第20話 一週間だ
目が覚めるとそこには見知らぬ天井があった。窓から入り込む茜色の日差しが眩しい。
「ああ、そうだった。宿についてすぐに寝てしまったんだっけか。」
―――ぐぅ。
俺の腹の虫が泣いて、自分がやたらと空腹であることに気づき、起き上がろうとして初めて気づく。
右手に温かいぬくもりを感じていることに。
ふと右を見ると、そこにはベッドサイドで椅子に腰かけ俺のベッドに上半身だけうつぶせにして寝ている少女がいた。そしてその少女の右手が俺の手を握っていた。
「!?うわ!」
俺は驚き、思わずその右手を離してしまった。その反応に少女が目を覚ます。
「……ん…。 あぁ。リュージ。おはよう?」
寝ぼけた空色の目を擦り、俺に挨拶をしてきた少女はリンだった。
なぜ俺のベッドサイドにいて俺の手を握っていたのか???その状況に思わず驚き声を上げてしまった。
ってか、今何時だ?
「リン。おはよう。起こしてしまったみたいで済まない。ところでなぜ君がここに?」
「リュージが随分起きてこないから、様子を見に来たのよ。そしたら私まで眠ってしまっていたみたい。」
リンの言葉にようやく状況を理解する。ずいぶんと寝てしまっていたようだ。差し込む日の光から夕方くらいだろうか。リンがなぜ俺の手を握っていたのかの説明にはなっていないが。
「ありがとう。ここに来てから野宿ばかりだったから、大分疲れてたみたいだ。」
俺は立ち上がる。一先ずグゥグゥとなく腹の虫を鎮めるため、少し早い夕食をとることにした。
―――
ここはクロスメントの入り口にほど近い“黒真珠亭”という宿屋だ。ハンターギルドの協賛宿でもあるようだ。
ちなみにこのクロスメントは魚介類はもとより、この入り江でとれる黒真珠が特産でもあるらしい。
俺は今、目の前に並べられたスープと黒パン、ムール貝もどきの酒蒸しにがっついている。相当に腹が減っていたらしい。
硬い黒パンを細かくちぎってはスープにつけてふやかしていく。正直このパンは単体で食べてもおいしいとはいい難いが、スープにつけると中々だ。とはいえ、味付けは殆ど塩味だけだが。
だが、このエビの姿焼きはおいしい。海の塩味とエビのうまみが素直にうまい。
「ん。このエビは美味いね!追加で注文して正解だった。」
「えぇ。本当に。あ!コラ!チクチクいつの間に!」
見ると、背中にトゲを生やした小動物がいつの間にかテーブルにドデンと座り、俺のエビを器用に手で取ってムシャムシャと食べていた。
バカな!目の前に居るのに全く気配を感じなかっただと!?
リンがそれを咎めるようにチクチクに手を伸ばすが、チクチクは達人級の動きでひらひらと身をかわし、その間も器用にムシャムシャと食べ続けている。
するりとリンの腕を掻い潜る動きはまるで無幻水心流の歩法“陽炎”の様だった。
いや、まさかな。そんなことが有るはずがない。
そんな事を思っている間にチクチクは皿ごと俺のエビを奪って、何処かに行ってしまった。
あのリンの動きに勝る身のこなし。虚実を織り交ぜたなんて熟達した動き!
