五十九 任
飛天車により帝都へ届けられた、熊野芦名の署名付きの書状。
それがもたらした、土蜘蛛襲来の顛末と、鹿島が中将貞頼の訃報は、宮中へ瞬く間に駆け巡った。
本来ならこのような話題は憚られるものだが、此度の人物は位が位であり、天地が返る程の大事件である。
誰もが口をつぐむのを抑えられずにいた。
これについては帝の後見人、関白の伊勢氏すら、緘口令を早々に諦めた。
いずれ熊野から商人などが来れば、すぐさま噂が広がるのは必定。
わざわざ隠すくらいならば、先んじて公表し、早急に後釜を立てて威を示すのが良策と割り切る事にした。
「主上。左近衛大将、鹿島貞常殿のご到着でございます」
宮中奥、謁見の間にて、涼やかな官女の声が響いた。
「通せ」
御簾を隔てた向こう側から、感情のこもっていない無機質な命令が下される。
まだ子供のようでもあり、女性のようでもある、高くか細い声だった。
官女は慣れているのか、気にも止めずに頭を垂れて返礼すると、膝立ちとなって襖を音もなく開け放った。
「……失礼仕る」
やや腰をかがめるようにして、その身には狭すぎる入り口を潜り抜けて来たのは、壮年の巨漢。
先程名を告げられた、鹿島が長男にして貞頼の実兄。大将を務める鹿島貞常であった。
ゆったりした赤い狩衣を着込んだ上からでも、今にもはち切れそうな筋肉の脈動を悟らせる巨躯である。
弟とは真逆の、岩のような体を揺らしながら謁見の間へと立った。
いや、鹿島の血であれば、これが正常なのだ。
だとしても、貞常は特に長身な部類であり、常人の背丈に合わせた宮中の移動には、いささか苦労を伴った。
敷居を跨ぐ際に鴨居へ引っかけた烏帽子を正しながら、どしどしと足音を立てて進む先には、先客がいた。
御簾越しの帝から見て、やや左にずれた場所へ座する、白い狩衣を着込んだ細い背中。
その色の狩衣と、その場所へ座す事を許される者はただ一人。
八咫衆が筆頭、香取が長にして、右近衛大将を冠する、香取宗重である。
貞常が汗混じりに歩んでゆくところへ、軽く振り返って、会釈を寄越す宗重。
その顔には深いしわが刻まれ、武人らしからぬ福々しさが浮かんでいた。
本来ならば、他の二家のように隠居していておかしくない高齢なのだが、香取の家では跡取りが未だ決まらず、こうして現役として駆り出されている。
幸い香取の軍は宮中の警護が主であり、宗重が動く事はそう多くはない。
しかし此度の乱については無視せざるを得ず、自分と同じくこうして呼び出されたのだろう。
貞常は御簾が近くなるとさすがに足音を自重し、そろそろと足を踏み出すと、宗重の右隣、即ち帝から見て左手に腰を下ろす。
途端に、御簾越しに焚かれた白檀のほの甘い香が鼻腔を満たし、帝の側に在る事を殊更に意識させた。
ここに肩を並べ、紅白の衣装を着分けた二人こそ、帝都の守護の要。
伊勢氏を除き、帝が最も信を置く重鎮であった。
「左近衛大将、鹿島貞常。只今まかり越しまして候。主上におかれましては、本日もご機嫌……」
「堅苦しい挨拶はよい」
御簾越しに、無遠慮な声が貞常の口上を遮る。
「呼び立てた理由は察しておろうな」
「はっ……我が弟、貞頼が不始末の件でございまするか」
帝は特に語調を荒げるでもなく、抑揚のないままに問うただけである。
しかし議題が議題だけに、貞常はどのような沙汰が下るか気が気ではない。
戦場を駆けている方がましだと思える程の、かつてない重圧が己が身にのしかかっているのを、貞常はひしひしと感じていた。
「常勝無敗の鹿島が軍が、よもや土蜘蛛ごときの奇襲を許すなど。その上、中将を討たれようとは。前代未聞よな」
「申し開きのしようもございませぬ。かくなる上は、某が本隊を率い、東の八十女どもを討ち滅ぼし……」
「捨て置け」
家督剥奪も視野に入れ、決死の嘆願を始めた貞常は、何を言われたのか一瞬理解が遅れた。
「……は?」
迂闊にも、間抜け面を晒して固まる始末。
「左の。少し落ち着かれよ」
それまで無言であった宗重が、穏やかな声音で助け舟を出した。
「今貴殿が帝都を離れ、鹿島が軍を動かさば、大江の鬼どもが調子に乗るであろう。それでは国防疎かになり、本末転倒。そもそも主上は、貴殿に責を問うてはおらぬ。まずはお言葉をしかと拝聴するとよろしい」
「う、む……忝い」
自分の倍ほどの歳を経た老将に理詰めで諭され、貞常は気恥ずかしさに、黙り込むより他なかった。
何度か深呼吸を経て、気を取り戻した貞常は、まずは頭を垂れて仕切り直した。
「主上。お見苦しいところをお見せ致し、まこと御無礼仕り申した。この凡愚めは、下賜されたお言葉を謹んで受け入れる所存にござります。何なりとお申し付け下され」
覚悟を決めて言い切った貞常に、帝は明後日の方に向けて言を放る。
「ふむ。なんと言うたか。このところ噂になっておる、浅羽の小倅」
「浅羽が兼成殿の次男、兼続殿ですかな。今や『鬼の手』の二つ名で呼ばれ、民衆の注目を集めておりまする」
突然逸れた話題を宗重がそつなく補填すると、御簾の向こうでぽんと手を打つ気配が揺れた。
「おう、それよ。そやつに少将の位をくれてやれ。此度の熊野の例祭は、浅羽に護衛を任せる」
「なんと!」
思い付きのように下された帝の言葉に、思わず声をあげる貞常。
例年を飾った鹿島の晴れ舞台を、よりによって浅羽の若造に任せるなど、屈辱以外の何物でもない。
「ほほう。さすがは主上。名案かと。そも貞頼殿が率いた兵は、熊野が軍でも精兵揃い。今からあれらに匹敵する戦力を揃えるには無理がある。そして、例祭までの日にちも幾ばくも無し。徒歩ではとても間に合いませぬが、浅羽の天狗衆であれば余裕を持って着く事でしょう」
隣では宗重が頷きながら、主の意を汲んで代弁した。
思わず横目で睨み付けるも、宗重は気付いているのかいないのか。すまし顔のまま帝に一礼している。
はらわたが煮えくり返る思いではあるが、全く反論の余地のない案であった。
「して。異論はないな。貞常。急ぎ祭事の引継ぎを済ませよ」
「……御意」
何でも受け入れると、自身で言い放った後である。
武士に二言はあってはならぬ。
貞常は膝に置いた拳を固く握り締めながらも、勅を拝命するしかなかった。




