第57話 悪夢(ナイトメア)
『風装!』
魔法発動と同時に体が横にブレる。その動きは目にも止まらない速さだった。一瞬にして俺の体が横に数十センチ程ずれてまた元の速さに戻る。まるで数十センチの瞬間移動の様だった。
そのわずかな数十センチの瞬間的な移動で活路が開かれた。そこからさらに籠手を眼前にクロスして強引に体をよじる。
―――キンッ!
次の瞬間、サーペントの顎がギリギリで俺の籠手を掠った。
鬼憤の籠手はその強力な牙に貫かれることなく確かに弾き、俺の体はそれに弾き飛ばされる形で後方に飛んでいく。
ギリギリでその顎を躱すことに成功したのだ。
――――――
俺が切り札として発動したのは、いつかの真剣勝負でリンが自身に放ったエアレイドを応用したオリジナル魔法だ。
俺が放ったそれはリンの放ったエアレイドとは似ているようで全くの別物と言っていいものだ。
前にも言った通り、俺のエアレイドは気憤の籠手でチャージした魔力を使っても扇風機程度の風を起こすだけの微小な効果しか発揮しない。それ以降自分なりに練習を重ねてきていたが、それでも扇風機の強くらいの風が一瞬起こる程度で俺の体を動かすことはできなかった。それは最初から分かっていた。
だから、今回俺はこのエアレイドと言う魔法の使い方の根本を変えたのだ。
基本的にエアレイドは魔力で空気を作り出し圧縮して送り出す魔法だ。
しかし、エアレイドは魔法で直接空気を作り出すほかに、魔力を周囲に薄く拡散して、その魔力で周りの空気を操り、風の威力を増していたのだ。
俺はこの魔法の効果を発見した時から不思議でならなかった。
どうやって空気を操っているのか?と。
そもそも、風とは空気密度(≒気圧)の差によっておこる空気分子の移動現象だ。
団扇で仰げば風が起こるが、あれは団扇表面に空気の分子が当たり、それによって跳ね返された空気分子が押し出される様に圧縮され、周りの空気との圧力差により空気分子が圧力の低い前方に移動することで風が起こっているのだ。
つまり、風を操るとは空気の分子を移動させることに他ならない。
では、エアレイドと言う魔法はどうやって空気分子を移動させているのか?
正直俺はどうやってそれを実現しているのか分からなかった。
だが、これまでの訓練の中で一つの仮説はあった。
空気は気体状になった空気分子(窒素や二酸化炭素、酸素や水素など)が均一にものすごいスピードで飛び回っている状態だ。それら分子がお互いにぶつかり合って、跳ね返ってを繰り返している。
分子同士がぶつかって跳ね返るのはなぜか?
そんなの当たり前と思うかもしれないが、それは実は衝突する際に分子と分子の間に分子間力と言う力が働いているからだ。
そして、この分子間力は電磁気力の一種だ。
電磁気力とは、マイナスの電気とマイナスの電気が反発しあったり、磁石のN極とS局が引きあったりするあれだ。
前に触れたが、この電磁気力は物質粒子の間で目に見えない光子と言う素粒子のやり取りすることで発生しているとされている。
この電磁気力による分子間力があるおかげで、原子と電子がくっついて分子になったり化学結合したり、あるいは分子と分子が反発しあってむやみに結合したりするのを防いだりするのだ。
いわば万物の構成要素の一つと言っていい。
俺たちが手で机に触れたときに、机と手が勝手に結合してくっついたりせずにちゃんと手は手のままで、机は机のままでいられるのはこの力のおかげだ。
ここで思いだす。
魔法はオリジン反応によってオリジンが素粒子に変換される事象だ。
素粒子は、物質の元になる物質粒子だけを言うのではない。電磁気力を生み出す元になっている“光子”も素粒子の一つであったはずだ。
この風を操る魔法は、もしかしてこの光子をオリジン反応によって作りだし、分子間力に変化を生じさせているのではないかと考えた。
分子間力による反発力が強まれば空気は膨張する。その空気の膨張によって密度差が発生して、結果的に風を発生させていると言うのが俺の仮説だ。
この仮説を以て俺は寝る間を惜しんで練習をしてきたが、最初に言ったように俺の体外魔力では扇風機の強くらいの風を起こすことしかできなかった。
更に強力な風を引き起こすにはどうすればいいのか?それが課題だった。
今回俺は死を目前にして思考が加速する中、記憶の中のドライヤーに関する会話で出てきたマイナスイオンと言う言葉に引っ掛かりを覚えた。
“イオン”とはマイナスの電荷をもつ“電子”が通常よりも余分に分子にくっついた状態の物質を言う。
イオン同士はマイナスの電荷をもっているため反発しあう特性がある。
もし窒素や酸素、二酸化炭素など空気中の分子にくっつけることができれば。空気をイオン化することができるなら、空気の分子同士が反発しあって膨張するのではないか? そう考えた。
更に体表面に電子を纏った上で、周囲の空気をマイナスイオン化すればどうなるだろうか?
