第32話 再びの邂逅
「マズイ! グリズリーだ!きっとこいつを追ってきたんだ。 だからパラライズスパイダーの縄張りに逃げ込んだのか。 クソ! 今なら間に合う。コイツを置いて逃げるべきだ!」
エンリケの判断は早いし、正しい。なぜならグリズリーはBランクに位置づけられる高ランクの魔獣だからだ。ハンターランクRKの俺とDのエンリケでは到底勝ち目がない。
だが、俺らと一緒に居るのはAAランクの実力を持つと言われるBランクハンター様だ。
「リン。俺はこの人を見捨てたくない。何なら俺も戦うよ。時間稼ぎ位は出来るつもりだ。」
「リュージ、正気か!? 相手はあのグリズリーだぞ。言っておくが蛮勇と勇敢はまるで違うからな!?」
エンリケは俺を心配して言ってくれているのだろう。だが、リンは俺の眼を見て覚悟を感じ取ってくれたのか、小さく頷いた。
「元より見捨てるつもりなんてないわ。」
「リン様!? 大丈夫なのですか?」
「ええ。問題ないわ。それに、あなたのその判断も正解。あなたにならしばらくリュージを預けても大丈夫そうね。」
リンは俺たちに微笑んで、グリズリーの咆哮がした方を向いてゆっくりと立ち上がった。
「ただ、ここは蜘蛛の巣の中。中級以上の魔法を使えばたちまち蜘蛛たちが寄ってくる。頭を打ち抜くか接近戦で仕留めるしかないわね。」
リンはそう言って、背負い袋から短弓と矢を素早く取り出し、構えた。
その時エンリケが担いでいたエドと呼ばれた男がせき込み始めた。
「ゴホッ、ゴホッ!……ゴボッ!?」
何と、吐血し始めたではないか。
それを見たエンリケはすぐさまエドを地面に横たえて様態を見る。咳き込みは中々止まらず徐々にひどくなっているように思えた。
「マズいぞ。たぶん内臓がどこか損傷しているのかもしれない。このままだと……。」
エンリケのその言葉に、リンがちらりと振り返る。
「今出来る事は、できるだけ早く魔獣を排除することね。」
やがて、ドドドと言う低い地響き共に森の木々をなぎ倒しながらダンプカーの様な巨体が見えてきた。
何という膂力。この蜘蛛の強力な糸が張り巡らされた森の中をものともせずに突進してくる。
あの糸は一本でも人の力では外せないし千切れない強靭な糸だと聞いている。もし糸に絡まった時はその場から動かずに火で焼き切るのが通常の対処法だ。
にもかかわらず奴は何本もの糸を体中に絡ませながらもその動きを鈍らせずに向かってくる。
そんなグリズリーが迫る中にあって、俺はますます容体が悪化するエドを見て覚悟を決める。人の命には代えられない。
「リン。俺が治癒する。リンは戦闘に集中して欲しい。」
リンはちらりと俺を振り返りすぐ横のエンリケに目を向けてすぐに前を向いて言った。
「リュージ。出来るのね? いえ。良いのね?」
「ああ。人の命には代えられない。」
リンは俺の返事に無言のまま弓を引き絞り始めた。了解という事だろう。エンリケだけは俺たちの意図が読めずに困惑しているようだ。
「少し集中するから俺に話しかけないでくれ」とエンリケに告げて瞑想を始めた時、リンの詠唱が聞こえた。
『原初の四聖獣の一柱たるシフルより加護を賜りし里の子が請う 万物の理を超越したる御力を示し、我が矢に破魔の権能を与えたもう ―音忘れの疾弓』
リンがトリガーワードをつぶやくと同時に放たれた矢は、直後音速を超えたのかドパン!と言う衝撃音と共にソニックブームを発生させてかき消えた。
恐ろしいスピードで放たれた矢は、発射された瞬間から目で追えないほどのスピードで放たれたのだ。
その矢は遥か前方のグリズリーの眉間めがけて一瞬を駆けた。グリズリーの頭を打ち抜くかに見えたその矢は不運にも直前でグリズリーの眼前に現れたパラライズスパイダーを爆散させ、グリズリーの肩口を僅かに霞めて後ろの木々に大穴を穿ち突き抜けて消えた。パラライズスパイダーに当たったことで僅かに軌道が逸れたようだ。
「外した。ここからは接近戦で行くわ。エンリケ。リュージをお願いね。」
そう言ってリンは風の様に駆け出した。
俺はそれを見届けて自分の仕事に集中しようとちらりとエンリケを見ると何に感動したのか体をプルプルと震わせて涙を流していた。
「……リン様が。初めて俺を頼ってくれた……。」
……俺は心の中でそれを見なかったことにして目の前の作業に集中する。
無幻水心流に古くから伝わる瞑想に入る。心を落ち着かせ深く深く自分自身に落ちていく感覚。その先に自分のアニマを視る。そしてゆっくりと目を開き、エドと呼ばれた男の額に手を置く。
そうして《彗心眼》でエドの霊子結晶の隅々を凝視していく。
この人のアニマは薄いオレンジ色だ。脳から脊髄が明るく輝きを放ち、そこから神経が伸びる様にアニマの輝きが葉脈の様に続いている。そのアニマの色、脈動、強さに集中して深く深く自身のアニマをそれに合わせていくのだ。
魂魄同調だ。アニマの同調に集中していくと、やがてエドと一体化したような感覚に陥る。
次第にエドの苦しみ、痛みが自身の苦しみの様に感じられてくる。魂魄同調が深すぎてエドの思考が俺に流れ込んでくる。
今はそれを横に置いて、エドの苦しみの原因、痛みの原因に目を向ける。思った通り、胸だ。右胸が刺すような、焼ける様な痛みを伝えてきた。
アニマレゾナンスを維持したまま俺は思い出す。ポン助が俺に施したあの治癒魔法の輝きを、俺の自動回復小の輝きを。
その時のオリジンとアニマの反応(オリジン反応)を鮮明に思い出し、それを再現する。
魂魄同調を深く発動した俺は、もはやエドの体の一部となっている。だからその状態で回復魔法を発動できれば体の一部となったエドの体も治癒できるはずだとそう考えたのだ。
回復魔法のオリジン反応を再現しているとしばらくしてエドの体がうっすらと青白く光り始める。いいぞ!