リンが「もう!いつも食い意地だけはすごいんだから!」とプンプン怒っている。俺は目の前の光景に唖然とするが、ひとまず保留にして話を続けることにする。
「……もう一つ頼むからいいよ。……ところで、これからの事なんだけど。」
そう言って切り出すと、リンはいつもの事なのかはぁとため息をついた後、俺を見た。
「先日も言ったけど、もし良ければリンの旅に俺も同行させてもらえないだろうか? もちろんタダと言う訳にはいかないから、リンの人探しについて俺に手伝わせてほしい。」
「でも、私の都合に突き合わせるのは悪いわ。」
「俺への気遣いはいらないよ。むしろ俺からのお願いなんだ。俺はこの世界の事を知らなすぎる。旅の手伝いをする代わりに色々と教えて欲しいんだ。これは俺の素性を明かしたリンにしか頼めないものだ。何なら正式に依頼してもいいと思っている。引き受けてくれないだろうか?」
俺は目を見ながら頭を下げる。俺が頼れるのは現状リンだけだ。異世界人と言う立場でこの世界の事を気兼ねなく尋ねられる存在と言うのは本当に貴重だ。お金を払ってでもリンに手伝ってもらう必要がある。
「リュージ。そんなお願いされなくても知りたいことが有れば何でも教えるわ。それにもともとハンターの基礎についてもしっかりと教えるつもりだったのよ。」
リンはそう言った後、少し目を逸らし小声で言った。「…大事なお友達だもの」と。
……何だその純粋で初心うぶな仕草は。一瞬心臓がドキリとしてしまった。いかんいかん。冷静になれ俺。彼女は凛香とは別人だ。
「だけど、ハンターはいつも危険を伴うものよ。それに私の旅は危険な地域の捜索も含むから、無理に私の旅に付き合う必要はないわ。リュージならハンター以外の仕事もきっと見つかるわ。」
リンは本心から俺の心配をしてくれている様だった。ハンターギルドの連中とは大違いだ。なんて純粋で心優しい事か。
だが、それでは俺の気持ちが済まない。
「リン……この世界に来る前、俺は本当に体が弱くて何処にも行くことができなかった。だが、今はこうして普通に歩いて、走り回ることさえできる。しかも俺が知らない世界だ。だから世界を回って見てみたいという気持ちは本物なんだ。それに、俺がリンの手伝いをしたいって言うのもそれと同じくらい本気だ。同情からってわけじゃなくて、俺がそうしたいんだ。」
俺はリンの澄み切った青空の様な瞳を強く見つめる。
「……ありがとう。リュージの気持ちは分かったわ。」
「それじゃぁ―」
その返答を聞いて喜び、声を上げる俺にリンは被せる様に言った。
「―ただし。私が旅についてこられると判断するまではダメよ。もちろん私が色々と教えてあげるから。……そうね、かなり厳しいけど1か月でどうかしら?」
「……なるほど、旅の同行にはリンの試験に合格しなきゃいけない訳か。しかも、俺のために人探しの旅を中断させるわけにはいかない。良いね。なら話は早い。」
リンは本当は俺の同行に気が進まないのかもしれない。それは俺の身を案じての事だろう。だが、あえて俺は一歩踏み込んだ提案をすべく人差し指を立てて宣言する。
「一週間。一週間でリンのテストに合格してみせるよ。」
――――――
そう宣言したからにはのんびりはしていられない。
食後寝るまでの間、早速リンにこの世界の基本的な事柄と魔法について教えてもらうことになった。
まずはこの世界の文字から。
実は俺は既にこの世界の言葉を聞けるし喋れもする。更に文字を読むことも書くことも出来る。
それはこの世界に来るときに神様にスキルをもらったとか、脳を改造されたとかではなくて、全てこのメガネがやってくれているようだ。
この町にくる途中、眼にゴミが入ってメガネを一瞬外した時にリンが話しかけてきたことがあった。その時、リンが俺の知らない言語を喋っていることに気づいたのだ。
同様に、メガネなしではリンは俺の言葉が理解できないらしい。
つまりこのメガネは俺に意識させずに現地の言葉を翻訳し理解させ、俺に現地の言葉をしゃべらせているという機能があることが分かっている。
これだけでチートアイテムと言っても過言ではない。どうやってそれをやっているのか想像ができない。恐ろしく高度な技術だ。
しかも、このメガネを通してみると現地文字の上に日本語がAR表示される仕組みになっていて、さらにさらに俺が口にした言葉の文字を表示する機能まであるのだ。そのおかげで、読み書きも難なく行えている。
ので、メガネがある限りは実生活に何の支障もない。
だが、いざメガネが無い時、もしくは故障した時にある程度知っておかないと困るし、何よりこの世界の言語の歴史や背景を知ることはこの先役に立つ場面もあるだろう。
そう思い、俺は言語レクチャーを受けることにしたというわけだ。
この世界には幾つかの言語が存在して、リンが分かるのは神聖教言語と人族語、獣人語、あと少しのエルフ語だという。
何とリンはクワドリンガルだ。
