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毒姫達の死行情動  作者: 葵(あおい)
デイブレイク始動、還し屋の脅威
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DAYBREAK

「煙草、やめた方がいいよ?」


「だったらこれは何だよ」


 テーブルの上の灰皿が指差される。随分昔のものであろう茶色いフィルターの煙草が数本、雑に消されて萎れている。掃除が行き渡っていないのか、灰皿の周囲には至るところに灰が飛び散っていた。


「それは来客用のやつだよ? 私が吸った訳じゃないもん」


「うちも来客だろ」


「来客? ノンノン。茉白は私の相方」


「……鬱陶しい」


 舌打ちと共に大量の紫煙が吐き出される。顔を背けて息を止めた弥夜ではあるが、すぐに諦め肩を落とした。


「茉白も此処を好きに使っていいからね。少し窮屈かもしれないけれど、お風呂とお布団くらいならあるから」


「家に帰れないブラック企業かよ」


 簡易的なキッチン、スカスカの本棚、つきっぱなしのテレビ、食器が乱雑にしまわれた水屋、その他生活に必要であろう最低限の家電類。茉白は辺りを軽く確認し、住むのには困らないことを察する。


「人聞きが悪いことを言わないの。後ね、これからは共に生きるのだから、一つの組織としてこう名乗るのはどう?」


 メモ用紙に何かを走り書きした弥夜は、満足気に頷くとそのまま茉白へと手渡す。紙に書かれていたのは『DAYBREAK』という文字だった。


「大ブレイク?」


 受け取った茉白は紙面と睨めっこして眉を顰める。弥夜は固まり「嘘でしょ……?」と知らぬ間に心の声を漏らしていた。


「あのね茉白? それは恥ずかしいから外では絶対に言っちゃ駄目だよ。少なくとも、貴女が勉強を出来ないのは解った」


「知るか。英語なんて学んだところで何処で使うんだよ」


「数学とかならまだしも、英語は割と何処でも使えると思うのだけれど……」


 遠慮がちに浮かべられる苦笑い。煙草の煙を大きく吸い込んだ茉白は、口を尖らせて弥夜の顔に吐きかけた。


「で、その大ブレイクってのは?」


 涙目で咳き込む弥夜を横目に火を消した茉白は、後頭部で手を組んでソファに深く凭れ掛かる。


「デイブレイクだよ、デ・イ・ブ・レ・イ・ク!! 意味は夜明け。夜葉(よるは) 茉白(ましろ)(ひいらぎ) 弥夜(やえ)。名前に『夜』を宿す二人にぴったりの名前だと思わない? 穢れた世界の中で夜明けを求めて生きる……これ以上の名前は無いでしょ?」


 浮かぶドヤ顔。「くっだらねえ」と吐き捨てた茉白は立ち上がり玄関口へと向かう。


「茉白? 何処へ行くの?」


「散歩だよ。それと当然のように呼び捨てにすんな」


「絶対帰って来る気ないよね?」


「さあな」


「なんか猫みたい」


「お前の方が小動物みたいな顔だろうが」


 いやらしい笑みを浮かべた弥夜は「それって褒め言葉?」と(おど)けながらつけっぱなしのテレビへと視線を向けた。


「ねえ、茉白。これどう思う?」


 映っているのは、特殊な技術で海上に建設された巨大な街。無尽蔵な土地を利用した巨大な海上都市は美しく、資源や設備にも困ることは無い。様々なライフラインは確立されており、人の居住やオフィス街まで再現されている。まさに、人類における理想郷だった。


「毎日のように街中のモニターでもやってるだろ。見飽きた」


 ちらりと画面の方へ向いた深紫の瞳がすぐさま逸らされる。茉白は一切の興味を示さず、馬鹿馬鹿しいとでも言わんばかりに鼻で笑った。


「確か『救いの街』だっけ。還し屋の能力者が護衛についてくれるから安全な生活が約束されるらしいよ。世の中にはテロリストみたいな能力者もいるし、危険に晒されることが無くなるのなら少し魅力的じゃない?」


