第10話 あの時ちゃんと言えなかったから 《挿絵あり》
―――ガオォォオン!
咆哮が轟き、直後、体が硬直する。
「……バカなっ!? もう一体の、グリ、ズリー!?」
仕留めたグリズリーは確かにそこに見える。ということは、こいつは別の個体。
マズい。体が動かない。魂魄同調が間に合わなかったんだ。
「……っ!木の上に、居たのかっ!?」
咆哮を放ったグリズリーは先ほどの個体よりもさらに一回り大きい。その顔は怒りに満ちているように見えた。
眉間に深いしわを寄せて、恐ろしい程の眼光で俺を睨んでいる。
もしかしたら、俺が仕留めた個体と番だったのかもしれない。
俺の運勢は相変わらず最悪だ。
ただ、今はそんなことはどうでもいい。
先ほどと同じように足に集中して《身体強化》で逃れないとヤバい!そう自分を叱責して制御を試みるが、俺の体内魔力は既に制御できるレベルを超えて溢れていたせいで魂魄同調が全くできないのだ。
今度こそヤバい。
グリズリーの太い腕が振り下ろされる。
体は痙攣するばかりで一向に言う事を聞かない。
振り下ろされた腕が空気を切り裂き目前に迫ってくる。
俺はそれを見ていることしかできない。体が全く動かない。
―――ダメだ!死ぬ!?
そう思ったその瞬間。
野球ボールほどの白い球体が何処からともなく飛来し、俺の腹を強かに打ち付けた。そして俺はその衝撃で吹き飛んだ。
俺はゴロゴロと転がり、地面に倒れ伏す。正直死を覚悟したが、思わず触れた俺の腹はちゃんと繋がっていた。グリズリーの一撃で二分されたわけではなかったのだ。
先ほどのボールの様なものが、グリズリーの兇刃から俺を救ってくれたのだ。
その事実に気づいて慌てて顔を上げ、俺は目を見開いた。
そこにはオコジョの様な胴が長い小動物がいた。ただ、その背中にはハリネズミの様な針がびっしりと並んでいた。どうやら、あの小動物が俺を助けてくれたらしい。
だが、俺が驚いたのはそこじゃない。
そのハリネズミオコジョの《霊子結晶》の色が薄いピンク色に輝いていたのだ。その色は、前世のばあちゃんのアニマの色と寸分違わず同じ色だったのだ。
ハリネズミオコジョはその小さな体を活かして、巨大なグリズリーを翻弄しているように見える。
そして、グリズリーの大振りを見事に躱した直後、その背中から小さな針をグリズリーの顔に向けて飛ばした。
たまらずグリズリーは悲鳴に似た唸り声をあげて一瞬たじろいだ。
その隙にあのハリネズミオコジョはどこかに走り去ったと思ったら、いつの間にか俺の目の前に居た。その口に俺の黒縁メガネを咥えて。
「メガネ!? ……お前。 ……ばあちゃんなのか?」
俺の問いかけにハリネズミオコジョは答えずに、唯々俺の手に黒縁メガネを押し付けてくる。
何を言っているんだ俺は。こんな小さな生き物がばあちゃんな筈はないだろ。ここは現実なんだから、そんな事ありえない。
それにそんな事よりも、メガネを届けてくれたことの方が大事だ。そう思いなおし、俺は震える手で眼鏡を掛けなおす。
しばらくして、あれだけ荒れ狂っていた《体内魔力》の動きが静まり、その膨張も収まりつつあった。酩酊状態だった思考も、次第にクリアになってきた。
見ると、《自動回復》も発動しているようだ。
どうやら一命はとりとめたようだな。
安堵したことで急に気が抜けたのか、意識がもうろうとしてきた。体内に残った《魔力》のせいで体の気怠さと痛みは先ほどまでと大差ない。
それ以上に深刻なのが貧血。血が足りない。脳に十分に血液が巡っていないのか、意識を保つことすら難しくなってきた。やはり、先ほどの無理がたたっているようだ。
朦朧とする意識の中、グリズリーが再びあの咆哮を放ったのを目の端でとらえた。
意識を失いかけていた俺は、当然魂魄同調すら発動できなかったにもかかわらず、なぜか咆哮が効かなかった。
だがハリネズミは別だったらしい。その咆哮の衝撃で吹き飛ばされたハリネズミが俺の視界の端に転がったのが見えた。
ここであのハリネズミがたおされれば次は俺だ。
どうやら、相変わらず俺の命は崖っぷちらしい。
グリズリーが勝ち誇った様に、動かなくなったハリネズミに向かって歩き出すのが聞こえた。俺の命の恩人、いや恩獣か、の死が迫っていた。
それをだまって見過ごすわけにはいかない。
貧血により意識が混濁してきていた俺は、もはや立ち上がることすらできなかった。だが、それでもグリズリーの気を引かなきゃならない。そう思って体を横たえながらも、何とか転がって石を拾い、寝ころんだままグリズリーに向かって石を投げた。
その石が放物線を描いてコツンとグリズリーの頭部に当たった。
グリズリーの動きが止まり、ギロリとこちらを睨んだ。
「…クマさん…こちら。…手の…鳴る方…へ!」
そんな安い挑発に激怒したグリズリーは、迷いなく俺に突進してきた。
もう俺には指一本動かす体力も無い。それでもどうにか痙攣する体を無理に動かし、寝返りを打って立ち上がろうとするが、到底間に合いそうにない。
―――俺の異世界人生もここまでか。
そう諦めかけた時、
―――ピピピピピピ!
