと初めて会ったのは、去年一月。安土城にフロイスを伴って訪れてたのだ。前任者のカブラルは日本の人を侮蔑するというか見下している感じが所作や仕草から滲み出ていて信長も好きになれなかったが、ヴァリニャーノは親しみや敬意が表れていたので好感を抱いた。先述した養成学校を建てたいというヴァリニャーノの申し出を受け入れ土地を提供したのも、カブラルとの違いが影響したのかも知れない。
実際、上座に座る父がヴァリニャーノに向ける目には、親しみが込められていた。
「今日はお主達の為に、特別な物を用意した」
そう言ってから、父は手を叩く。それを受け、小姓達が一隻の屏風を運んできた。両端を持った小姓が屏風を開いていくと……描かれていたのは、安土城。
屏風を目にしたヴァリニャーノにフロイスは、感嘆の溜め息を漏らす。二人は実物を見ているが、屏風に描かれた絵の美しさに引き込まれている様子だった。
「これは、俺の創意工夫をたっぷり詰め込んだ我が居城・安土城だ。我が国で最も腕の良い絵師に描かせた」
「……素晴らしいです。色々な国を巡って参りましたが、これ程に美しい城は見た事がありません」
身振り手振りを交えながら語るヴァリニャーノ。通訳されたフロイスの言葉を受け、父も満足そうに頷く。
「これを彼の国にある教皇に贈りたい。遠く離れた我が国に、唐や南蛮にもない唯一無二の城がある事を広く知らしめたい」
「畏まりました」
ヴァリニャーノは信長の言葉を受けて、頭を下げた。単なる進物ではなく、既存の概念に囚われない発想の持ち主とそれを実現させる権力と技術と実力が南蛮から見て東の地の涯にある事を誇示したい思惑が信長にはあった。そうすれば、カブラルのように“成熟していない文化・言語”と下に見る輩も減ることだろう。
直後、ヴァリニャーノは控えている従者に信長から贈られた屏風を運ぶよう命じる。すると、二人の従者が出てきたのだが――。
「――待て!! その者は何者だ!?」
その者を目にした父は反射的に叫んだ。同席する信忠だけでなく他の者達も思わず息を呑む。
これまで、南蛮人は幾人も見てきた。ただ、鉄砲伝来以降、南蛮人と言えば“紅毛人”……俗に白人種と呼ばれる者達だった。中には褐色人種も含まれていただろうが、こちらは交易で東南アジアから訪れた者を目にする機会もあるので、珍しいには珍しいが衝撃を受ける程ではない。
しかし……今姿を現した男は、長身のヴァリニャーノやフロイスより頭一つ抜けている大きさも然ることながら、特筆すべきはその肌の色。まるで墨を頭から被ったかの如く、全身真っ黒なのだ!
皆の視線がその者に集まる中、フロイスが説明してくれた。
「この者は、生まれつき黒い肌をしているのです」
「真か? 俺を驚かせようとしているのではないのか?」
それでも半信半疑という感じの父は、上座から下りるとその男の元に近付き肌に触れる。最初は摩る程度だったが、次第に力を込めて掌で強く擦るようになる。男は何が何だか分からずポカンとしていたが、フロイスから父が塗られてないか確認していると伝えられて状況を理解したみたいだ。
掌にも指にも色が移ってないのを確かめながらも、まだ父は信じようとしない。
「水を張った桶を持ってこい! おいお主、服を脱げ!」
父が命じると、慌てた様子で小姓達が準備に走る。急いで庭に水の入った大きな桶が用意され、服を脱がされ裸になった男をその桶に入れる。そして、父が自ら手拭いを使って肌を擦っていく。その様は、この国で今最も力のある権力者には見えなかった。
好奇心旺盛というか、疑り深いというか……嬉々として楽しんでいる様子から、恐らくは前者か。まるで子どもが実験をしているみたいに無邪気な笑みを浮かべる父に、信忠も思わず苦笑してしまった。
「お久し振りにございます、奇妙丸様……失礼、今は中将様でしたね」
興奮気味に調べている父を眺める信忠の元に、フロイスが声を掛けてきた。
十二年振りに再会したフロイスは、円熟味を増しているように信忠の目には映った。この時、フロイス四十九歳。日本滞在も十八年目に入り、日本語も流暢に話せるようになっていた。
