第2部 第7話 二人の覚悟
◆ ◇ ◆ ◇
―――パチパチッパチ
暗い夜に薪のはじける音が溶ける様に消えていく。
ゆらゆらと揺れる焚火の炎を見ていると不思議と心が落ち着く。
雨はようやく上がり辺りは静けさに包まれていた。静寂の夜に一人、焚火を見つめていると思考の海に沈んでいく様だ。
あの時、確かにエンリケの思い出が走馬灯のように駆け抜け、心が熱くなった。
私は子供のころから動物の心と通じ合うことができた。だから、これはシルバの想いが流れてきたものかと最初思った。
だけど、あの時見えた映像は今まで感じた事のない程鮮明なものだった。しかもその視点がエンリケからの物だったのだから不思議。
そして、リュージもあの時同じ様に感じていたようだった。
その時、体を震わせ静かに涙するリュージを見て胸が締め付けられた。思わずリュージの手を取ったあの瞬間、リュージと心がつながった気がした。
リュージの悲しみ、虚しさ、そして煮えたぎるような慚悔。
それらが直接心に流れてくるようだった。
私の大事な友達は優しい。
優しすぎる。
今回の事は私たちにはどうしようもなかったはずだ。事前にエンリケが私たちに助けを求めたわけでもなかったのだから。
私たちハンターはいつ命を落とすかもしれない覚悟を持っている。ハンターとはそう言うものだ。
でも、リュージにとってはそうではなかったみたい。
噛み締めた唇から血が滴るのにも気づかず、嗚咽をかみ殺すリュージ。
出会ってから初めて見せたリュージの涙。その頬を伝い滴り落ちる涙を見て堪えきれない程の熱い感情が沸き上がった。
―――この人の力になりたい
心の底からそう思った。
命が軽いこんな世界だからこそ、その命を他の誰よりも重く受け止められる人はリュージの他に居ない。他人の命を重く受け止めるからこそリュージはそれを守るために全力でそれに立ち向かう。時に自分の命を顧みずに。
そんな彼を支える人が必要だ。そうじゃなきゃきっと彼はいつか命を落とす。
私はそんな心優しいリュージを傍らで支え続ける人になりたい。
外套にくるまって静かに眠るリュージの寝顔を見つめる。
最近、自分でも気づかずにリュージの事を目で追ってしまう。リュージと離れるとリュージの事ばかり考える自分がいる。心が落ち着かない。
私の心が落ち着くのはリュージと一緒に居るときだけ。
さすがにもう自分を誤魔化すことができなくなっている。
私は……この人が好きなんだ。
そう改めて自覚して、胸が熱くなり顔がほてる。
しかし同時に胸が張り裂けそうになる。私にとってこの高鳴る鼓動はまるで心の慟哭の様だ。
胸の中心、心臓にあたる部分に私はそっと手を当てる。そこから伝わる人肌とは違う硬くて冷たい無機質な感触。
自分の運命はとっくに受け入れていたはずなのに。その覚悟が揺らぐ。
もっとこの人と一緒に居たい。だけど……
「リュージ……私は―――」
胸を抱え、この締め付ける痛みを押さえつける様に体を縮こませて思う。
だからこそ。だからこそリュージを守らなければ。優しすぎるリュージを脅かす芽は今の内から摘んでおかなくちゃならない。
私が居なくなっても大丈夫なように。
そう覚悟してリュージの隣に目を向ける。そこには座った姿勢で静かに目を閉じて眠るソワレがいた。
……この人は危険だ。
変わり果てたソワレを初めて見た時、私は背筋が凍った。その変容した容姿や人格だけが理由じゃない。
ソワレが放つ忌まわしきその感覚を知っていたから。あの肌がヒリヒリとする感覚。
忘れもしない。忘れることなんてできない。
私の里が壊滅したとき。巨人族を率いていた男が放っていたその感覚と同じもの。
私のカンが告げている。ソワレの心の底にある闇は途轍もなく深く、周囲に危険を振りまくものだと。今はそれをソワレと言う人格で覆い隠しているだけだと。
どんなに隠そうともそれはやがて制御できなくなる。
