第56話 風装(ウィンドアクセル)
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
―――ィィイイン!
酷い耳鳴りだ。
私はあまりの耳鳴りに目を覚まし、うっすらと目を開ける。
「私……」
まだ頭がぼーっとする。確か先ほどまで精神を保つのに必死で……。
頭を振って、おぼろげな記憶をたどる。
そうだ。
魔力が多少回復して、落ち着き始めたときに私の近くで何かが爆発した。
この耳鳴りはそのせいか。
そう自覚した瞬間、耳鳴りが止む。
意識すればたちまち治るこの人間離れした回復力を自覚するたびに不快になる。
だけど、今はそれを考えている場合ではないだろう。ひとまず脇に置いて周りを見渡す。
先ほどまでサーペントとハンター達が戦闘を繰り広げていたはずだ。
まず最初に目に入ったのは脱皮をし始めたサーペントだった。
「脱皮……あそこまで追いつめられて復活するというの?さすがあの方の細胞片を受け継ぐモノ……。」
しかし、それ以上に目を引いたのは、それを目の前にして無様な悲鳴を上げて後退るハンターの姿だった。
あれは確か、“城塞”のグロリエルと言ったか。
ハンターの誰もが満身創痍で満足に動けない状態で、あれだけ犠牲を払って追い詰めたサーペントが脱皮によって回復すれば絶望するのも無理はない。
それは人間であれば正常な反応だろう。
「あぁ……そう。 この旅も終わりね。」
本心からのつぶやき。
そのつぶやきに、わずかな慚愧の念が込められていることを自覚して驚く。
なぜ……
自分の呟きに、自分の思わずこぼれた本心に言い知れない苛立ちが沸き起こる。そして思わず自嘲交じりの笑いが出た。
「はは……。私がこの旅に、彼らに何かを期待していたとでも言うの? 腹立たしい。
……全部あのリュージとかいう少年のせい…。」
沸き上がる自身への苛立ちを自覚しながらも、目の前の出来事は進んでいく。
脱皮するサーペントに怯えたグロリエルは、その鉄壁の象徴ともいえる巨大なカイトシールドをかなぐり捨ててサーペントに背を向けて無様に逃げ出した。
そう。それが正しい姿。そう思った。
―――うぁぁぁ!!
そしてグロリエルは、予想外の、ある意味私の予想通りの動きを見せた。
通り掛けにあのリュージの足を切りつけていったのだ。
リュージを生贄に自分の逃亡の時間を少しでも稼ごうという腹積もりだろう。
その姿を見たからか、他のハンター達も混乱に陥り、我先にと逃げ始める者が出てきた。
今までこの集団が見せてきたパーティーの信頼関係や仲間意識、そう言ったものはもはや跡形もなくなっていた。
「ははっ。ははは! あはは!! なんて!なんて醜いの!」
思わずお腹を抱えて笑う。
笑いが止められない。止まらない。
本当に追い詰められたとき、仮面で隠された人間の本性が顔を出す。
どんなに綺麗ごとを並べても。どんなに意志で強くあろうとしても、人間の根本は弱くて醜い。
自分の為なら他者を踏みつけても自分の命を優先する。
人間の本質などそんなものだ。
何度も何度も見てきた。勝手に期待して、その度に裏切られてきた。それはどの時代でもどんな人間でも変わりはしなかった。
今回もいつもと同じ。何ら特別な事じゃない。
命がけで私を守ろうとしたあのリュージだって、この状況だ、きっと無様に逃げ出し何もできずに死んでいくに違いない。
それが人間の性。それが当然。そうじゃなきゃ……おかしい。
でもなんだろう、この胸のざわつきは。
人間の醜い姿を目の当たりにして安堵する自分がいて。でも同時に途轍もない喪失感が私の心をきゅうきゅうと締め付ける。
喉の奥が締め付けられる。
胸が張り裂けそうなほど痛い。
侮蔑と安堵、そして諦観と喪失感。とうに枯れ果てた筈の様々な感情が私の心をぐちゃぐちゃに、そして無遠慮にかき回す。
やがてその感情は無気力の波となって押し寄せ、私の心を、体を、精神を飲み込んでいく。
「……もう、疲れた、な……。」
その場に座り込んで、ただただ無感情に眺める。
無様に逃げ惑う人間たちが圧倒的な強者に蹂躙されていく様を。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
―――キシァアァァァ!
抜け殻を脱ぎ捨てたナイトメアサーペントが水を得た魚の様に俊敏な動作で俺めがけて突進してきた!
