第59話 VS魔人
―――邪魔をっ!するなぁぁああァァア!
そう叫んだ目の前の悪魔の顔に先ほどまでの余裕の笑みは無かった。苛立ち気に眉間にしわを寄せたそのバケモノの吊り上がった赤い眼が俺を睨みつける。
数瞬後、また一瞬その姿が消えて俺の眼前に現れたかと思えば、今度こそ俺の心臓目掛けてその貫き手を突き出した。だが―――
―――シュキンッ!
心臓を貫くはずだった手刀は鉄と鉄がこすれ合う甲高い音を立てて空を切った。
魔人のトラウマに囚われている場合じゃない。目の前の忌まわしき魔人の中にソワレが居るのなら、それを救い出せる可能性が少しでもあるのなら、俺がここで倒れるわけにはいかない。
そう思ったら、固まっていた俺の体が動き始めたのだろう。相変わらず目でその動きを追う事は出来なかったがどうにかギリギリでその突きを読み受けることができたのだ。
俺の《彗心眼》で動き出す直前の動きを読んでいなければ、電磁気短波検知でその動きを肌で感じていなければ到底対処できる動きではなかった。だが、ギリギリついていけるスピードだった。
ソワレの手刀をギリギリで受けた俺はしかし、弾かれる様に後ろに吹き飛んだ。想定外の結果に目を剥く。ソワレの攻撃が不自然に重すぎたのだ。
無幻水心流の奥義にして極意である《流水心》は敵の攻撃が早ければ早い程、重ければ重い程その力を利用して攻撃に変える技だ。
だが、先ほどのソワレの手刀。確かに十全な体制ではなかったものの、それでも普段なら受けた力を逃がして相手の横に回り込むことくらいはできていたはずだが、俺は受けきれずに吹き飛ばされた。
あの華奢な体がまるで車の様に重く感じたのだ。……いや、俺の体が異常に軽くなったような……そんな違和感。
「チッ! 雑魚が無駄に粘るな。およびじゃねぇんだよ!」
「……ソワレ。戻って来るんだ!」
そのバケモノは俺の呼びかけに一瞬硬直した。奴の中のソワレはまだそこにいる。そう確信できる反応だった。
だがすぐに目の前のバケモノは眉間のしわを深くしてその一瞬の硬直を振り払い、怒りをはらんだ目を向けた。
こめかみに血管を浮き上がらせたバケモノは、今まで以上にそのアニマを輝かせ、直後再度俺の視界から姿を消した。
!?早い!
これ以上早くなると防ぎきれない。そう本能で直感した俺は、ソワレが消えた瞬間に左腕を突き出し咄嗟に紫電を発動。
―――バンッ!
俺が発動した高圧電流が目にもとまらぬスピードで目前に迫っていたソワレに流れ込んだのだ。
「ぐあァ!!? 」
ソワレは俺の紫電に撃たれながらも一瞬動きを止めた。だがそれだけだ。
あのレッドボアの脳髄を一瞬で焼き切った攻撃を受けても大したダメージになっていない。しかも紫電を受けて焦げた部分もすぐに元通りになっていた。
それでもいくらか効果はあった。
俺の紫電を警戒してか、直後バックステップで距離をとったソワレは構えを解いて苛立ちながらも興味深そうな顔をして攻撃をやめた。
「お前、今何をした? 根源魔法の領域で私に手傷を負わせるとは。しかも今のは無詠唱だろう?……お前何者だ?」
どうやらソワレの警戒心を引き出すことくらいはできたらしい。これで少しは時間稼ぎができるか。
「俺は、ただの人間さ。」
「はっ! 笑わせるな。ただの人間が私に傷を負わせることなど出来はしない。」
「お前こそ何者だ。ソワレはどうした!」
「ソワレ……?あぁ。今はそう名乗っているのか。」
目の前のバケモノはどうやらソワレの記憶を引き継いでいないようだ。
「……お前が軟弱な私の精神体のことを言っているなら。そうだな、一ついいことを教えてやるよ。」
ソワレはその頬まで割けた口から、まるでサメの歯のような尖った歯を剥き出しにしにして人差し指を立てて俺に言った。
「元に戻る方法はただ一つ。それは、お前ら人間を食らう事だ!」
次の瞬間またその姿が掻き消え、見失った。《彗心眼》で視たアニマの動きから奴は確かに俺の右側に移動したはず。だが、電磁気短波検知にその反応はない。マズイ、完全に見失った。
俺が全神経を探知に集中しているとメガネが反応した。
―――上!?
