第40話 緊急クエストへ
夜が明ける。
この世界でも前世と同じように紫からオレンジに空がグラデーションに染まりやがてゆっくりと東の空から輝く太陽が昇ってくる。
前世ではやはり大気が汚れていたのだろう。そう気づかされるほどにこの世界の空気は澄んでいる。だからなのか、朝焼けの空が幻想的なほどに美しい。
そんな景色に感動しながらリンと歩いていると、ギルドの入り口が見えてきた。既に緊急クエストの参加者と思われる人たちがポツポツと集まり始めているようだ。
俺たちの接近に気づいた何人かは、露骨に嫌な顔をしてわざと聞こえる声量で俺たちの陰口をたたく。
もはや慣れたものだ。俺はそんな陰口に、いつものメガネをタップする仕草をリンに見せてクスクスと笑いながらエンリケと思われる人影に向けて歩いていく。
エンリケは誰かと話していた。逆光でかつ後ろ姿だったので良く見えなかったがその見覚えのある魂の色で気づいた。相手はあのゴンザレスだ。
どうも言い合いになっているようだ。
「いい加減その腕輪を手放せよ。そしたら借しはチャラにしてやるからよ。」
「だから、それはお前の言いがかりだろ!アンタに借りたもんなんて無いって言ってるだろ!」
「オイオイ。あの時、俺たちが貴重な魔物避けをお前らのために使ってやってなかったら、今頃お前はここにはいないはずだぜぇ?命の恩人に対して何も借りてねぇってのはさすがに人としてどうかと思うぜ?なあ?」
「あの時、お前らが勝手に獲物を横取りして、勝手に魔物避けを使ったんだろ!誰も頼んじゃいない!」
俺たちは早足で近づいて間に割って入る。
「どうした?エンリケ。トラブルか?」
ゴンザレスは俺たちに振り向いて大仰に肩を竦めてからあきれ顔でエンリケに向きなおって言った。
「おうおう。寄生者と灰種と仲良しこよしかぁ?死神のエンリケも落ちるとこまで落ちたな。しまいには人族であることすら諦めようってか?」
「う、うるさい!黙れ、このRKにたかるしか能がない筋肉野郎が!」
―――ぷっ
俺はエンリケの罵声に思わず吹き出して笑う。余りにも的を射た表現だったからだ。
「なんだとテメェ!もう一度言ってみろぁ!」
エンリケの罵声にブチ切れたゴンザレスは茹でダコの様にスキンヘッドの顔を赤くして戦斧に手をかけた。
「あなた。いい加減そこまでにしなさい。」
後ろに控えていたリンは、ゴンザの行動にさすがに看過できないと思ったか、身から溢れる魔力に恐ろしい程の怒気を乗せてゴンザレスに浴びせたのだ。
それを至近で受けたゴンザレスは顔から大量の冷や汗を流し、金縛りにあったように微動だにしなくなった。
その姿はこの前のギルドでの弱々しく消え入りそうだったリンとは別人のようだった。俺達が居ることでリンも少しは変われたのかもしれない。
俺以外にはその魔力を目視できた者はいなかっただろうが、リンの膨大な魔力はグリズリーの咆哮の様に相手のプレシールドを突き破り動きを阻害する効果があるようだった。それほどの強度と濃度でリンから魔力が溢れ出ていたという事だ。
恐らくリンは無意識であれをやっているのだろうが、相変わらず恐ろしい程の魔力量だ。
ゴンザは完全に気圧されて、一歩、二歩と下がったところでリンが怒気を緩めた。
「あなたはクエスト参加者ではないでしょ。部外者は立ち去りなさい。」
「……ちっ。きょ、今日のところは勘弁しといてやるよ。俺はグロリエルさんに用があって来ただけだしな!」
ゴンザは顔を青くしながら見事な三流雑魚のセリフを吐いて引き下がった。
リンさん。マジかっけぇ!とリンのその毅然とした態度に感動する。
ゴンザはエンリケの横を通り過ぎるとき、小声で何事かをつぶやいたのを俺は聞いた。
「ああ、そういやぁ。ダリ…ショットの孤児院。…物騒…な。何も…ないとい…な。」
それを聞いた瞬間、エンリケは目を見開いて顔を跳ね上げてゴンザを睨んだ。
「お前!どういうつもりだ!」
エンリケの詰問にゴンザはニヤリと肩を竦めただけで答えずに去っていった。
「あいつら、まさか……。」
「エンリケ?大丈夫か?何を言われたんだ?」
「……いや、何でもない。大丈夫だ。」
そうは言っても、その顔の焦りは隠しきれていない。何より魂がこれ以上ない程動揺していたのだから、心配にもなる。
「それにしても、さっきの言い合いは何だったわけ?どうにもその“魔獣の円環”を手離せって言ってたみたいだけど……ゴンザがそれを欲しがる理由に心当たりはないのか?」
「正直その理由が良く分からない。コイツはアーティファクトの中でもランクは低い。効果もたいしたもんじゃない。売ったって数万ルミ程度だろう。 なぜゴンザが欲しがるのか……。」
「もしそれが原因と言うなら、いっそ手放してしまえばいいじゃないか。」
「……まぁそれもありかも知れないな。ただ、これは俺の妹のためになるかもしれないから。」
この“魔獣の円環”は魔力を注ぐと魔獣の鳴き声をまねることができるアーティファクトだ。だがエンリケは魔力の込め方次第で様々な音を出せることに気づいたのだ。