そう思うのには理由が有る。
今でも信じられない。だけど、現に私の兄は変わり果てた姿で私の里を見境なく襲い、全てを破壊しつくした。あれだけ優しかった兄がだ。
今のソワレは私の兄と同じなんじゃないか。そんな予感がする。
その時、寝ていたはずのソワレが不意に目を開けて、迷わず私の目を見返した。どうやら私が見ているのに気づいていたらしい。
「……ごめんなさい。起こしてしまったかしら。交代の時間には少し早いからまだ寝てていいわよ。」
私の取り繕った発言にソワレは黙って見つめ返すのみ。しばらくしてボソリとつぶやいた。
「……話したいことがあるんじゃないの?」
「……。」
私の深い疑念に気づいている目だ。ふぅと息を吐いて覚悟を決める。
「いいわ。回りくどいことは得意じゃないから。少し離れましょう。」
私は膝の上でくるまって寝ていたチクチクをそっと起こして少しの間夜の番をお願いする。そのまま、立ち上がり暗がりに向かい歩いていく。
――――――
「どこまで行くの?もういいんじゃない?」
後ろを黙ってついてきていたソワレがそう言った。
「……そうね。」
短く答えて振り向き、腰の短刀を抜いて身構えた。
「……どういうつもり?」
相変らず眠そうな目で、少し不思議そうにソワレが問いかけた。相変わらず感情が読みずらい子だ。
「単刀直入に聞くわ。私たちに付きまとって、どういうつもり?」
「……付きまとうなんて酷い言い草。 私は……ただリュージの手伝いをしたいだけ。」
「冗談はやめて。貴女が本気でリュージの手伝いをするとは思えない。その理由がないわ。」
そう言うと、これまで無表情だったソワレが一瞬ためらいがちに顔を伏せ、しばらくして呟くように言った。
「リュージは……。 私にとって……大切な人だから。」
「何を……そんな事。あの時あれ程リュージを殺そうとしておいて。“大切な人”だなんて……悪い冗談。そんな事、今更信じられると思うの?」
私の警戒に対してソワレは黙ったまま、しかし私に敵対する姿勢は示さずに目を伏せた。時折私に何かを説明しようと顔を上げては言葉に詰まりまた目を伏せる。
まるで自分の行いを後悔して説明に苦慮しているような顔。
その姿に無性に心がざわついた。
リュージが神龍からソワレを救ったのは聞いた。だけど、それだけで今のソワレを信じることなどできない。今更どの口が言うのか。
そんな苛立ちを必死に抑えながら、ソワレの反応を待つ。
長い沈黙。しばらくして俯きながらソワレが消え入りそうに答えた言葉。
「……貴女に信じて貰う必要はない。」
ソワレの発したその言葉を聞いて、怒りの感情が沸き上がる。そんな回答で納得できるわけもない。
私は一段腰を深く落とす。
息を深く吸い込み、鋭く細く息を吐く独特の呼吸を行っていく。これは昔から私の里に伝わる呼吸法で、これを行うと不思議と集中力が増し、体に力がみなぎってくるのだ。
私はソードアーツを使わない。この呼吸法よってソードアーツよりも数段上の動きが出来るから、モーションが固定されるソードアーツを使う必要が無いのだ。
この間合いなら、魔法使いである今のソワレに一瞬で肉薄出来るという確信があった。
その上で最後通告のつもりで告げる。
「私は本気よ。リュージを危険にさらす可能性の芽は今のうちに刈り取っておく必要がある。今の貴女なら私でも何とかなるかもしれない。この間合いならね。」
私の本気を感じたのかソワレの目が鋭いものに変わっていく。そして、私の言葉を挑発ととらえたのか、顔を上げて口を開いた。
「……本当に貴女にできるかしら? あの時私に手も足も出なかったのに。」
次の瞬間、私は体をばねの様に使い僅か一歩でソワレに肉薄し、柄に桜の紋が入った桜色の刀身をソワレの胸に突き立てる。
が、いつの間にか取り出した錫杖に弾かれた。
私の突きをさばくなんて―――見かけによらず動きが早い!
