九十七 踏み込むもの
「さて。これはどうしたものかの」
白星は立ちはだかる壁の如き竜巻を眺めやり、顎に手をやって呟いた。
伊吹山を取り巻く暴風の結界は広範囲に渡り展開されており、隣山の頂に陣取ってさえ、髪が乱れる程の吹き荒れぶりであった。
「すごい風……霊体でも吹き飛ばされそう」
吹きすさぶ暴風は、そう星子が怯える程の妖気を孕んでいた。
「これ以上は無策で進んではなりません。あの風は鎌鼬のごとく、刃物が乱れ飛んでいるとお考え下さい。石をいくつか投げ込んだところ、全てすっぱりと真っ二つにされた程ですから」
福一が念を押すように言う。
「うむ。確かに尋常ならざる気が渦巻いておるの。どれ。星子はもう引っ込んでおれ」
「うん。白星、気を付けてね」
「案ずるな」
星子がお守りに戻るのを確認すると、白星は福一の話を聞いて尚、自分で確かめるため右手を前に伸ばして一歩二歩と歩み始めた。
「白星様!?」
福一が慌てて呼び止めるが、白星は考えがあるのか、止まる気配を見せない。
「黙って見ておれ」
やがてある一線を越えた時、白星の右手首が不意に消失した。
吹きすさぶ鎌鼬に、一瞬にして斬り飛ばされたのだ。
「白星様! だからあれ程……!」
「良い。寄るな。共に切断されようぞ」
泡を食った福一を制し、白星は大きく後方へ飛び退くと、次いで宙高く跳躍した。
そして着地した時には、斬り飛ばされた手首を口に咥えていた。
「白星様、ご容体は!?」
焦り駆け寄る福一を尻目に、白星は咥えた手首を切り口に押し当てた。
すると、ぱきぱきと傷口を厚い氷が覆い、あっという間に固定していった。
「大事ない。放っておけば繋がろうて」
福一が目を丸くする傍ら、本人は至って冷静に右手の動きを確認していた。
「その状態で動かせるのですか? なんとでたらめなお身体……」
「かか。素直に化け物とでも呼べい。五つの首を揃えた今や、わしの……星子の身は完全に人のものではのうなったでな。すり潰しでもされぬ限り、滅多なことでは障りない」
白星の言う通り、氷で繋ぎ止めた右手首の血はすでに止まり、早くも尋常な動きを取り戻していた。
「さて。これでこの暴風とも縁が成った。少々強引な方策を取る故、ぬしは離れて見ておれ。その後、何があっても先のように寄って来るでないぞ。いかにわしとて、死人を生き返らせる事はできぬ」
「ええ、元よりそのつもりですとも。私など、いてもお役に立てませんからね。それではご武運を」
福一は神妙に頷いたかと思うや、軽口を叩いて素直に離れて行った。
一度事を起こさば、その後は龍穴の主との対決がすぐに控えている。それに巻き込まぬようにとの白星なりの配慮を察したのだ。
「うむ。では始めるかの」
白鞘で地を叩き、音頭を取り始めた白星は、己の血飛沫が染み込んだ地面を踏み締めながら円を描く。
そして舞の締めに白鞘で五芒の星を地に書き込むと、陣の中心へと片膝をついて白鞘を構えた。
「腕鳴らしにはちょうどよい。加減はせぬぞ」
白星はにいと口の端を歪め、前方の嵐を見据えると、目にも止まらぬ速度で白鞘を解き放つ。
しゃん──
刀身を晒す事なく納刀した直後、それは起こった。
ごごん!!
大きな地鳴りを立てて息吹山が真っ二つに割れ、同時に、あれだけ猛威を振るっていた暴風が、箒で掃き去ったかのように消え失せたのだ。
離れて見ていた福一にも理解が及ばなかったであろう。
一閃の斬撃が、直線状の全てを一瞬で断ち割ったなどと。
「かか。上出来かの」
「──大したものですね」
満足げな笑みを浮かべて立ち上がる白星の頭上から、涼やかな声がかけられる。
白星が顔を上げると、緑の衣をまとった女が一人、中空に浮いてこちらを見下ろしていた。




