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逢魔が刻の一ツ星  作者: スズヤ ケイ
幕間 三
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五十九 任

 飛天車により帝都へ届けられた、熊野芦名の署名付きの書状。


 それがもたらした、土蜘蛛襲来の顛末と、鹿島が中将貞頼の訃報は、宮中へ瞬く間に駆け巡った。


 本来ならこのような話題ははばかられるものだが、此度の人物はくらいが位であり、天地が返る程の大事件である。

 誰もが口をつぐむのを抑えられずにいた。


 これについては帝の後見人、関白かんぱくの伊勢氏すら、緘口令かんこうれいを早々に諦めた。


 いずれ熊野から商人などが来れば、すぐさま噂が広がるのは必定。


 わざわざ隠すくらいならば、先んじて公表し、早急に後釜を立てて威を示すのが良策と割り切る事にした。




主上しゅじょう左近衛さこんえ大将たいしょう、鹿島貞常(さだつね)殿のご到着でございます」


 宮中奥、謁見の間にて、涼やかな官女の声が響いた。


「通せ」


 御簾を隔てた向こう側から、感情のこもっていない無機質な命令が下される。

 まだ子供のようでもあり、女性のようでもある、高くか細い声だった。


 官女は慣れているのか、気にも止めずに頭を垂れて返礼すると、膝立ちとなってふすまを音もなく開け放った。


「……失礼(つかまつ)る」


 やや腰をかがめるようにして、その身には狭すぎる入り口を潜り抜けて来たのは、壮年の巨漢。

 先程名を告げられた、鹿島が長男にして貞頼の実兄。大将を務める鹿島貞常であった。


 ゆったりした赤い狩衣を着込んだ上からでも、今にもはち切れそうな筋肉の脈動を悟らせる巨躯である。

 弟とは真逆の、岩のような体を揺らしながら謁見の間へと立った。


 いや、鹿島の血であれば、これが正常なのだ。

 だとしても、貞常は特に長身な部類であり、常人の背丈に合わせた宮中の移動には、いささか苦労を伴った。


 敷居を跨ぐ際に鴨居へ引っかけた烏帽子を正しながら、どしどしと足音を立てて進む先には、先客がいた。


 御簾みす越しの帝から見て、やや左にずれた場所へ座する、白い狩衣を着込んだ細い背中。


 その色の狩衣と、その場所へ座す事を許される者はただ一人。


 八咫衆が筆頭、香取が長にして、右近衛大将うこんえたいしょうを冠する、香取かとり宗重むねしげである。


 貞常が汗混じりに歩んでゆくところへ、軽く振り返って、会釈を寄越す宗重。

 その顔には深いしわが刻まれ、武人らしからぬ福々しさが浮かんでいた。


 本来ならば、他の二家のように隠居していておかしくない高齢なのだが、香取の家では跡取りが未だ決まらず、こうして現役として駆り出されている。


 幸い香取の軍は宮中の警護が主であり、宗重が動く事はそう多くはない。


 しかし此度の乱については無視せざるを得ず、自分と同じくこうして呼び出されたのだろう。


 貞常は御簾が近くなるとさすがに足音を自重し、そろそろと足を踏み出すと、宗重の右隣、即ち帝から見て左手に腰を下ろす。

 途端に、御簾越しに焚かれた白檀びゃくだんのほの甘いこうが鼻腔を満たし、帝の側に在る事を殊更に意識させた。



 ここに肩を並べ、紅白の衣装を着分けた二人こそ、帝都の守護の要。

 伊勢氏を除き、帝が最も信を置く重鎮であった。


「左近衛大将、鹿島貞常。只今まかり越しましてそうろう。主上におかれましては、本日もご機嫌……」

「堅苦しい挨拶はよい」


 御簾越しに、無遠慮な声が貞常の口上を遮る。


「呼び立てた理由は察しておろうな」

「はっ……我が弟、貞頼が不始末の件でございまするか」


 帝は特に語調を荒げるでもなく、抑揚のないままに問うただけである。


 しかし議題が議題だけに、貞常はどのような沙汰が下るか気が気ではない。

 戦場を駆けている方がましだと思える程の、かつてない重圧が己が身にのしかかっているのを、貞常はひしひしと感じていた。


「常勝無敗の鹿島が軍が、よもや土蜘蛛ごときの奇襲を許すなど。その上、中将を討たれようとは。前代未聞よな」

「申し開きのしようもございませぬ。かくなる上は、それがしが本隊を率い、東の八十女どもを討ち滅ぼし……」

「捨て置け」


 家督剥奪も視野に入れ、決死の嘆願を始めた貞常は、何を言われたのか一瞬理解が遅れた。


「……は?」


 迂闊にも、間抜け面を晒して固まる始末。


「左の。少し落ち着かれよ」


 それまで無言であった宗重が、穏やかな声音で助け舟を出した。


「今貴殿が帝都を離れ、鹿島が軍を動かさば、大江の鬼どもが調子に乗るであろう。それでは国防疎かになり、本末転倒。そもそも主上は、貴殿に責を問うてはおらぬ。まずはお言葉をしかと拝聴するとよろしい」

「う、む……かたじけない」


 自分の倍ほどの歳を経た老将に理詰めで諭され、貞常は気恥ずかしさに、黙り込むより他なかった。


 何度か深呼吸を経て、気を取り戻した貞常は、まずは頭を垂れて仕切り直した。


「主上。お見苦しいところをお見せ致し、まこと御無礼(つかまつ)り申した。この凡愚めは、下賜されたお言葉を謹んで受け入れる所存にござります。何なりとお申し付け下され」


 覚悟を決めて言い切った貞常に、帝は明後日の方に向けて言を放る。


「ふむ。なんと言うたか。このところ噂になっておる、浅羽の小倅こせがれ

「浅羽が兼成殿の次男、兼続殿ですかな。今や『鬼の手』の二つ名で呼ばれ、民衆の注目を集めておりまする」


 突然逸れた話題を宗重がそつなく補填すると、御簾の向こうでぽんと手を打つ気配が揺れた。


「おう、それよ。そやつに少将の位をくれてやれ。此度の熊野の例祭は、浅羽に護衛を任せる」

「なんと!」


 思い付きのように下された帝の言葉に、思わず声をあげる貞常。


 例年を飾った鹿島の晴れ舞台を、よりによって浅羽の若造に任せるなど、屈辱以外の何物でもない。


「ほほう。さすがは主上。名案かと。そも貞頼殿が率いた兵は、熊野が軍でも精兵揃い。今からあれらに匹敵する戦力を揃えるには無理がある。そして、例祭までの日にちも幾ばくも無し。徒歩ではとても間に合いませぬが、浅羽の天狗衆であれば余裕を持って着く事でしょう」


 隣では宗重が頷きながら、主の意を汲んで代弁した。


 思わず横目で睨み付けるも、宗重は気付いているのかいないのか。すまし顔のまま帝に一礼している。


 はらわたが煮えくり返る思いではあるが、全く反論の余地のない案であった。


「して。異論はないな。貞常。急ぎ祭事の引継ぎを済ませよ」

「……御意」


 何でも受け入れると、自身で言い放った後である。


 武士に二言はあってはならぬ。


 貞常は膝に置いた拳を固く握り締めながらも、勅を拝命するしかなかった。

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