そのまま体が流れそうになるのを堪えて、短刀を逆手に持ち替え振り向きざまに一太刀。ソワレの首元を狙う。
―――緩衝魔力障壁!
いつの間に詠唱していたのか、障壁が目の前に展開。
私はそれに構わず刃を繰り出すが、魔法の膜がグニャリとクラゲの様に私の刃を包み込み受け止めた。
魔力障壁は素早く展開ができる反面、防御魔法としての強度は低い。しかも障壁を維持するには魔力を供給し続けなければならない。つまりは、障壁を解かない限り基本的に他の魔法を詠唱できないという事だ。
私は構わずその刃を押し込むべく力を込める。それに伴い、障壁に阻まれながらも私の刃がじわじわとソワレの首元に近づいていく。
ソワレはそれを押し戻すべく込める魔力をさらに高めているようだ。結果、力と魔法の鍔迫り合いとなり、ソワレと至近で向き合う格好となった。
「……貴女の本気は分かった。でも別に貴女と戦う理由もない。」
「私にはあるわ。貴方がリュージに付きまとう限りね。」
「いい加減しつこい。私はリュージに危害を加えるつもりはないと言った。あんな事には二度とならない。」
「……それはどうかしら?貴方の意志に関わらず、貴方はいずれ必ず同じことを繰り返す。」
私の確信めいた発言にソワレが眉間にしわを寄せ、次の瞬間爆発するような魔力が私を弾き飛ばした。
その衝撃を出来る限り逸らすように大きく飛び退いて、そして油断なく構えなおす。また仕切り直し。
「まるで知っているような言い草。とても不快。……貴女に私の何が分かるの?」
「正直何も分からない。だけど一つだけ分かることがあるわ。」
「へぇ……。それで?」
「ソワレ……あなた、魔神なんじゃないの?」
ソワレの眉がピクリと動く。
私の問いは無表情なソワレの眉を動かすほどには動揺を誘えたようだ。
私たちが今いるミズルガズ帝国が位置するこの大陸の遥か北東に別の大陸があり、そこに魔神国があるとされている。魔神国は長年人間種と争いを続ける敵対国家だ。
魔神国は未知の大陸で良く分かっていないところが多いが魔族と呼ばれる魔法に長けた人々が住まい、その中でも特に魔力に秀でた極少数の魔神と呼ばれる人々がその強大な力で国を統治しているというのだ。
里が蹂躙された時。あの変わり果てた兄が放つ絶対的な魔力量。ただただ周囲を凍てつかせ、死を振りまくだけの存在。
本来の兄はあれ程の魔法を使えなかったはずなのに。あの時の変わり果てた兄は魔神であったのではないか。
これは、この三年間の旅で知り得た情報から推測した私の確信に近い予感。
「へぇ。博識ね……でも、仮に私がその魔神とやらだとしても、私が暴走する理由にはならない。」
「私は子供の頃、この眼で確かに見た。あれはバケモノその物。その内から止めどなく溢れる魔力に理性を奪われ、敵味方見境なくただ周囲に破壊をもたらすだけの存在。蛇の森でのあなたはあれと同じだった。」
「……そこまで分かっているのね。」
お互い、沈黙のままにらみ合いが続く。
しばらくして、錫杖を油断なく構えていたソワレがフッと脱力し、目を閉じた。そして数秒後、ふぅとため息を吐き目をゆっくりと開きながらボソリと呟くように言った。
「……なら選択肢は二つ。貴女をどうにか説得するか、ここで殺すか。」
そうつぶやいた直後、ソワレは先ほどとは比べ物にならないほどの膨大な魔力を練り始めた。
「これも知っているかしら? 魔神が神に選ばれた存在と呼ばれている理由。それは膨大な魔力を生み出す“神角”があるから。」
