三十四 忍ぶもの
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熊野の門前町は、大社のある御山の周辺一帯を占める、この地方で随一の広さを誇る町である。
南の都とも呼ばれるこの地を見て回るに、一朝一夕では足りぬだろうと、健速は白星達に宿を用意した。
大黒屋の母屋の裏手の竹林に隠れるように佇む、簡素ながらも趣のよい庵。
小さくも整えられた庭に、きちんとした井戸もあり、行水から煮炊きまでここで賄えるとのこと。
星子の記憶をある程度共有する白星は、かつて巫女の役目に着いていた頃に寝起きしていた、泉のそばの小屋を連想した。
竹林周辺には、須佐の里と同じく人払いの結界が施され、管理は全て千歳が受け持っており、他の奉公人は誰も近寄る事がない。
潜伏するにはうってつけの場と言えた。
健速曰く、大黒屋の奉公人のほとんどは、須佐の民ではない故の措置だという。
草の役割を持つ者はごく一部。
現在ここ熊野の地には健速と千歳のみが残っており、多くは他方へ散っている。
そうした須佐の民だけが立ち入りを許され、束の間気を緩める事が出来る場所が方々にあり、国中に諜報の根を張っているのだと、健速は得意げに語った。
先日立ち寄った茶屋の二階もまさにそれにあたり、元気な看板娘達や菓子職人はただの雇われ者。二階は主の私室として、手出し無用とされていた。
この庵もそんな隠れ家の一つであり、時に遠出から戻った同胞を匿いつつ労い、密談を交わす場として利用しているとの事であった。
星子の依り代作りも佳境に差し掛かり、集中のために口数が減った千歳より会話を引き継いで、健速に案内されたこの庵を、白星と星子はいたく気に入った。
密集した竹林の中では、外からの目は完全に遮断され、寸分の隙もない。
それでいて頭上からは、すっきりとした陽光が注ぐお陰で窮屈さはなく、むしろ開放的で清涼な空気に満ちている。
まさに、神威を誇った要石の麓のような。
身の締まる、それでいて柔らかく包み込む、独特の気がゆるりと流れる空間であった。
「うむ。この町にも強き脈が通っているかと思えば、ここが要であったか。さすがの見立てだの」
「うん。里の森の空気にすごく似てる。私、ここ好き」
「そう言ってくれれば、嬉しい限りだ。長年苦労して維持してきた甲斐がある」
二人の言葉に相好を崩しつつ、健速は庵の戸を開け、敷居を跨いだ。
そのまま中に入るように促され、白星も続く。
庵の中は、土間を上がった中央の囲炉裏を囲んで、十畳程の畳が敷かれ、脇に押入れが一つ。
奥に台所と勝手口。その外に厠が繋がっているという。
「この竹林から出なければ、多少騒いでも大丈夫だ。好きに使ってくれ。千歳を側に置くから平気かとは思うが、不足があれば応えよう」
「うむ。世話になろうぞ。とは言え、わしに人の営みは要らぬでな。雨風しのげるだけで十分ではあるがの」
「えー、そんなのもったいないよ。せっかくだから、白星も人の暮らしをしてみたらいいじゃない」
やんわりと遠慮をする白星に、未だ影の中より顔を出している状態の星子が、袖を引く仕種を見せた。
「私だって、ひさしぶりに人並みのことをしてみたいもの」
「かか。そうさな。この町を探るにも時はかかろう。その間、人の真似事をしてみるのも一興か」
頬を膨らませる星子に微笑みかけ、白星は一つ頷いた。
「健速よ。ぬしの姪っ子はこう言うておるでな。多少の我がままは覚悟せよ。先の、桜餅と言うたか。あれに匹敵するような美味も、色々と食してみたくはあるしの」
「ううむ。期待に添えるかは保証しかねるが。努力はしよう」
意地悪く微笑む白星とは対照的な苦笑いと共に、庵の内部、設備の説明を簡単に済ませると、健速は一度席を外すと言い出した。
「これでも大店の主として、なかなかに多忙でな。この後、商工会の寄り合いに行かねばならんし、仕入れの商談も入っているのだ。そして何をおいても、各地におる同胞へ、お前達についての吉報を送らねばな」
