第25話 思慕の涙
「俺と真剣で勝負してくれ。」
「真剣で……本当に……」
リンは続く言葉を止め、俺の目を見る。
しばらくして無言で腰の短刀を抜いて構えた。俺の覚悟を感じ取ってくれたようだ。
「本気の様ね。何故本気の手合わせが必要かは分からないけど、そこまでの覚悟を見せられたら私も答えなきゃならない。手加減は……しないわよ。」
「……ありがとう。」
リンの答えに思わず口角を上げる。
俺が構えをとったところで確認するようにリンが問うた。
「リュージ、得物はいいの?」
「無手が基本スタイルだから。いざとなれば出すよ。」
俺は右手の仕込み刀を一瞬吐出させて見せる。
リンは目を大きくした後、納得したように頷いた。
風が吹く。
草原の草が風に揺れてさわさわと揺れる音だけが耳をくすぐる。
俺の気持ちの昂りとは対照的に心地よい風がそよぐ。
リンの構えと気迫。少しでも気を抜けば、この距離を一瞬で詰めて俺を切り裂くだろう。
それを一瞬たりとも見逃さない様に全神経を眼に集中する。
俺は《彗心眼》を全開発動し、魂魄同調でリンの魂の色に深く同調を始める。
リンのアニマがハッキリと視える。そしてそれに寸分違わず同調させていく。
やがてリンの呼吸が、体の動きが、思考が俺に重なる様な感覚に堕ちていく。
ザワリと草の揺れる音が一陣の風が近づいていることを知らせる。そしてそれが通り過ぎたその瞬間。
リンの姿が掻き消えた。
瞬きする間にリンが目の前にいて、その短刀を最小の軌道で振り下ろすところだった。
俺の首を狙った無駄のない完璧な動き。
リンの体内魔力の予兆を《彗心眼》でとらえていた俺は、それに先んじて動いていたにも拘らず、リンは10メートル程もあった俺との彼我の距離の9メートル程を一瞬で詰め寄っていた。対する俺と言えば1メートルも詰められていない。
その事実は、俺とリンの間には覆しようのない圧倒的な運動能力の差が、《身体強化》の差が有ることの証左だ。
既にリンの短刀は今にも俺の肩口に届くかというところに有り、俺はその刀の腹にギリギリで右手の籠手の甲を滑り込ませ、その攻撃の軌道を逸らすのが精一杯だった。
―――シュキン!
金属と金属の擦れる音が響き、俺とリンはすれ違う。
リンは驚いた顔を一瞬見せた。が、その口角がニヤリと上がる。
その後もリンは手加減なしの攻撃を繰り出してくる。中にはフェイントを絡めたものも有ったが魂魄同調で同調していた俺はそのことごとくを読んで籠手で逸らす。
逸らす。逸らし躱し続ける。
「あはっ!リュージ!すごいわ。これ程私の攻撃についてこられるなんて!」
リンはそう言って無邪気な笑顔で俺に容赦ない攻撃を繰り出している。意外にもバトルジャンキーらしい。
ギリギリの攻防を繰り返すうちに、次第にリンの動きが、思考が、そのすべてが凛香のそれに重なる。
凛香があの時発動した無幻水心流の終極奥義―《命輝身躁》。リンがそれを繰り出して俺に迫ってきているような錯覚に陥る。
そして、俺はその動きを完璧にトレースする。リンの、凛香の手足の力の入れ具合、息づかい、目線、思考、果ては心拍、そしてその《霊子結晶》の輝きすらトレースし始める。
やがて体表面がピリピリと感じ始め、ついにはパチパチとわずかな電気ショートが発生し始めた。
俺は心の中で歓喜する。
思った通りだ。
凛香の最期の技―命輝身躁は、極限まで身体強化を高めた技だったように思う。
事実、あの時の凛香の動きは、超人的な動きをしている今のリンのさらに数倍の速さに至っていた。
そして、雷光を伴っていた。
何のために?
雄我の動きを止めるため?
