第2部 第15話 深淵の瞳
「退避!全員退避だ!全力で逃げろぉ!」
ギルマスが叫ぶ。
「ギルマス!ダメだ後ろにもいるぞ!」
「こっちもだぁ!どうすんだぁ!?」
既に四方八方から黒い波が迫っていた。この状況に焔狼でさえ動揺していた。
「全員集まれ!」
ギルマスが叫ぶように指示を出すが、一歩遅かった。
巨大な黒い津波が容赦なく俺達を飲み込んだ。
―――
黒い羽根を持つ巨大なイナゴが体中に纏わりつく。
手で払いのけるとかそう言うレベルの話ではない。何処を見てもイナゴ、イナゴ、イナゴ。
イナゴしか目に入らない。ここは一メートル先も見通せないイナゴの海だ。
そんな暗闇の中、俺に纏わりついたイナゴは容赦なく俺の服を防具を、そして肉を噛みちぎってくる。
「ぐあぁああぁ!」
思わず悲鳴を上げるが、その口にすら侵入しようとしてくるカオスローカスト。
マズい!マズいマズいマズい!
体中の痛みと対処不能な状況に完全に混乱。自動回復小のお陰でまだ死なずに済んでいるだけだ。このままではいずれ食いつくされる。そう確信出来るほどの痛み。そして、その痛みと共に虫に食われるという想像もしていなかった状況に恐慌状態に陥った。
何が何やら、分からず地面を転げまわるが、一向に痛みは解消されない。むしろどんどんと自分の肉が食われていく感覚があった。
どうにかしないと!
本当に死ぬ!
生きようとする本能がわずかに恐怖を上回り、一瞬思考を取り戻す。
混乱する俺の目に不意に映った《解放》と言う文字。俺は目に入った《解放》の文字を咄嗟にタップした。
紫電が自動発動―――と同時に強烈な痛みが走る。
「ああぁぁああぁ!」
左腕の鬼憤の籠手から放たれた電撃の発動先は、俺自身だ。
当然、体の痙攣と共に、焼かれて引き裂かれるような痛みが走る。一瞬心臓が止まりかけたのを自覚するほど。
それでも、命を賭けるだけの価値は十分にあった。
おかげで俺の肉を食い散らかそうと纏わりついていたカオスローカストが煙が上げてボトボトと剥がれ落ちたのだ。
勿論、俺の周りにはまだ上下左右全て埋め尽くさんばかりのイナゴがいる。だが、紫電を発動した直後、一瞬のスキが生まれた。痛みと恐怖に混乱する中、その一瞬で生き残るための活路を見出す。
「!?そうか!?電撃なら!」
イナゴが殺到するまでのわずかな間でそう結論づけ、咄嗟に発動。
―――電磁操魔領域
俺の周囲に全力で電子変換魔法を発動。
威力を高めるため発動距離は俺の全周僅か10センチ程度まで縮める。その距離で狙いも定めず彗心眼による予測も不要。と言うかさすがにこの数を把握するのは不可能だった。
威力は非常に弱い。触れれば手が痺れる程度だろう。強化されたとはいえ俺の体外魔力ではこれが限界だ。
狙いも定まっていないのだから閃雷魔操の効果もない。だから、これは電磁操魔領域とは言えないだろう。いわば、劣化版の電磁フィールドだ。
だが、ちょっとでかいだけのイナゴにはこれで十分だった。
俺に近づくカオスローカストは体を覆う電気に触れた瞬間にバチッと小さく音をたてて落下していく。
見ればピクピクと動いていた。体が痺れて動けない様子。流石に命を落とすまでの威力は無いようだが、身を守るには今はこれで十分だ。
まるでコンビニの野外に設置されている電撃殺虫器のようなもの。名付けるならインセクトキラーと言ったところか。
そんなしょうも無いことを考える程に余裕が生まれている自分に気づき、我に返る。
「そうだ!みんなは!?」
そう言って気づき、周囲を見回した直後。
強力な旋風が俺を通りすぎる様に駆け抜け、周囲を覆いつくしていたイナゴたちを一瞬で押しのけた。
風魔法!?
