第2部 第12話 白銀の狼 《挿絵あり》
「オイオイ。まさかその駄犬一匹が俺の相手か?」
グロリエルは仮面の奥から酷く蔑んだ眼差しで呆れる様にそう言った。その言葉に思わず反論する。
「駄犬じゃない。シルバはエンリケの忠実な従魔だ。」
「はっ。忠犬?この犬がか?主人の死に際に我先にと逃げた犬が笑わせる。」
シルバは逃げたんじゃない。エンリケの危機を知らせに懸命に走ったんだ。あの現場からクロスメントまでは半日以上かかる道のりを追手を巻くために危険な蛇の森を抜け、僅かな時間で俺たちのもとにたどり着いた。
グロリエルの言葉に思わず一歩踏み出しそうになる。だが、そんな俺の気持ちを汲んだか、シルバは無言で一歩、また一歩と姿勢を低くしながらグロリエルに近づいていく。
「……まぁ、いい。まずはその駄犬を葬ってから話をするとするか。」
肩を竦めて呆れたような態度でそう答えるグロリエル。そして、ゆっくりと背に背負った大きな大剣をその肥大化した右腕で引き抜く。
グロリエルは二メートルはありそうな巨大な大剣をまるで小枝でも振る様に易々と素振りした後、無防備にシルバに近寄っていく。
何という膂力だろうか。あの巨剣に掠っただけでも致命傷になる。その動きは俺達が知る以前のグロリエルとは明らかに違っていた。むしろ、生物として別の生き物になっているかのようだ。
そう思い、俺は彗心眼を強く発動する。以前の人間だったころの薄紫色の霊子結晶のその奥に、微だがあのおぞましい赤黒い魂が視えたのだ。
「そんな!?……あれは、魔人?……いや、違う。なりかけている?」
そうつぶやいた次の瞬間、グロリエルの霊子結晶が強く輝き、瞬きの間に巨剣が上から振られ地面を割った。砂埃が舞う。
―――ピピピ!
それに合わせて俺のメガネが強く反応し、そのALTを表示した。
――――――
“グロリエル(半人半魔人)”
“ALT:2,439 (+23,630)”
――――――
!?やはり。
信じられないことだが、グロリエルは人間をやめたようだ。
しかもALTも以前とは比べ物にならない程の数値を示している。以前は2400程度だったのを思えば、あの+23630と言うのがあの魔人になりかけた霊子結晶の強度と言う事なのかもしれない。
「フハハハハハハ!どうだ!この力。この膂力!圧倒的な力。今の俺はSランクハンターでも止められんぞ!ハハハ!」
巨剣を一振りしたグロリエルは上半身をのけぞらせて高笑いしている。そのひと振りでシルバを仕留めたと思っているようだ。
どんな手を使ったかは知らないが、半魔人化したことで確かにALTは高まったようだが元の技量までは変わらないらしい。
巨剣により立ち込めた砂埃が晴れ始めたその時、突如横合いから灰色の影がグロリエルの首元めがけて飛び出した。
一瞬呆けた顔をしていたグロリエルだが、強化された肉体故かギリギリでそれに気づいて顔を逸らす。
直後、無機質な仮面が空を舞いポトリと地面に落ちた。それと同時、シルバは難なく着地してすぐさまグロリエルに対峙した。
間一髪でシルバの攻撃を逃れたグロリエルと言えば、顔を手で覆い隠しその場にうずくまりながらも、その身を怒りでフルフルと震わせていた。
「!?このクソ犬が!俺様の顔をさらしやがって。ぶっ殺してやる。」
グロリエルはそう激高して立ち上がり、手で覆い隠していたその顔をさらし怒りで顔を歪ませた。
思わずその醜悪な顔に息をのんだ。
特に右半分の皮膚は焼けただれたように溶け落ち、赤黒く、瞼は無くなり眼球が露出。そして頬の下部には何と出来そこないの目玉のようなものがギョロギョロと不気味に動いていた。そこから首、肩、恐らく腕も同じような、爛れて溶け落ちた赤黒い皮膚が続いていた。