だがこれだけじゃ弱い。主に体表のみを治癒するオートリジェネではなく、体内魔力を使ったポン助の回復魔法を真似なければ内臓の治癒は十分ではない。
……出来るはずだ、できなきゃこの人が目の前で死ぬ。
そう自分を追い込む。極限まで集中力を高める。
暫く集中してどれくらいたっただろうか。次第にその治癒の青白い光がエドの体の内部で発生し始めた。
よし!上手く行きそうだ。
ポン助はあの小さな体でも内蔵する魔力量はとても多い。その魔力を相手に流し込んで治療していた。だから体内魔力ゼロの俺でも治癒が可能なのだ。
しかし、俺は相手に与える体内魔力が無い。だから、エド自身の体内魔力を使って発動する必要があった。今回が初めての試みだったが、どうにかうまくいきそうだ。
エドの治療に全意識を集中させていた俺は、俺の治療を黙って見ていたエンリケがひどく驚いた顔をしていたのに全く気付かなかった。
「……まさか、治癒魔法…なのか? ……いやしかし、リュージは教会の印を身に着けていない。そんなことがあるのか?……」
その時俺は、治癒魔法を使える教会関係者は必ず見える位置に五芒星の印を身につけていなければならないとするこの世界の常識を知らなかった。
――――――
俺の治療が効果を発揮し始めたころ、リンはグリズリーを半死半生のところまで追いつめていた。追い詰められたグリズリーは起死回生の咆哮を放った。
――――ガオォォオオォン!
あの、体の自由を奪う咆哮だ。
だが、直前、リンは《エアリアルシールド》を即座に発動し、その効果を完全に防いでいた。
相対するグリズリーは既に腕を一本切り落とされ、その強靭なはずの皮膚は無残にも切り裂かれ血だらけになっていた。
だがそれでもグリズリーは生きていた。
「もう少しなのに。もうっ、蜘蛛が邪魔だわ!」
リンは思った以上に苦戦していた。と言うのは、グリズリーが早々にリンを脅威とみなし、近場の木を引っこ抜いて振り回して手あたり次第蜘蛛の巣を引っ掻き回したせいでパラライズスパイダーが大量に集まりつつあったからだ。
それほどの数となればグリズリーもただでは済まないが、それ以上にリンを近づけさせないことを優先したグリズリーの作戦が功を奏していたと言えるだろう。
大量に集まったスパイダーたちが蜘蛛の糸をグリズリー周辺に飛ばすものだから、さすがのリンも近づけずにいたのだ。
「ああ!もう面倒ね!……仕方ないわ。」
リンは苛立ちの声を上げて大きく後ろに飛びずさり、グリズリーが群れる蜘蛛たちに気をとられているのを確認して、すぐに流れる様な詠唱を始めた。
『森羅万象を司る主の住まうヴァルハラの 七門、開きその輝きを灯せ 天に輝く神の国 四方の一柱 風神アウストリ』
リンがゆっくりと両腕を天に掲げながら詠唱を始めると見えないはずの魔力が空気の揺らぎを巻き起こしてユラユラと揺らめきだし、次第に周囲の空気がリンを中心に渦を巻き始める。
恐ろしい程の膨大な魔力がその体内で渦巻き、その一部が全身から漏れ始めた。
『その息吹は山をも削り、ひとたび舞えば天地を揺るがす大嵐を呼ぶ 我に宿りし七門の光りを供物にその力の一角を示せ! ―神嵐烈槌!』
リンは両腕を上に掲げて、最後のトリガーワードを唱えると同時に両腕を大きく振りかぶった。
その直後、グリズリーを中心に半径10メートル程の円柱状の風の壁が出現し、その円柱の遥か上部から不可視の壁が落ちた。
その上空から押し寄せる空気の壁がその円柱の内側にある木々を、グリズリーを、それに群がる数十と言うパラライズスパイダーを押しつぶしていく。
それはさながら天から降り注いだ鉄槌の様に文字通り空間ごと押しつぶしたのだ。
しかしそれでも、強靭なグリズリーは悲鳴を上げながらも身体強化を最大発動してその重圧にギリギリで耐えていたようだった。
しかし、リンの魔法はそれだけで終わりではなかった。しばらくしてその空気の柱の内部に無数の竜巻が発生し、互いに複雑に絡まり、こすれ合いながらそれは次第に成長していった。