あるいはそうかもしれない。
でもたぶん違う。
あの技はおそらく無幻水心流の秘奥義として脈々と伝わって来たものだろう。であればあの場で凛香が雷光を発生させることを思いついたわけではないはずだ。
となると、答えは一つ。
あの雷光は身体強化魔法をさらに強化するためのものと考えるのが妥当だ。
もし、命輝身躁の雷光が身体強化魔法とは別の仕組みで肉体を強化していたとするなら、今の俺にも使える可能性がある。そう思った。
だが、俺はあの時の凛香の動きを思い出そうとしてもどうしてもその時の様子がぼやけて鮮明に思い出せなかった。
凛香の死を受け入れたくないという俺の弱い心がその記憶を心の奥底にしまい込んでしまったのだろう。
どうやったらその時の凛香の動きを鮮明に思い出すことができるのか?
俺は考え、思いついた。
凛香と同じ霊子結晶を持つリンの動きと、俺の魂に融合した凛香の記憶を重ね合わせることができれば、凛香のあの時の動きを、命輝身躁の動きの記憶を鮮明に引き出すことができるかもしれない。
俺がしまい込んで忘れ去った記憶をリンに重ねて視るなんてことができるのか?
確かに、普通はそんな事出来はしない。でも俺には予感があった。
雄我との死闘の時にも、そしてこの世界に来る前の夢を漂っていた時も、俺の知らない凛香の記憶を見たことがあった。
もしかしたら俺の魂に融合した凛香の魂に凛香の記憶が刻まれているのではという予感があったのだ。
そして、その記憶を引き出すには、たぶんリン=凛香であると俺自身を錯覚させる必要があると考えた。
そのために、リンにあの時の凛香とほぼ同じようなスピードで、同じように身体強化魔法を使って動いてもらう必要があったのだ。
そうすれば、凛香の魂に刻まれた記憶をリンの動きに転写することができるかもしれない。
それができれば、あとは俺が魂魄同調を使ってその動きを、魔力を雷光に変化させる《霊子結晶》のオリジン反応のパターンをトレースすればいい。
俺の体表で発生した魔力を使って。
よし!
俺は心の中で喚起する。
はたして今、思惑通りに俺は体表にわずかな電気を発生させることに成功したのだ。
それはセーターを脱いだ時に静電気がパチパチと爆ぜる程度のわずかなものだ。凛香が見せた雷光とは比べるべくもない。
だが、その体表で発生したわずかな電気は俺の体を通電する。決して体内に入らない魔力と異なり体の深部に入り込んで作用するのだ。
生体電気というものがある。
人間の脳の情報伝達を行っているのも、目の視覚信号を脳に伝えるのも、筋肉に動けと命令を送っているのも、全て体内の微弱な電流がそれを成している。
いわば、人間そのものが電池であり、電気回路なのだ。
体表面のプレシールドで発生させた電気は、発生した時点でどこにどの様に作用させるかある程度コントロールできる。
では、その本来持つ人間の電気信号に魔法による電気を上乗せさせればどうなるか。
そう。魔法電気による筋力ブーストだ。通常ではありえないほどの筋肉の収縮を引き起こすことができるのだ。
人間は普段、自らの体を守るために筋力の限界に無意識にリミッターをかけているという。
だがこの魔法による電気負荷のブーストは、そのリミットを外部から強制的に解除するわけだ。
この電気を使った筋力強制ブースト魔法を生体電気強化魔法と呼ぶことにする。
プレシールドを縮小してわずかな魔力で発動した《身体強化》に加えてこの《生体電気強化》を上乗せさせれば、今までとは比べられないほどの力、そしてスピードを引き出すことができる。
現に、俺がエレクトロブーストの操作に慣れるに従い、これまでのリンと俺の間にあった隔絶した腕力、スピードの差が徐々に縮まり始めているのだ。
最初こそリンの攻撃をギリギリで逸らすのが精一杯であったのが、今では少し余裕を持ってあわよくば隙を狙える迄になっていた。