「リュージ!」
声のした方を振り向くと同時、リンが俺に向かって飛びつく様に抱き着いた。
「リュージ!無事!?よかった!」
リンはそう言って俺をギュッと抱きしめた。
「リュージ。死んでしまったかと心配したんだから。」
どうやら本当に心配をかけたようだ。俺を抱きしめた後、怪我がないか体中を触って確認してくる。
「大丈夫だ。多少ケガしているけど、この程度なら治癒できるのは知っているだろ?」
「よかった。……ん?リュージ、なんだかピリピリするわ。」
「あ、ごめん。魔法発動したままだった。これでイナゴから身を守っていたんだよ。 それより、みんなは?」
リンはそれを聞いた納得したように頷いた。
「さすがリュージね。みんななら大丈夫。あっちに集まっているわ。」
そう言われてリンの背後を見ると、円柱状の水の壁が見えた。あれは。ハイドラシールドか?いやより上位の範囲魔法ハイドラウォールだろうか。
ソワレの魔法で周囲を囲い虫の進入を防いでいるようだな。
リンの案内で魔法の水壁の中に入ると全員揃っていた。焔狼の数人は疲れたように座っている。横にポーションの瓶が転がっているのを見ると、多少はダメージを受けたようだが、既に回復たようだ。その様子にほっとする。
ここにポン助が居ないのを見るにポン助だけは上空に逃げたのかもしれない。
そして、その中心に錫杖を掲げたソワレがいた。
「リュージ。これで全員ね。 リン。そろそろ代わってくれる?」
そう言われてリンはコクリと頷き、詠唱を始める。
しばらくして、リンが風魔法『ウィンドカーテン』を発動し、ソワレと交代した。
俺が合流するまで、それほどの時間はたっていないはずだ。今までのソワレだったらこの程度の防御魔法など難なくこなしていたはずだが……。
そんな違和感に首を傾げていると、いつの間にかソワレが俺の目の前まで近づいていることに気づく。
「リュージ。よかった。大丈夫なの?」
普段そっけないソワレがペタペタと俺の顔や体を触診してきた。
相変わらず目は据わって無表情だが、背の高さの関係上、上目遣いに見えた。そのソワレの態度と大きなアンバーの瞳に思わずドキリとする。
「だ、大丈夫だよ。それより、ソワレが俺の心配なんて、どうしたんだ?」
今まで見せた事のないソワレの態度に動揺したのを誤魔化す様にそんな言葉を口にすると、ソワレも自分の行動に気づいたのか俺の頬に当てていた手をスッと引いた。
「別に……。大丈夫ならいい。」
そう言ってソワレはそっぽを向いてしまった。
そんな態度を見て、俺を心配してくれた人に対する態度ではなかったなと内心反省する。
一言ソワレに謝ろうとしたところでギルマスが前に出た。
「ひと先ずは全員無事が確認できたな。リン。ソワレ。お前たちのお陰で命拾いした。この状態、どの位持ちそうだ?」
ギルマスの状況確認にリンとソワレは10分程度と答えた。
「その時間でこの災害が過ぎ去ってくれるとは限らないか……。」
そうだ。このカオスローカストは俺達を囲む様に襲ってきた。
本来この手の魔獣は集団としての明確は意志はなく、迷宮からのスタンピートや地脈の乱れなどで一時的に異常発生する場合に起こる現象でまさに災害の様なモノらしい。
だが、今回はタイミング的にも、その動きも俺達を狙っているように思えた。実際、先ほどから俺たちの周囲を囲むカオスローカストの勢いに変化はない。
むしろ俺たちを囲う様に旋回し、その密度も濃くなっている気さえするのだ。
ギルマス中心に方針を議論していく中、俺はリンの障壁の向こうが気になっていた。なぜか分からないが、胸騒ぎが収まらなかったのだ。
この状況では縛り上げて捉えていた教会の連中や、グロリエル達の安否に気を配れる状況ではないのは分かっている。生存は絶望的だろう。
だが、カオスローカストに呑まれたグロリエルだけは生きている、そんな気がしてならなかったのだ……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
―――ズリズリッ ズ、ズズ
暗い地下道に何かを引きずる音が不気味に響く。
それを引きずり歩くフード目深に被った男が一人。足音を一切立てないその男の立ち居振る舞いから男が裏の稼業に手を染める者であることを伺わせる。
男が足早に歩く地下動は、朽ちた教会から続く秩序の管理者の隠れアジトにつながっている。
やがて地下道を抜けて大きな地下空間に到着。
その中央にはグロリエルが用意した品のない椅子は既になく、代わりに大きく石造りの無骨な台座が用意されていた。その上には手足を鎖で縛りつけられた粗末な貫頭着姿の少女が横たわっていた。
栗色の長い髪をした少女はその拘束を逃れようと身をよじるが鎖はテーブルにしっかりと固定されていてびくともしない。
不思議なことに少女はわずかなうめき声の様な声にならない声を発するのみで叫び声の一つも上げない。いや、そうではない。声が出せないようだ。
拘束された少女の周りにはロウソクが幾つも設置されている。
まるで何かの儀式を行う祭壇の様だ。
男はその祭壇と化したテーブルの上、少女の横にその引き摺っていたモノを丁寧に置いた。
男が引き摺っていたモノ。それは醜い肉塊。
グロリエルだった。
その後、男は数歩下がりその場で跪いた。
しばらく男はそのまま動かない。
少女がもがき鎖を揺らす金属のこすれ合う音が不気味に響くのみ。
やがて、カツン、カツンと杖を突く音が遠くから聞こえてくる。誰かが近づいているようだ。
そして男が入ってきた通路とは逆側に位置する扉がゆっくりと開く。
そこから歩み出てきたのは、杖を突き魔導士風の古びたローブを被った腰の曲がった老人。
その老魔導士の到着にフードの男は微動だにせず跪いたままだ。
老人がその祭壇の前までくると酷薄そうな薄気味悪い笑みを浮かべた。
「ケケッ。ご苦労。準備は出来ておるようだの?」
男は「はっ。滞りなく。全て撤収済みです。」と短く答える。
老人は目の前の祭壇以外、きれいさっぱり何もなくなった周囲を見回し、満足そうに頷いてテーブルに置かれた肉塊と化したグロリエルに目を落とす。
「ケケッ。多少虫に喰われておるがまぁ、実験には支障はあるまい。それにしてもあの愚かな狐人、相変わらず読みやすい男よ。神角を失くしたとはいえこの程度であのメグレズが落せるはずも無かろうに。直接操るまでも無いわ。」
誰かを想像し嘲笑の笑みを浮かべてつぶやいたあと、徐に懐から漆黒に輝く宝玉を取り出した。
その玉は何処までも暗く深い闇を思わせる鈍色。そしてまるで猫の目のような縦に入った赤い筋が一筋見える。それはまるで悪魔の瞳を想起させた。
―――ぅんんぅううー!
