11話 アスフォデルの追憶
アスフォデル視点です
≪あれは相当強いぞ?≫
部屋に戻ったアスフォデルの影から、ヴァルディードが現れた。
そしてベッドに腰掛けたアスフォデルにそう言った。
ヴァルディードはアスフォデルと契約している宵闇である。
「関係ない。あの女を殺す。兄さまは渡さない」
「相当骨が折れると思うがな」
(そうでなければ兄さまが気に入るはずないの)
アスフォデルは、心の中で呟いた。
「……お前でも無理なの?」
「いいや、そんなことはない。ないが……」
ヴァルディードは言葉を濁した。
アスフォデルはヴァルディードがろくでもないことを言うのだろうと身構える。
なぜならヴァルディードは、かつてもそうであったからだ。
「それなりの代償が必要となる。お前にその覚悟があるかな?」
案の定、ヴァルディードはそういった。
ヴァルディードは契約者であるアスフォデルを試しているのだ。
だが、アスフォデルにはそんなこと関係なかった。
彼女にとってディーンが全てであり、ディーン以外はどうでもいいのである。
「私には兄さましかいないの。だから……」
悪魔はアスフォデルの返事に満足げに頷く。
その顔には醜悪な笑みが浮かんでいた。
(こいつの力を借りることになるなんて)
アスフォデルは内心で悪態をつく。
そして、ヴァルディードと出会った日の事を思い出していた――
「侯爵の護衛となれ。それが私がお前に期待することだ。できるな?」
アスフォデルの父はある日アスフォデルにそう言った。
アスフォデルは父の期待に応えるために、護衛として必要な知識と経験を積んでいった。
「アスフォデル、今後お前は私の護衛として働いてもらう」
ディーンの執務室でそう告げられた時、アスフォデルは胸の前で両手を握り合わせて喜びに震えた。
父の命でディーンに仕えるように言い渡され、それから1年が経った頃だった。
これで父に褒めてもらえる。認めてもらえる。愛してもらえる。
この時のアスフォデルはそう信じて疑わなかった。
「兄さま、わたしがんばるの」
まだあどけなさの残る少女は頬を紅潮させ、兄と慕う男を見上げた。
ディーンと血の繋がりはないものの、アスフォデルは父と同じくらいに彼を敬愛していた。
帝国は敗戦による巨額の賠償金にあえいでおり、アル・マーズも例外ではなかったが、彼は天才的な手腕により見事にアル・マーズの経済を立て直すことに成功したのだ。
「父とはうまくやれているか?」
ディーンの問いかけにアスフォデルは笑顔で頷いた。
アスフォデルにとって、父は血のつながった唯一の家族であり、アスフォデルが愛情を注いでくれることを望む唯一の人物であった。
だから彼女は父が喜んでくれるよう、懸命に努力した。
「実力は十分だが、危険も多くなる。グレイン殿にも伝令を送ってあるが、もし反対されたら――」
「父さまは反対なんてしないの。絶対に喜んでくれるの!」
「そうか……まったく、まだ幼いお前にこんな役目を頼まねばならんとは、頭の痛い話だ」
ディーンは自嘲気味に笑った。
魔術師は多くが戦争に駆り出され、そのまま戻ってくることはなかった。
それは比較的被害が少なく済んだアル・マーズも例外ではない。
それゆえに、アスフォデルのような少女でも実力があれば当主の護衛として登用された。
「兄さま、時間なの! 帰っても大丈夫?」
父に早く報告したいアスフォデルはディーンに尋ねると、快く頷いてくれた。
その反応を見て、アスフォデルの表情がぱあっと明るくなる。
「じき日も暮れる。あまり速度を出し過ぎるなよ」
ガーディアス邸からアスフォデルの住む屋敷までは距離があり、屋敷の車を借りて移動していた。
すでに辺りは暗くなり始めていたが、アスフォデルの気持ちは逸っていた。
(父さま、きっと褒めてくれるの)
彼女の頭の中にあるのはただそれだけだった。
屋敷に着き、勢いよく父の書斎の扉を開けて中に駆け込む。
「父さま! やったの! わたし兄さまの護衛になれたの!」
