第2部 第10話 手がかり
皆さん
明けましておめでとうございます。
これを読んでくれている皆さんに良い年が訪れますように。
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◆ ◇ ◆ ◇ ◆
―――はぁっ、はぁ。はぁ、はぁっ!
深い森の中、一人の少女が息を切らせ道なき道を必死に駆けていた。
齢十になるかどうかという小さな体でなりふり構わず草木をかき分け、ひたすらに走る。何かに追われているのか、時折後ろを振り返っていた。その顔は怯えに染まっているようだった。
「早く、誰かに伝えなきゃっ! あのお姉ちゃんが……。」
その絞り出した声音には追われる恐怖だけでなく、焦りが含まれていた。
―――ヒャッハー!
少女の後方から誰かの愉悦を孕んだ雄叫びが聞こえてくる。
「!? 追いつかれちゃう! 誰か!誰かっ!」
その雄叫び聞いた少女は顔を青くして、更にその足を早める。だが、山道に慣れていないのか、はたまた焦りゆえか、気持ちばかりが逸りその足は思う様に運ばない。
山道に何度も足をとられてその度に転倒する。
それでも少女は必至になって走った。
やがて逃げ切ったのか、後ろから聞こえていた雄叫びは止み、静かな森に鳥のさえずりが響いてきた。その事に安堵したのか、少女はほっと一息つく。
「はぁはぁ。もう追いついてこないみたい。」
後ろを振り返りながら少女がつぶやいたその時―――
「みぃつけたぁ。」
少女のすぐ横の茂みから、一人の痩せ細ったスキンヘッドの男の下卑た顔が突然現れたのだ。
―――!?
少女は叫ぶ暇もなく茂みから飛び出してきた男に覆いかぶさられ、地面に組み伏せられる。
「いやぁぁぁ! 離してぇ!!!」
少女はその華奢な体をくねらせてどうにか抜け出そうともがくが、その体格差は歴然。覆りようもない。
「ダメだぜぇお嬢ちゃん。大人しくしないと痛い目見ることになる。」
そう言って男は手にしたナイフを少女の顔の前でちらつかせる。それだけで少女は小さく悲鳴を上げて顔をこわばらせて抵抗をやめた。
「いい子だ。そうして大人しくしてれば命だけは助けてやる。」
男はニヤリとイヤらしい笑みを浮かべながら舌なめずりをした。
「……多少商品が汚れちまうが、バレねぇよな。」
そう言って男は少女の服とも言えないボロボロの貫頭衣に手をかけ、ゆっくりと服が捲られ、少女はそれを目を強くつむり黙って受け入れるしかないかに見えたその時―――
―――ぐぁあ!?
突然、男の悲鳴が上がる。馬なりになっていた男が痛みに顔を歪める。
見れば、男の太ももに小枝が突き刺さっていた。
小枝を握っていたのは少女の小さな手だ。少女は涙目になりながらも強い眼差しを以て必死に抵抗していた。
「ッこのガキが!」
「きゃぁ!!」
痛みに耐えながらも怒りに震えた男が顔を真っ赤に染めて少女を足蹴にする。
その容赦のない蹴りに少女が地面を転がった。
「あたま来た!ガキが調子に乗りやがって!ぶっ殺してやる!」
スキンヘッドに血管を浮き上がらせ完全に頭に血が上った男は、ナイフを手にして立ち上がり、少女に襲い掛かろうとしたその時。
―――ガウゥ!
