九十四 化けるもの
「まったく愉快な連中よ。しかし、こうして静かに呑むのも悪うない」
ことん。
白星は干した杯を、湯に浮かべた盆の上にそっと置くと、ぐっと身体を湯舟の中で伸ばした。
「ふう……騒いだ後の朝風呂は、また格別よの」
さすがに土蜘蛛達は一人残らず酔い潰れ、白星は一人こうして朝酒朝風呂を存分に愉しんでいるのであった。
「もう。白星ばっかり楽しんでてずるいんだから……」
宴の席におっては酒を強引に勧められるとあって、今頃顔を出した星子が膨れ面で抗議する。
「かか。酒の一つも呑めねば、一人前には程遠いの」
白星は盆に置いた杯に手酌で酒を満たすと、これ見よがしに味わって見せる。
「お酒はまだいいの! でも、せめてお風呂くらい入りたいよ」
星子の霊体は全てをすり抜けてしまい、湯の感触も、温もりすら感じられない。それが悔しいのだ。
「ふむ。では課題を一つ出すかの。それができれば、風呂を味わわせてやろうぞ」
「ほんとに?」
途端に目を輝かせる星子に、白星は悪戯っぽく微笑する。
「風呂に入りたくば、まずは風呂場に似合わぬ衣を脱ぎ去ってみせよ。話はそれからよ」
「ええ? 私霊体だよ? どうやって服なんて脱ぐの」
言いながら星子は帯を解こうとするが、己の身体ですらその手はすり抜けてしまった。
「よいか星子や。本来ぬしら霊体は、その気にならば好きな姿形を取る事ができる。今はたまたま最期の姿に固執しておるだけに過ぎぬのよ。さあ、思い浮かべてみよ。衣から解き放った己の姿を」
何よりも強き意思こそが、変化を可能とすると白星は語る。
星子は言われるままに、目を瞑り、己の裸を思い描いて強く強く念じ続けた。
やがて──
「かか。やればできるではないか」
やや時間こそ食ったが、星子も今や白星と同じく、一糸まとわぬ姿に変じていた。
「や、やったあ……」
さすがに初の試みに疲れを見せる星子に、白星は慈愛の瞳を向けつつ、己の浸かる湯をかき混ぜて見せた。
「ほれ。湯にわしの霊気を混ぜた。これなら今のぬしなら感じ取れるであろ」
宙からへろへろと湯に落下していった星子は、途端にはっとした表情を浮かべた。
「──あったかい!!」
質量がないため波こそ立てなかったが、星子の身は確かな温もりに包まれていた。
「で、あろ?」
「ふわあ……お湯のお風呂がこんなに気持ちいいなんて……」
須佐の里では湯に浸かる習慣はなく、星子にとっても初の体験であり、思わず蕩けた表情を晒す。
「多少わしが手を貸したとは言え、現の物体に触れられるようになったか。霊体として、一応の成長はしておるようだの」
化ける事は幽霊や妖怪にとっては基本中の基本であるが、幼子の魂の霊格が、ようやくその立ち位置へ到達したのだ。その事を白星は感慨深そうに笑んだ。
「その調子で霊格を上げよ。国一番の怨霊となりたいならばの」
「うん!」
「次の目標は、そうさな。わしの助けなく、常に現のものに触れられるようになることかの」
「むずかしそうだけど、がんばる!」
「かか。よき返事よ。……む?」
はしゃぐ星子を尻目に、白星の耳は、壁一つ隔てた男湯の戸が、控えめにからからと開く音を捉えていた。




