一緒には行けない
夜羅にとっては記憶に新しい廃学校へ辿り着いた二人は、何やら校庭が騒がしいことに気付き息を潜める。鼻筋に人差し指を当てて静かにするようにと指示する夜羅に対し、意思を汲み取った弥夜が大きく頷いた。
「やはり此処でも、能力者と能力を持たない者達の争いが勃発しているようですね」
「至る所で戦闘だらけ。本当、嫌になるよ」
蔦が絡み付く巨大な正門は完全に錆び付いており、以前とは違い全開に開け放たれている。風化して穢れてしまい灰色と化す建物は、何年ものあいだ雨晒しにされた代償を痛々しくも晒していた。
「天秤に乗っているのはどちらも地獄だというのに、人とは本当に愚かなものです」
「少しでも平和を望むが故、タナトスに牙を剥く能力者を狩る。久遠 アリスを殺されたら、能力を持たない者達の望む理想郷は堕ちたも同然だから。理に適っているとは思うよ?」
門を潜った二人の目に焼き付く地獄絵図。絶命する者達の肉塊や血液が様々な所で死を語っており、顔を背けたくなるほどの死臭が鼻を突く。本来なら勉学に勤しむはずの学校が、今や正反対の戦場と化していた。
「能力者でも普通の人に遅れを取るのですね」
赤黒い水溜まりの中で絶命する能力者。まだ死んで間も無いのか血色は良く、傍らに投げ出されている武器が徐々に魔力の粒子となり虚空へと還っている最中だった。
「さすがに撃たれたり斬られたりしたら死ぬからね」
弥夜は振り返り際に拳を突き出す。同時に迸った乾いた音。狙いは寸分違わず、背後でナイフを振り上げていた男の顔面を捕らえた。
「こんな風な不意打ちでね」
尻餅をついた男を餌と見なしたのか、現れた毒蟲が骨を噛み砕く音を立てて咀嚼する。為す術なく喰らわれた男は勢い良く血を撒き散らし、断末魔の叫びすら赦されずに絶命した。
「確かに、貴女の言う通りですね」
本来なら目を覆うグロテスクな最期。だが、二人の目には一切の恐怖や不安は渦巻かない。それほどまでに人間離れした感性。能力者であるが故、人を殺すことに躊躇いなど無かった。
「さて、囲まれちゃったねえ」
柊 弥夜、稀崎 夜羅。望まぬ有名人となった二人は即座に囲まれ、周囲では様々な武装をした者達が明白な殺意を剥き出しにする。舐め回すような粘り気のある視線が二人を逃さまいと絡み付いた。
「手間が省けます。私達が此処へ来た目的は、ゆずの安全確認ですから」
「つまり?」
「皆殺しです」
「悪党みたいだね」
「相違ないでしょう。私達もいずれは死ぬ、もちろん行き先は地獄一択です」
「まあね」
軽快に声を弾ませた弥夜は毒蟲の触覚を引き抜くと断鎌へと昇華させる。得物の重さを利用して体勢を落とし、グラウンドの砂の上を滑る靴底。華麗に薙がれた一振りが数人の命を容易く奪い去った。
「あまり前へ出過ぎないように。銃火器の格好の的になりますよ」
弥夜が華麗に舞う周囲では、蒼白の霊魂が無差別に人を溶解する。人が液体となり溶けゆく様は、この世のものとは思えないほどに醶い光景だった。
「間違って私のこと溶かさないでね」
「夜葉なら解りませんが、間違っても貴女にはそんなことしませんよ」
「それは余計に困るかも。救いの街への永住権がもらえるのなら、逆に私が夜羅を喰っちゃうかも?」
「救いの街の正体が暴かれた以上、その理論は破綻しているはずですが。面倒な理由は抜きにして手合わせしますか? どちらが強いのか純粋な興味はありますよ」
「本音を言うと夜羅とは絶対に戦いたくない」
状況に相応しくない軽口で微笑み合う。この場における戦いは、最早戦闘と呼べるほどの均衡にすら至らない。圧倒的な速さで築き上げられた死体の山は、まるで地獄さながらの惨さを晒した。
「ゆずって何者?」
「楪 瑠璃、純粋無垢な少女です」
夥しい量の血液を気にすることも無く地を踏み締めて、夜羅の案内のもと東校舎へ。瑠璃の持っていたぬいぐるみの爆発で空いた風穴は以前のままだが、それ以外にも新しい戦闘の痕跡が至る箇所に刻まれていた。
「うげ、怖いかも」
「大丈夫ですか? 先導します」
「ありがと、でも一緒に歩こ?」
暗闇が蔓延る校内で響く二つの靴音。反響する音は幾重にも重なり耳を惑わせる。弥夜は夜羅の隣に並ぶと後ろで手を組んで歩幅を合わせた。
「以前は私が怖がってしまい、夜葉には迷惑を掛けました」
「霊魂を使役しているのに怖いの?」
「それとこれとは話が別です。御手洗の個室にも着いて来てもらうという失態を犯しました」
「個室まで!? ということは、まさか茉白の目の前で……」
「お恥ずかしながら、ね」
二度と思い出したくもない光景が脳内でフラッシュバックする。頬を紅潮させた夜羅は、この時ばかりは暗闇に感謝した。
「そんなプレイ私だってしたことないのに!! あーん、妬いちゃう妬いちゃう妬いちゃう!!」
「プレイではありません、成り行きです」