あれだけケガを負わせたはずなのに、その傷が何も無かったかのようふさがり、はがれおちたはずの鱗も整然と全身を覆っていた。
6つある真っ赤に染まったその眼が怒りを体現しているように思えた。
怒り狂うサーペントを前に左足を切り付けられた俺は一歩も動けない。傷は動脈まではいっていない。時間があれば自動回復でいずれ回復するだろう。だが、今はそんな時間はない。
まさかグロリエルが俺を切りつけてくるなんて思いもしなかった。完全に予想外の行動だった。
この足と今の俺の未熟な閃雷魔操ではあの大質量の突進は逸らしきれないだろう。俺の生成した電気信号があの巨体の深部まで届かないだろからだ。
とはいえ、サーペントの巨大な顎が俺の目の前に迫っていた。
四の五の言っている場合じゃない。どうにかしてこれを躱さなければならない。躱さなければその先に待っているのは確実な死だ。
死を目前にして迫るサーペントがゆっくり動いて見えた。思考が加速する。
事故の直前、アドレナリンが大量に脳内で分泌されることで思考能力が一時的に向上すると世界がスローに見えることが有ると聞いたことがある。きっと今の俺はその状態だろう。
それと同時に、様々なビジョンが一瞬にして脳裏に流れていく。
これは……走馬灯。
次々と走馬灯に映し出された様々な記憶。俺のすべてを総動員して生き残るヒントを探す。
だが、どんなに記憶をたどっても、有効なヒントは見つからなかった。
いよいよ諦めるしかないのか? 凛香がくれた二度目の人生もここで終わりなのか……? 凛香に申し訳ないな……そう思ったとき、ふと記憶の中にある凛香のつやのある黒髪がいやに気になった。
そして思い出す。
――――――
あれは確か、いつものように凛香が俺を起こしに来た時の事だった気がする。
「もうなんでいつもギリギリまで寝ているの?学校に行く気ないでしょ!?」
目の前に頬を膨らませてプリプリと怒る顔があった。その時は、心底面倒くさいなと思っていたような気もするが、今の俺にはそんな凛香の顔でも心が温かくなるのだ。
凛香は起きたばかりの俺の手を捕まえて早速学校に引きずっていこうとする。
「ちょっと待ってよ、髪くらい整えさせてよ。」
「ダメ。そんな事言って、何だかんだ逃げるつもりでしょ。柳二の髪は最初から癖毛なんだから、今のままでも普段とたいして変わらないわ。」
凛香は俺の考えることはお見通しらしい。本当に厄介な読心術だと毒づきながら、ふと凛香の流れる様なつやのある髪を見て聞いたのを覚えている。
「凛香の髪はいつもサラサラで綺麗だよね。」
何気なく言ったその言葉に、凛香は珍しくうろたえた様に答えた。こちらに顔を向けなかったが耳まで真っ赤に染めていたような気がする。
「そっ。そうかしら? これは、ほら。最近買ったドライヤーがいいんだと思うわ。すごいなんちゃらマイナスイオンがいっぱい出るやつなのよ。」
そう言って、凛香は俺の手を引く力を緩めてやたらと俺に寄り添う様に横について歩き始めた。まるで俺の顔にその艶やかな髪を近づけて見せつける様に。
今ならわかる。凛香は謙遜でそう言ったのだと。凛香のつやのある髪は子供のころからずっと輝く闇色の髪だったのだから生まれつきだ。
でも乙女心など分からない当時の俺は言った。
「なんだ。加工品だったのか。」
俺は朴念仁だったから、それが完全な失言だったことにすら気づかなかった。
おかげでその後、凛香はしばらく口をきいてくれなくなったのを思い出した。
――――――
これは単なる何気ない日常の出来事だ。だが、俺はこの記憶の中のイオンと言う言葉に一つの仮説を思いついた。
やれるか?いや、四の五の考えている暇はない。既に巨大な顎が手を伸ばせば届く位置まで迫っている。
一か八かでやるしかない。
俺は《彗心眼》を全開発動してその動きを読み取り、絶妙なタイミングでエレクトロブーストを無事な左足に全開発動して右横に飛ぶ。
ブチブチと筋肉が断裂する音が聞こえるが、それらは全て無視だ。
しかし、それでも躱しきれそうにない。
それは最初から分かっていた。だから、俺は右手で迫るサーペントの鼻先に触れ、同時に閃雷魔操を発動してサーペントの神経に誤信号を送り込む。
それによって、僅かにその軌道が逸れる。だが、残念ながら予想通りエレクトロコマンドナーヴはサーペントの深い筋肉にまで届かず、その効果は十全とは言えない。
ここまでやってもまだ躱せる状態ではなく、このままでは顎から伸びるサーペントの牙が俺の左胸を串刺しにするだろう。
そこで、俺はさらにもう一つ魔法を発動する。一か八かの賭けだ。
『風装!』
トリガーワードを叫ぶと同時に俺の体が横にブレた。