リン曰く、この世界の言語は基本的に神聖教言語が基本となっていて、共通の表現や発音は多いと言う。だからそれ程の難しさは無いというがそれにしても凄い。
神聖教言語は世界各地で使える言語というのもあって共通語と呼ばれることも多いんだとか。
それはさておき、先ずは共通語の基本から教わる。
共通語はどうも英語の様な基本文字が有り、それらの組み合わせで意味を成す様だ。
基本の文字と単語を書き記してもらうことで個別学習を中心に行うことになった。
思った通りこの世界ではいわゆる紙は存在するものの高価なもので有り、出回っていない。
羊皮紙は有るのだがこちらも高価な物で、文字の練習に気軽に使える物ではない様だ。だから今は手持ちの黒板とチョークで教えてもらっている状況だ。宿の受付で使っていたものを借りたのだ。
リンが隣で顔を寄せて教えてくれている。とても良い匂いがして、正直勉強に集中しきれない。それに文字を覚えなければならないので、黒板に単語をいっぱい書いてもらって後で隙間時間で覚えることにして適当なところで切り上げることにした。
次に、魔法について基本的な事から教えてもらう。魔法の基礎、成り立ちから四大元素魔法の大まかな説明をしてくれた。
四大元素は火、水、土、風。
確かこの四大元素と同じ考えを示したのがアリストテレスだったか。どの世界でも同じような思考になるのだろうか。
そう言えば、アリストテレスは世界を構成しているのは四元素だけではなく、更に上空にエーテルと言う物質を考えたとされている。この世界で言うところの魔力に相当するものかもしれないな。
いずれにせよ、やはりこの世界ではいわゆる科学と言われるような、事象を定量的に観察して理解しようとする文明が定着していないようだ。いや、何処かにはそう言った個人や集団、あるいは国家が存在するかもしれないが、少なくともこの国の一般には普及していない。
俺はリンの説明にそんな思考を挟みながらもリンの講義は続く。
魔法は基本的に使える属性が生来決まっているとの事で、リンが得意とするのは風属性だ。
ただ、基礎の生活魔法レベルで有れば他の属性も使えると言う。生活魔法は基礎魔法とも呼ばれ、訓練をきちんと受けさえすれば基本、誰でも使えるようになるそうだ。
(とは言え、それなりの金がかかるから、庶民は金をかけてまで基礎魔法を習う様な事は殆どない様だが。それ故、庶民は基本的に魔法を使えないんだそう。)
これは興味深い事実だ。
確かに、霊子結晶アニマの波長(色)によって使える魔法は異なる。俺が《紫電》を発動するときは黄色のアニマに、《水滴ウォーター》の時は水色に霊子結晶アニマの波長を変えて発動している。そうしないとうまく発動できないのだ。
だが、初級魔法なら訓練さえすれば誰でも使える様になるという。効率は悪いが発動自体は出来るという事なのかもしれない。
リンは実践しながらの方が理解が早いだろうと、魔法を実際に見せてくれるようだ。
「始める前に大事な事を伝えるね。魔法は下手に使うととても危険なの。魔力酔いになる程度ならまだ軽傷、最悪魔力暴走で肉体が弾け飛ぶこともある。私はそうして再起不能になった術者を何人も知っているわ。本当は教会の教育専門の司祭の教えが必要なんだけど、今回は特別に私が代行する。だから私の言うことは絶対に守ってね。」
俺はコクリと頷いて答え、続きを促す。
「先ずはやって見せるね。」
リンはそう言って眼前に人差し指を立てる。
『森羅万象を司る主の住まうヴァルハラより望め。刹那、手指に集いし天の光よ、その姿変え 灯す光となれ。 イグナイト』
詠唱の直後、かざした指の先にマッチの火程度の小さな炎が音もなくゆらめき出現する。
「凄い……。」
何がすごいかと言うと、リンのよどみない魔法の制御ももちろんだが、それ以上にこの魔法の火を灯し続けていることだ。
俺の《火花スパーク》は俺の体表の魔力を指先に集めて、それを一瞬にしてすべて使いきって放電を発生させている。
つまり、一瞬しか発動できず、何度も発動させようとしても10秒程度のインターバルを必要とする。連続発動は出来ないのだ。
しかし、リンの灯した火は継続的に灯し続けている。
《彗心眼》で見ると、やはりリンの膨大な体内魔力をゆっくりと指先から放出するようにしてこの魔法を連続発動させているのだ。
《体内魔力》がゼロの今の俺にはできない発動方法だ。
リンが今見せた生活魔法一つとっても学ぶべきことは多そうだ。これは面白くなってきた。
この作品を目にしてくれて有難うございます。
ところで、言語って不思議ですよね。
今この地球上には原始的言語体系というのは存在しないそうです。つまり、意思を明確に表現しきれない進化途中の不完全な言語は世界のどの言語にも存在しないという事です。
世界には色々な言語が有りますが、それらがどのように発展してきたのか、その起源も謎のままです。とても不思議ですね。
色々な種族がいる異世界ではどんな言語が進化しているのでしょうか?想像すると面白いです。




