第64話 神龍の意志
その過程で意識を失ったソワレをそっと地面に横たえ、そして天空に佇む神龍を見上げる。
「ここまで待ってくれてありがとう。」
俺はそう言って、片膝を付き深く礼をする。
神龍は俺に敵対するつもりはないようだ。そうでなければ、とっくに俺は死んでいる。
『礼に及ばず。』
短くそう答える神龍は、先ほどまでの荒々しい雰囲気は霧散し、神々しさを纏っていた。
この神のごとき存在を畏怖しつつ、しかし恐れず交渉をするよりほかなかった。神龍がこの場の全員の生殺与奪を握っているのだから。
神龍を前に下手な言い訳や取引は逆効果だろう。だから、ただ誠心誠意お願いするしかない。
「ファフニール。もう彼女に争う気はない。彼女を見逃してくれないか。」
『…………』
長い沈黙。
神龍は頭上から俺を覗くようにその金色の瞳を向け、無言で佇んでいる。
実際には一瞬だったかもしれない。だけど俺にはこの一瞬が途轍もなく長い時間に思えた。
やがて、ゆっくりと口を開き、言霊を発した。
『お主のその光。やはりおぬしが。……そこのマーニの言う通りであったか……だが、その魂の封印は。……なるほど。故に今も生を成すか。』
そう言って一人何かに納得したのか、神龍はまた沈黙した。神龍の言霊の最中に枝の上にちょこんと座っていたチクチクがキュッ!と抗議するように鳴いた気がした。
なんだ?マーニ?それに魂の封印?なんの事だ?
俺は神龍のその呟きに疑問符を浮かべるが、今は神龍の答えを聴くまでは下手に動かない方がよいだろうと、聞きたい衝動をぐっと抑えて待つ。
神龍はその眼で俺の奥底を覗くように見据え、そしてしばらくして問うた。
『……しかし、よいのか? それはいずれまた災いを振りまく悪しき存在ぞ。 それに、そやつ自身がそれを望んでいないように見受けられるが。』
俺はその問いに即答できなかった。しかし、目を逸らさずに言った。
「……分かってるんだ。これが俺の傲慢だってことくらい。彼女にとっては余計なお世話かもしれない。もしかしたらこの先さらに悪い事が起こるかもしれない。だが、今の自分の気持ちに嘘はつけない。つきたくない。……それが答えだ。」
それを聴いて神龍はしばらく目をつぶり思案したのち、何かに納得したのかゆっくりと降下して俺の前に降り立った。
ふう。どうやら納得してくれたようだ。
『我は矮小なる者達の願いゆえにここに顕現した。その目的の人物からの願い。元より否やは無い。』
……?俺が目的の人物?どういうことだ?
その言葉にますます混乱している俺をよそに、神龍はその首を俺に更に近づけて俺をのぞき込んだ。その眼は金色に怪しく輝き始める。
『動くでないぞ。』
そう言われれば俺は動けない。いや本当に金縛りにあったように体が動かなかった。
その神龍の眼が俺の魂の隅々まで覗いているような気がした。
どれくらいそうしていたか分からない。その後しばらくして、金色の目の輝きは無くなり俺は硬直から解放された。
『我は争いを終わらせる存在。その矮小なる者達の願いを見届ける役割がある。……リュージとやら。お主はこれから何を成す?』
神龍は俺を見下ろす様にそう聞いた。
何を聞きたいのか?神龍の真意は分からない。だがこれだけは分かった。この神のごとき存在に小細工は通じないと。
「俺は……俺は前世で叶わなかった冒険をしたい。世界を見て回りたい。」
『さらに問う。お主は既にこの世界の魔法の神髄に触れつつある。知識は力だ。その力を何に使う?』
俺は神龍の眼を見て正直に答える。
「……自分が生き残るために使う。それが大事な人との約束だから。そして旅の途中、泣いている人が居れば俺の手の届く範囲で助けたい。ここのソワレや向こうにいるリンの様に。多くは望まない。俺の両手が小さいのは十分思い知らされている。」
その回答に神龍はジッと俺の眼をのぞき込みんだ後、しばらくして言った。
『よかろう。』
そう言ってその巨大な前足を掲げ、その人差し指の爪の先を俺の心臓に近づけた。
不思議とそこに恐怖は感じなかった。
そしてその爪の先から輝く光がゆっくりと浮かび上がり、やがて俺の胸に吸い込まれる様に消えた。
その直後、ドクン!と俺の心臓が大きな鼓動を打ったかと思えば体の中心から焼ける様な熱を感じ、途端に眩暈を感じ始める。メガネを外した時に陥る魔力酔いを何十倍にもしたような強力な眩暈だ。
「くっ!……何を?」
膝を付き胸を抑えて苦しむ俺に神龍は言った。
『―――“魂の回廊”。それはお主の内包する力を守護すると同時に封印する。今、その一つを開放した。今のお主なら耐えられるだろう。』
魂の回廊?なんのことだ?