魔力の込め方を練習して魔獣の鳴き声を上手くつなぎ合わせれば、ぎこちないながらも簡単な言葉を発することができる。
エンリケは懐からメモを取り出して見せた。
そこには、どういった感覚で魔力を込めればどんな音が出せるのか、その練習方法まで事細かに書かれていた。
「今は色んな言葉のパターンを探っているところさ。ある程度練習すれば日常会話程度はこなせるようになるんじゃないかって思ってる。一通り自分で出来る様になったら、妹に送ろうと思っててね。……俺にとっては大事なものなんだ。」
エンリケは少しはにかんで俺にそう言った。
「エンリケ……。」
そう言う事情なら確かにエンリケにとっては他に代えがたいアーティファクトだ。だが、逆に他人が欲するほどの機能には思えなかった。
一瞬ゴンザがあの襲撃者かと思ったが、この魔獣の円環にそれほどの価値がある様に思えなかったし、あの時ちらりと見えた魂の色とも違った。
物的証拠やその現場を抑えないとダメだ。
三人でその問題について話しているところで不意に後ろから声がかかった。
「おはよう。」
振り返ると朝のそよ風にシルバーブロンドのツインテールを揺らした少女がいた。いつの間にか俺の依頼主が来ていたようだ。
まだ少し幼さは残るものの水精の二つ名に相応しく、何処か神秘的で極めて整った顔立ちだ。十分に美少女と言えるだろう。
凛香には到底及ばないけど。
「これお願い。」と手渡された背負い袋はどちらかと言うと小ぶりな物で、十分に一人で持てるサイズに思えた。
「これだけですか?」
「そうだけど?」
少女は何か?と言わんばかりに首を傾げている。
「これだけなら俺は必要ないのでは?」
「……こんなか弱い少女に荷物を持たせるなんて……鬼畜ね。」
「……」
少女は相変わらず眠そうな眼で判然と俺を見る。
この人はどこまで本気なのだろうか。表情はもちろんアニマも全くの動揺が見られない。
ここまで掴みきれない人は初めてだ。正直やりずらい。
いずれにせよ、俺に荷物持ちとしての役割を期待している訳ではないことは確かだ。何が目的なのか……こっちも慎重に対応しないとな。
ボロが出ないように沈黙を貫いていると、向こうもひたすらに俺を見つめながらも沈黙している。
「……」
「……」
エンリケもリンもなぜか声をかけてくれない。
……誰か助けてくれ。
暫くしても助け船はどうやら来ないようだ。俺は諦めて、まずはあたり障のない話からしておくか。
「あの。司教様。俺はあなたのことをどう呼べば良いでしょうか?」
「……ソワレでいい。敬語も不要。」
「はぁ。でも流石に司教様にタメ口は……」
「私の伴侶になるかも知れない人だから敬語はイヤ。普通に喋ればいい。」
「何を言って―――。」
俺がその戯言にくぎを刺そうとした所で背筋に悪寒が走って振り向くと、リンの体から剣呑な何かがユラユラと立ち昇っていた。
「……ちょ!リンさん!?なんか出てる!魔力が漏れてるって!」
俺がどうにかリンを諫めようと必死になっていると、ソワレが無表情でリンを見て言った。
「あなた、確か……飛燕の。……もしかして何か怒ってる?」
「別に!別に怒ってなんかいませんけどっ。」
「……フーン。そうなんだ。ならこういう事しても別にいい。」
ソワレは相変わらずリンを無表情で眺めながら、突然俺の横に立ってギュッと俺の腕に抱きついた。
まるで俺の腕を包み込んだソワレのその控えめな胸をリンに見せつける様に。
「ちょっ!?―――」
俺が抗議の声を上げるより早く俺は逆の腕を強引に引っ張られ、気づいた時には俺の頭が何か柔らかいものに包まれていた。
「リュージが嫌がっています!いくら司教様でもそれはダメです。」
それがリンの胸の弾力だという事実を理解するのに数秒を要した。決してそれに甘んじていたわけじゃない。余りにも突然の出来事に理解するのに時間がかかっただけだ。
「フーン。貴方、そのリュージとどういう関係?」
ソワレは、目を細めてリンを見た。そう問われて、リンは今の状況をようやく理解したのか、急に顔を真っ赤にして俺を突き飛ばす様に引き剥がした。
「べっ!?別に……ただの友達よ!」
「ならそんなにムキにならなくてもいい。」
「っ!?それでも、リュージが嫌がって――」
当の本人を放っておいて二人が何やら言い合っている。
それよりも俺の惨状に誰か目を向けて欲しい―――と、リンのバカ力で突き飛ばされて顔を地面に埋めながら抗議する俺の声は、当の本人たちには届かなかった……。
エンリケは俺のこの有様に何故か分からないがキーッと嫉妬の声を上げていた。出来ることなら代わってほしいと本気で思った。
……つーか助けてくれ。顔が抜けないんだ。
俺がようやく地面に埋まった顔を引き抜いたところで助け船が来た。
「リンとエンリケはいるか!司教様もこちらにお越しください!」
緊急クエストの主要メンバー数名がギルマスに呼ばれた。どうやら打ち合わせのようだ。
「はぁ。これは気が重いな。」
俺は三人の後ろ姿を眺めながら、前途多難な予感に盛大なため息を吐くのだった。