二本の尻尾をもった灰色の大きな狼が突如男の横合いから襲い掛かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
時は少しさかのぼる。
街道に三つの人影があった。狼の様な大きな従魔に、ハリネズミ、幼竜、それに小鳥を連れた移動動物園でも営業しているのかと言う様な不思議な一行が、街道の分岐点で立ち止まっている。
残念ながら、朽ちたか元々なかったか、標識は見当たらない。
「左だったよね?プギの街は」
「右だったと思うわ。太陽の位置がこっちだから東はこっちね。」
そう質問した直後に後悔した。リンにこの手の質問をしてはいけない。
「間違った。……ねぇソワレ。プギの町は左だったよね?」
「!?ちょっとリュージ。何で同じ質問をソワレにするの?私、答えたわよね?」
斜め前にいたソワレは剣呑な顔をするリンを無視して振り向いて言う。
「そう。左。この調子なら昼過ぎには到着する。」
「そうか。意外と早いね。」
「ちょっと。リュージ。私の話、聞こえてないのかな? それにソワレも私を無視して間違った道を答えないで欲しいんだけど。」
俺はリンを向いて何と返すべきか思案していたが、しばらくして諦めて左の道を歩き出す。
「リュージ!無言で左に行かないで欲しいのだけど。それに、今の残念そうな顔は何?ねぇ?」
俺が無視して左に行ったのが悪かったのか、それとも不憫な者を見る眼差しを向けてしまったのが悪かったのか。リンがプリプリと怒りながら俺の両肩をガクガクとゆすっている。
「い、いや、特にっ理由っは、ないっ、けどっ……」
いい加減その怪力で俺を揺らすのはやめて欲しい。身体強化全開発動でもいい加減首がもげそうになってきた。
「リン。やめた方がいい。……そろそろリュージが死にそう。」
ソワレのその言葉にどうにか大地震はおさまったようだ。そこでようやくリンは俺の惨状に気が付いたらしく、慌てふためいている。
そりゃそうだ。今この瞬間、俺は意識を失いかけていたから。きっと白目を剥いている事だろう。
自分の失態に慌てるリンに、相変らず空気を読まないソワレがボソリとトドメの一言を放つ。
「漂流者のリン。二つ名は本当だったのね。」
その言葉に、ピシリと何かにヒビが入ったような音をたててリンが固まった。
ソワレは容赦なく地雷を踏みぬいてくるやつだ。絶対にわざとやってる。
それにしても、噂では聞いていたが、リンに漂流者という不名誉な二つ名が付けられているのは本当だったらしい。
「ソワレ。……それは私じゃない。別人よ。」
どうにも無理筋な話だが、目を背けて反論とも言えない言い訳を言い始めるリン。どうやら漂流者のリンを他人だと言い張るつもりらしい。
「それはおかしい。そのリンは、聞いた噂では大きな燕に乗って空を駆けるダークエルフだとか。」
「……。」
リンのふてくされた顔を見るに認めたくはないが認知はしているらしい。そっぽを向きながらも一応の反論を返す。
「冒険者に成りたての頃、少し依頼に遅れただけよ。たったそれだけで変な名前がついたのよ。いつものダークエルフに対する嫌がらせだわ。」
まあ、リンの方向音痴は筋金入りだが、人間種の妬みが生んだ嫌がらせと取ることも出来るか。
「私が聞いた噂では、カサンドラ辺境王国連合で受けた依頼の結果を王都グランディアのギルドで報告したって話だったはず。」
「……もう、何でそんな詳しいの。報告を忘れていた依頼をたまたま王都で報告したの!そういう事よ。もう、その話はやめましょう。」
いつも無表情なソワレだが、その口の端が少しピクピクと痙攣しているのを俺は見逃さなかった。どうやら、リンをいじって笑いを堪えているらしい。
リンはソワレのそんな顔を見て、額に血管がちょっと浮き出ていた。その直後、何かに気づいたように、リンの目が怪しく光った気がした。
「そう言えば、旅の途中、私も一人の司教様の噂を耳にしたわ。」
「へぇ。どんな?」
「確か、100年に一度の天才魔法士。流れるピンクブロンドの髪を束ねた見目麗しい水精の美少女。」
その自身を褒めたたえる言葉にウンウンを頷き、無表情ながらもどことなく満足げなドヤ顔を見せるソワレ。それを確認してから、リンはさらに続ける。
「その可憐な少女の字名は水精。……またの名を『洗濯板のソワレ』とも言われていたわね。」
リンは胸をそらし、ニヤリとしながら見下す様にソワレの胸に視線を送る。
その言葉を受けたソワレは無言で自分の胸とリンの胸を見比べた後、目を細め刺すような眼差しを向けた。
二人はそのままお互いに無言で見つめ合っている。
どれほどの時間そうしていただろうか。しばらくしてソワレは何処からともなく錫杖を取り出し、一方のリンは腰の短刀を抜いて構えた。
「リュージの事は私に任せて。貴女は安心して死ねばいい。」
「それは私のセリフ。ソワレはやっぱり教会に戻った方がいいわ。」
二人はお互い笑顔なのに、その眼が笑っていない。