どれだけ歩めど死体が無造作に転がっている。まだ新しい血液が割れた壁面を伝って地に滴っており、行われた戦闘の凄惨さを物語っていた。そんな光景を横目に最上階へと至った夜羅は廊下に佇む瑠璃を目の当たりにする。
「ゆず!!」
強く名を呼び真っ先に駆け寄る夜羅。後に続いた弥夜は数え切れない死体の中、何人かが同じ死に方をしていることに気付く。口から気泡を孕んだ真っ黒の液体を吐き出して白目を向いて絶命していた。特別警戒区域アリスで、茉白と出会った際に見た死に方と同じ。思考を巡らせた弥夜は目を細めて考察する。
「稀崎さん……?」
「良かった。世間は今や、能力者と能力を持たない者達の争いが激化している。貴女の無事を確かめに来たのです」
儚く微笑んだ瑠璃は「ありがとう」と透き通るような声を発する。至る箇所が破れた白いワンピースは以前のまま。背中ほどまで伸びた綺麗な黒髪は乱れており、戦闘に巻き込まれた事実が垣間見えた。
「初めまして、柊 弥夜さん。私は楪 瑠璃」
「やっぱり、あれだけ街中で映像を流されたら知られているよね。茉白と夜羅から話は聞いたよ。宜しくね、瑠璃」
可愛げに会釈をする瑠璃。どこからどうみてもまだ幼い女の子だが、血濡れた色白の四肢が世界の不条理さを語っている。虚ろな瞳が真っ直ぐに弥夜を映し、他意の無い純粋な興味を示していた。
「私に素直に生きろと説教を垂れた者がいると、以前会った時に言いましたよね? それが彼女です。まあそれはよいとして……ゆず、これは貴女の仕業ですか?」
遠慮がちに見渡された周囲には、能力を持たないであろう者達の死体が散乱している。頷いた瑠璃は「急に襲われたから応戦したの」と悲しげに視線を落とした。
「やはり、貴女が負けるはずありませんでしたか」
一度だけ瑠璃と対峙したことのある夜羅は格の差を思い返し苦笑いをする。瑠璃の蹴りを防いだ際の腕が、記憶に感化されて僅かに痛んだ。
「ねえ瑠璃。一つ教えて欲しいのだけれど、この真っ黒の液体を吐いて死んでいる人達は? 貴女の能力?」
「ううん、違うの。稀崎さんには言ったけれど、赤い目をした女の人の話を覚えてる?」
「ゆずがタナトスを知るきっかけとなった情報源、でしたね? 夜葉が一度交戦しましたよ、銃を扱う狙撃手だったそうです」
話が早いと言わんばかりに頷いた瑠璃は続ける。
「ついさっき、街で偶然見かけたから交戦したの。それで能力者であることがバレて、此処へ誘い込んだ私を追って無数の人が押し寄せた。私がほら、こんな小さな身形だから……目撃した能力者達も助けに来てくれた」
瑠璃の表情が僅かに陰り、惰性で流れた視線が真っ黒の液体を吐き出し絶命する死体へと向く。
「赤い目をした女の人は此処まで追って来た。私への狙撃を防ぐ為に敵意を向けて来る人を盾にしたら、銃弾を受けた人が急に痙攣しだして黒い液体を吐いて死んだの。恐らく……銃弾に仕込まれた毒だと思う」
紡がれた言葉に二人は目を見開く。急激に跳ねた鼓動が警鐘を鳴らし、行動を急くように胸を内側から強く叩いた。
「夜羅……!! 茉白も撃たれたんだよね……!?」
「ですが夜葉には何の異変も無い。毒を含まない銃弾で撃たれたか、或いは……毒を扱う能力者が故、耐性が作用して効くまでに時間が掛かっているか」
「稀崎さん、毒を扱う能力者が撃たれるのも見たよ。確かに、他の人よりも毒が回るまでに時間が掛かってた」
最悪の予感が脳内を過ぎる。思考は曖昧になり、先走る感情だけが腹の底から湧き上がった。
「ひとまずは、ゆずの無事が確認出来て良かったです。赤い目の女は取り逃したのですか?」
「うん。逃げられた」
「戦わないと言っていた貴女が、まさか自らタナトスに牙を剥くとは驚きました」
僅かに俯く瑠璃。併せて握られた拳が胸中を代弁するように小刻みに揺れる。何かを堪えているのか、まだあどけない口元が真一文字に強く結ばれていた。
「夜葉さんのお陰で、ぬいぐるみの爆発で親友を殺した如月は死んだ。仇は討たれ私は心を鎮めたはずだった。なのに……救いの街で戦う貴女達の映像を見た時、何故か胸が昂った」
「私達はこれから、タナトスの目的を阻止する為に戦います」
「ごめん、でも一緒には行けない。やっぱり私は……此処を出る気は無いから。タナトスの目論見通りになれば能力者は死に絶え、私はあの世で親友に会える。でも……貴女達の勝利を願う私も居る」
──親友の魂を一人ぼっちには出来ないから。
以前、瑠璃の言っていた言葉を思い返した夜羅は「解っていますよ」と囁く。
「何を願おうが貴女の未来は貴女のもの。ですが……私達が勝った場合も恨まないで下さいね」
迷いの無い瞳で頷く瑠璃。彼女が此処を出ない理由を説明した夜羅は静かに踵を返す。「なるほどね」とその背に続く弥夜は一度だけ振り返った。
「瑠璃。死した親友の魂に寄り添える優しい貴女に……どうか幸せな結末が訪れますように」
瞑目した弥夜は胸の前で手を合わせると祈るような仕草を見せる。深々とした会釈で応えた瑠璃は小さく手を振り、急ぎ足で茉白の元へと戻る二人の背を見送った。