「お前と同じ考えの人が大多数だろうな。でも問題は──」


「そうなの、どれだけ応募しても居住権が当たらないの。ほんとくじ運無いよ」


「希望者からの応募が多過ぎて対応出来ていないのが現実だろ。皆、我が身可愛さに我先にと応募しているだけだ。お前みたいにな」


「何それひっど。まあでも、確かにそれが現実だよね」


 言い終えるや否や胸の前で手を打ち鳴らした弥夜は、テーブルに置いてあった財布をポケットにしまうと顔の横で人差し指を立てた。


「これから此処に住むのだから食材の買い出しに行かない? それなら散歩の代わりになるよね」


「勝手にしろ」


「茉白って強いの? 具体的には、対能力者とサシで殺り合ったとして勝てる自信はある?」


「知るか」


 興味無さげに事務所から飛び出した茉白は黙々と階段を下る。雨風に晒され錆びた鉄の階段が不快な音を奏でた。


「ねえ!! だったら私のこと護衛してよ!!」


 置いて行かれまいと後に続く弥夜は離れゆく背中に叫ぶ。腹の底から絞り出した声だったのか、そのまま咳き込んだ彼女は苦しそうに片目を開けて反応を伺う。


「あのなあ……会話になってないんだよ」


「ね、お願い!! いいでしょ? 私を護ることが出来たら食べ物にありつけるよ?」


 眉を顰めた茉白は短い思考の(のち)、振り返り視線を合わせる。情けと感謝の入り交じったような表情が、弥夜の目にはやけに鮮明に映った。


「……いいか? 今回だけだ。言葉にならないくらい美味かった飯の礼にな」


「そんなに美味しかった? 私はとても好きだけれど普通のカップ麺だよ。その辺で売ってるやつ」


 やっとの思いで隣に並んだ弥夜は歩幅を合わせる。漂う雨の匂い。未だ曇天の空は表情一つ変えず、全てを塗り潰すような灰色を晒していた。


「お前には皮肉も通用しないのな」


「だからお前じゃなくて弥夜だってば。後はそうだねえ……美味(うま)いじゃなくて美味(おい)しい、(めし)じゃなくてご(はん)()うじゃなくて()べる。そのくらいは直した方が女の子っぽいよ?」


「保護者かよ」


「一つしか歳変わらないでしょ。というか歩くの早くない?」


「お前が遅いんだよ」


 またお前扱いされたことに対して僅かに頬が脹れる。雑居ビル前の小さな横断歩道を渡って大通りへの道を歩く最中、痺れを切らした弥夜が話を切り出した。


「保護者で思い出したけれど、茉白の親は?」


 時間にして僅か数秒の沈黙。思考する茉白は小さな石を蹴り上げる。放物線を描いて遠くへと飛んだ石は、ガードレールを越して向こう側へと落ちた。


「ごめん、言いたくないなら構わ──」


「どっちも死んだよ。二年前の『命の再分配』でな」


 重ねるように吐き捨てられた言の葉に一切の抑揚は無く、表情ですら微動だにしない。止まることの無い歩みが、過去への興味の無さを物語っていた。


「親どころか身内一人残りやしなかった。正真正銘の一人ぼっちだ」


「……ごめん、辛いことを思い出させて」


 立ち止まった弥夜は、罪悪感に苛まれているのか視線を落とす。


「誰が辛いなんて言った? 寧ろ、ゴミ共が無様に死んで清々した」


「清々って、どうして……?」


「お前に一つ面白い話をしてやるよ」


 大通りへと差し掛かり、人の数が先程よりも増え始めた。命の再分配から僅か二年、危機感を忘れ何不自由なく暮らす者達を見、茉白は皮肉に笑う。


「うちの両親は典型的な毒親でな、そのくせ外面(そとづら)だけは人一倍良かった。若い男と遊び回りろくに帰って来ない母親、働かずして酒とギャンブルに溺れる父親……愛情なんてものは生まれてから一度足りとも感じたことは無かった」


