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逢魔が刻の一ツ星  作者: スズヤ ケイ
一 起こるもの
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十 哭

 嬉しかったのだろう、と。



 白鞘の内に在った者は想い至る。




 欠けた月は泣き顔を恥じるように雲間へ逃れた。


 いつしかこぼれ始めた空の雫は、惨劇へ遠慮をしてか、さらさらと控えめに地表を撫でる。


 戦が跡にはすでにくすぶる煙一つなく、動くものとて何もなし。



 天狗は仲間が回収したのか、伏したる骸はただ人ばかり。

 老若男女の別もなく、暗がりへ沈む虚ろな貌へ天涙てんるいが伝う。



 赤津波の蹂躙した傷跡は生々しく、累々たる倒木から息吹は微塵も感じられず。


 鳥、獣、虫。小さき命。

 動けるものはとうに逃げ、できぬものは死に絶えた。


 最早此処は森の体を成さず、要石まで丸裸。


 星月明ほしつきあかり、あるいは日の出さえ迎えれば、闇が視線を遮る事なく、遠き里の焼け跡からでも神威を望めよう。




 無惨。


 その二文字で片付けるには、あまりにも重い荒廃が須佐の里へ横たわっていた。




 星子と呼ばれていた少女は、要石に根付く巨木の頂にて白鞘を抱え、降り注ぐ霧雨を避けるでもなく一身に受け止める。



 滅んだ者へ追悼の念がないでもない。



 しかしそれらの犠牲によって得た、肉の器もって風雨に晒される今この時をこそ、かの者は愛おしく感じていた。



 約定である仇討に猛っていた熱が冷め、己を縛る全てのものより解き放たれしを実感した時。



 少女に宿る者は、ただ純粋に嬉しくなった。



 白鞘の内ではついぞ得られなかった、真実自由の身。


 これから何をしてもよい。


 どこへ行こうともよい。


 自ら触り、歩き、見る事ができる。


 それを想うと、目の前の惨状すらうつくしく思えた。


 五感が伝える全てが新鮮にして快い。


 見下ろし眺め、雨が止むまでは、感慨に浸っているのもよい。


 常人ならば秋雨に病む事もあろうが、冷厳な妖気まとうこの身には、むしろ心地良い程度。

 一晩中浴びても構うまい。





 そして、雨が止んだらば。




 そこではたと浮かぶ。



 自分は、何かしたい事があったろうか、と。




 千載一遇の機を逃さんと、とっさに交わした盟約だった。


 悠久の内に置き忘れて来た、自由の後に望むもの。

 それをすっかり失念していたのだ。




 己の欲求を探ろうと、まず働いたのは嗅覚だった。



 すうと大きく音鳴らし、雨にも流れぬ死臭舞う空気を鼻腔へ通す。


 たちまちに、それらへ混ざる陰の気配を嗅ぎ付けた。


 放置された骸の群れへ、結界より解放された行き場なき邪気が集い始めている。

 野放しにすれば、遠からず鬼となって迷うであろう。


 それを別としても、己の口内に唾液が滲むのを覚え、少女は一つの方針を固めた。


「そうさな。何はともあれ腹ごしらえよ」


 その言葉を皮切りに、地に渦巻く邪気が、白鞘へ向けて猛然と吸い込まれ始めた。


 眠りから覚めてより、小さき蟲しか喰らっていない。


 一度覚えた空腹は、確たる乾きとなって加速してゆく。

 

