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毒姫達の死行情動  作者: 葵(あおい)
破滅の街 離別戦
64/71

壊れた心

「約束と言っていたが、もしかして君達はお互いに死なない約束でもしたのかい?」


「必ず生き残る、私達はそう約束しました」


「……本気で生きて帰れるとでも?」


「まさか? 生きて帰れる訳ないでしょう」


 俯く夜羅を雨が打ち付ける。濡れた髪が表情を覆い隠し、その周囲を蒼白の魔力が漂い始めた。波紋の如く足元に収束する魔力が深い夜の中で歪な美しさを晒す。


「何が言いたい?」


「約束なんて、初めから守る気なんてありませんよ」


 くすくす、と喉を鳴らした不気味な笑い声が響く。背筋を犯す寒気。目を細めた東雲は、たった一人の手負いの少女に無意識の内に身構えた。


「私も生きるから貴女も生きてね、そんなものは詐欺師の常套句です」


「面白い子だね。此処で死ぬつもりだと?」


「誰もそんなことを言ってはいません。ただ、生き残る気は無いというだけ。解りますか? つまり、貴女が今対峙している稀崎 夜羅は……これまでで最も強い」


 刹那。周囲の者達の足元に、生気を無くした真っ白の腕が絡み付く。血の気が一切無い華奢な腕はその身に相応しくない怪力を有し、生ある者達を恨むように引き摺り込む。体勢を崩す者、恐怖に(おのの)く者、声すら発せられずに目を見開く者。その反応は様々。だが行く着く結末は同じ。足元から溶け崩れゆく者達は、自身が液体となりゆく様を死の直前まで目の当たりにし続けた。


「目障りです。稚拙な計画の続きは、あの世でやって下さい」


 到底形容すら不可能な激痛。現実離れし過ぎた光景に、今この場は悲鳴や断末魔の叫びで混沌とする。瞬く間に敵戦力は減ってゆき、縋るように周囲を見渡す東雲の目が焦燥に苛まれ始めた。


()還し屋、稀崎 夜羅。まさか君がここまで腕の立つ存在とは」


 たった一人が齎す歪な光景。降り頻る雨を背景に夜羅は──嗤っていた。


「ふふふ……夜葉を奪い、親友を奪い、兄を奪った罪は消えませんよ? さあ東雲……過去の精算を始めましょうか」


 愉悦に蝕まれる表情。胸中を代弁するように、辺りを揺蕩う霊魂達が激しく振動する。茉白の扱う刀を構えた東雲は、地を蹴り距離を埋める夜羅に対して迎撃姿勢を取った。衝突する得物同士が哭く。火花は互いの肩口を撃ち抜くように通過し、置き去りにされた金属音が遅れて鳴り響いた。


「過去の精算? 君達こそ、これまでに殺めた者の家族からさぞ恨まれているはずだよ」


「それが何か? 殺めた人間など多過ぎて忘れました。弱者は淘汰される、力無き者は踏み躙られる……それがこの世の掟でしょう」


「狂っているね。その刃に宿るのはただの憎しみか」


「さあ? 身を以て思い知れば解るかもしれませんよ」


 激情を伴う肉薄。構わずに前へ前へと身を捻じ入れる夜羅。もう一方の手に握られた脇差が首を刎ねんと水平に振り抜かれた。だが、上体を軽く反らすことで躱される。重心を僅かに見失った体躯に、東雲は左手を突き出して追撃を試みる。


 手中に収束する魔力は徐々に濃度を跳ね上げる。身構える夜羅。しかし、訪れる筈の()()は来ない。


 ──不発? まさか、そんな訳がない。


 一瞬の思考は空間を裂くような鳴き声により強制的に途絶える。場所は背後。迫るは、弥夜の使役する毒蟲。十六本の鎌のような脚を激しく稼働させ、獲物を喰い殺さんと咆哮をあげた。即座に競り合いを離脱した東雲。残された夜羅は真正面より毒蟲と対峙する。


