十五 脈を読むもの
早春のきらめく陽光の下、森は一面とりどりの色と香りをもって少女を出迎えた。
頭上を仰げば、早咲きの桜と残り梅が、惜しむように薄紅まとう枝を交わし。
奥を見やると、木蓮と雪柳が競うように白なりの滝を連ね。
木々の合間を縫って獣道を行けば、主張の強い水仙の黄と緑。控えめな勿忘草の青紫に囲まれ。
足元には雪割草の淡い桃が転々と、まるで先導する足跡のように続く。
一帯には陽気にあてられ目を覚ます生命の匂いが満ち、そわそわと動き始める息吹が方々から流れ出る。
それら数え上げればきりのない山の彩を、白星は陶酔のまま、つぶさに見て回っては感嘆を漏らした。
木。草。花。鳥。獣。虫。
小さき者達。
定命持たぬ白星にとって、五感を通じたささやかな鼓動の各々《おのおの》は、等しく輝かしいものに思えた。
見るもの全てが新鮮であり、触れて感じられること自体が素晴らしい。
その好奇心は幼子のように、留まるところを知らず。
気付けば昼夜の別なく、里を出てより一時の休息もなしに、付近の野山をいくつも踏破していた。
肉の器を得たとはいえ、根幹が超常のものには変わりなし。
気さえ喰らえば、常人の寝食は不要な白星だからこその強行軍である。
しかし、気を喰らうという一点においては、何も白星が特別という訳でもない。
そも気とは、陰陽の理において、万物の根元と見なすもの。
俗に言う仙人が吸う霞も、気を人の目に見える形へ例えたに過ぎぬ。
この世ならざる者があてにする霊的な栄養素、あるいは燃料とでも表せばよかろうか。
世界に当然の如く溢れるもので、空中に漂うものあれば、水中に溶けるもの、生物の身を流れるもの、器物に宿るもの、地の下を走るものなど、様々な有り方を取る。
中でも土中を行く気の流れこそ、最も純度が高く強いとされ、これを一般に地脈と呼ぶ。
程度の差はあれど、理を知る者や神魔に連なる者であれば扱いが適う、周知の存在である。
白鞘が封印された背景には、こういった気の類を際限なく己のものとして取り込むという特性が起因していたが、枷が外れた今となっては後の祭り。
これがいかなる事態を招くかは、それこそ神のみぞ知るのであろう。
かくして白星は己の本能に身を委ね、目では大自然を愛でつつも、踏み締めた足の先から気を吸い上げては地の脈を読み、より多く流れる方へと歩を進めてゆく。
そうして野を超え山を越え、森をいくつも渡った先で、白星はとある異変を嗅ぎ取った。
豊かな自然とは、得てして地脈の強さが支えているもの。
当然ながら、この地も強き脈が通じているが、ここまで歩んできた森とは趣が異なっていた。
行く手の最奥に向け、方々から幾多の地脈が集っているように感じられたのだ。
土地を蟻の巣もかくやと駆け巡る気は、時に地底湖のように一つ所へ留まる事がある。
溜まりに溜まった気はいずれ、地上へ吹き出し周囲を満たす。
そこまで強まった地脈は、しばしば力の象徴である龍に例えられた。
場の空気をも一変させる膨大な気の噴出口は、気が龍となりて昇り出る穴、即ち龍穴と呼ばれ、多くの場合土地を霊域と化してゆく。
一度そうなれば、みだりに余人の出入りはならず。
土地の主が聖地として管理する事あれば、鬼が住み着き魔境と果てる事もある。
須佐の里においては前者。
鎮守の森がこれにあたり、要石で龍穴を塞いで、結界の礎と成していた。
反して、今しも白星が向かう先からは、とてつもない邪気が吹き付けている。
その影響は周囲へ如実に表れており、これまで健全だった植生から一転。
分け入るほどに木々はねじくれ、草花の色合いは毒々しく、獣達は殺気が漲り警戒の色が濃くなった。
やがて地面はぎざぎざとしたのこぎりのような硬い草で埋もれ、細く心許ない枝々を飛び移る事を余儀なくされる。
恐らくは、須佐の里が崩壊した事で周辺の気脈が大きく乱れ、新たな龍穴が生まれたのであろう。
そこへ結界から逃れた邪気の一部が取り込まれ、七年を経て一帯を侵していったものか、と白星は推測する。
果たして、その読みは正しくあったようで、流れに沿って進めば進む程に邪気は増し、実体をもって生ある肉体を蝕もうと、肌へねっとり絡み付くまでになっていた。
その濃度は霧もかくや。
高みにあった陽はすっかり暗がりに紛れ、墨色が包み隠した森には、すでに生命の息吹は一切感じられず。
あるのはただ、しなびた草木へのしかかる、一間も見通せぬ深い闇。
もはや瘴気と言ってよい。
常人であれば瞬く間に力尽き、立っている事さえ困難であろう。
しかし、白星にとってはただの糧。
塵程も気にかけぬまま、立ち塞がる邪気を喜々として貪り、白鞘で足元を祓っては、愉悦を浮かべて押し進む。
前へ前へ。
霧が濃い方へとひたすらに歩く事、しばし。
唐突に、それは現れた。
例えるならば。
桶に満たした泥水を、乱暴にかき混ぜでもしたような。
大きさにして、須佐の要石にも匹敵しようか。
しゅうしゅうと渦めいた邪気がとぐろを巻き、行く手にそびえているのを、白星は肉眼ならぬ心眼で感じ取った。
同時に、生あるものの絶えた黒の森にあって、朽ちた木々の合間へぽつりぽつりと、赤い光が灯りゆく。
瞳、であろうか。
二つで対をなす燃えるように尾を引く楕円が、瞬く間におびただしい数となり、足を止めた白星の回りをぐるりと隙間なく埋め尽くしていった。