何と悍ましい姿だろうか。一目でそれが人と違う何かであることが分かる。
グロリエルはその命と超人的な力の代償として無くしてはいけない大きなものを支払ったようだ。
「グロリエル。人間までやめたのか。」
思わずこぼした俺にグロリエルは人を殺すような殺気だった目を向けた。
「黙れ。黙れ、黙れ黙れ!虫けらが!全部テメェらのせいなんだよ! 崇高な俺様がこうなったのは、俺の計画を尽く邪魔したお前らのせいだろうが!お前ら。ただで死ねると思うなよ? ここでとらえた後、死ぬ方が遥かにましだと思えるような苦痛を永遠に与え続けてやる。」
そう言って、グロリエルは肥大化した右腕を掲げ、力を込め始める。
グロリエルの不釣り合いな右腕は黒い甲冑に覆われているが、西洋甲冑にしては珍しい形状で鉄の板が屋根瓦の様に何枚も重ねられた構造になっていた。どちらかと言うと日本の戦国甲冑の様な見た目だ。
グロリエルが力を込めるとその甲冑の鉄板の隙間から触手の様なモノが二本、三本と生えて伸び始めたではないか。まるでタコの足の様に伸びたその触手のその先がやがて刃の様に平たく硬質化していく。
「これが俺の力だ。これだけあればチョロチョロと逃げ回るクソ犬も躱せはしまい?」
口元を歪ませたグロリエルはその右腕の巨剣を木の枝を振る様に振るい、シルバに襲い掛かった。
目にも止まらぬ速さで一薙ぎする。シルバはそれをギリギリで躱すものの、そこから伸びた三本の触手がわずかに遅れてそれぞれがシルバを襲った。それでもシルバは器用に一本、二本と躱すがさすがに三本目の触手は完全には躱しきれずにその体をかすめた。
そんな一撃を何度もシルバに叩き込むグロリエル。その度にシルバの体に浅い傷が刻まれていく。
「フハハハハハハ!どうだ!いい加減死にさらせっ!」
血走った目で執拗にシルバを追撃するグロリエル。その度に傷を増やしていくシルバ。
それを見かねたリンが一歩踏み出そうとする。
「リン。ダメだ。」
俺は手を伸ばしてそんなリンを押しとどめる。
「もう限界だわ。あのままだとシルバは持ちこたえられない!」
「ダメだ。シルバはまだ諦めていない。」
俺はそう言ってリンにシルバの方を見る様、促した。
そうなのだ。傷つきながらもシルバの目は鋭さを増し、明らかに何かを狙っていた。
それを見て、リンがグッと手に力を入れて押しとどまった。
どれほどの時間がたっただろうか。時間的にはそれほどではないかもしれない。ただ、もう既にシルバの灰色の全身は血で赤く染まりつつあった。それでも、シルバは斃れない。その眼光は鋭く獲物を狙っていた。
「そろそろ死ね!クソ犬がぁ!!」
この状況に嫌気がさしたグロリエルがこれまでにない程大きく振りかぶったその時。シルバの後ろ足が強く輝く。これまでにない程の強力な身体強化だ。
グロリエルが巨剣を振り下ろすそのタイミングでシルバは目にも止まらぬほどの速度で飛びかかる。その弾丸の様な飛び掛りは振り下ろすグロリエルの腕をかすめ、その腕から生えた触手二本を引きちぎりそれでもなお止まらない。
その鋭い牙はそのままグロリエルの首に向けられている。その勢いのまま首元に噛みつくかに見えた一瞬手前、グロリエルは咄嗟に左腕を首元を庇う様に伸ばす。
―――ガキンッ!
シルバの渾身の飛びつきは虚しくもグロリエルの左腕のナックルガードに阻まれた。
「ハッ!クソ犬が!残念だったな!」
シルバの渾身の一撃はグロリエルに阻まれたように見えた。だが次の瞬間、シルバはその腕にぶら下がる様にしてグロリエルの体を後ろ足で鋭く蹴り、グロリエルから離れる方向に飛び出した。
その向かう先は巨剣を振り下ろしたままの右腕、その手首だった。
―――ぐぁあぁ!