「なるほど、柊の力も模倣していましたね」


 姿勢を落とし垂直にその場を離脱。毒蟲の軌道上から逃れた夜羅は、次いで大きく目を見開いた。蝙蝠(こうもり)のような羽を使役し、無理矢理に進行方向を変えた毒蟲が迫る。訪れる唐突な接触。二本の脇差と十六本の鎌が幾度と無く衝突する。その度に散る火花が雨に紛れては掻き消えた。


「──ッ!!」


 重過ぎる衝撃に口角より食い縛られた歯が覗く。驟雨の如く降り注ぐ斬撃に、夜羅は一歩も退くこと無く抗い続けた。剣戟に紛れて宙を浮遊する霊魂が毒蟲の背に落ちる。立ち昇る歪な色をした硝煙に僅かに鳴き声を発した毒蟲。その一瞬が勝敗を決する。


「ごめんなさい、柊」


 満月に似た円状の三ツ目、その内部で不規則に動く真黒の瞳。その中央部分が脇差で貫かれた。間欠泉の如く吹き出す深緑色をした血液が、辺りの闇を取り込んで穢れた色を晒した。


「殺すしかなかったのです。あの世で、どうか安らかに」


 もの哀しげな独白。全身に血を浴びた夜羅は、痙攣して動かなくなった毒蟲を優しく撫でる。そして同時に振り返り、逆手に持った獲物を下段より振り上げた。迸る痛みは切り裂かれた証。右の二の腕付近を撫でるように通過した刀。飛び散った鮮血がやけに鮮明に映る。まるで痛み分けだった。夜羅の振り抜いた脇差もまた、東雲の胴体を逆袈裟の要領で抉り裂いていた。


「これは……」


 切り裂かれた二の腕より灰が零れ落ちる。茉白の扱う刀を模倣した東雲。手中で煌めく刀が嗤うように鈍い表情をしていた。


「まさに一撃必殺に近い。夜葉の刀は本当に優秀だよ。あんな小娘ではなく、私が扱うに相応しい」


 眼前に掲げ、様々な角度から刀を眺める東雲。水滴と血が混じり合った刀身が皮肉な美しさをする。そんな光景を見据えた夜羅は「馬鹿馬鹿しい」と嘲笑した。


「毒蛇と殺り合っていたら、今頃私の右腕は落ちていたでしょうね。柊(いわ)く熟練度でさえ模倣可能なようですが、そんな稚拙な能力では身体に染み付いた感覚までは計れない」


 灰を零す傷口に視線をやった夜羅は躊躇い無く喰らい付く。木霊する肉が抉れる音。自身の腕の一部だった部位を口内に含んだ彼女は、不快感を訴える唾液と共に地面へと吐き捨てた。


「その証拠に、貴方の刃では私の腕を断つには至らなかった」


 噛み千切られた部位より血が滴り、細い指先を通して地に落ちる。同時に灰による侵食が止まった。吐き捨てられた肉塊は毒に侵食され、瞬く間に灰と化して雨に拐われた。


「やはり狂っているよ。柊や夜葉の影に上手く隠れてはいるものの、最も危険なのは間違いなく君だろう。様々な能力者と殺り合い、それでいて執拗に生き延び、蓮城を葬り、踏んだ場数は数え切れない。さすがは元還し屋。弱者が淘汰される世界で、よくもまあ此処まで生き延びた」


「ふふふ……最も強く最も卑怯な者が勝つ、戦争なんてそんなもの。不意打ちや騙し討ちは私の専売特許ですから」


「ああ、それは同感だよ。桐華は死に、もうこの世に久遠 アリスの候補となり得る者は誕生しない。夜葉 茉白、いや……最期の久遠 アリスを護る為ならば私は誰だって殺し、誰だって蹂躙しよう」