見上げると俺のすぐ上に巨大な壁が迫っていた。いや、岩か!?
咄嗟にエレクトロブーストとフィジカルエンハンス、そして先ほど発動した風装を全開発動して横に飛ぶ。
ゴロゴロと転がりながら直前まで俺が居た地点からドゴン!と言う巨石が地面を割る音が聞こえた。急いで立ち上がろうとしたとき、電磁気短波検知が俺の背後に何かを感じ取り、俺は咄嗟に身をよじる。
鮮血。
直後ソワレの手刀が俺の脇をわずかに削った。
俺はそれに構わず、そのままの勢いで体を回転させて振り返り、その突き出したソワレの細腕を右手で素早くつかんだ。
よし!捉えた!
一度捕まえてしまえば無幻水心流の手の内だ。このまま腕をひねって組み伏せてやる。
幼少のころから何度も稽古してきた。こうなってしまえばほぼ無意識に体が動く。閃雷魔操を発動させながら手首を固定して突き出した腕を右腕で引きながら、締め上げれば……!?
「なに!?」
だが、ソワレは微動だにしなかった。まるで鉄の像を相手にしているように一ミリも動かない。
まただ、さっき感じた違和感と同じ。
強引に技を仕掛けようとするとなんと俺の体がフワリと浮かび上がった。同時、ソワレがつかまれたその腕を無造作に振り払った次の瞬間、俺の体が真横に吹き飛んだ。
数十メートルをものすごい勢いで無様に転がる。咄嗟に仕込み刀をだし、地面に突き刺してブレーキをかけてようやく止まった。
俺はよろよろと立ち上がりながら先ほどの状況を理解しようと脳細胞をフル回転させた。
今のは何だ?何をされた?
ソワレは何かしらの能力を使っている。いや、魔法か?一体何の魔法だ。
ソワレが途轍もなく重く感じたかと思えば、まるで羽の様に素早く移動する。それにあの巨大な岩を一瞬で俺の頭上に放り投げる膂力。そして吹き飛ばされる直前、確かに俺自身が浮いた。
……重力を操っている?
……いや。重力だけでは相手の慣性力を利用する無幻水心流は防げないはずだ。
ソワレは根源魔法と言った。ならば、何かしらの素粒子の操作を行っている筈だ。なんの素粒子を操っている?
これまでの攻防で得た情報から俺は一つの仮説にたどり着く。
「さっきの魔法はもう来ないのか? ……そう何発も打てないのか、それともタメが必要か?」
ソワレがその顔に醜悪な笑みを浮かべて近づいてくる。警戒すべき紫電が来なかったことでどうやら俺を仕留めに掛かるようだ。
……会話をどうにかして引き延ばして時間を稼ぎたい。リンが戻ってくるまで。そう思い、俺はソワレの眼を見て俺の仮説を確認するようにぼそりとつぶやいた。
「……“質量操作”」
俺の呟きを聴いた瞬間、ソワレは大きく目を見開き、直後その顔に貼り付けられていた余裕の表情を消した。
そう。ソワレの根源魔法は質量を操作している。そうとしか考えられなかった。
そして質量を自在に操ることができる可能性がある素粒子。
それは“ヒッグス粒子”だ。
ヒッグス粒子は数ある素粒子の中でもだいぶ近代になってから発見された素粒子だ。それは全宇宙に均等に水あめの様に満ちているとされ、それら素粒子をかき分けて物質が方向を変えて移動しようとする際に抵抗を与える。それが我々が認知している“質量”として観測されるのだ。
このヒッグス粒子をもし自由に操作できるとするなら、あらゆる物体の重さ(質量が軽くなれば結果重量も軽くなる)を自由に操作できることになる。
そしてそれは重力による下方向の重さだけでなくあらゆる方向に動かそうとするときに働く慣性力を操ることができるという事。
もしそれができるならソワレの周囲はこれまでの物理法則が全く通用しなくなるという事。少し考えただけでもそら恐ろしい能力だ。
例えば、重力を“0”にすることができるならダンプカーの重さは“0”になるが、その“質量”は“0”にはならず、変化しないはずだ。だからそれが突進してくればその衝撃力は変わらず大ダメージを受けることになる。