そしてそれらの竜巻はその空間にあった全てを飲み込み、お互に複雑に絡み合い衝突しあうことで、その尽くを粉砕していった。
竜巻同士がぶつかり削り合うことで内部は激しい摩擦が生じ、発生した熱と電気で赤く染まり紫電を迸った灼熱のミキサーとなった。
しばらくして魔法の効果が切れてゆっくりと竜巻が晴れていった。
魔法が終息したその後にあったのは中心部の瓦礫と砂の山以外、何もなかった。地面すら抉られ、半径10メートルの更地があるのみだった。
「あれは戦術級魔法!?……一人で発動させるなんて…聞いたことがない。」
リンのその大魔法を遠目に見ていたエンリケは唖然と口を開けてそう呟くのが背一杯だった。それほどに馬鹿げた威力の範囲魔法。
「ふぅ。ちょっとやりすぎたかしら。……でも今は急ぎだから仕方ないわね。」
リンは他に取りこぼした魔獣がいないことを確認して、すぐに俺たちの元に駆け寄ってきた。
丁度そのタイミングでエドの治療が終わった。エドの体内魔力が尽きたため、これ以上治癒魔法を発動できなかったのだ。
リンは俺のその様子を見て聞いた。
「リュージ。本当に発動したのね?」
「ああ。どうにかうまくできたみたいだ。だけど、やっぱり初めてだから十分じゃない。どうにか胸の損傷を回復しただけだ。どちらにしろギルドまで運ばないと。相当に血を失っている。」
「オイオイ。ちょっと待ってくれよ。治療したってのか?リュージが?本当に?」
「さすがね。まさか本当に出来るとは思ってなかったわ。これでひとまず安心ね。早速ギルドに向かいましょう。」
「ああ。そうしよう。それが最優先だ。」
俺たちは何事も無かったかのようにそそくさと身支度を始め、早速歩き出したところで、さすがにエンリケがキレた。
「ちょっと! ちょっと待てってば!リュージといい、リン様といい。滅茶苦茶だ!リン様がさっき放った魔法は戦術級の範囲魔法だろう?それを一人で発動したなんて話、俺は今まで一度だって聞いたことはない。
ただ、リン様はAAランカーと呼ばれるくらいだから百歩譲っていいとしても、リュージ。君がエドにしたのは治癒魔法だろう?なぜリュージが治癒魔法を使える?見るからに教会関係者じゃないだろう?もう何が何だか、もうちょっと説明してくれよ!」
「え?……それは……実は俺は隠れ牧師だったみたいな?」
「そんなわけあるか!五芒星の印を身に着けてないじゃないか!」
俺はそうなの?と思わずリンに顔を向ける。
リンは「はあ。」とため息を吐いて「さすがにごまかせないか」とつぶやいた。
「エンリケ。いい?リュージの治癒魔法は見なかったことにしてくれないかしら?」
そう言ってリンはエンリケにさり気なく身を寄せて、俺に見えない位置で懐から何かを取り出しエンリケの手に握らせる様に渡した。
「これは……。いや、俺はそんなつもりじゃ―」
何かを返そうとするエンリケの手を突き返すように再度握らせてさらに言った。
「いいから。あなたは何も見なかった。いいわね。もし、私の大事な友達を売るようなことがあれば……わかるわね。」
俺からはリンが背を向ける格好だったため、その時のリンの顔は見えなかった。しかし、エンリケはリンの気迫に気圧されたのか、顔に冷や汗を流して固まっていた。
それを見ればいくら鈍い俺でもわかる。
「リン……。」
この世界で教会関係者以外が治癒魔法を発動するのは禁忌に値するようだ。人命がかかっていたとはいえ、俺はそれをやってしまった。リンは俺のヘマをフォローしてくれている。
また一つ大きな借りができてしまった。
エンリケは結局そのリンの説得(?)に応じることとなり、俺たちはギルドに急ぐのだった。
範囲魔法のランク
範囲中:戦術級
範囲大:戦略級
範囲特大:災害級
範囲超特大:神滅級
単体魔法のランク(四大元素魔法)
生活:初級
基礎:初級
単体威力小:中級
単体威力大:超級
単体威力特大:神級
と言った感じです。あくまでも教会がつけたランク付け。
範囲魔法は複数人の術者で発動するのが前提。




