第52話 戦略級魔法
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「リュージ君!!」
少年は一瞬のためらいもなく、私が気づいたときには既に走りだしていた。
RKの年端もいかない少年があの凶悪なBランクモンスターをどうにかできるわけがない。
いくら私が後衛専門職だからと言って、少年を向かわせてしまったのは完全に私のミスだった。
だけど、走り去った少年はRKとは思えぬスピードで走り、既にグリズリーの数メートル手前に迫っていた。今から止めることなどできない。
せめてグリズリーの咆哮を防ごうと放った弓も、目的は達成できたもののグリズリーがかざした腕に難なく防がれてしまった。
少年の胴回りより太い腕が凶悪に振るわれる。
「あぁ!? ダメ!逃げて!」
気づいたらそう叫んでいた。私は無力にも、それ以外にできることが無かった。
ごめんなさい。私があなたを止められなかったから。
インパクトの瞬間思わず顔をそむける。
―――グォオオ!
しかしその直後に聞こえたグリズリーの悲鳴に似た鳴き声に再び顔を向けるとそこにはまだ少年がいた。
なぜか分からないけど、グリズリーの腕が少年を避けるように軌道を変えたようだ。
運がいい!そう思うと同時に次こそは少年の血が舞う。そうも思った。その前にどうにかしなければ!
焦燥感に駆られる私に“ゥオン!”とあの従魔が後ろから吠えた。その一鳴きで我に返る。
「は!? ウルフは!?」
急いで振り返ると、2匹のウルフが既に5メートル先まで接近していた。
さらに悪いことに2匹いるうちの一匹はマックスの背後に回り込もうとしていた。
あのサーペントを相手にギリギリの立ち回りをしているマックスにはムーンウルフへ対処する余裕など、どこにもないことは一目瞭然だった。
マックスが倒れれば、ここにいる全員が死ぬ。
「っく! リュージ君死なないで。」
そう気休めの願いを口にして、私は最速で2匹のウルフを仕留めにかかる。
二本の弓を素早く矢筒から抜き取り、速射を行う。
一本は既にあの従魔が足に噛みつき動きを止めていたムーンウルフの眉間に吸い込まれた。
そしてもう一本はマックスに向かって駆けるウルフの心臓を見事に貫いた。
今までで最も早く最も正確で最も強い矢だった。
私はウルフが動かなくなったのを確認して、素早く少年の方を振り返る。
もう少年は斃れ、私の方に向かってきているであろうグリズリーを想像して矢をつがえながら振り返る私の目に、信じられない光景が映った。
「そんな……」
目の前の光景に私は目を疑った。
少年は生きていた。
それどころか、グリズリーを相手にちぎっては投げちぎっては投げを繰り返しているではないか。あの3メートルもある巨体をだ。
しかもどうやったか少年ではなくあのグリズリーが全身血だらけなのだ。このわずかな間に一体何が起こったというのか?