「夜葉を殺すのは柊です。そこに例外など有りやしない」


「……敵うとでも? どう見たって死は目前の状態だっただろう」


「信じたから行かせたのです。さあ、こちらはこちらで愉しみましょう」


 二人の視界を遮るように降り注ぐ霊魂。飛び退いた東雲に更なる個体が追い討ちを掛ける。視線だけを動かし冷静な状況分析を見せた東雲は、全ての霊魂を真っ二つに両断した。霊魂は消失。間髪入れずに迫る夜羅。虫食いのように抉れた右腕すら行使し、二本の脇差が自由自在に宙を泳ぐ。続く剣戟の勢いは激化する。短い息遣い、極限にまで研ぎ澄まされた集中力、得物が奏でる風切り音。そんな中、東雲は気付く。濡れた髪が張り付き表情の見えない夜羅が、雨に紛れて涙を零していることに。


 そして、ほくそ笑む。


「なるほど、これは面白い」


 牽制を兼ねて一際大きく振り抜かれた刀が互いを遠ざけた。後方へ飛んだ夜羅は着地と同時に目を細める。


「狂っていると思っていたが、どうやら君にも心が()()()らしい。どういう経緯でデイブレイクの連中と心を通わせたのかは知らないが、夜葉を殺す選択を最も苦しく想っているのは君だという訳か」


「笑わせないで下さい。夜葉の想いを汲み取る為に選んだ選択肢に過ぎない。他意は有りません」


「だったらその涙の理由はどう説明する?」


 未だ激しさを増す雨。沈黙を掻き消す律動的な雨音が、今の夜羅にとっては心地良く感じられた。だが、冷たい雨に撃ち抜かれたまま立ち竦む夜羅は動かない。


「柊に前を向かせる為の言葉を吐きながら、とうに心など壊れていたか……稀崎 夜羅」


 耳を(つんざ)く雷鳴が轟いた。尾を引く(くぐも)った音が執拗(しつこ)く鳴り響く。俯いた夜羅は肩を震わせ、曖昧になった感情を制御出来ずに嗤っていた。


「黙れよ蛆虫が。そんなこと……最初から解ってんだよ」


 一切の感情どころか、生気すら宿らない声が鮮明に耳に届く。東雲は警戒心を露にし、無意識の内に一歩脚を退いた。


「夜葉は、母親や親友以外に必要とされなかった私を見てくれた。片腕の母親から産まれ化け物だと謳われた私に普通に接してくれた。自分の脚で立ち上がらせてくれた。過去を越えさせてくれた。失いたくないと言ってくれた。そして何より……理解してくれた」


 蠢く魔力が歪に形を変える。粘り気のある蒼白の殺意が、まるで夜羅を護るように展開した。


「だから私も大切に想った。失いたくないと想った。一緒に生きていたいと想った。それの何が駄目なの? 何がいけないの? ねえ、東雲……答えて下さい、答えてよ、答えろ!!」


 纏われた殺意より、水中で気泡が生まれるような水音が木霊する。容易く限界を貫く魔力。許容量を超えた感情が、行き場を無くして溢れ返った。




 稀崎 夜羅『生骸化(せいがいか)』。




 ()ねるように()んだ彼女は頭上より脇差を振り下ろす。その一太刀は添えられた刀を容易く両断し、東雲の体躯に深い傷を刻んだ。雨に混ざって降り注ぐ返り血。だが、致命傷には至らない。反射的に下がった東雲を加護するように、無数の毒蟲が夜羅へと襲い掛かる。そしてもう一匹、東雲へと愛おしそうに頬ずりする個体。引き抜かれた触覚が四肢裂きの断鎌(ワスレナグサ)と化し、夜闇の中で歪な弧を晒した。同時に、夜羅へと襲い掛かった毒蟲が爆ぜる。強靭な足は引き千切れ、鋭利な牙は折れ砕け、分厚い羽は()げ取れていた。死体は直ちに溶解し、雨と混ざって僅かに色を濁した。

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