四十九 堕ちるもの
ぴちゃり。
ぴちゃり。
どこからか響く雫の垂れる音に、夢の深みに沈んでいた鹿島貞頼の意識は、緩やかに引き上げられた。
途端に酷い頭痛に襲われ、直前の記憶が繋がらず、畳にうつ伏せとなっている現状のみが把握できた。
ぴちゃり。
ぴちゃり。
水音は絶えず続いており、朦朧とした貞頼を苛立たせる。
耳を澄ませば、発生源は意外と近いようだった。
貞頼はひとまず両腕に力を精一杯込めて身を起こすと、血の巡りが多少良くなったのか、視界が次第に拓けてゆくのを感じた。
とは言え、行燈の油もとうに尽き、部屋の中は闇溜まりに沈んでいる。
明り取りから差し込む、かすかな月光のみを頼りに周囲を見やれば、何の事はない。
乱痴気騒ぎが夢の跡。
隣の座敷から響く高いびきに目をやれば、杯や徳利、膳や皿が散乱する畳の上で、酔い潰れた側近達が引っくり返って熟睡していた。
視線を目の前に戻すと、寝落ちる寸前まで可愛がっていた女が、壁に背を預けてうつむいている。
水音はそちらから聞こえていたのだ。
再び、ぴちゃり、と。
目前で滴り落ちたのは、女の喉元に打ち込んだ、長い釘を伝う血液だった。
それを見た貞頼は、ようやく宴の顛末を思い出し、口元を歪に歪める。
散々に弄び、切り刻み、許しを乞わせながら、首を釘で貫いて壁に縫い止めてやったのだ。
我ながらちょうど良い飾りになったと、貞頼は未だ朧げな思考の中で自画自賛する。
昼間には寸時肝を冷やしたものの、結果的には最大限の見せしめを執行できた。
その昂ぶりは夜になっても収まらず、巫女の宣託もすっかり忘れ、捕虜の女どもを肴に大宴会を開いて悦に浸っていたのだ。
戦において、敵方の女子供をさらうのは珍しい事ではなく、兵や将の慰み者とするのは世の常ではある。
しかし貞頼の捕虜の扱いは、他と比べても抜きん出て目に余るものがあった。
貞頼にはいわゆる加虐癖があり、女を痛めつけながら犯すことを好んだ。
そのやり口は徹底しており、下手な拷問などよりも激しい責め苦を負わせ、遊び尽くした挙句に殺してしまう。
これは今や隠居の身である実父、鹿島貞道について初陣に出た、十二歳の折に教え込まれた手法であった。
父としては、女を知る機会と、血に慣れる機会を同時に与えた程度のつもりであったが、幼き貞頼はこのやり口にすっかり魅了され、以降尋常な性交渉ができない歪んだ嗜好の持ち主となってしまった。
戦に勝てば女が手に入るとあって、若き将は勇んで多くの戦場を駆け、常勝を重ねては、瞬く間に出世していった。
その度に犠牲になった者の数など、本人はもはや覚えていないだろう。
まさに血に塗れた栄光の道を歩んできたのが、鹿島貞頼という男であった。
血まみれで動かない女の太ももに手を這わせると、すでに冷え切り、人の体温は失われていた。
貞頼はその有様を見てさえ再度欲情し、新たな相手を欲して立ち上がった。
酔いと眠気が抜けぬままに、千鳥足で地下牢へと向かおうとした、その時である。
ずしん、と。
駐屯所全体が傾くような、激しい揺れに見舞われたのは。
たまらず畳に転がり目を回す貞頼。
眠っていた側近達も何事かと目を覚まし、途端に駐屯所内は蜂の巣をつついたように騒然となった。
身を起こそうにも新たな揺れが次々に襲い、部屋を飛び回る小物から身を庇うのに手一杯。
誰もが対応のしようがないままに、しばしの間頭を抱えて縮こまり、大地震に耐えていた。
どこぞから「火事だ」と叫ぶ声がする。
夜警の者が使っていた行燈や松明が倒れて、建物へ燃え移ったのだろうか。
しばらくして、ようやく揺れが収まると、貞頼は状況把握を部下に命じ、自らは自室へ向かった。
ただならぬ事態に眠気も酔いも一気に吹き飛び、回り始めた頭へ、考え得る可能性を浮かべてゆく。
最悪を想定するならば、敵襲、であろうか。
弱り切った土蜘蛛の一匹ですら、あの惨状を作り得たのだ。
復讐のため、もしも同格以上の大妖が刺客として送り込まれたのならば、先の大地震を起こしたのだとしても不思議はない。
で、あれば。敵の目的は。
鹿島が中将である自分の首か。捕虜の奪還か。その辺りであろう。
次第に頭と体の切れを取り戻し、自室へと急ぐ傍ら、すれ違う部下達に、地下牢の様子を見に行くよう命じる。
そしてようやく自室に飛び込むと、何をおいても床の間の黄金鞘に手を伸ばした。
鹿島に伝わる家宝、名刀黄金丸。
最低でも、これさえ帯びておれば身は守れる。今は鎧すら付ける寸暇も惜しい。
そして貞頼は、その選択が正しかった事を直後に思い知る。
「おのれ、劣等種どもめが。今度こそ根絶やしにして──」
そこまで言葉を紡いだ時。
自室の畳が轟音と共に突き上げられ、貞頼もろとも天高くへと放り出されていった。