普通に考えてあり得ない光景だった。
むしろ、グリズリーがほとんど動かない少年の周りを無様に転げまわって勝手に傷ついているようにすら見えた。
「冗談でしょ……。」
目の前の信じられない現実に一瞬茫然自失となったけど、グリズリーが大きく息を吸い込んだところで、はっ!?と我に返った。
そして弓を素早く構えなおし、その口めがけて射る。
先ほどと同様に防がれるだろう。そう思って放った矢は見事に口に吸い込まれ、グリズリーに深い傷を負わせた。
グリズリーが相当に頭に血が上っていたおかげだろう。
自分の矢に思わず関心している間にリュージ君は素早くグリズリーに近づき、その頭をあの籠手から突き出した何かで突き刺し、なんとあのグリズリーを難なく仕留めたのだ。
その光景に一瞬唖然とした。あの単体でBランクになるグリズリーを単独で討伐するにはAランク相当の実力が必要なはずだ。しかもリュージ君はそれを無傷で成し遂げてしまった。
……彼は一体何者なのだろうか。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ピクリとも動かないグリズリーから一旦距離を取り、周りを眺めるといつの間にか大量の魔獣が俺たちを取り囲んでいることに気づいた。
暴れるグリズリーから距離をとっていたというのが正確な表現かもしれない。グリズリーが動かなくなったのを確認して魔獣たちが押し寄せつつあった。
「くっ。グリズリーを仕留めたってこれじゃぁキリがない……。」
俺がその魔物の群れに気圧され始めたその時、後ろから浪々と流れる歌の様な詠唱が聞こえた。
『森羅万象を司る主の住まうヴァルハラの 七門、開きてその天の光を我に 天に輝く神の国 彼の地に海神エーギルあり』
ソワレの詠唱が進むにつれてその小さな体から迸る光が強くなる。そして掲げた錫杖が太陽のごとく光ったかと思えば直後掲げたその先、天上に巨大な魔法陣が現れる。
よく見るとその魔法陣は幾層にも別れ、魔法陣は互いに絡み合いながら出ては消えを繰り返しながら力強く輝きだす。
『その息吹は嵐を呼びその腕の一振りが津波を呼び全てを飲み込み灰燼と化す この身に宿りし光を糧に御身の力の一端を我が前に示し魔を退けよ!』
上級魔法の何倍もの魔力があの小さな体から発せられているのが分かる。あまりの魔力量に陽炎のようにソワレの体表が歪んで見えた。なんて魔力量。
そして、天上に輝く魔法陣の光が頂点に達した時。トリガーワードが紡がれた。
『――― 神滅渦龍旋!』
それは小さな水しぶきだった。無数のそれらが俺らを包む様に空中を漂い始めたかと思えば、次第に周囲を回り始める。そしてその一つ一つの水滴が集まり、やがて形を成していく。
―――魚?
誰のつぶやきだっただろうか。水滴の集合体はやがて無数の魚の形を作りそしてソワレを中心に俺たちを包み込む様に数千、数万の魚の群れを形作った。魚群が周囲を回遊し、そしてその速度を増しやがて竜巻のように荒れ狂う魚群の嵐と化した。
たまに群れからはぐれた魚が俺たちに触れるが、その瞬間にただの水しぶきとなって消えた。ソワレは完全にこの魔法を御していた。
その魚群の竜巻は取り囲んでいた魔獣たちを飲み込む様にその外周を広げていく。その荒れ狂う海に引きずり込まれた魔獣は、窒息し、その水圧にすり潰され、魚群のヒレに引き裂かれた。
それは魔獣の血に染まり、深紅の竜巻となって霧とともに魔物を一掃していく。
その爪痕はすさまじく、森の木々が根こそぎはぎ取られ半径数十メートルは在ろうかと言う円状の更地を形成するほどだった。
そこに残っていたのは俺たち生き残りのハンターと、血だらけのグリズリーが数体、そして、あのナイトメアサーペントだけだった。
あの強靭な鱗に覆われたサーペントでさえ体中いたるところの鱗がはがれそこから青い血を噴き出し、動きを止めていた。
「なんて威力……」
「水精……」
「戦術級……いや、戦略級魔法!? 一人でなんて……あり得るのか?」
「はは……。司教様 万歳!」
誰かがつぶやいた。
ある者はその威力に慄き、人知を超えた大魔法に驚き、そしてそれを成したソワレを称えた。
誰もがその場の状況に思考を止める中、一人、力強く一歩踏み出し気勢を上げた者が居た。
「これで雑魚は居なくなった。心置きなくお前を退治できるな!」
そう啖呵を切ったのは焔狼の若きリーダー、マックスだった。
手にした円盾はベコベコにゆがみ、その皮鎧は激しい損傷に殆どはがれ、体中傷だらけだ。足元もフラフラとしていた。だけどその眼だけはギラギラと獲物を狙う野獣のように輝いていた。
そのマックスの剥き出しの戦意に中てられたか、絶望の表情を浮かべつつあった他の連中が息を吹き返したように立ち上がった。
そしてギルマスが、膝に手を付きながらもその手を掲げて号令した。
「この勝負勝てるぞ! 生きているものは立ち上がれ! 戦え!生き残るんだ!」
「「「「おぉ!!」」」
一発の戦略級魔法が戦局を覆した瞬間だった。