 無言で聞き入る弥夜は、目を逸らさずに紡がれる過去と向き合う。


「もちろん飯を食う金も底をつく、そしたらどうしたと思う? 父親が、うちを風俗で働かせ、その金でまた酒とギャンブルを続けた。幸い稼ぎは多かったから飯代くらいはどうにかなったが、店は地獄でな。当時十四歳だったうちみたいな餓鬼に発情する汚ねえ輩共の相手を毎日させられた。最後には感情すら失って何も感じなくなったがな」


「そんなことって……」


「身も心も汚された上に、この歳で一度も母親の弁当すら食ったことが無いなんて笑えるだろ? お前とは違って穢れた世界を生きてきたんだ」


 遠い目をして曇天の空を仰ぐ茉白。灰色を取り込んだ瞳が形容し難い鈍い光を発する。何度も切り替わる信号や行き交う車が、弥夜にはコマ送りのように見えた。


「話してくれてありがとう」


 お礼の声は震えており、急激に熱を帯びた目頭より静かに涙が零れ落ちる。隠そうと目が逸らされるも、即座に察した茉白が鼻で笑った。


「意味分かんねえ。何でお前が泣くんだよ」


「だって面白い話って言ったじゃん。全然笑えないよ……」


「餓鬼は産まれる親元を選ぶことは出来ないだろ? 人は与えられた場所で生きるしかないんだ。どんなに汚くてどんなに苦しくて……どんなに醜い環境でもな」


「それでも生きることを投げ出さず、苦しい中で藻掻き続けた貴女を……私は誇りに思う」


 鼻をすすりながら「これからは」と続けた弥夜は歩幅を合わせると、涙を拭って優しく微笑んで見せる。


「私が貴女を愛してあげる、生きる理由を探してあげる。人を信じることを知らないのなら、私が教えてあげる」


「はあ? 誰がそんなこと頼んだよ。命の再分配が起こる前も起こってからも、結局世界は何一つ変わらなかった。生きる意味なんてもう無いだろ」


「そんなことない。人は寄り添うことを覚えた」


「寄り添う?  お前は馬鹿か。増えすぎた人が死に、生き残った者は今まで以上に“人”としての価値を見出された。それを喜んでいる奴だっているんだぞ。結局何も変わらず腐ったままだ……反吐が出る」


「命の再分配の後、能力を持った者が生まれ私利私欲の為に力を行使しているのは事実。でも人としての本質は変わらない……皆生きる為に精一杯で、人を想う気持ちを忘れてしまっているだけ」


「くっだらねえ、脳内お花畑かよ。綺麗事も度が過ぎると侮蔑の対象になるな」


 切れ味のありすぎる切り返しに大きく膨れた弥夜。膨張した頬は、まるでフグさながら破裂しそうになっている。


「口わっる。いつも悪いことを言うのはこのお口だね?」


 口角を(つね)り上げようと伸ばされた手は、またしても乾いた音を立てて(はた)き落とされた。


「うちに触るな」


「いいじゃん、ちょっとくらいお触りさせてよお金払うから!! 減るもんじゃないでしょ!!」


「お触りって言うな。大体お前は距離感がおかしいんだよ。初対面で抱きついてきたり、何を考えてるか解りやしない」


 再び膨れる弥夜は何かに気づき明後日の方向へと視線をやる。未だ涙が残る銀色の瞳が映したのは、若い男に押されて転ぶ少女の姿だった。少し視界の悪い大通りから逸れた脇道。ぶつかってしまい男が激昂したのか、ピンクの熊のぬいぐるみを胸に抱く少女は、何度も頭を下げて謝り続けていた。

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