毒姫達の死行情動
転送装置から出た弥夜は真っ先に周囲を見渡す。至る所で炎が上がり、黒煙が立ち込め、戦闘が行われているであろう形跡が散りばめられていた。
「まるで地獄だね」
建ち並ぶ家は無惨に崩壊し、道路はへし割れて深く陥没。辺りには争って息絶えたであろう者達の亡骸が無造作に転がっている。眼前に広がるのは朽ちた街、栄華はもはや過去の栄光。荒廃した中で弥夜に対して向かって来た者が、姿を確認するや否や刃を収めて去る。離れ行く背を見送った弥夜は遠い目をしていた。
「乗り込んで来た還し屋の人達が戦っているんだ。彼等にとって、もう私達は敵じゃない」
だか明らかな敵意を持つ者もおり、至る方向から弥夜の喉元に殺意が突き付けられる。それらを迎撃する為に構えられた断鎌は血を求める獣のように、深緑色をした血管を何度も脈打たせた。
「さあ殺ろうよ、柊 弥夜は此処に居るよ」
既に囲まれていると悟った弥夜は無数の毒蟲を呼び寄せると身体を振り回す。毒蟲が人を喰らい、断鎌が身体を抉り、辺りには鼻を突く死臭が漂い始める。だが形勢は芳しくないまま。還し屋が乗り込んで来たことにより戦力が分散されてはいるが、圧倒的な数は簡単には覆らなかった。
「おいで」
ぽつり、優しい抑揚の声が戦禍の中に溶ける。辺りで暴れ回る毒蟲の一匹が、声に応えるように弥夜の元へと走り寄った。
「えへへ、来てくれてありがと」
互いの感触を確かめるように擦り合わせられる頬。招集に喜んでいるのか、蝙蝠のような翼が勢い良く羽ばたかれた。
「少し乗せてね」
鋭い鎌のような刃を宿した十六本の脚。触れる部分に気を付けながら器用によじ登った弥夜は、毒蟲の背に乗り高くなった視界で周囲を見渡す。明らかに戦闘は激化しており、立ち込める炎の中で怒号や断末魔の叫びが短い感覚で響いていた。
「ん? どうしたの?」
愛らしい声で何かを語る毒蟲が脚をバタつかせて感情を揺らす。優しい表情で耳を傾けていた弥夜は小さく首を横に振った。
「ううん、此処で待とう。茉白は必ず来る。絶対にこの区画に居る」
棘を宿す四本の触角がふわりと揺れる。振り落とされないように触角に捕まった弥夜は、粘液塗れになりながらも暴れる毒蟲の背で身を潜めた。それから少しして、数百メートル先で突き刺すような魔力反応が起こる。あてがわれているだけで心臓が締め付けられそうな激烈な魔力は、八つの頭を持つ巨大で肉厚な大蛇と化した。絶対に茉白だと確信した弥夜は、毒蟲に指示を出して大蛇の元へと向かう。質量の暴力を以てして暴れ回る大蛇。各々に頭を振り回し、各々に地を啄み、容易く人の命が喰らわれてゆく。雲散霧消する大量の灰が視界を濁らせ、奪われた命の数を代弁していた。
「あっちまでお願い」
毒蟲は無理矢理に茉白への最短距離を辿る。刃を宿す脚が踏み出される度に地は陥没し、それに伴って角張った瓦礫が巻き上げられた。
「茉白!!」
腹の底から叫び、毒蟲から飛び降りた弥夜は勢いを利用して断鎌を振り下ろす。正中線を真っ二つにされた男は声をあげる間も無く生を手放し、夜闇に映える赤黒い液体を撒き散らした。
「えっ!?」
突如、着地した弥夜に暴れ狂う大蛇の頭が迫る。跳ねるように跳躍し流れ弾ならぬ流れ蛇を躱した弥夜は、茉白の背に自身の背をぶつけた。
「信じてた、此処で必ず会えるって」
「うちの機転のお陰だろ」
背に感じる相方の温もり。少し離れていただけにも関わらず、その温もりはやけに久しく感じられた。
「今度はビビんなよ、という言葉だけでH区画だって即座に判断した私を褒めてもいいよ」
「えっちしろとか言う割にビビって震えてただろ。お前との会話の中で、アルファベット関連の話題はそのくらいだったからな」
「さっすが私の相方、超冴えてる」
大蛇の奮闘により辺りで犇めいていた敵は僅かに数を減らし、二人を中心に広めの円が出来ていた。円の中には死体や血液などグロテスクがごった返しており、目も当てられないほどの混沌が渦巻く。
「生きて帰れたらえっちする?」
「金取んぞ」
「あ、否定じゃなくなった」
舌打ちをした茉白は女の子らしくないと即座に叱られ後頭部を雑に掻く。互いの衣服や得物は既に血濡れており、嫌な気持ち悪さが身体を蝕んでいた。
「それで? さっき言ってた久遠 アリスってのは何者だ?」
「二度目の命の再分配を起こす鍵。止めないと私達も死ぬ」
「そいつも能力者か」