俺がひどく酩酊する意識の中、さらなる混乱に落ちていると、それに構わず神龍は大きく羽を広げその巨体を上昇させ始めた。
『矮小なる者達の願いは今、成った。』
神龍はそう一方的に告げて上昇し始める。
このままでは何も分からず神龍は行ってしまう。そう思って必死に問いかける。
「魂の回廊とはなんだっ!? 俺に何をした?どうしろって言うんだ!?」
俺の問いにも関わらず神龍は昇っていく。
『この先はお主の選ぶ道。我にも知れず。 だが、最後に一つだけ忠告してやろう。お主の魂の輝きはこの世には余るもの。お主が生きたいと思う限りその道は険しいものと思え。 ……だが、それと同時にお主が諦めぬ限り光は常にある。努々《ゆめゆめ》忘れるな。』
神龍のその答えにますます混乱する。しかし、俺の事より優先すべきことが有る。俺は周りを見渡して最後の願いを告げる。
「最後に! ここに倒れている人たちを助けてくれ!俺だけじゃ全員は助けられない!」
神龍は俺の願いに答えず、しかし僅かに首是をして、そして背負う光輪を眩しく輝かせた。その輝きは光の粒となり、まるで雪の様にこの一帯にゆっくりと降り注いでいく。
それと同時に、神龍の姿はうっすらと透けていき、光の輝きを伴って天空に消えていった。
―――さらばだ。“星屑の子”よ。
最後にそう言い残して。
俺は一人、立ち尽くす。
この場で立っているのは俺だけだ。
周りを見渡す。
先ほどまで瀕死の重傷だった皆は、その傷がふさがり今は落ち着いているようだ。
だが、既にその命の灯火を消してしまった者までは元に戻らなかった。
この戦いで失ったものは大きい。
さらに遠くを見れば、俺たちが包まれたあの光のドームがまだうっすらと存在していることに気づく。
良かった。しばらくここに居ても安全だろう。
この人数のけが人を俺一人で運ぶことは到底できない。この光のドームがしばらくあるなら、魔獣に怯えながらけが人を守る必要はなさそうだ。
一先ずの安全を確保できたことに安堵して、俺は意識を失っているリンのところに向かい歩き始めた。
が、その瞬間、ガクリと膝が落ちた。
「……あっ……?」
立ち上がろうとして、全身に力が入らないことに気づく。と同時にそのまま正面に倒れこんだ。
全身に全く力が入らない。指先一つ動かせやしない。
強烈な頭痛と倦怠感、体中の激痛に意識がもうろうとし始めた。
今まで緊張の連続だったがゆえに気づかなかっただけだったのか、緊張が解けた瞬間にこれまで無理した反動が来たのか。
いや、さっきの神龍に何かされたせいか……それに、メガネも外したままだった。
そう心の中で自嘲しながらメガネを懐から取り出し掛けようとしたところで酷い頭痛と全身の焼ける様な苦しみ、倦怠感が襲い俺はそのまま意識を手放した。
しばらくして、すべてを木の上から見ていた小さなハリネズミオコジョが木から飛び降り、歩き出す。
まるで人間の様に二本脚で立って歩くその小動物はリュージに近づき、その手に黒縁メガネを取りそっとリュージの顔に掛けた。
「ようやく一つ封印が解けたぞ。しかし、本当にこれでよかったのかのう。 なぁ。静流や。」
その小動物は夜空に光り輝く半月を静かに見上げてそうつぶやいた。




