北78条
北78条
おいらの住む村は、海沿いの漁村だ。
コンクリで出来た固い海岸の村だけど魚は獲れる。先祖代々からの土地だとじっちゃんが言っていた。
何もねえところだし冬には雪が降る、なんとか寒さは凌げるが毎年の事なんで、慣れたがついでに飽きてきた。
季節は秋の紅葉を迎えて、遠くの山の方が枯れた頃にはきっともう冬が来る。
毎日毎日、ただ生きているだけなもんで気は楽だが、おいらにはずっと気になっている事があった。
村の外れにある、あの穴の事だ。
昔から大人達には、あそこには近付くなと言われてきた。
穴と言ってもちょっとやそっと掘っただけの小さい穴じゃない。人一人は楽に通れそうな洞窟みたいな穴だ。
昔、あの穴は何だと親父に聞いた事がある。ただ、その時も何でもねぇ何でもねぇと言うだけで、最後には他の大人と同じように近付くなと言われて有耶無耶にされた。
その時の親父の様子が何だかおかしかったので、あれからはおいらも穴について聞く事は無かった。
そんな穴の事が、今日はいつもよりやけに気になるのだった。
別に何かがあったわけではない。幼なじみのミヨちゃんにふられた時も、じっちゃんが死んだ朝も、雪に埋もれて凍えて助けを待った夜も、穴の事が特別に気になる事は無かった。
ただ、今日何でもないこの日に、おいらは穴の中に入ってみようと思ったのだった。
人目に付かないようにこっそりと穴へ向かった。何があるかわからないので、ちょっとの食いモンと、水は持ってきた。
実は、村の子供の間ではこんな噂だけはあった。
「あそこの穴はチカホって言ってな、ずーっと向こうにあるサツエキって所に繋がってるんだってよ」
おいらも子供だが、しょせん子供の言う事なんで信じていなかった。きっとお互いにそうだったんだろう。眉唾の噂話だ。
ただ、穴の入り口に近付くと同時に、噂もただの噂というわけでも無いのだなと気付いた。
おいらはホントに穴を遠くからしか眺めた事が無かったから知らなかったが、穴の入り口の横に小さな立て看板があった。
「地下歩行空間ご利用について」
誰かがずっと見張ってるとか、そんな事では無かったが昔から「本当に近付いちゃならねえ」って言い付けを守って近寄って来なかったからわからなかった。
ただ、今こうして穴に入って行こうとしてるのだが。
訳は無い。不意に、急に突然と、言い付けなどどうでも良いと思ってしまったとしか言えない。
おいらが穴に入ろうとしている事など村の誰も知らないのだ。
穴の入り口はとても暗かったが、目の前に立つと階段が見えた。
陽の光に照らされる範囲はずっと階段だ。奥の方は暗くなっていて見えない。
おいらはそろりそろりと階段を壁伝いに降りた。
灯りは当然持っていなかったので、徐々に眼は慣らして降りていったが真っ暗になったところで急に扉にぶつかった。
何故壁ではないとわかったかというと、ぶつかった瞬間に「キィ」と音を立てて開いたからだった。
扉の向こうは、うすらぼんやりと灯りの灯る、細長い地下道だった。
灯りは、見た事のない灯りだった。
白色の埃にまみれている灯りだが、不思議な事にずっと光っている。
ずーッと先まで長く続く地下道がそこにはあった。
引き返すなら今だろうか、それとも、もう少し進んでからにしようかおいらは迷ったけど、行くならもうとことん先まで、きっとその先のサツエキまで行ってみようと決めた。
歩き始めたおいらは、すぐに無謀だったかもしれないと気付いた。
道は果てしなく直線で、果てしなく変わり映えのしない風景だった。
もう引き返すのも面倒なくらい歩いたが、先に進むのも面倒だ。
一時間くらいは歩いただろうか、まだ数分だろうか。時間の感覚もぼやけてくる。
気を確かにするために歌を歌う事にした。漁師の歌う歌だ。
大漁を願うこの歌は、一回歌って三分、十回で三十分、二十回で一時間だ。
おいらはヤレ、ソラと、一人高らかに地下道に声を響かせた。
あれから二十回歌った。1時間は歩いただろう。さっきと合計すると、二時間だ。
するとここで、変わり映えのしないと思った地下道に変化が出てきた。
少しタイル張の、やや手の込んだ造形が伺えるようになってきた。
意味はわからないが壁には「麻生」と書かれた看板が見える。
おいらは、流石に歌うのもばからしくなり、少しずつ変化を見せる地下道の様子を楽しんだ。
そしてまた一時間も歩いただろうか。ついにまた扉に行き合った。
「札幌駅」
扉にはそう書かれていた。
本当にあったのだった。
おいらは恐る恐る扉を開いた。するとそこには、また更に地下道が続いていたが今までのそれとは明らかに違う豪華な神殿のような装いだった。
これはすげえやと思ったと同時に、地下道にはとても多くの人が行き交っている事に気付いた。
おいらみたいななボロ切れの服なんかではなく。綺麗な服を着た人達だ。
