五十一 絡めとるもの
黒雲を引き連れて、地上へと急降下する龍が如く。
一閃の雷は、確かに顕現を果たした。
その証拠に、鼓膜を震わす大音響と、真昼のような明るさが、場に一瞬とは言えもたらされたのだから。
しかし、天雷を呼んだ本人は困惑の渦中に陥っていた。
「な……何故だ。何故貴様は無事に立っている……」
鹿島貞頼は、未だ舞台の上に平然と立つ少女を、愕然たる思いで見上げて呟いた。
天雷とは、天津が神の裁きである。
天津に逆らいし愚かな罪人を必滅する、絶対正義の証。
それが発現した今、狙い定めた対象は、すでにこの世から消え去っていなければならぬ。
だというのに、白鞘を手にした少女は依然、変わらず舞台の上に在る。
貞頼は己がすがるものに、びしりと亀裂が入る音を聞いた。
だが、しかし。
「……いや、あり得ぬ。あってはならぬ事だが。咄嗟の事で手元が狂ったのやも知れぬ」
強靭な自尊心が崩れかけた自我を支え、もう一度御業を振るうべく己を鼓舞した。
「命拾いしたな、小娘。次は外さぬ」
自らを落ち着けるため、せめて精神的優位を取らんと声を張る貞頼。
それを見返す瞳は、怪しく輝くばかり。
「まだ試すか。よかろ。それも一興。されど、その後はもはや無きものと知れ」
嘲笑うかのような少女の声に、貞頼は怒りより、ほんのわずか、畏怖が上回った事に戦慄する。
一瞬でも気を抜けば、白鞘の無視せざるを得ない圧倒的な妖気に、意識を残らず呑み込まれるのではないか。そんな幻想が頭を過ぎる。
それを振り払うように、殊更に己を叱咤し、発奮して声を荒げてみせた。
「ほざくな! その余裕ごと、跡形もなく消し飛ばしてくれるわ!」
剣を構え直し、改めて御業を完全に解放する事のみに傾注する。
(天津に連なる祖の方々。どうか、この魔性じみた《《もの》》を誅する力を授け給え!)
心中にて、生涯でこれ以上無いほどに強く祈りを捧げつつ、手汗で滑る剣を握り直して、貞頼は絶叫した。
「今一度、鳴神よ! 疾く顕れい!!」
かっ、と頭上を閃光が走り、轟音が響く。ここまではよい。
しかし、何事か起こるまいかと注視していた貞頼は、眩い烈光の中で信じられないものを見た。
稲光が落ちる寸前、貞頼の立つ場所から少しばかり離れた地面が一気に盛り上がり、円錐状の塔となって天高くそびえ立ったのだ。
雲間より降りし雷光が、呆気なくその土柱へ吸い込まれ、儚く霧散するのを、貞頼は呆然と見届ける事しかできず。
「雷とは木気に通ず。金気さえあらば、容易く避けられるものよ」
少女は事も無げに言いながら、白鞘でとんとんと舞台を続けざまに打つ。
すると、周囲の地面へ同じような土の柱が次々と出現し、貞頼はたちまち五本の柱に取り囲まれた。
柱はそれぞれ五芒星の頂点よりそそり立ち、今や貞頼は結界内に完全に閉じ込められていた。
その内一本は貞頼の背後、死角に位置取っている。
即ちそれが初めの一本目であり、最初の落雷を防いだものであった。
白星が仕掛けたのは、陰陽五行の理の一つ。
相剋と呼ばれる、優位な属性をもって相手の術を打ち消す手法である。
今回においては、金剋木の相剋を用いた。
簡単に言えば、金気を宿した土を高く盛り上げ、避雷針と成したのだ。
昼間の偵察の甲斐があり、敵の扱う気、そして広場の地面が強い金気に満ちている事を白星は把握していた。
処刑によっておびただしい量の血が流れ、染み込んでいるのだ。陰気と鉄分には事欠かぬ。
そこへ予め陣を仕込み、貞頼を誘い込んで、天雷を行使するよう仕向けた結果がこれである。
貞頼にとっては、とんだ形での因果応報と相成った。
自身を天津たらしめていた力を封じられ、茫然自失となった貞頼の表情を見て、白星はふと閃くものを感じた。
「ふむ。その腑抜けた面。いつぞやも見た覚えがあるの」
白星は脳裏をかすめた記憶を素早く捕らえ、欠落した箇所を探る。
そしてついに、ぴたりとはまる場面を一つ見出した。
「かか。さよか。ぬしであったか。鹿島が祖」
楽し気な白星の言葉はすでに、貞頼に向いてはいなかった。
視線の先は、その手に握られた、眩い光を放つ剣。
「昔日はべそをかいて逃げ帰ったぬしが、今や人の祖と成っておったか。大した出世をしたものよな。のう、建御雷よ」
白星の言を聞き咎め、貞頼は顔面蒼白となって問い詰めた。
「な、何故我が祖霊の真名を知っている!?」
天津人の各家は、己が受け継ぐ神の真名を隠匿する習わしがある。
いかに神とは言え、真実の名を暴かれる事は、弱点を晒すようなもの。
それ故、例え同じ天津人同士でも、絶対に明かす事のない秘中の秘であった。
しかしそれをして、どこぞの馬の骨とも知れぬ輩が、ぴたりと真名を言い当てたのだ、
貞頼の受けた衝撃たるや、天地が返らんばかり。
そして、異変があったのは貞頼の精神のみではない。
真名を明かされ、雷光をも封じられた天津神の神器。
建御雷の力を秘めた光輝く剣は今や、見る見る内に色褪せて、ただの鉄の棒切れと零落し果てた。
名をもって縁を繋いだ白星が、地に敷いた五芒の陣を通じて力を奪い取ったのだ。
「お……おおお……! なんと、なんという事……!」
さらには見る間に錆が侵食し、ぼろぼろと崩れ往く神剣の成れの果てを握り締め、貞頼は嗚咽混じりに見下ろす事しかできなかった。
「案ずるな。すぐにぬしも同じ場所へ逝く」
悲嘆に暮れる貞頼の心情には一切関知せず、白星の無常なる声が響く。
するとどうか。
貞頼を囲んだ五本の柱が、途端にぐにゃぐにゃと歪に形を変え始めた。
かつり、かつかつ。
かつ、かつり。
白星の刻む独特な拍子に操られ、蠢く土くれはやがて巨大な五指となり、避ける気力さえ失った男を、ぐちゃり、と容赦なく握り潰した。
ぐげ、と一言。
蛙のような声を残し、鹿島貞頼は物言わぬ肉塊と化した。
その死にざまは、自身が散々虐げて来た、虫けらのような呆気ない最期であった。
それを見届けた白星は、黒雲が晴れ、月光が淡く周囲を照らす中、静かに宣言する。
「まずは一つ。鹿島が中将、討ち取ったり」