「うん。“君達は季節外れの雪を見たことがあるかい?”私と初めて此処に来た時に、東雲がそう言ったのを覚えてる?」
「ああ」
「もう時期この国に黒い雪が降る」
背中合わせのまま辺りの状況を伺う二人。会話に意識を持っていかれないよう、視線だけを動かし最低限の注意を払う。
「……黒い雪?」
「そう。能力者だけに作用する猛毒の雪。それが久遠 アリスの能力」
鼻で笑いながら「なるほど」と吐き捨てた茉白は真正面から向かって来た敵を切り裂く。灰となった者に一切の興味すら示さず、血飛沫を振り払うように刀が振られた。
「放っときゃいいだろ。能力者が全て死ぬなら今よりは平和になるかもな」
「あのね茉白。さっきも言ったけれど、東雲達はその雪から逃れる為に救いの街に地下シェルターを造ったんだよ。自分達だけが生き残り、世界を牛耳る為にね」
「好きにさせとけ」
弥夜の表情に僅かに影が落ちる。だが自身の中で答えは決まっているのか、瞳に宿る決意だけは揺れ動かない。
「……嫌だ。私は茉白と生きたい、これからもずっと一緒に居たい。年老いて死ぬまで、綺麗に死ねるまで……私は貴女の相方で居たい」
「そんなことを言う割に、勝手な行動をして一人で死にかけてたのはどこのどいつだ」
「それは……ごめん」
「別に責めてない。うちもお前の立場なら間違い無く同じ行動をした」
不器用な優しさとは相反して冷たい風が吹き抜ける。流水の如く戦いだ髪が、月明かりの元で夜闇に尾を引いた。
「ねえ茉白、一緒に戦ってよ」
肩越しに視線が交わる。周囲を敵に囲まれた状況下でありながら、どちらからともなく微笑んだ二人。出会った頃とは違い、互いが互いを信頼している優しい微笑みだった。
「死ぬ為にか?」
望んだ通りの切り返しに頷いた弥夜は力強く前を向く。第二の命の再分配を阻止し、最期の瞬間まで共に生きること。言い換えれば、綺麗に死ぬまで共に居ること。
「其れが──私達の死行情動」
死臭が漂う中、弥夜は自身の想いを口にした。
「生きる目的が無かったうちにぴったりだな。死ぬ為に生きる、死ぬ為に戦う……最高に皮肉が効いてる」
軽く俯いた茉白。目元は髪で隠れているが、露出した口元は大きく吊り上がっていた。
「付き合ってやるよ……最期まで」
振り抜かれた刀が夜闇を取り込んで妖しく煌めく。毒を撒き散らしながら命を飲み込む斬撃は敵の大群を穿ち、二人が走り抜ける為の道を無理矢理に抉じ開けた。
「稀崎を拾いに行くぞ。居場所がバレているから必ず狙われる」
「珍しいね、夜羅を助けようとするなんて」
「……別に。死なれたら面倒なだけだ」
何かを探るように目を細める弥夜。かと思えば嘘泣きの要領で目元を何度も擦って見せた。
「もちろん助けに行くつもりだったけれど少し妬いちゃう。あーん、妬いちゃう妬いちゃう妬いちゃう」
「メンヘラかお前は」
未だ八つの頭を持つ大蛇は暴れており、辺りの景色は灰で淀んでいる。飴を取り出し咥えた弥夜は、腰を落として茉白を片手で軽々と抱きかかえると戦線を離脱した。
「そうと決まれば転送装置へ行こう。解析班があるのはC区画だったよね」
「おう」
「女の子らしい返事をしなさい。解析班があるのはC区画だったよね?」
「……うん」
靴底に魔力を込めての跳躍。視界を前後左右に曖昧にしながらの着地先は毒蟲の背であり、青ざめる虫嫌いを横目に、弥夜は触角を握りながら指示を飛ばす。背中の上で何度かバウンドした茉白は目を回しながら体勢を崩した。
「おい!!」
叫ぶ茉白のスカートは粘液に塗れており、恐怖に蝕まれているのか表情が歪に引き攣る。振り落とされないように羽に強くしがみ付きながら小言をつらつらと繰り返していた。
「えへへ、可愛いでしょ」
「可愛くないだろ。ったく……後で洗濯しろよ」
可愛くないと言われ拗ねるように鳴いた毒蟲は猛進する。脚を振り上げ、羽で空間を裂き、口腔内より吐き出された粘液が立ちはだかる者を溶かした。たった二人の少女により掻き乱される戦況。大群を軽々と押し退け転送装置へと至った毒蟲は、降りやすいように気遣ってか体勢を僅かに低くした。
「茉白!! 早く!!」
「ああ、もうどうにでもなれ!!」
粘液で濡れたスカートから水分が滴っている。未だ手に残る羽の感覚に身震いしながらも、茉白は弥夜と共に転送装置へと飛び込んだ。
※Todestrieb (トーデストリープ)──死へ向かおうとする欲動のこと。日本語では「死の本能」とも訳される。