 怒りも、憂いも、悲しみも、呪いも、恨みも。

 すべからく、一まとめに呑み込んだ。


「かか。まともな供物はいつぶりかの」


 幼子の面差しに相応しい無邪気さを蘇らせて、尽きぬ程の好物を貪り喰らう。



 大量の糧の前に刺激された食欲が、埋没した記憶の一部を揺り起こす。


 白鞘は本来、呼び込んだ邪気を喰らうまでが本分であった。


 しかし、際限なく喰らった果てが、どのようになるか底知れぬ。


 そう危惧した須佐の祖は、白鞘が呼び寄せる邪気を封じ、喰わせる事なく祓う式を選んで編んだのだ。


「舞いは舞いで悪うないが。腹は膨れぬでな」


 忘却故と悟りつつ、よくぞこれまで我慢がきいたものと、我が事ながら苦笑が浮かぶ。


 その後も次々と記憶の断片が脳裏を飛び交うも、己のものと断言できるものは少なかった。



 地に刻まれし映像。

 漂う魂魄の思念。

 残留する遺志。



 永く気脈を通じ、そういったものまで吸い上げて、地層の如く幾重にも魂に混ざり込んでいるのだと自覚する。


 元は器物に在った己が、さしたる苦も無く肉の体を操っているのも、少なからず星子や里の者達の想念がこの人格にかよっているためであろう。


 しかしそれらは今千々に乱れ、整理するにはまだしばしの時が要る。

 それがため、真に有用な情報として機能せず、より一層自他の境を曖昧とする要因となっていた。




 そも、己は何だというのか。


 白鞘に知れず宿った付喪つくもの類なのか。


 元は人であった心をねじ込んだものなのか。



 枷より逃れたはよいが、宿主の大願果たした今、一体この先何を為したものか。



 腹が満ちゆく闇夜の雨中、肉の器を得し者は、再び出口の見えぬ思考に耽った。






 ふと。


 勢いを増した雨足に、潜む何かを聞き留める。




 声なき声。



 むせぶ天へ共鳴するかのような。



 魂へと直に訴えかける、切なる響きを孕んだ慟哭どうこく



「かか。存外にしぶといの」


 小さく笑みを浮かべる星子の肉体に重なるようにして、何者かの輪郭が朧気おぼろげながら揺れていた。


「どうにも器がきついと思わば。ぬしがまだこびりついておったか。のう、星子や」


 身が名を呼ばわると、たちまちに星子の魂魄は形を得た。



「────────────」



 これ以上ない悲愴を湛え、虚空へ吠える星子の御霊。


 両手で顔を覆っては、まだらに髪を振り乱し。

 はや嗚咽も涙も出ぬ自己にさえ憤るかのように、うち震え、悶え続ける。


「手先を滅したのみでは、墓前にそえる首が足りぬか」


 星子の身は一つ頷くと、白鞘を肩に担ぐ。


「あの女めは、しかと《《なにがし》》やらの使者とぬかしよった。なれば自然、そやつとも戦よな」




 戦。




 その単語に反応したように、星子の御霊が焔の如く髪を逆立たせた。

 面影崩し、背後に稲妻を背負った形相は、夜叉もかくや。


「かか。猛りよる。よかろ。付き合うてやる」


 対する少女は可憐無垢に笑みが咲く。



 白鞘を携えた者は、嬉しかったのだ。


 道標みちしるべと共に、道行きを共にする伴侶まで得られた事が。


 幼子は白鞘に魅了されたが、白鞘もまた、荒ぶる御霊に美を見出だした。


 その喜びは、暗き夜空に光る一つ星を捉えたかの如し。



「────────────」



 音ならぬ絶叫を放ち続ける亡霊を、かつての器は抱擁をもって受け止める。


 触れる事叶わずとも、心は通じると信じ。


「今は存分にけ。涙枯れ果つるまで」


 言い聞かせながら、白鞘の先端を巨木の幹へ添えた。


 途端に、触れた場所からぱきぱきと霜柱が立ち始め、降雨もたちまち雪へと様変わりを遂げる。


「そしてここへ全て捨ておけ。血族共々、やわには溶けぬ棺へ葬ってやろうぞ」


 吐いた言霊は吹雪となり、一面をその髪同様真白に染めてゆく。


「哭き疲れたらば眠りおれ。わしも今一度動くに、しばしかかる」


 喰らった邪気を身に馴染ませ、浮かぶ記憶を整理し、裂けたままの傷の修復も。


 仇討が続くとなれば、やるべき事はいくらでもある。


「夢で逢おうぞ。星子や」


 そう告げるを最後、瞬く間に一帯を絶氷が張り巡り、吹きすさぶ豪雪が覆い尽くしていった。


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