黒縁メガネが反応した。
何かが上空から接近してきている。しかも相当に強いALTの反応が二つ。
それに気づいて上空に目を向けると同時、俺は天から鈴を鳴らすような声を確かに聴いた。
『―――荒ぶる旋風の刃となりて その邪悪を切り裂き穿て。 ―トルネード!』
それと同時。黄緑に輝く光と猛烈な風が吹き荒れたか思うと、グリズリーがまるで風の檻に閉じ込められたかの様に動きを止め、その直後旋風と共に無数の光輝く半月状の光の刃が天から降り注いだのだ。
―――グガァァアアァ!
グリズリーは突然降り注いだ風の刃になすすべもなく切り刻まれ、断末魔の悲鳴を上げた。
風の刃の元をたどるべく見上げると、大きな燕の様な影が一瞬上空を通りすぎた。そしてその影から一つの人影が飛び降りるのが確かに見えた。
その影はまるで空中を舞うように服をはためかせ、短刀を手にクマの首元のすぐ横を通り過ぎ、俺とクマの間に背を向けて華麗に着地した。
その直後、巨大なクマのバケモノは全身と首筋から血を噴き出しそのままのけぞる様に倒れ、絶命した。
俺は、瞬きもせず、息をするのも忘れて目の前の出来事に見入っていた。
それを成したのは、少女だった。
ショートボブに両の耳の部分だけ長くそろえて緩く髪留めで留めた淡い黄緑のつやのある髪をなびかせ、すらりとした細身の体躯を猫の様にしなやかに操り音もなく着地するその姿はまるで天から蝶が舞い降りたようだった。
革の胸当てに腰に赤と白の帯の様なものを巻き、そこから垂れる外套は見事な刺繍が施された透ける羽織はまるで蝶の羽の様だった。その下に纏った短めのズボンスカートからすらりとした褐色の足が伸びている。肩は露出し、その肘から手首にかけて垂れるやや長めの袖はまるで振袖の様だった。
どことなく和風な装いを感じさせる軽装だ。
そして、手に持った短刀を腰の後ろの鞘に納める仕草も気品を隠し切れない優雅さを伴っていた。
何よりも俺を驚かせたのがそのアニマだった。その魂の色は幼馴染の凛香と同じ薄い黄緑色だった。
朦朧とする意識の中、俺は呟いたかもしれない。後ろ姿だけでも分かる。彼女は―
「……凛香……。」
そして俺は意識を手放した。
――――――
……温かい。まるで温泉につかっているような、幼い頃母さんの胸に抱かれていた時のような心温まる温かさだった。
……俺は死んだのか? もう少しあの異世界で生きていたかった。凛香の願いを少しでも叶えたかった。何よりも俺自身が剣と魔法の異世界を冒険したかった。
―――…っ!……る?……よ―――
なんだ?誰かが俺を呼んでいる?
酷く眠りたい衝動をどうにか抑えて俺はうっすらと目を開ける。
ぼんやりと見える。
目の前に凛香がいた。頭に柔らかい温かさを感じた。膝枕をしてくれているらしい。
凛香に会えた。目の前の光景に急に胸が熱くなり、そっとその顔に手を伸ばす。
―――俺は死んだのか。 でも、死んで凛香に会えるのならそれもいいかもしれない。
―――ああ、そうだ。 凛香に会えたら最初に言おうと思っていたことが有ったんだ。最期の時にはちゃんと言えなかったから。
「……りん……ゕ……」
声がかすれてうまく出ないな。でも、そんなかすれ声に、目の前の凛香は目を大きくして驚いた顔をしている。
「……ずっと……好き…だった。これからは……ずっと、一緒だ。」
俺は目いっぱいの笑顔でそう言った。ようやくしっかりと前世では伝えきれなかった俺の想いを伝えられた。
決まった。最高の告白だ。俺の心は今、満たされている。
俺の想いを伝えられた凛香はその顔を真っ赤にして、しかし、直後大きくその手を振りかぶった。
そして、思いっきり俺の頬をひっぱたいたのだ。
―――へべれぶへぇ!
俺はその凶悪な平手打ちに吹き飛び、激しく地面を転がって大木に背骨を打ち付けてようやく止まった。
「げほぉ!……何が!?」
今の衝撃で覚醒した俺は衝撃にせき込みながらもどうにか顔を上げて、それを成した凛香であるはずの少女をみた。
目の前の少女は確かに凛香と瓜二つ。
その透き通る水色の瞳の美しさもさることながら、その大きな目と端正な眉毛、すらりと通った鼻筋、やや細めだがわずかに幼さの残る輪郭といい、髪や肌の色、目の色以外そのすべてが凛香の生き写しのような顔立ちだ。
だがしかし、別人だ。
少女は顔を真っ赤にしてプルプルと震えながら、叫ぶように言った。
「わ、私はそんなのでなびく程、軽い女じゃ無いんだから!」
俺はようやく彼女が凛香とは別人であることを認識した。認識してそして血の気がサァァっと引いていくのが分かった。
そして気づけば俺は土下座をしていた。
「ご、ごご!ご、ごめんなさい! 人違いでしたぁあ!」
人生で最も素早いジャンピング土下座だったかもしれない。
いつの間にか復活したあのハリネズミが、やれやれと肩を竦めながらその様子をあきれ顔で眺めていた。
この作品を読んでくれて本当にありがとうございます♪
もしよければ↓の★★★★★をクリックしてくれると嬉しいです!
あなたの応援があおぞらの更新のモチベーションになります!