ソワレは苦しそうに顔をゆがめながらもその魔力をさらに高めていく。
それに伴い、周囲の空間が歪み、風が舞い上がり、そして強力な魔力障壁が幾重にも彼女を取り囲んでいく。
本来魔力とは感じることも視ることも出来ないものだ。だけどソワレはその常識を覆すほどの膨大な魔力で周囲に影響を及ぼし始めている。思わずその魔力量に気圧されそうになる。
動けない。今あれに飛び込んだら私もただでは済まないのが分かる。
そして次第にソワレの瞳孔が縦に割れて赤く血走り、ソワレの額から一本の白磁の角が生え始めた。
暴力性を感じさせるその吊り上がったソワレの目が私を射抜き、それに反射的に身構えた時。
ソワレは私の全く予期せぬ行動に出た。
錫杖を投げ捨て、自らの両手で額から伸びる“神角”を掴んだのだ。そしてその両手に力を加えていく。
―――うぅあぁ!
自らの角に手をかけて力を込めるその顔は苦痛に歪んでいた。
その行動に唖然としていると、突然何かに抗う様に体をくねらせ、誰かと言い争っているかのように呟きだした。
「…いや!…『…や…めろ……その手を…はな…』…出てこないで!……もう、二度と渡さない…!!」
ソワレは苦痛に顔をゆがませ赤い目を明滅させていたが、しばらくしてその目が完全に琥珀色に染まった時。ソワレが自身の腕に全力を込めた様に見えた。
―――アぁぁぁァあァァ!
そしてその力に耐えきれなくなり限界を迎えた“神角”が硬質な響きを残してついに根元から折れたのだ。
「はぁっはぁっ。」
折れた神角の根元。ソワレの額からは大量の血が滴っていた。
気づけば先ほどまで満ちていた膨大な魔力は霧散し、力なく肩で息をするソワレはまるで脆弱な子供の様に私の目には映った。
「はぁっはぁはぁ……魔神には強力な再生能力がっ、ある。っだけど、“神角”は別。これの再生には…何百年と言う時間が…必要。」
「……何を!?……」
目の前の出来事に唖然とする私が発したのはそんな呟きだけだった。自傷を行うという予想外の展開に全く理解が追いつかないのだ。
唯の自傷ではない、それが魔神にとって命と同じ程重要な“神角”となればなおさらだ。
私は兄を探し続ける三年間の旅で当然魔神についても多くの情報を集めた。
その中で分かったことは魔神はほぼ不老不死の最強と言える存在であるという事。そしてその不死の存在の唯一の弱点が“神角”であり、だけどそれゆえに神角は何よりも強固に守られているということだ。
“神角”は魔神にとっては何よりも優先して守るべきものなのだ。
手足がもげようが、胸に風穴が開こうが、例え首を切断されようとも“神角”さえ傷つかなければいくらでも再生するからだ。
ソワレはその“神角”を自らの意志で折り砕いた。それの意味することは明白だった。
私がその意味を理解し息をのむと、ソワレが衰弱しきった顔で呟くように言った。
「これが私の覚悟……。私はこれ以上、リュージを傷つけることはしない。だから……」
ソワレはそう言って、プツリと糸が切れたように倒れた。
私は咄嗟に駆け寄り気絶したソワレを抱き寄せる。
「……ソワレ……。これ程までにリュージの事を―――」
私の腕の中でぐったりとした小さな体を抱いて思う。
これだけの覚悟を持ってリュージを想うソワレなら、この先を任せられるかもしれないと。
いつの間にか先ほどまでどんよりと空を隠していた雲が晴れわたり、夜空に輝く満天の星々が静かに二人を照らしていた。