もうそこからは荒ぶる神々の戦いだ。俺のような矮小な人間ごときが割って入れるはずも無かった。その神域に踏み込んだが最後、体は見るも無残な肉塊に変わるだろうと錯覚するほど。パンピーが踏み込んではいけない絶対領域と化していた。
ふと横を見ると、いつの間に離脱したのかチクチクとファルも俺のすぐ隣で呆れたような顔で座ってその光景を眺めていた。
そんな光景をぼーっと見ながら思う。
いつの間にか、二人の間にあった隔絶した心の壁のようなものがだいぶ薄れたように思える。特にあれだけ警戒していたリンの態度がこの数日間で急激に軟化した。
正直俺はここまで二人が仲良く(?)なれるとは思っていなかったのだが、女子と言うのは不思議なものだ。
そんな現実逃避をしながら、俺は目の前の嵐が過ぎ去るのを待ち続けていた時だった。
急に周囲を警戒していたシルバが顔を上げ、耳を立ててキョロキョロとし始めた。しばらくして、一点を見つめてワゥッ!と短く吼えた。
その瞬間、リンとソワレは鍔迫り合いをやめて瞬時に周囲の警戒態勢へ移行。流石、Aランクハンター。切り替えが早い。
直後、俺も彗心眼を発動し周囲を警戒する。が、特に何も見えない。しばらくして寝ていたチクチクも顔を上げてその小さくて丸い耳をピクピクとさせていた。ファルも何かに気づいているようだ。
……音か。人間には聞こえないほどの何か。かなり遠いのかもしれない。
しばらくしてシルバが数歩走り出してすぐさま俺たちの方を振り返った。
……この反応は。蛇の森で救難者を見つけた時と同じ反応。シルバが示す方向は街道から逸れた森の中。向こうでハンターではない誰かが襲われているのかもしれない。
「行こう!シルバ!」
そう号令をかけると同時、チクチクがシルバの上に飛び乗った。そしてシルバは風の様に走り出す。
それに遅れまいと俺達も追いかける。
俺の全力では到底追いつけない速さでシルバが駆けていく。
「ソワレとリュージは後からついてきて!私はシルバと先行するわ。」
リンは遅れ始めた俺達にそう言って、シルバと共にスピードを上げ、しばらくして森に消えていった。
草木をかき分け、信じられない程の速さで迫る森の木々を最小の動きで躱していく。
前世の俺では想像もできない程のスピードだ。神龍の一件以来俺の身体強化もだいぶ強力に発動できているし、体自体も信じられないほど強くなった。
それでも、リンのスピードには到底かなわない。魔法職であるソワレは俺と並走しているがその表情は余裕そのもの、俺にスピードを合わせてくれているのだろう。
だいぶ強くなったと思っていたが、この二人を見ているとまったく自信を無くす。
そんな事を考えている内に森の先、獣道なのか少し開けたところでシルバとリンがいるのが見えてきた。
俺が現場に駆け付けるとリンに泣きながら抱き着いている少女が一人。そして少し離れた場所にスキンヘッドの男が腕から血を流して倒れていた。
男は両腕を後ろ手に縛られており、息はしているようで死んではいないようだ。
少女がこの見るからに盗賊風の男に襲われていたところにシルバが駆け付けたところだったようだ。
先ずは少女に話を聞く必要があるが……相当に怖い想いをしたのか怯え震えている。
事情聴取はリンに任せた方がよさそうだ。
暫くして少女が泣き止み落ち着いたところでリンは少女に目線を合わせてゆっくりと語り掛ける。
「怖かったわね。もう大丈夫よ。貴女のお名前を教えてくれるかしら?」
「うん……私はオリビア。オリビア・ロキス。 危ない所を助けてくれてありがとう。ありがとうございます。」
オリビアはそう言いなおしつつしっかりとした礼を見せた。苗字があることからもどこかの貴族の子女の様だ。これはただの拉致誘拐事件では済まなそうだ。
その後もオリビアから状況を聞く。八歳と言うが随分としっかりしてる。
オリビアはオキス男爵家の三女でアウレット公爵領のダリエスショットに向かう途中で攫われたようだ。
オリビアを攫った連中の素性は分からなかったが、ここから北にある森の中の朽ちた教会から走ってここまで逃げてきたとのこと。どうやらそこがアジトの様だ。
「そうだ!? 私、お姉ちゃんに助けられてあそこを抜け出せたの。今頃ひどい目にあわされているかも知れないの!お願い、助けてあげて欲しい。どうか、どうにかお願い!」
「オリビア、大丈夫。落ち着いて。先ずはそのお姉ちゃんのことを教えてくれる?」
「うん。お姉ちゃんは攫われたあの教会の檻の中で知り合った年上のお姉ちゃん。私の家族じゃないの。 でも、とても優しくしてくれて。 それに、声が出せないのに、上手く見張りをだまして私が逃げる隙を作ってくれたの。」
声が出せない!?
思わずその話の間に割って入る。
「ちょっといいか?そのお姉ちゃんって子は、声が出なかったのか?」
「うん。そう。声が出せなかったみたい。」
「……その子は栗色で長い髪で、名前は、クリスタじゃなかったか?」
俺の問いかけにオリビアは目を丸くして驚いたように言った。
「そう。何でお兄さん、お姉ちゃんの名前知っているの?」
!?
