赤い目の女
降り注ぐ銃弾の雨。掻い潜る際の緊迫感が短い吐息の連続により代弁される。観覧車の真下付近へと辿り着いた茉白は障害物を利用して身を潜めた。ゴンドラ部分に立つ一人の女性の両手には小さな銃が握られており、シルバーのボディが曇天の空を取り込んで鈍く煌めいていた。タイミングを見計らって飛び出した茉白は蛇を使役して空高く跳躍。重力さえ嘲笑うように女の立つゴンドラよりも高く飛び上がると、急降下の勢いを利用して刀を振り下ろした。
「思った通り来た来た。狙ったのは幽霊ちゃんの方だったけれど、毒蛇ちゃんが釣れたわね」
一つ後方のゴンドラへと華麗に飛び退いた女。その際、流れるような茶色いショートヘアが取り残されて優雅に靡く。左右の耳には数え切れないほどのピアスが身に付けられており、切れ長の瞳が美しい朱色を晒していた。
「毒蛇じゃ不満か?」
茉白により切り裂かれたゴンドラの天井部分が裂けて大きな口を開けている。そこに跨ぐように立つ彼女は狙撃手の女を睨み付けた。
「いいえ? どちらも殺すから、死ぬのが早いか遅いかというだけの話よ」
「お前が死ぬ選択肢は?」
「ごめんね毒蛇ちゃん、残念ながらそれは無いの」
二十代前半と思われる女は人差し指を軸にピストルを華麗に回転させ、そのまま手中に収めると流れるような動作で引き金を引いた。ほぼ同時に弾けた甲高い音。茉白は銃弾を真正面から切り裂いており、真っ二つに裂けた銃弾は勢いを衰えさせること無く左右後方へと消え入った。
「うちを毒蛇と呼ぶということは、お前も救いの街の勢力だな」
「早速バレちゃったわ。何処でも情報を漏洩させてしまうのは、私の悪い癖なの」
隠す気など更々無いと言わんばかりの白状。女はお茶目に舌を突き出すと可愛げにウィンクをして見せる。楪が言っていた赤い目の女はこいつのことか、と茉白は即座に察した。
「お前を人質にして救いの街へ乗り込んでやるよ。そうすればタナトスの連中も下手は打てないだろうからな!!」
放たれた斬撃が女が立つゴンドラの接合部を割く。分厚い金属部分を切り裂かれたゴンドラは落下し、地上で凄まじい轟音を奏でて割れ砕けた。
「それはまずいわね。私は計画の要だから」
女は茉白の遥か頭上を跳躍して通過する。すれ違い様に放たれた弾丸は、お返しと言わんばかりにゴンドラの接合部を撃ち抜き、茉白の足元の安定を即座に崩した。二つ目のゴンドラの落下に地上は阿鼻叫喚。下敷きになった者もおり、飛び散った四肢や拡がった血液が地上で晒されていた。
「ねえ、君のせいで人が死んだわよ?」
「だからどうした」
一つ先のゴンドラに着地した女は艶やかに嗤う。揺れる足元を気にも留めず地上を覗き込んだかと思えば、人の死を目撃して白々しく悲しむような素振りを見せた。
「随分と肝が据わっているのね。色々と調べて乗り込んで来るだけのことはあるわ」
「タナトスも還し屋も皆殺しだ」
「柊 弥夜だっけ、そんなにあの子が大切?」
「お前には関係無いだろ」
魔力による蛇が女へと至る。器用に伸縮させて同じゴンドラへと飛び乗った茉白。即座に振り上げられた刀は惜しくも宙を切る。
「あら、若いのに随分と大胆なのね」
身を捻る回避と同時に左脚での素早い蹴り。頭部を狙った蹴りは茉白の右腕により防がれ、その際の衝撃が腕を伝って脳裏へと駆け上がる。次いで、隙を突くように構えられた銃。即座に肉薄した茉白は脇下で女の腕を挟み込むことで無効化する。コンマ数秒遅れて放たれた弾丸が、撃ち抜くはずの対象を見失い曇天の空へと吸い込まれた。
「そんな玩具じゃうちは殺れない」
発砲の際の僅かな反動を利用し頭突きを見舞った茉白。顔面を押さえて足元を縺れさせた女に対し、ゴンドラに張り付けた手を軸に足払いが繰り出される。防ぐ術の無い女は転倒し身体を強く打ち付け、仰向けに無防備な体勢を晒した。
「おっと、強い強い」
綽々と紡ぐ女に対し、無慈悲に切っ先が堕ちる。狙いは心臓の一点であったが、転がることで回避した女は狭いゴンドラ上より落下した。
「足掻いても無駄よ? もう時期この国は終わるから」
刀は寸前で避けられた為にゴンドラを貫通。そのまま舌打ちをしながら女へと視線を流した茉白は、銃口が自身へ向いていることに気付く。トリガーを引く右手に左手を添え、両手でピストルを握る女がやけに鮮明に映った。
「バーン」
間髪入れずに弾ける音。落下しながら発泡した女の口元には笑みが浮かんでいる。目で追う茉白は軽々と射線上から身を逸らすも、不可解なことに弾丸は左肩を貫いた。
「さて、貴女はどれくらい耐えるかしら? それとも……」
迸る激痛に表情が歪む。避けたはずの弾丸が何故自身を貫いたのかと思考した茉白は、女の逃亡にさえ気が付かなかった。逃げ行く背は既に遠くなっており、今この場における戦闘は不可解な形で幕を閉じた。
「……くそが」
蛇を使役して地上へと降り立った茉白は傷口を押さえながら歯を食い縛る。色白の腕を伝い落ちる血液を見てか、負傷した茉白の周囲に人集りができ始めた。弱った彼女なら殺せるのではないかと、卑劣な考えを持つ者達の集まりだった。