忙しいとは言いつつ、長年の懸念が一つ解消され、その口元は綻んでいる。
「ふむ。であれば。ぬしと共に町を見て回るは、諦めるがよかろうな」
「ああ。まったくもって残念だが。良くも悪くも、大黒屋としてのおれは目立ち過ぎる。一緒におっては面倒ごとになりかねん」
「え~。せっかくひさしぶりに、叔父上とおさんぽできるとおもったのに」
ふと寂しさを滲ませる星子に、健速の眉尻も困惑に下がるが、ぐっとこらえて言い聞かせる。
「星子よ。まことに国が仇であれば、その力は途方もないものだ。今のおれ達では、一ひねりにされるだろう。奴らには、須佐は滅んだと思い込ませておかねばならん。欠片もぼろを出す訳にはいかんのだ。わかるか?」
「……はい」
真面目な声音で諭されると、星子は武士の娘である事を自覚し、言いたい事を全て飲み込んだ。
「ごめんなさい、叔父上。生きて会えるとおもわなかったから、つい甘えてしまいました。でも、おかげでおもいだしました。これは、敵討ちの旅なんだって」
星子の瞳に、かつての焔がちろりと浮かぶ。
「私の身体はぜんぶ、皆の仇を討つために白星にあげたもの。もう過ぎたわがままは言いません」
「星子……」
毅然とした物言いに、健速は幼き姪の覚悟の深さを垣間見た。
そんな緊張の場面を破るように、開け放していた戸を千歳がするりと潜ってきた。
「失礼致します。お待たせ致しました。星子様、依り代が出来上がりましたよ」
差し出した手の上には、真っ新な白地が眩しいお守りが乗っていた。
「白星様の御召し物とお揃いにしてみましたが、いかがでしょう」
白星が受け取ってよくよく見れば、白地にさりげなく、薄紫の花弁が舞っている。
ちょうど吊るし紐を持った手の袖と重なり、まるで元から一つの生地であったかのように、ぴったりと花柄が合わさった。
その瞬間、千歳は白星にのみ聞こえるように、小さく耳打ちをした。
「ほう。さよか」
それを受けた白星は首肯し、まじまじとお守りを見詰めた。
「なるほどの。手が込んでおるわ」
「ね。きれいだね」
「そう言って頂ければ」
千歳はすでに元の位置に下がり、二人の感想に喜色を浮かべながら湯を沸かし始めていた。
「内部に白星様より頂いた御髪で五芒を縫い付けてありますから、さぞや霊験あらたかでしょう。早速乗り移る練習をされてみては?」
もはや人ならざる身となった白星の身体は、爪の先から頭髪まで、あらゆるものが呪物と成り得る代物である。
特に髪とは、尋常な人のものでも強く気が宿る。
それが白星程の妖気が通ったものならば、依り代としてはこの上ないものであろう。
「うん……でも、どうやるの?」
肝心の方法を聞き損ねていた星子が尋ねると、白星は足元の影を指差した。
「常のように、わしの影に潜るつもりで念じるだけでよい。ものは試しよ。いざ」
「わかった」
星子が難しげな顔をしながらお守りを見詰めていると、やがてするりとその身が白い布地に吸い込まれていった。
「……やった? できた?」
星子の声は、確かに白星の手の平に納まったお守りから響いていた。
「うむ。上出来よな」
「お見事でございます」
「あれ、でも何も見えないんだけど」
「焦るでない。まずは器に馴染むことからよ。慣れればじきに見えてこよう」
そこから白星と千歳による呪にまつわる講義が始まり、星子は身動きと視界を奪われたままで聞き続ける羽目となった。
今伝えられる事は全て伝えた。後は、白星の動向を見守るのみ。
そう判断した健速は、
「夜までには戻る。久々に夕餉を共にしよう」
と言い残し、仕事へ向かっていった。
白星達、須佐の意志を継ぐ者の活動は、ここより本格化する事となる。
国直轄の熊野の地で、人ならざる者と幼子は、一体何を見て、何を思うのか。
定まる運命や、いかに。