その漆黒の闇の雰囲気に中てられたか、少女はそれを見て身をよじりながら逃げようともがいている。
「ケケケケッ!すまんのぉ。お主には悪いがこやつの生贄になってもらう。なに、心配はない。この深淵の瞳を使えば、痛みは一瞬よ。上手く行けば、人の身に余る力を手にできるやもしれぬぞ。」
「あぅ……ううぅ!?」
相変らず薄気味悪い笑みを浮かべたまま、老人は少女の恐怖心をはらんだ呻き声を無視し、その漆黒の宝玉をグロリエルの胸にポトリと落とした。
やがてその宝玉から放たれる闇の光りがまるでアメーバの様に蠢き、グロリエルの胸の肉を食い破り始めた。
徐々に肉を抉り、自我があるかの様に自ら肉に埋まっていく。
―――ぐぅ…あああぁ!?
リュージに打ちのめされて放心状態だったグロリエルも胸を食い破られる痛みと苦痛にくぐもった悲鳴をあげる。
余程の苦痛ゆえか狂った様に悲鳴をあげるグロリエルを嘲笑うかの様に漆黒の宝玉はさらに食い込み、やがて心臓に達する。
その瞬間、心臓から黒いヘドロの様なドロドロとした緑色の何かが溢れ出し全身を包み込んだ。
変化はそれだけではない。それと同時にみるみるうちにグロリエルの体が、肉が盛り上がり肥大化していったのだ。
「あぁ!?・・・・・・うぁ!」
その横に縛り付けられていた少女はなす術なく緑のヘドロに飲み込まれ、やがて肥大化した肉に飲み込まれていった。
「ケケケッ!さてどうじゃ!? 神域の地平線を越えられるかのう?」
目の前で起こる悍ましい醜悪な光景にその老人は嬉々とした表情を浮かべ食い入る様にその様子を観察していた。
まるで人の命をおもちゃの様に弄ぶが如く、その目は愉悦と期待に歪んでいた。およそ正気とは思えない。
グロリエルだったものはもはや顔がどこにあるのかすら分からないただの膨れ上がる腐肉と化しており、未だにその増殖は止まらない。
一向にそれ以上の劇的な変化を見せない肉塊に、やがて老人はスッとその眼の色を失い、先ほどまでとは一段低いトーンでつぶやいた。
「……ふむ。やはりこれもダメかのぅ。人間同士の融合では肉体と魂が一瞬で砕け散った故、もう少し丈夫な半魔人ならもしやとは思ったが……。魂のスピンの反転周期を合わせるだけでは……やはり人工的な魂の融合は……」
もはや老人は目の前のモノに興味を無くしたのか、やがて踵を返してブツブツと何かを呟きながらそのままゆっくりと出口に向かい歩き始める。
そして扉に差し掛かったところで思い出す様に振り返り、未だ祭壇の前で跪くフードの男に言った。
「ああそうじゃった、それは捨て置け。メグレズと同伴している連中の実力を測るにはちょうど良いじゃろ。 後でその報告もよこせよ。ケケッ。」
「はっ。」
肥大化を続ける腐肉に今にも飲まれそうになりながらも微動だにしなかった男はそう短く答えた直後、フッと一瞬で姿を消した。
そして、そのほの暗い地下空間には増殖し続ける腐肉のみが残された。
その肉塊の増殖は加速度的に早まり、そしてこの大空間を埋め尽くすほどにまで成長。
やがてその膨張に耐えられなくなった天井が―――崩落した。
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