「何処からでも掛かって来いよ蛆虫共、夜葉 茉白は此処に居るぞ!!」
両腕を大きく広げての挑発。救いの街への永住権、理想郷を夢見る者達が雲霞の如く押し寄せる。顎を引き刀を構えた茉白だが、横槍を入れるように周囲に現れた霊魂が次々に人を溶かし始めた。
「もしかして成仏しかけていますか?」
阿鼻叫喚の人混みを掻き分けて姿を見せた夜羅。別離していた二人が合流したことにより、機を逃したと言わんばかりに散り散りになる者達。辺りは即座に静寂に包まれ、無人のアトラクションの稼働音だけが虚しく響き渡っていた。
「お前と一緒にすんな」
「それはともかく、狙撃手は何処へ?」
「逃げられた。タナトスの奴だった」
「そうですか。私の方は終わりました」
経緯を説明した夜羅は衣服の右肩部分を強く引っ張り破く。そのまま血塗れの茉白の手をどけると、脇下を通して傷口部分に強く結んだ。
「……ッ!!」
「痛みは我慢して下さい」
「笑わせんな、痛い訳ないだろ」
見え見えの強がりと共に夜羅の衣服に視線が向く。破れた部分から露出する腕は細く色白で、戦うには到底不釣り合いなか弱さを晒していた。
「おい」
「どうしました? 傷が痛みますか?」
「……ありがとう」
驚いたのか僅かな沈黙。目を見開いた夜羅は目の前で響いた舌打ちにより意識を回帰させる。
「ありがとう? 難しい言葉を知っていますね」
「絶対いつか殺す」
「気にしないで下さい。お気に入りの服だということはこの際黙っておきますから。お気に入りの服なのに残念です」
早速ぼやきながら肩を貸そうとする夜羅に対して茉白は独りでに歩み始める。少し覚束無い足取りだが、問題は無いと判断した夜羅は悟られないように安堵の表情を見せた。
「蜂の巣ならぬ蛇の巣にならなくて良かったですね」
「くっだらねえ、それ面白いと思ってんのか」
「はい」
「あっそ」
踵を返し駐車場へ戻ろうとする茉白の腕が掴まれ、目を合わせた夜羅が首を横に振った。
「今日のところは車の調達は諦めましょう。あんな映像を流されたのです、明らかに日が悪い」
「丈夫な車を奪うんだろ?」
「言葉には気を付けて下さい、奪うのではなくお借りするのです。ですが今は身を隠すべきです」
周囲を見渡すように促す夜羅。二人の周囲に人は居ないが、遠くから伺うような者達が多数見受けられた。針のような尖った殺意を隠す様子も無く、その誰しもが理想郷への片道切符を狙っていた。
「私達の別離、及び殺せるであろう隙を狙っています。諦めが悪いのも頷けますね。なにせ懸かっているのは、死ぬまで安全が保証される救いの街への永住権なのですから」
「脳内お花畑かよ。結局はそんなもん存在しなかったというのに、何も知らない奴等は気楽なもんだな」
「しかしながら私達はしてやられたのです。襲撃者の柊を生かすことで還し屋の器量を世に知らしめ、人々の救いの街に対する関心を高める。戦闘の映像を見たでしょう? あれだけの強さを誇る柊を抑えた戦力の常駐、救いの街の安全が言わずと保証された」
「だから誰しもが永住権を望むってか」
「ええ、その通りです。そしてその条件は破格も破格。私達のどちらか片方を殺すだけでいい。ましてや二人とも小娘。これほど手軽に家族の安全が保証されるのなら、誰しもが還し屋の話に耳を傾けるでしょうね。その先の真実を知ろうともせず、瞞しに踊らされているだけだと気付きもせずにね」
律動的な靴音を鳴らしながら先導する夜羅。足取りは軽く迷いが無いことが見てとれる。遊園地を後にし、駅前広場を抜け、人が選ばないであろう抜け道へと進んで行く。
「何処へ行くつもりだ」
「表ではさすがに分が悪い、裏道で帰って身を潜めましょう」
雑居ビルの間や路地裏、その隙間から覗く細長い空より雨が齎される。重苦しい曇天は痺れを切らしたのか、小粒の雨は瞬く間に激しさを増した。夜羅は傘をさすと見せ付けるように掲げた。
「大丈夫ですよ、傘はちゃんと回収しておきましたから」
「元はといえばお前が投げ捨てたんだろ」
視線を落とし後頭部を雑に掻く茉白は、前を歩く夜羅に衝突して僅かによろめく。傘に乗った雨水が勢い良く跳ねて真白の顔面に降り掛かった。
「おい、急に止まんな」
そんな小言が届かないほどに夜羅はある一点を見つめており、視線の先には制服を着た男が薄汚れた地面に座り込んでいた。
「戻りましょう、道を間違えました」
引き返そうと踵が返されるも、夜羅に気付いた男は静かに立ち上がると口角を吊り上げる。醜悪な笑みが薄暗い路地裏で歪に映えた。
「稀崎じゃん。顔を見ておいて無視するなんて酷いな」
低めの声色が木霊する。着崩された制服に整髪料で整えられた短い金髪。咥えタバコをする男は心底愉しげに夜羅を呼び止めた。
「中学以来だな。高校には来てなかったから三年振りか?」
振り返った夜羅の表情は暗く、少し脅えているような素振りすら垣間見えた。何かを探るように目を細めた茉白は夜羅越しに男を正視する。
「お久し振りですね」
「元気だったかあ? 化け物」
下劣な含み笑い。その一言で茉白は察する。廃学校で聞いた過去において、この男が夜羅を虐めていたであろう者だと。