当然、体表面の電子とマイナスイオン化した空気はお互いにマイナスの電荷をもっているのだから反発しあうはずだ。
そこに更に光子の作用で反発力を高めれば―――
――――――
かくして俺は今までとは比べ物にならないほどの強力な風を作り出すことに成功したのだ。丁度俺の体の横の空間を真空にするようなイメージだ。
気圧の著しく低下した横の空間に体を滑り込ませるような形で横にブレる様に移動できたのだ。
俺はこの魔法を《エアレイド》とは別の魔法として《風装》と名付けた。
仮説に仮説を積み上げたぶっつけ本番の魔法発動であったが、奇跡的にと言っていいだろうがサーペントの突進を躱すことに成功した。
俺をかみ殺し損ねたサーペントは取って返して俺を襲うだろうと思って身構えていたが、俺には目もくれずにそのまま直進した。そして、ひたすら走り逃げるグロリエルを襲ったのだ。
グロリエルは迫るサーペントに一瞬振り向き、顔を恐怖に染める。
次の瞬間サーペントの顎がグロリエルの手を容赦なく噛みちぎってボロ雑巾の様に投げた。
「ぐあぁ……!!」
それでもサーペントは止まらない。
唖然と眺める俺をよそに、サーペントは我先にと逃げ惑うハンター達を優先して次々に襲い掛かった。食い散らかす様に、弄ぶように四肢を食いちぎっていく。
「ぎゃぁあぁ!」
「うわぁぁああ!」
「やめてく……!」
たちまち周囲に血の海が広がり、地獄絵図と化した。
「ああ……悪夢だ。」
誰がつぶやいたか。だが、目の前の光景はまさにその名の通り悪夢だった。
それだけじゃない。逃げ惑うハンター達を襲ったサーペントは手足を噛みちぎるばかりで捕食しようとしない。しかも既に動かないハンター達には攻撃しないのだ。
まるで、俺たちを噛みちぎって苦しめることだけを目的としている様だった。
「あいつ……!? 誰一人逃がさないつもりか!? それに……楽しんでる??」
長い間君臨し続けた蛇の森の王は自身を極限まで苦しめた俺たちにその怒りをぶつけた。
鬼神と化したサーペントは、我先にと逃げだしたハンター達を一通り弄ぶ。
そして、気絶したり動けなくなった生き残りのハンター達を振り返り、ゆっくりと顔を上げて嬲る様に見下ろした。
もうこの場でしっかりと意識があるのは俺とソワレだけだった。
眺めるサーペントは、やがて最初の生贄を定めたようだ。
その赤く輝く六つの目が向く先には、力なくちょこんと地面に座り込むソワレがいた。
サーペントはあの大魔法を放ったソワレに本能的な恐怖を感じとったからかもしれない。
「ダメだ……。やめろ! ソワレ! 逃げろ!逃げるんだ!」
俺は叫びながら、足の治癒を急ぐ。
しかし、間に合わない!
誰か、他に誰か動ける人はいないのか!?そう思って辺りを見回すものの、誰もが倒れ伏しほとんどが気を失ったままだ。意識がある者もうめき声を上げるだけだ。そうだ。リンは!?
「リン!リン!」
俺の叫びもむなしく、サーペントは助走を付けつつか弱い少女にその巨体を突進させた。
「ダメだ!ソワレー!!」
あの距離では魔法使いのソワレでは対処のしようがない。確実にかみ殺される。
サーペントの巨大な顎がソワレをかみ砕くその瞬間。
「……もういいや。どうせみんな死ぬんだ。」
ソワレは何かをつぶやいた。
だが、俺の叫び声にかき消され俺の耳には届かない。
―――ドゴン!!
ダンプカー級の重量物が壁に衝突したような重い音が響き渡り、ナイトメアサーペントの巨体が宙を舞った。