「リュージ。 あなたは不思議。 ギリギリのところに追い込まれれば追い込まれるほどに強くなる。」
リンは戦闘中にも関わらず、感心した顔をして話しかけてくる。
こんなにも苛烈に攻撃をしているのに、どうやらまだまだ余裕があるようだ。
俺は、そのリンの余裕の態度に少し悔しくなる。
せめて一太刀でも浴びせたい。
俺は、リンのバックステップからのフェイントを入れた踏み込みと短刀の突きを読む。それまでリンの攻撃をはじき逸らすだけだった動きに変化を加える。
リンの短刀の腹に右手の甲をあてたその瞬間、一瞬引いてリンのそのわずかな反動を利用しながら流れる様に手を翻し短刀の峰を右手でわずかにつかみ引き込みながらそのまま斜め左下に円を描くように力を誘導する。
リンは突然力の方向をそらされ、前のめりになりつつ振りかざした短刀を円を描くように導かれて横に投げ出されるような格好となる。
その時、初めてリンの目が見開かれる。
左下に流す短刀を流すタイミングで僅かに短刀をねじる様にして刀を取りに行っているのだがリンは肩を入れ込む様にして耐え、刀は手放さない。さすがだ。
だが、短刀とともに体制を崩されたリンは俺に対して胸を開くように大きな隙をさらしている。
「もらった!」
その胸、心中線に向けて右足を一歩踏み出し左手の掌底を突き出す。最も躱しにくい位置だ。
捉えたと思った次の瞬間、リンはその場から消えた。
いや、消えたのではない、上に飛んだんだ!
リンは俺の頭上、手の届く位置よりわずか上。天地逆さに宙を舞い、俺を飛び越えようとしていた。
しかし身動きの取れない空中なら逆にチャンスだ。
そして俺の頭上をまるで鳥のように華麗に飛び越えるその体に向かい俺は右手の仕込み刀を繰り出して突く。素手では届かない位置と踏んでいたのか、俺が仕込み刀を吐出させた時点でリンは目を見開いた。
だがリンは焦るどころか、逆に口角を上げたのだ。そして次の瞬間。
『 ― エアレイド』
リンが魔法名をつぶやいたと思った時には、リンの短刀が俺の喉元にそっと当てられていた。いつの間にか俺の後ろに回り込まれていたらしい。
見えなかった。
「これでおしまいね。」
あの瞬間、リンは風の初級魔法―エアレイドを発動、その強烈な風圧で自身の体を急加速させ、俺の仕込み刀の突きをすり抜けたのだ。
まるで、ハヤブサの様な美しい舞いだった。
「リュージ。本当にすごい。まさか魔法まで使うことになるなんて思ってなかった……リュージ?」
リンがその刀を収めて俺を見て賞賛の言葉をかけてくれる。
「リュージ……泣いてるの?」
そう言われて気づく。頬からポタポタと涙が零れ落ちていた。
泣いていたらしい。
「ああ。そうみたいだ。」
魂魄同調でつながった俺は、リンに凛香の姿を見ていた。
リンと手合わせをしていたそのわずかな間、死んだはずの凛香に再開できた気がしたのだ。
そして同時に、凛香が本当にこの世を去ってしまったのだと心に刻み込まれた気がした。
だが、俺はその事実を認めたことによる喪失感よりも、凛香が死後の世界から舞い降りて、俺に稽古をつけてくれて、そして魔法発動の手助けをしてくれたように思えた。
死してなお、俺にまた生きる希望をくれた。頑張ってと言っているように感じた。
そして何より、俺の心の奥底。俺の魂に凛香が確かに宿っているのを感じて、途轍もなく切なく、愛おしく思えたのだ。
いつの間にか俺は首に巻いた白いマフラーを強く握りしめていた。
「……ありがとう。」
誰に向けて言ったか。口をついて出た言葉だった。
リンは俺の言葉に何を思ったのか。俺の目をじっと見て、しばらくして小さく「うん。」と言った。
凛香の《命輝身躁》ってなに?という方は以下もお立ち寄りいただければ幸いです。
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