「……ご立派になられましたね」
そう言い、目を細めるフロイス。前に会った時は少年だったから、体だけでなく一大名家の当主の座についた信忠の成長に思うところがあったのだろう。
「いえいえ。まだ至らない点も多く、もっとしっかりしないとと思う事ばかりで……」
信忠は謙遜するが、フロイスは「それです」と思わぬ事を口にする。
「この国の方々は、自分を高く売り込もうとはせず謙ろうとする。自己犠牲を厭わず、研鑽を積もうとされる。……この国の誇れる美点の一つです」
フロイスは手放しに絶賛するが、「いやいや」と信忠は否定する。
「全てが全て、そうした人ではありませんよ? 特に武家の者はより良い条件を求めて誇張したり偽りを申したりしますから」
競争社会である武家では、禄や位によって上下が決まる。仕官や出世の為に自らの経歴を誤魔化したり実績を過大に申告するのは日常茶飯事だ。少しでも上にありたい・高く買ってもらいたい意思が働きの原動力になっている側面もあり、一概に悪いとは言い切れなかった。
それでも、フロイスは首を振ってから続ける。
「豊かな暮らしをしたいという気持ちは誰しも大なり小なり持っているものです。他の国ではもっと尊大と言いますか、自分の実力や器量に自信を持っていると言いますか。他人と比べて自らの強みや優れている点を殊更に主張します。……しかし、この国の方々はそうではありません。自分だけでなく他の人も豊かになりたいという気持ちがあります。武家の方々も自分達だけでなく国の人々の暮らしを向上させたいと考える。他の者が貧しい思いをしてでも自分達は特別な思いをしたい、そうした我欲がないのが他国との決定的な違いかと」
フロイスの指摘に、信忠も「確かに」と頷かざるを得ない。
織田家は“天下布武”を掲げて勢力を拡大させているが、権力こそ握っているが富は一極集中していない。それどころか、楽市楽座や関の撤廃などで庶民の生活向上を目指している。儲けた商人から税を徴収し、橋や道の整備という形で民に還元もしている。これまで寺社と武家の二重に収めていた年貢が一括され、百姓の暮らしぶりも改善された。父は、織田領内で成功した事例を全国に広めようとしているのだ。それはフロイスが言った“自分だけでなく他の人も豊かになりたい気持ちがある”という点が当て嵌まると思う。
自分では当たり前だと思っている事でも、他国の人から見れば違う事がある。それを改めて気付かされた思いだ。
「私の生まれた国と比べれば、文化も技術も確かに遅れている面はあります。しかしながら、この国の人々は勤勉で真面目で慎み深い人間性を持っている。どこの国にも劣らない、いえ、どの国よりも優れている。だからこそ、愛おしい」
しみじみと語るフロイスの表情は、慈愛に満ち溢れていた。故郷から船で何ヶ月も掛けて辿り着いた遠い国で十八年に渡り布教活動に従事してきたのは、教えを広める大義だけではないだろう。この国に暮らす人々が心の底から好きだからこそ、続けてこられたのだと思う。
「おーい、フロイス! こっちに来てくれ!」
庭から父がフロイスを呼ぶ声がした。自らの手で試した結果、この黒い肌は紛れもなく本物だと結論が出たのだろう。
フロイスは軽く会釈をしてから、信忠の側から離れていった。その顔は、子どもから呼ばれた親のように信忠の目には映った。
この日出会った黒人の従者をとても気に入った信長は、ヴァリニャーノに頼んで譲り受けた。信長はこの黒人に“弥助”の名を与え、士分として近習に加えたのである。弥助は織田家の侍として、第二の人生を歩んでいくこととなる。
また、ヴァリニャーノを通じて献上された安土城の屏風は、信長の求め通りに海を渡りローマ教皇・グレゴリウス十三世の元に届けられた。但し、この屏風は教皇の死後に行方不明となっている。もし仮に現存していたとしたら、安土城の美しさや当時の日本絵画の高い技術を証明する逸品になっていただけに、残念でならない。