だが、質量を操作すれば話は違ってくる。ダンプカーが突進してきたとしても直前でその質量を1gに軽減してしまえば一円玉がぶつかってきた程度の衝撃に軽減できるという事になる。
他の例で考えてみよう。例えば、剣で切りつけた場合。
剣とそれを握る相手の質量を仮に0.1gに出来るなら、蚊にこずかれた程度の衝撃しか受けないだろう。そんな軽い剣で皮膚が切り裂かれるわけもない。
そう考えるとソワレに物理攻撃は効かないと考えるべきだろう。ほぼ無敵の能力だ。完全にチートだ。
特に相手の力と重力、慣性力を利用する無幻水心流とはすこぶる相性が悪い。勝てる見込みはないに等しいだろう。
そんな俺の分析の間、ソワレは俺を探るような眼を向けた。
「“質量”と言う言葉をなぜ知っている?」
俺はその質問に沈黙で答える。
「“質量”の概念はこの世界にはないはずだ。あの方しかその言葉は知らないはず。」
ソワレは警戒を隠さず身構えながら何かを思案した様子を見せた。
「……お前。この世界の住人ではないな?……そうか。お前が。」
ソワレは何かに納得したのか、しばらく目を瞑り、やがて体内の魔力が活性化し始める。そして目を見開きこめかみに血管を浮き上がらせる。次第にその瞳孔はより一層血走り赤く染まっていった。
その変化に合わせて眼前にこぶし大の黒紫の水球が形成されていく。それが一つ二つと徐々に数を増やし、やがて八つもの水球がソワレの周囲を浮遊し始めた。
やはり水属性の魔法も使えるのか。しかも無詠唱と来たもんだ。反則だろと心の中で悪態をつく。
あの小さな水球一つ一つに途轍もない魔力が込められていくのが視えた。あれはヤバい。俺の呟きはソワレに動揺を与えることには成功したようだが、俺の想像を超えて過度に警戒心を煽ってしまったようだ。
メガネが示すソワレのALTはもはや100万を超えてまだ上昇している。完全にバケモノレベルだ。その有り余る魔力で俺を押しつぶすつもりだ。
「……お前がもしあの伝説を冠する者なら、近づくのは危険だ。」
そう言ってニヤリとその顔をゆがめた。
「アハッ! このまま切り刻まれて死ね!」
直後、眼前に八本の水刃がまるでレーザーのように迫りくる。
俺は《彗心眼》を全開発動。
《彗心眼》が水刃が形成される数瞬前に空間を裂くように発せられた魔力路を捉える。それを躱す様に身をよじり、ギリギリで水刃を躱し、時に籠手でわずかに軌道を変える。
ただ、魔力路が射出されてその後を追う様に水刃が形成される間隔が余りにも短い、到底跳ね返すことなどできない。躱すのが精いっぱいだ。
しかもこの水のレーザーは小刻みに何度も何度も標準を修正しながら発射されるのだ。いわば八連射のガトリングガンの様に絶え間なく俺を狙ってくる。
だがそれでもそれらの軌道をギリギリで見極め紙一重で避け続ける。
俺の曲芸にさすがのソワレも目を見開いた。
だが、すぐに眉間に深いしわが刻まれ、その水刃の動きがさらに複雑化し、そして宙に浮く水球が次々に増えていった。
水球が12個を超えたところで俺はついに躱しきれなくなった。
―――ズシャ!
一筋の水刃が俺の肩を貫き、鮮血が舞う。
そして次の瞬間俺を半包囲する水球から一斉に水刃が放たれた。
肩を貫かれ体が僅かに宙に浮いた俺はもはや目前に迫るその水刃を躱すことができない。
その強靭な水刃に身を切り裂かれる!そう覚悟したとき。
俺の眼前で暴風が吹き荒れた。
その暴風が俺を切り裂くはずだった水刃の進路を変えていく。
その直後、つやのある黄緑色の髪をなびかせた少女が俺の眼前に舞い降りた。
「私の大事なひとは殺させない。」
その後ろ姿が俺にはあの時の凛香に重なって見えた。




