1話 美女と金に目が眩んだのが運の尽き
「あいたぁっ!」
突然頭部に走った痛みに悲鳴をあげる。
何者かにチョップをされたような気がするが、この部屋は真琴が1人で暮らしており、他に誰もいないはずだ。
だというのに、いるはずのない他人の声が続けて聞こえてきた。
「おい、なんでこの間話したアイスを買ってきてないんだ? これはこれで悪くはないが」
ここは真琴の借りているワンルームマンションの1室。
数年来住んでいるが、友人も恋人もいない真琴はこの部屋に誰かを招いたことはない。
今も1人でゲームをプレイしていたら、どういうわけか部屋の中に見知らぬ女がいたのだ。
「いやいや……おぬしは誰だ? ここはわしの部屋だし、一体どこから入り込んだのだ?」
しかも、目の前の女はのんきにアイスを口に運んでいる。
そのアイスは先日わざわざ通販で取り寄せ、冷蔵庫に入っているものと同じパッケージだと気づいた。
「む、おい。もしやそれはわしの冷蔵庫にあったアイスではないのか?」
彼女の食べているアイスクリームは結構値が張るものだ。
ゲームのしすぎで脳が疲れた時のためにストックしている重要な回復アイテムだ。
しかし、彼女は完全に真琴の問いかけを無視している。
「こら、無視するな」
そこで真琴は彼女に手を伸ばす。
だが、その手は逆に彼女に掴まれ、なぜか向こうのほうが心外とばかりに顔を強張らせる。
「……まさか俺のことがわからんのか?」
「わからん。誰だおぬしは。それにわしにリアルの知り合いなど存在せん」
きっぱりと言いきると彼女は一瞬呆けた顔を見せたが、すぐにどこか憐れむような表情へと変わる。
「……お前はもう少し恥を知った方がいいと思うが」
「おぬしは常識を学んだ方がいいと思うぞ」
なぜ不法侵入者と普通に話しているのか、自分でも不思議に思う真琴だったが、相手の容姿も声も口調も間違いなく好みだったのでついつい気を許してしまっているのかもしれない。
(だが、どうみても頭のおかしい女だ……というか、人間なのか?)
自分の考えに呆れながら、真琴は改めて目の前の美女を観察した。
長い黒髪は艶やかで美しく、その瞳は血のように赤い色をしている。
顔色は白く透き通っており、人間離れした美しさを感じさせる。
真琴の抱いた印象は吸血鬼の美女、である。
「ところでそのキモイ喋り方はなんのキャラ付けだ? おぬしって……キモイのでやめてくれないか? 普通に話せ」
「なぜわしは不法侵入してきた女から言葉の暴力を受けておるのだ……」
その幻想的な容姿を持つ彼女から放たれる言葉は雰囲気をぶち壊しにするような暴言である。
それに真琴とて好きでこんな喋り方をしているわけではない。
「人に歴史ありというだろう? わしにも事情があるのだ、事情が」
「お前の事情なんぞどうでもいい。そんなことより、俺の勧めたアイスを買ってきてない理由を言え」
「話を振っておいて……おぬしと会うのは初めてのはずだが……」
目の前の女と話していると、ふとネトゲで長いこと一緒に遊んでいるフレのことを思い出した。
女同様に口が悪いし、二言目にはアイスアイスとアイスのことばかり口にしていた。
「ん? なんだそれは」
彼女はどこから取り出したのか、書類のようなものを真琴の前に差し出す。
そこには確かに真琴の写真と名前、そして住所や職業などが記載されている。
「ある男の履歴書と職務経歴書だ。どうやら現在は無職で仕事を探しているらしい」
「な、なぜおぬしがそれを持っておるのだ!」
「ふむ……貴社の配信中のレーヴレギアオンラインを3年ほどプレイしており――」
「や、やめんか!」
慌てて書類を奪い取る真琴に対し、不法侵入者は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
その姿は妙に様になっていて美しい。
ちなみにこの書類は今プレイしているゲームの運営兼開発会社に送ったものである。
なぜこの女が持っているのか不明だが、どうせロクでもない手段を使ったのだろう。
「何を恥ずかしがる? もう全て目を通してあるというのに」
「おぬし……個人情報保護法を知っておるか?」
「ふ、この星の人間が定めたルールだろ? 俺には関係ないね」
まるで自分はこの星の人間ではないとでも言うように肩をすくめる。
やはり頭のおかしい女だと改めて認識する真琴だった。
「ではおぬしは宇宙人なのか? 冗談はほどほどに――」
真琴がいい加減女の相手をするのに辟易し始めた頃、彼女が指を鳴らす。
するとどういうわけか、周囲の景色が一瞬でまったく別のものへと変化した。
「へ? え? な、なんじゃ、これは……」
上下左右、視界に映るすべてが黒く、星の光によって照らされている世界。
自室にいたはずが、突然宇宙空間のような場所に女とともにいる。
地面のようなものは見えないのだが、足元には足場があるかのように立つことができる。
「俺は宇宙人ではないから、そこは訂正しておく」
そう言って笑う彼女の姿はやはり美しく、真琴は夢でも見ているのではないかと思い始めていた。
「おぬし、頭のおかしい不法侵入者ではなかったのか」
「この状況で俺に舐めた口を利くのは愚かさ故か、肝が据わっているのか……まあどちらでもいいがな」
そう呟くと、彼女は再びアイスを口にする。
マイペースにも程がある。
「おい、アイスなど食ってないでこの状況を説明せい!」
そう怒鳴る真琴だが、彼女は真琴の怒りなど全く意に介した様子もなくのんびりと星を眺めている。