失声症のクリスタ。それはエンリケの妹の名前だ。
あのシルバの見た映像の中で、エンリケがグロリエルに何か言われて抵抗を止めたように見えた瞬間があったが、あれは妹のクリスタが人質に取られていたからじゃないだろうか?
そう考えるとエンリケが誰にも告げずに一人でグロリエルの呼び出しに答えたのも納得する。
たった一人の肉親を拉致してエンリケを呼び出すなど、何て卑劣な奴だ。外道め。
だがこれで手がかりはつかんだ。クリスタを拉致したのは十中八九グロリエルだろう。であれば奴らのアジトに行けば……。
俺はリンを見る。リンも無言で俺を見て頷く。
「オリビア。分かったわ。その子は必ず助ける。約束するわ。」
俺は急いでその朽ちた教会に向かうべく周りを見渡したその時、ソワレが倒れた男に錫杖を向けて何かをしているのが目に入った。
そして、ソワレがその気絶した男にしている事を認識して背筋が凍る。
「ソワレ!何してんだ!」
慌てて駆け寄りソワレの錫杖をひねり落として、叱責するようにソワレを見た。
だがその眼を見た瞬間、一瞬声が出せなかった。その琥珀色の目は酷く底冷えのする色を湛えていたからだ。
「……何って。ただのゴミの掃除。邪魔しないでくれる?」
その眼は何の感情も宿っていない。いつもの眠たそうな眼。だがその眼の奥には言い知れぬ怒りとも苛立ちとも取れる何か強い意志が見えた気がした。
男の方を確認すると、既にリンが介抱をしていた。直後、酷くせき込み口から大量の水を吐き出していた。
どうやら水で窒息死させようとしていたようだが、どうにか一命はとりとめたらしい。
「……ソワレ。なぜ無抵抗の男を殺そうとする?」
「リュージ。もしかして怒っているの?私にはなぜあなたが怒っているのかが分からない。」
その回答に思わず感情が高ぶり、思考が飛びそうになる。何を言っているんだソワレは?
「ああ。怒っている。無抵抗の人の命を奪おうとしたことに俺は怒っている。そんなことも分からないのか!?」
余りにも無表情なリンについ声を荒げてしまった。
それを見てか、リンが俺を制止するように前に立って落ち着かせようとしていた。
「……分からない。コイツは誘拐犯。人間のゴミ。こんな奴らは死んだ方がいい。」
「!?っこのッ!!」
その言葉に思わず手を挙げそうになるが、リンが俺を遮り首を横に振っている。
「リュージ。ダメよ。ソワレは確かに行き過ぎているかも知れないけど、貴族の子女を誘拐したとなればどの道この男に未来はないわ。よくて処刑、そうでなければ死よりもつらい炭鉱送りよ。 ……でも、生かしておけば誘拐した組織の情報を聞き出せる。」
噴き出しそうな感情を必死に抑えリンの言葉の意味を考える。
そうだ、この世界は俺のいた世界じゃない。命の価値が違う。考え方の根本が違う。奴隷制度がまだ存在するこの世界には人権などと言う言葉は存在しないのだ。
頭では理解しようとするが、だからと言って無抵抗の男を殺すのは違うだろ。
「……リン。ありがと。言いたいことは理解したつもりだが、納得は出来ない。とにかく俺の前で人殺しは無しだ。」
その言葉を聞いたリンはとても悲しそうな、つらそうな表情を見せた。
俺にはなぜリンがそんな顔をするのかその時は理解できなかった。
「リュージ……。今はそれでいいわ。……ソワレ。この男はこの子を誘拐した組織の情報を握っている。今安易に殺すよりも利用価値があるわ。」
感情的になっている俺に代わってリンがそんなことを言う。
「……そう。そう言う事なら、生かしてもいい。……ここで生かす方がその男にとってはつらいと思うけど。」
渋々と言った形で引き下がるソワレ。
その態度にモヤモヤしたものを抱えつつも、今は気持ちを切り替えなきゃならない。エンリケの妹の救出が先だろう。
「ひと先ずこのことはいったん置いておく。今はクリスタの救出が先だ。俺としては匂いがあるうちにアジトを突き止めておきたい。どうだ?」
「……そうね。全員でこの子を町まで送るとこの前の様に追跡できなくなるかもしれない。申し訳ないけど、ソワレこの子をプギの街まで送り届けてくれるかしら。」
その提案にソワレは最初拒否したが、俺がシルバに、リンがシロピーに乗ってアジトを捜索する方が効率がいいと言うと、渋々了承してくれた。
そうしてソワレに少女を任せ、俺とリンはオリビアの匂いを追跡する形で誘拐犯のアジトの捜索するため駆けだすのだった。