そしてまるで、思い返せばおいらが扉を開けた時からまるで奇ッ怪なものを見たように周りの人々がこちらを見ていたのだった。
「何だよぅ」
と叫ぶと同時に、駆け寄ってきた数人の男達がおいらの周りを囲んだ。
胸元に着けた箱に向かって何やら話しかけているが、その箱も喋る事においらはびっくりした。
『………すぐにお連れしなさい』
箱がそう喋ると、おいらは男達に促され、どこかへ案内される事になったようだった。
どうしていいかわからないので、黙って付いていった方が良いとおいらは思った。
男達も喋らなかったので、ちょうど良かった。数人に囲まれて歩く姿は流石に目立つので、少し恥ずかしかった。
見た事も無い風景の神殿のような地下を通り抜け、おいらの村とは全然違う世界のような地上に上がり、こんなもの見た事が無いような高さの建物と、動く階段や動く箱を乗り継ぎ、とある部屋に着いた。
部屋には男が居た。どうやら、とても偉い人のようだった。
「良く来たね、歓迎しよう」
男はおいらに笑顔を向けると色々な事を話し出した。
男の言う事にはこうだ。
あのチカホから、札幌駅までやっていた人間はどうやらとても久々で、どんな用事か知らないがゆっくりしていってくれと。そしてついでにさすがにみすぼらしいのでこれを着なさいとおいらに服をくれた。
服は着慣れないもので、どうやらパーカーとスキニージーンズと言うらしいがなんでこんなものを着るのかとは思ったが、着たらすぐに慣れて案外いいものだと思った。
先程の男達に外まで案内してもらい、建物の外に出た。
街はとても整然としていて、美しかった。
地下にあった埃の被った灯りとは違う、透き通った様々な色の光と、まるで知らない素材の建材の数々。
道を行く人々は、着替えたからだろうか、さっきとは違って全然誰もおいらの事を見ない。
只々、皆忙しそうにどこかに向かって歩いている。
噂に聞いたサツエキがそこにはあった。
こんなもの、なんで村の大人達はあの穴ごと隠してたんだろうかとおいらは思った。
少し歩くだけで胸が躍った。
色々な店があって色々な人がいる。なんだか知らないが少しして気付いたが、何かをするには「金」が要る。
おいらは、何も出来なかった。
ただ歩くだけで楽しかったが、とても味気なかった。ミヨちゃんに似ている人がいたから話し掛けたが無視をされた。
無視されたのは金が無いからというせいではないと、それは何となくわかったが何も出来なさ過ぎて次に何をするにも流石に少し金が欲しかった。
おいらは一旦偉い人のところに戻った。
「金をくれないか」
おいらがそう言うと、偉い人は笑顔を崩さないまま、こう言った。
「服は渡せても流石にそれはちょっとなぁ」
それなら、とおいらは持ってきたちょっとの食料と水を突き出して、交換に金を貰った。
偉い人は、きっと偉いので、少し高く「買って」くれたんだと思う。
一枚の紙きれだったが、おいらはそいつを握りしめて、また街に繰り出した。
街の様子はさっきと何も変わらないが、日が暮れかけて少し暗くなっていた。
秋の夕日は鶴瓶落としだ。持ってきた村の井戸の水は、さっき金に変わった。
金はあるがどうしよう、その辺のおじさんに尋ねてみた。
ミヨちゃんに似た女の人よりは何かしら返事はしてくれたが、特に会話にならなかった。
他の人も、他の人も、話し掛けたが何も無かったしついでに男には殴られた。
おいらは、金を見詰めて溜息を吐いた。
外は寒いので、地下に入ろうと思い、地下で見つけた飲み物の店でやけに長い名前の飲み物を飲み、金は無くなって店の外に出た。
変な形の石の像の前で、ぼーっと佇んでみた。
周りの皆は、手に持った光る板に夢中だった。
時間が流れる。
気付けばもう日は暮れて、街は澄んだ空気を通して見える灯りと、目の前のガラスと扉に映る自分の姿だけが見えた。
「妙夢」というらしいその石の像の穴を通して眺めると、サツエキの様子がぼんやりと、夢の中のようにおいらの惚けた頭に溶け込んできた。
気付けばもう、夜も遅くて、おいらは途方に暮れた。
偉い人の所に行って、服を返した。
「なぁ、なんでこんな場所があって、おいら達はなんであの村で暮らしていて、なんであの穴は繋がっているんだ」
思わず、そう尋ねた。
偉い人は言った。
「君達の先祖が、あそこまでチカホを延ばせと言うから穴を掘ったんじゃないか」
色々と教えてくれたが、結局どうでも良くなったので、話を続ける偉い人を尻目においらは部屋を立ち去った。
帰っても何があるわけでもなく、ここにいても何か起きるわけでもなく。
片道数時間でいつでも来れるがきっと来る事もなく。
住もうと思えば住めるのだろうが、何故かそういう気にもならず。
おいらは、あのチカホを通ってまた家に帰る。
ここに来た事はきっと誰も知らずに、気取られもせずに。
そしてまた同じように、何も変わらない日々を生きていくのだろう。
遠くの山の方が枯れた頃にはきっともう冬が来る。