グロリエルの悲鳴が響く。
肥大化した右手首も当然ナックルガードで守られているが、なぜかシルバが噛みついた部分は装甲が薄くなっていたのか、鎖帷子で覆われていた部分だった。
シルバはその装甲が薄くなった部分を最初から狙っていたのだ。
思わぬ反撃にグロリエルはたまらず巨剣を手離し、その腕を振り回す。
だが、なぜかシルバは噛みついた腕に必死にしがみついて離れない。振りほどけないシルバに業を煮やしたかグロリエルはその左腕で何度も殴りつける。
「駄犬が調子に乗りやがって!いい加減離れろ!この!このッ!クソが!」
シルバは何度殴りつけられてもその牙を離そうとしない。殴られるたびにシルバの血しぶきが舞う。
……なぜ?シルバは何を必死に?
そう疑問に思っていた時、リンが叫ぶように言った。
「これ以上はいけない!」
リンが飛び出そうと腰を落とす。
その時、俺はシルバの狙いに気づいた。
シルバが必要に噛みついているあの腕の装甲がはがれ、そこから見えたもの。
あれは。
“魔獣の円環”
エンリケが妹のために肌身離さず身に着けていた魔道具。グロリエルが右腕に装着していたそれをシルバは取り返そうというのか。
最初から。最初からシルバの狙いは主人が妹のために何よりも大事にしていた魔道具だったのだ。
「リン!まだだ!待ってくれ!」
「リュージ!何を言っているの!このままじゃシルバが死んでしまうのよ!」
叫ぶようにそう言って飛び出そうとするリンの腕をつかむ。
「ダメだ。シルバはエンリケの魔道具を取り返すために腕を食いちぎるつもりだ。ここで助けに入ったらシルバは俺たちを許さない。」
「!?でも!……」
それでも食い下がろうとするリンの腕を強く引き、目を見て首を振る。
俺の態度にリンが悔しそうに食いしばって、踏みとどまった。その目は悲しげにシルバを見つめている。その目に、うっすらと涙を浮かべながら。
俺たちは歯を食いしばりその攻防を見守る。
もはやシルバの鮮やかな灰色の毛皮は真っ赤に染まっている。それでもシルバはその腕を離さない。しばらくして、シルバの顎のアニマが強く反応する。
身体強化を顎に発動し、嚙みついた牙がグロリエルの右腕にさらに食い込んでいく。
「!?ッぐあァ!」
たまらず、膝をつき腕を抑えうずくまるグロリエル。
その隙を突きシルバが最後の力を振り絞るように顎に力を入れていく。そのたびに刃が食い込み腕から赤黒い血が噴き出していく。あと少し。あと少しで腕がちぎれる。そう思えたとき。
グロリエルは腐ってもBランクハンター。それで終わらなかった。
「いい加減っ!にっ!しろよ!クソイヌがぁ!」
そう叫ぶと同時、一本千切れずに残っていた触手が蠢き、次の瞬間シルバの胸に突き刺さった。
鮮血が舞う。明らかな致命傷だ!
