九十八 刻むもの
「よくもやって下さいましたね。よもや我が山ごと結界を断ちなさるとは。この伊吹童子、思いもよりませんでした」
そう肩を竦める声には、清々しささえ感じられた。
美しい女である。
しかし尋常な人でないことは、一目でわかった。
額から二本の角が生えているのだ。
加えて、喋る度にちらりと覗く鋭い牙。
しなやかな指より長い、鋭い鉤爪。
その姿はまさしく鬼に相違なかった。
「流石は姉上、と申さねばなりませんか」
「姉、とな……?」
頭上より続けて発された言葉に、白星がぴくりと眉を動かした。
そして何かを察し快活な笑い声をあげる。
「……かか。さよか。ぬしは我が首が、依り代なく具現化した鬼か」
「左様です。言わば我等は血を分けた姉妹首。ですから本体のあなたを姉上、とお呼びしました」
「これは愉快なことよ。よもやこのわしに妹がおったとはの」
「私も姉上にお会いできて嬉しゅうございます。ですが……」
息吹童子と名乗った鬼が、俯いて声を落とす。
「その殺気。妹とて見逃しては頂けないのですね」
明るく話しながらも、白星が間合いを図っているのに気付いていたのだ。
「悪う思うな。妹なればこそ、尚の事放ってはおけんしの。大人しゅうそっ首差し出せい。さすればすぐ楽にしてくれようぞ」
「御免被ります。せっかくの自由気ままな生。どうしても奪うと言うならば、返り討ちにして私が本体になり代わるまで」
「よう言うた。なれば死合おうぞ」
言うが早いか、白星が飛び掛かるのに合わせ、伊吹童子は右手を振るい、凄まじい豪風を呼び起こした。
それを正面から迎えた白星は大きく息を吸い、激しい吹雪で対抗する。
互いの風と氷雪は一時拮抗したかに見えたが、伊吹童子が左手からも追撃の風を繰り出すと、吹雪はあえなく霧散し、凶風が白星を襲った。
白星は巧みに白鞘を振り回し、鎌鼬を払い散らすが、形なき風を全ていなすなど、いかな白星にも咄嗟には無理がある。
たちまち衣の袖が裂け、裾がほつれていった。
「ほほほ。我が疾風を見切るなど、いかに姉上でも目が追い付きませぬでしょう。そうれ。まだまだ切り刻んでくれましょうぞ」
両腕を振り回し、鎌鼬を乱舞させる息吹童子に対し、白星は防戦一方、少しずつ後退を余儀なくされる。
そしてこれまで目立った損傷を受けた事のない白き衣は、瞬く間にぼろきれのように刻まれて行った。
これまでの相手と違い、己が権能を自在に操る首の化身は、間違いなく最強の相手であると言わざるを得ない。
しかし白星の顔から笑みは消えず、己に匹敵する強者に会えた喜びからか、むしろ楽しんでいるような節さえ見えた。
「かか……この盤面。どう引っ繰り返してくれようかの」
白鞘の軌跡の裏で、白星は意地の悪い表情を浮かべ、何やら画策しているようだった。