しまいには星が光ったなどと言い出し、真琴は本格的に頭が痛くなってきた。
「この場は宇宙全体を映し出している」
「すまぬ、意味がわからんのだが」
「人間共の言葉で説明すれば、宇宙の全体は約138億年の時をかけて膨張をしているらしいが、現在はある地点より急速に宇宙が欠損し、収縮に向かっている」
何の話をしているのか理解できない真琴の戸惑いを無視して、彼女は淡々と語る。
「おぬしが何の話をしているのか、さっぱりわからぬのだが」
「お前がプレイしていたレーヴレギアオンラインは、宇宙の欠損が始まった地点を舞台にしている」
「そうか、よくわからんが、すごいんだのう」
もはや相手にするのが面倒になってきたので適当に相槌を打つ。
そんな真琴を彼女は鼻で笑う。
「まあ、お前が理解することを期待はしていないので問題ない」
「だったらなんでわしをこんなところに連れてきたのだ! さっさと家に帰せ!」
「帰る? 本当に?」
意味深に微笑むその姿に一瞬見惚れるが、すぐに我に返る。
いくら好みの女とはいえ、相手は得体の知れぬ人物なのだ。
関わるべきではないと理性が警告を発する。
「なんだ、何かあるならさっさと言え。正直わしはおぬしと関わりたくはないがの」
関わりたくないとはっきりと意思表示をするが、彼女は相変わらず悠然とした態度を崩さない。
それどころか、どこか余裕すら感じられる。
「依頼を引き受けるのなら、俺と結婚させてやる」
豊満な胸に手を当て、挑発的にこちらに視線を向ける美女。
「そうか、じゃあわし帰るわ」
平時であれば喜んで飛びついたかもしれないが、どう考えても目の前の女は普通ではない。
あっさりと踵を返そうとする真琴の肩を、彼女は掴む。
その細腕からは想像できない力で引き戻され、思わずよろめく真琴。
真琴はすぐに抗議しようとするが、それより早く美女の顔が迫る。
彼女の顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
そのままゆっくりと唇が近づいてくる。
「ちなみに俺の資産は1000億を超えているが」
吐息がかかるほどの距離で囁かれる甘い誘惑。
その言葉に真琴は思わず生唾を飲み込む。
たしかにそれだけあれば一生遊んで暮らせるだろう。
しかも、目の前にいるのは真琴好みの美女である。
これほど魅力的な誘いはない。
しかし……これは悪魔の囁きだ。きっぱりと断るべきだ。
「な、なにを馬鹿なことを……証拠、証拠はあるのか!」
だが口を突いて出たのはそんな言葉だけだった。
彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、再び指を鳴らす。
「な、な、な、なんだこれはーーー!!!!!」
「金の延べ棒だ。それ1つで7000万以上の価値がある」
「な、7000万がこんなに……」
無造作に積み上げられた金塊を見て、驚愕する真琴を尻目に彼女は涼しい顔をしている。
金塊を1つ手に取ると7000万の重みを感じた。
「俺は結婚相手に経済力は求めない。金などいくらでも稼げるからな」
「7000万、7000万……」
「で、どうする? 帰るのか?」
いくら怪しいとはいえ、これほどの好条件を話も聞かずに断れるような精神の持ち主がいるだろうか。
いや、いるまい。
だがその判断のせいでこれから一生後悔することになるとは、この時の真琴は知る由もなかった。
「い、いや、うむ。そうだな、話だけなら聞いてやらんこともない」
「契約成立だな」
真琴の言葉に満足げに頷く美女。
「いや待て、まだ承諾するとは――」
美女に抗議の声をあげると、彼女はどこから取り出したのか、またしても書類を真琴の前に差し出す。
「なんだまたわしの履歴書か? ん? 婚姻届?」
夫になる人にエストリエ・シュオル・アフェーラー、妻になる人になぜか自分の名前が書いてあった。
「ああ、これは控えだがここに来る前に区役所に送っておいたぞ」
「はぁー?! わし同意しておらんだろうが!」
7000万の山は魅力的だが、この女の誘いに乗ればそれ以上の代償を払うであろうことがようやく予想できてきた。
金に目が眩んで理性を眠らされてしまったのだ。
しかし、理性は目覚めた。断固として拒否し、この女から距離を取らなければならない。
「これからやる仕事はお前と俺でやるしかないからな」
「知るか! わしを巻き込むな!」
真琴としては一刻も早くこの場を去りたいところだが、目の前に広がるのは謎の宇宙空間。
彼女は逃げ場のない真琴を追い詰めるように迫ってくる。
その美しい顔に浮かぶのは嗜虐的な笑み。
気がつくと何やら小さな無数の光が視界に映る。
どこから光が発されているか、辺りを見回すとなんと自分の身体のいたるところから光の粒が立ち上っているではないか。
「おい、なんかわしの身体が光に包まれておるのだがァ?!」
「俺たちはこれから宇宙の欠損が始まる前の地点、レーヴレギアオンラインの舞台へと行く」
美女は全く人の話を聞いていない。
「行くわけないだろうが! おい、止めぬか!」
「よくあるゲームの強さをそのままに異世界転生できるんだぞ。よかったな、夢が叶って?」
真琴の全身は光に包まれていく。
逃げねばと思うが、意識が遠のいていくのを感じた。
「さて、夫婦で共に手を取り合って、宇宙の消滅を防ごうじゃないか」
女の言葉を最後に、真琴の意識は途絶えた。
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TrinArtで作ったシオのイラスト