そして開口一番、満面の笑みでそう言ったのだった。
しかし、何やら書き物をしていた父はアスフォデルの声にすぐに応じることはなく、ゆっくりと顔を上げると静かにこう言った。
まるで感情のこもっていない声で――
「アスフォデル。お前はもう必要なくなった」
その言葉を聞いた瞬間、歓喜に満ちていた少女の表情からは笑みが消え去り、代わりに困惑の色が浮かんだだろう。
なぜそんなことを言われるのか理解できず、震える唇で必死に言葉を紡ごうとする。
「ど、どうしてなの? わたし、父さまの言う通りにできたの。父さま、ずっと兄さまの護衛になれって――」
「そうだ、できるだけ奴の近くに仕え、信頼関係を築き、そして、奴の弱点を探り、奴を失脚させる。お前はそのための道具にするつもりだった」
淡々と告げる父の言葉に、少女は言葉を失った。
アスフォデルの一族はかつて、この地を治める侯爵家だった。
しかし、帝国と連合の戦争以前に、魔法がもたらされたことによって帝国で起きた魔導革命により、その座を追われることになった。
以来、アスフォデルの一族は屈辱に耐えながら、いつしか侯爵位を取り戻さんと機会を窺ってきたのである。
魔導革命以降、帝国では高位貴族の条件として高い魔力を持つことが必須となった。
だがアスフォデルの一族は、総じて魔力の高いものに乏しかった。
ゆえにグレインは、高い魔力を保有するものとの間に子を成すことで一族を再興しようと試みた。
「お前は下賤の女との間にできた子供だったが、他の子たちとは明らかに隔絶した才を持っていた」
だからこそグレインは、アスフォデルだけを自分の娘として手元において育てた。
そしてアスフォデルは優れた才能を持ちながらも決して驕らず、ひたむきに努力を続けた。
その甲斐あって、アスフォデルはディーンからも一目置かれるほどの実力を身に着けたのである。
「だが、私は手に入れた。力をな。もうお前は必要ない」
父はそう言ってアスフォデルに視線を向けたが、その瞳にはなんの感情も宿っていなかった。
ただ目の前のものを映すだけの瞳だ。
アスフォデルはそんな父の目を見て、背筋が凍るような恐怖を覚えた。
今まで一度も感じたことのない感覚だった。
「下賤な血の混じるゴミは処分しないとな」
そう呟くと、グレインはおもむろに立ち上がり、アスフォデルに魔力を放つ。
放たれた魔力は一直線にアスフォデルへと向かい、彼女に直撃すると爆ぜて、辺りに爆風を巻き起こした。
爆発に巻き込まれたアスフォデルは、壁に叩きつけられ、そのまま床に倒れ伏した。
「父さま、どうして、わたしは、」
「さすがに頑丈なようだな。私の血を引くだけのことはある」
グレインはゆっくりとアスフォデルに近づき、その首を掴んで持ち上げる。
呼吸ができなくなり、アスフォデルは苦しげに呻いた。
それでもなお、父の目は冷たいままだった。
(くるしいの……父さまは、わたしのこと嫌いだったの?)
朦朧とする意識の中で、アスフォデルは自分の死を悟った。
自分はこのまま殺されるのだと理解したとき、ふと頭に浮かんだのは兄の顔だった。
(いやなの。まだ死にたくないの……兄さま……たすけて……)
薄れゆく意識の中、アスフォデルは願った。
≪死にたくないのか? なら助けてやろう≫
突然聞こえてきた声はひどく軽薄で、それでいて悪意に満ちたものだった。
次の瞬間にはアスフォデルの首の圧迫感が消え失せており、彼女は咳き込みながらその場に崩れ落ちる。
一体何が起きたのかと視線を上げると、父が血を流して倒れていた。
「父さま……?」
何が起きているのかわからないまま、呆然として父を呼ぶが返事はない。
ぴくりとも動かない父を見て、徐々に状況を理解してくると、アスフォデルは涙を流し始めた。
いくら呼んでも返事をしてくれないことが悲しく、怖かったのだ。
父が死んだことを受け入れられず、アスフォデルは何度も父を呼んだ。
≪やはり人助けをした後は気分がよいな? ハハハ!≫
それが、アスフォデルとヴァルディードの出会いだった。