「シルバー!!」
リンが叫び、駆け出そうとする。だが、それでも俺はリンの腕を離さない。
「!? いい加減にしてリュージ!本当に死んでしまうわ!」
「大丈夫だ!シルバは大丈夫だ。俺を信じてくれ。」
それでも首を横に振り、リンを押しとどめる。
俺の態度にリンは理解できないと唖然とした顔をしている。俺には視えていたのだ。だがそれを説明するのは難しい。
つぎの瞬間、血まみれで今にも絶命しそうなシルバの全身が光りだす。
この光は俺の彗心眼で見た光ではない。実際に光を放っているのだ。
「!?なんだ!この光は??」
その光にグロリエルも、リンも目を見開き困惑の表情を見せた。
そう。俺には視えていた。シルバに劇的な変化が起こり始めているのが。
通常、霊子結晶は生まれた瞬間からその色と形、輝きを変えることはない。
強い想いや戦った敵を打ち倒すことで霊子結晶がわずかに融合することはあるが本来その生物が持っているアニマは変わらないのだ。
自身の霊子結晶の波長を自在に変化させる無幻水心流の魂魄同調であっても、術を解けば本来備わっている元のアニマに戻る。
だから、俺が今、目にしている事象は本来ありえない現象。
シルバの霊子結晶がこの瞬間、見る見るうちに変わっていっているのだ。
その色が変化していくのであれば俺の魂魄同調の例からもありえなくはない。
だが、シルバの変化はそうじゃない。
霊子結晶の輝きがどんどんと増しているのだ。
これは、命が尽きるときに見せる最期の輝きとも違う。今までに見たことが無い劇的な変化だ。
いや、どこかで……
そうだ。一度、お腹を大きくした野良猫を見たときに同じような反応を見たことがあった気がする。
その野良猫のお腹の中。新しい生命が誕生していくその過程も同じようにアニマが徐々に強くなっていった。もちろん、今、目の前で起こっているシルバの変化ほどの速度ではないが。
「……まさか。生まれ変わるとでもいうのか?」
―――ピピピピピピピピ!
俺の黒縁眼鏡のALT測定音が止まらない。どんどん上昇していっている。
一万、二万、三万……そのALTの上昇は止まらない。
間違いない。今、シルバの霊子結晶はどんどんと強化されているのだ。
なぜ?どうやって?
その疑問は彗心眼を全開発動して解けた。
この周囲に漂う原初の素粒子が、まるでシルバに吸い込まれるように集まっていっているのだ。
シルバは周囲のオリジンをアニマに変えて生まれ変わろうとしていた。
だが、そんなこと起こるのか?一体、どうなっている?
明らかに異常な状況にグロリエルも狼狽える。
だが、それと共に先ほど致命傷を与えた筈の傷も見る見るうちに回復していくのを目の当たりにしてようやく我に返る。
「クソ!何かの魔法か!?いい加減離れろ!離れろぉ!」
グロリエルは再度触手の攻撃を繰り返していく。その度にシルバの体は傷ついていくが、そのはしから傷が回復していく。体格も一回り大きくなっているように見えた。
更に、赤く血に染まっていた元の灰色の体毛は抜け落ち、輝く銀色に変わっていった。
それを見て恐怖を感じたか、グロリエルは触手をさらに発生させてさらに攻勢を強める。
いくら再生すると言っても腕に噛みついたままのシルバは無抵抗だ。流石に再生が追いつかず、その体に大きな傷が刻まれていく。
グロリエルの苛烈な攻撃に追い詰められていくように見えたシルバだが、次第にシルバから冷気が発生しているのが視えた。
事実、噛みついているグロリエルの右腕が白く凍結し始めたのだ。
「ぐあぁぁ!!」
徐々に凍結していく右腕の激痛に耐えかねて悲鳴を上げる。凍結の範囲は見る見るうちに拡大。もはや手首のみならず肘、上腕に達し、そこから生える触手も動きを止めていく。
その様子を見て驚いた顔でリンが呟く。
「……まさか。氷結魔法?」
そう。あれは魔法だ。信じられないことだが、彗心眼で視る限りシルバは何らかの魔法を発動している。
直後。
―――バキッ!バリン!
完全に凍結したグロリエルの右腕は、その腕にはめた“魔獣の円環”を残して砕け散った。
シルバはその体に深手を負いながらもついにエンリケの形見を奪い返したのだ。
そして“魔獣の円環”を器用に自身の前足にはめ、その口を天に向けて大きくのけぞった。
―――ウォーン!ウォーン!
シルバの遠吠えが、傾きかけた日に緋色に染まり始めた空に響き渡る。遥か遠くに行ってしまった主人に届けと、どこまでもどこまでも。
挿絵のシルバの前足にどうしても“魔獣の円環”を描写することができませんでした。
“魔獣の円環”をはめているものであると脳内変換してください(汗)。
※生成AIは思い通りの細かい修正を加えようとすると途端に難しくなりますね。。。




